243話 自由の戦士Ⅰ
◇
「はぁ……! はぁ……!」
シズク・タイムは走っていた。
村を出て、精霊の森に向かい、森の間を裂く小径を抜けて、祠がある洞窟を目指した。
思えば、そこが始まりだった。
伝説の勇者が眠る祠――。
盾の勇者との共謀で、シズクは人間兵器と深く関わりを持つようになった。けれど、そのもっと前からシズクの身近には彼がいたのだ。
精霊の森へ駆け出す前のこと――。
マモルと二人で『パンテオン・リベンジェス・オンライン』の様子がおかしくなっていくのを見ていた。
ゲームシステムはバグだらけ。
背景は文字化けしたようなグラフィックに変わり、正常なオブジェクトも徐々に減っていた。
なのに、運営からのアナウンスがない。
リンピアとボイスチャットを交わして様子を訊くに、ゲームの崩壊が始まったということだ。
それは、最大の敵であるデータヴィランを打ち破り、野望を打ち砕けた証。それに安心していたのも束の間、魔王城から大量の水が溢れてきた。
その水流に流されて現れたのは、シズクから見て、人間兵器五号と瓜二つの薄紫の髪色をした少女だった。
だが、それがDBではないのは明らかだった。
「ジャックくんは!?」
リンピアがその少女に尋ねる。
「彼は、まだあそこに……」
「えぇ!?」
リンピアが悲鳴のような声をあげる。
魔王城の傍らから上階を見上げ、たじろいでいる。リンピアの計画では救助用の器を四号パペットに用意させ、そこにジャックの人格を納める予定だった。
「私に器を譲るつもりなのよ……。プランBは最初から実行する気がなかったみたい。本当にふざけた男……」
少女が憎らしそうに、悲しそうに、呟いた。
ちょうどその後、森の奥地からロアとシールが合流する。ロアがうろたえる二人を見て、困ったように何かを言いあぐねている。
シールが前に出て、代弁した。
「ごめん、みんな……。ソードを取り押さえられなかった。何をしたかわからないけど、急に光に包まれたかと思ったら消えたの。今どこにいるか分からないよ」
概ね状況は、各々理解したようだ。
首魁を打倒し、怪異は解決に向かっている。
ゲームシステムは崩壊し、この仮想世界から追放されるのも時間の問題だった。
だが、すべてが予定通りかと言ったらそうではない。
失敗は二つ。
ジャックが魔素の汚染に耐えられず、変貌を遂げる前に自死しようとしていること。
ソードが逃げ出して行方知れずなこと。
今回の怪異がこの二人を巡る戦いだったことを考えると、ラスボスを倒したとしても、これらは大きな失態だ。
気を落として場の空気が沈んだ直後――。
ドカァン、と頭上から壮大な爆発音が響いた。
皆、揃って空を仰ぐ。
魔王城の崩壊が進んでいるようだが、それだけではなかった。二つの影が魔王城を取り囲いながら激突し合っている。
「あれってもしかして……っ」
リンピアが声を張り上げた。
「ソードとジャックね」と、リピカ。
「なんで戦ってるの……?」と、シール。
「もう戦う意味はないのに」と、リンピア。
それぞれ理解が及ばず戸惑っている。
ロアは溜め息まじりに首を振った。
「確かに無意味だ。だが理由があるんだろう。あの二人にとっては重要な理由が」
「けどロアくん、あんなことしてたら二人とも無事じゃすまないよ。もうじきにこの世界自体がなくなっちゃうでしょ。取り残されたら――」
元より、命より大事なものがある二人だ。
そこに〝他人〟という要素が介在しなければ、彼らが張り合うのは命じゃない。
それぞれの信念なのだ。
「と、とにかくまだ残ってるプレイヤーにはログアウトを呼びかけないとっ。私は一足先にパペットさんと合流して器の用意と、えーっとそれからソードさんとジャックくんは……っ」
リンピアが狼狽しながら、矢継ぎ早に言う。
傍らで呆然と見ていた『時を刻む少女』。――その中身であるマモルとシズクは、事態の混乱を感じ取っていた。
どうすることもできず、そのもどかしさでシズクはゲームモニターの前から駆け出した。マモルが呼び止めるのも無視して。
「はぁ……はぁっ、ぁ……」
洞窟の前に着く。
シズク・タイムは先祖がそうしてきたように、一段一段、祠の中への階段を降りていき、そしてその祭壇に辿り着いた。
もぬけの殻となった祭壇。
ここには剣の勇者が祀られていた。
時を司る精霊オルドールの膝元で眠るようにして……。
シズクは跪き、そして祭壇の前で祈る。
誰もいない、何もない剣の勇者の祠に思わず来てしまったのは衝動的な理由だった。
ここは始まりの祠。
運命を回す歯車がどこかに存在するなら、きっとそれは此処なのだ。
〝時の精霊、オルドール様〟
〝どうかあの勇者様に力を貸してください〟
タイム家が代々神官を務めていたのは、もう遙か昔のことだ。近代では、父親のナブト含めて神職のしの字も知らない。
だからこれは無作法な祈りだった。
形式も何も知らない。
ただ縋るだけの無垢な願い。
〝お願いします〟
〝どうかあの勇者様が報われて、平穏な日々を過ごせるように。もう独りで苦しまなくて済むように〟
〝あなたの力が必要なんです〟
〝どうか、彼を救ってください〟
祈っても祈っても、何も起きないことはシズクも薄々感じてはいた。
神頼みとはこういう状態なのかもしれない。
けれど、シズクは信じて願い続けた。
〝――――――〟
気のせいか。何か聞こえる気がする。
シズクは耳を澄まして、幻聴のような掠れた何かに注意を向けた。
〝――あ、ああ~、聞こえるか?――〟
〝――よう。シズク――〟
「へ……?」
その予想外に軽々とした挨拶に、シズクは思わず間の抜けた声が出た。
今、こちらの祈りに応えたのは一体?
少なくともシズクが思い描くような精霊らしい威厳を含んだ声ではなかった。それこそ慣れ親しんだ家族か、兄か、それとも親しい隣人のような……。
それに、なぜこちらの名前を知っているのか。
超次元的な存在だから、何でも知っているのだろうか。それとも――。
「あなたは……誰ですか?」
◇
剣を究めた人間兵器の一撃。
それは人智を超えた速度の刃だ。
「ァ――――!」
俺はその一撃を『紅き薔薇の棘』で受け止めただけで魔王城の壁を突き抜けるほどの勢いで、弾き飛ばされた。
爆破されたように外壁が木っ端微塵になる。
俺は背中を打ちつけて体がひしゃげた。
こんな嵐のような攻撃を前に、俺はどうやって――。
それだけじゃない。
人間兵器一号、コードネーム〝ソード〟。
彼の得意とする力は剣を生み出す【抜刃】だ。
折っても砕いてもその魔力が続くかぎり何度だって生成される無間地獄の剣。
小手先の戦いでは、決してその無数の剣戟を掻い潜って、その身に届かせることもできない。
こいつは武錬の達人だ。
俺は、それをよく知ってる。
かたや今の俺は、もはや死に体の魔王の残滓。
俺はソードの一撃で魔王城最上階から吹き飛ばされ、空中で上下左右めちゃくちゃに体を回転させながらも、『紅き薔薇の棘』の蔓を伸ばして窓の梁に引っかけた。
剣を鞭のようにして足場に戻る。
それで事なきを得たわけじゃないが……。
上を向くと、ソードが竜巻のような勢いで迫ってきた。
「どうした!? 俺はそんな、弱いヤツじゃねぇだろ!」
煽るような物言いだ。
俺だって、呆気なく負けてはやらねぇけど!
突撃してきたソード。
この猛攻に触れたら、きっと俺の体は粉々に大破する。ケアにはずいぶん丹念に回復魔法をかけてもらって弱体化したようだしな……!
身を翻し、別フロアの別部屋の中へ。
体操の後転の要領で、床を転がってソードの攻撃を躱す。
ソードは俺自身が知る以上に強い。
突進して消えたように見えたら、もう別の場所から現れて横っ腹を攻めてくる。
――ガィィン!
咄嗟に『紅き薔薇の棘』を握り、ソードが斬り込んできた脇をガードした。
運良く剣を防ぐことができた。
さすがは魔王の剣。ソードの【抜刃】に、『紅き薔薇の棘』の強度は耐えうる。
しかし俺の腕が耐えられなかった。
いとも容易く、関節が逆方向にねじ曲がる。
「あがぁッ!」
「弱すぎる――」
ソードに慈悲はなかった。
人間兵器としての無情なラッシュにより、俺はソードの肘打ちを脳天に食らった。
そのままフロアの床に叩きつけられる。
床は抜けて瓦礫を吹き飛ばし、物凄い勢いで魔王城の下層まで床という床を何枚も突き破っていった。
「ギ――――」
死にかける。
これ以上やったら――。
やったら、どうなるのか……?
そりゃ死ぬだろう。
死んで、あのゲーミングルームに戻って、また精霊たちに勇気づけられるって?
「――そんな……情けねえことっ!」
二度とごめんだ。
これは命をかけた勝負じゃない。
俺と俺は〝戦い〟のために戦っている。
互いの生き方、どちらを信じるか。
それをこの戦場に賭ける。
故に、死ぬかどうかは然して問題じゃない。
負けを認めるかどうかだ。
だからここで一度でも俺が挫けて、あのゲーミングルームから再挑戦のボタンを押すなんてことをした時点で、俺の負けなのだ。
ただの一回だって、自分自身には負けねえ!
歯を食いしばり、床を突き破る痛みに耐える。
こんな苦痛、どうってことない。
折れるな。起きろ起きろ起きろ。
どれくらい下層まで落ちたかわからない。
とある床で俺は受け身をとり、そこから態勢を立て直して上を向く。
隕石でも落ちてきたかのように、ソードが剣を突き立てて落下してくる――。
この男を、超える……!
俺にとって、この男は自分自身の幻影だ。
戦士たれと自らを呪い、孤高の戦場に身を投じ続けた俺自身――。
ギュルギュルギュルと自身の体がうねる。
俺の闘志に反応し、体内に内包した魔素という魔素が暴走していた。
「……!」
「アアアアアア!」
上から降りてくるソードが、剣を構える。
俺も『紅き薔薇の棘』を構える。
そして、交差する無数の飛礫――。
瞬き一つの間に繰り出される剣の雨霰。
一つ一つを俺は薔薇剣で高速に叩き割る。
「っ……と――そうこなくちゃ、なぁ!」
着地したソードが一度の踏み込みで、真っ直ぐ俺に肉迫する。
あちらの剣は休む間もない。
「ハッ――ハッ――」
それは俺も同じこと。
犬のように喘ぎ、呼吸を整え、考える。
次の攻撃に備えろ。手を止めるな。
考えろ考えろ考えろ。
もう俺はとっくに器が破裂する寸前なんだ。そのカウントダウンは始まっている。この身にたくさんの魔素を抱えたそのときから――。
こんな寄せ集めの、つぎはぎだらけの体だが、それでも俺が止まらないかぎり、まだ魔王の体は形を保ってくれる……!
動きを止めたら、負けるんだ。
俺自身に負ける。
俺に勝つ以外の方法で、この戦場を越える術はない。
――ガン!
一撃、ソードの剣が薔薇剣に打ち込まれる。
そのたびソードの表情にも陰りが出た。
「ぐっ……!」
ソードが悶えた。
怯んでいる……?
俺はただ振るわれた剣を受けただけなのに。
――違う。ソードも命がけなのだ。
魔素【狂戦士】の憑依から解放されたわけじゃない。
俺は【狂戦士】を吸収していないし。
だからソードが正気でいられるのは、暴走しかける魔素を自ら押さえ込んでいるからだ。
……同じじゃねぇか。
俺とソードは、同じ条件で戦っているんだ。
攻撃する方が命がけの、諸刃の剣――。
少しでも気を緩めれば、内包された魔素が時限式に暴発し、誤魔化しが効かなくなる。
俺たちの在り方は、互いに崩壊へのカウントダウンを始めた使い古しの〝剣〟そのものだ。
――ガァン!
剣が打ち込まれる。
【抜刃】と『紅き薔薇の棘』が鬩ぎ合う。
かつて勇者と魔王が戦ったこの舞台で。
両者、悲痛に顔を歪ませる。
斬りつけた方が着実に死へ近づいていく。
だが、やめない――。
俺はこいつを倒す。
剣士として生き抜いた俺を倒す。
そして戦場を超えるのだ。
そう、約束したから。
戦いは何も生まない。
誰かが誰かを喰い、喰った側がまたいつかは喰われる。そんな連鎖の繰り返し。
――【時ノ支配者】という神域の力が引き合わせた俺たちの今が、何よりの証拠だった。
「その先に……」
ソードが何やら呟く。
その眼はとっくに別のモノを視ている。
俺と対峙することで視える何かを。
「俺は……なぜ……」
ソードが問いかける。
自らが剣を究めた理由を求めて。
「なんで戦うんだ……! 俺は!」
――ガァン!
何かを探るような一撃。
ソードも剣を振れば振るほど、体がぼろぼろになっているはずだった。
なのに何故か一撃の重みが増していく。
答えに近づいているからこそ、渇望し、追い求め、力が増しているのだ。
不器用なもんだ。
俺たちは剣を交えてしか問答ができない。
「断ち切るためだ」
俺の方から剣戟をソードに打ち込む。
そのたび魔素がうねり、体がぐにゃぐにゃと暴れていく。
――ガァン!
また一撃、ソードの剣に打ちつける。
「……っ」
「戦いの連鎖を……な! もうこれでおしまいだって決めたから……っ! そう約束した!」
俺が『紅き薔薇の棘』を打ちつけるごとに、ソードははっとしたような表情を浮かべていた。
「俺は自由の戦士だ! これは自由を願って始めたこと……!」
「は……!」
「新しい世界を生きていくために――」
ソードはいまだに虚空を見ていた。
己の心象を見ているようだ。
何が視えているのだろう。
戦場に翻弄されて、剣の道を究め、数多の骸の頂点で、その荒野の中にただ独りで立っている。
それがこの男――人間兵器一号だ。
そんな自分自身を叩き斬る。
「――俺が、邪魔だ!」
俺は理想の自分を倒す。
その先に進まなければ自由に辿り着けない。
俺は自由を願った。
そうやって生きていくことを決めた、この戦士とは別の存在だ。
そうして放った渾身の斬撃――。
その剣筋に手応えを感じた。




