240話 隠密班/ブレイブロード
見慣れたはずの魔王城。
それを橋のたもとから望む。
荘厳に聳え立つそれは、こうしてまじまじと見ると、プリマローズの性格をよく表わしている。
その外壁から振りまく暗黒さは、今や俺自身に内包された【災禍の化身】によるものが起源だ。
魔王の因子を持つ俺には帰郷のようなもの。
それなのに、いやに気が重い……。
「なに? アンタ怖じ気づいたの?」
魔族の大群を引き連れ、その中心に君臨するリリスが俺に振り向く。
今はこいつの方がよっぽど魔王らしいよ。
「怖じ気づいてなんかねぇけど、なんか――」
自分でも覚悟はできている。
決意は固めたのだ。
なのに、足が本能的に拒んでいる。
きっと自殺を図る人間は、こんな風に心と体のちぐはぐな反応に戸惑うのだろう。
頭はとっくに覚悟はできた。
だが、体の方は識っているのだ。
――その先にいけば死ぬ、ということを。
正直、俺はこうしてリリスと東の森を抜けて魔王城の前まで歩いてきた経緯を、ほとんど覚えていなかった。
感覚が既に狂って、限界を迎えている。
山ほど魔素を食らってきた報いだ。
その上でさらに極上の毒を食らいにいく。――それが自殺行為なのだということを、この体は俺以上に理解していて、足で引き留めている。
「アンタならきっと大丈夫だわよ」
「ありがとよ……。根拠があれば、ぜひ聞かせてもらいたいがね」
リリスの励ましに気の利いた返しはおろか、皮肉で返してしまった。
俺もずいぶん余裕がなくなっている。
「根拠? そんなもの必要? あたしがアンタと一緒にこんなところまで来れたことが証拠よ。それとだけどね――」
リリスは魔王城を背に引き返し、俺のところまで近づいて肩を支えるように撫でた。
「アンタも聞こえてたでしょ?」
「何を?」
悪いが、俺は意識が飛び飛びだ。
記憶を留めておくという脳ミソが持っていなきゃマズい機能が障害されているようだし。
「ここに来るまで、いろんな場所から戦う音が聞こえてたわ」
「あぁ……陽動班がプレイヤーキルを頑張ってくれたのかな。対ソード班は……どうだろう。手前味噌になるが、俺は強いからな」
「ふふふ」
他のみんなのおかげで、リリスが引き連れるモブの個体数も然ほど減っていない。
もし彼らの活躍がなければプレイヤーはあっという間にここまで到達し、魔族の軍勢を狩り尽くしていただろう。
「なにさ。わかってんじゃないのよ」
「はぁ……? 意味がわかんねぇ」
「アタシが言いたいのはね、アンタには頼もしい勇者たちがついてくれてるってコト!」
リリスは俺の肩をパンパンと叩いた。
「勇者って誰でもなれるのよ。弱虫なアタシも、それから臆病なアンタも。あとね、アンタが今まで出会って、いっぱい喋って、いっぱい思いをぶつけ合った全ての人たち。みんな勇者だわ」
「そりゃ勇者をナメすぎだ。魔族も本物は――」
「ちがーう!」
リリスがぴっと人差し指を立てた。
俺は気圧されて押し黙る。
「単純な力の話じゃないの。アンタは昔、絶対弱虫なヤツだったって断言してやるわ。それがこうしてたくさんの人を、勇者を、動かす力を手に入れたのっ。それはアンタがソードっていう人間兵器だったからじゃない。アンタが、アンタだったからよ。わかる? 力とか立場とか名前とか、そんなものは関係ない、アンタ自身の強さ!」
リリスの暴論は、意識も飛び飛びな俺には理解することが難しかった。
「だいじょうぶ。みんなは信じてるから」
リリスは踵を返して魔王城に向かっていく。
励まされたのだろうか、俺は……。
体は本能的に死を怖れているというのに、リリスの言葉に導かれるように、俺は一歩一歩と大地を踏みしめていた。
この虚構だらけの仮想世界の地面を。
○
魔王城の内部は、機能性など関係ない。
芸術性こそがすべてだ。
入り組んだ廊下。華美な装飾。それから無駄な階段の上り下りや吹き抜け。それを渡る橋。
まさに迷宮である。
魔族排球で見ていた体育館などとは程遠い、本物に近い魔王城がそこに再現されている。
俺とリリスは忍び足で廊下を通り抜け、たまにフェイクの通路に騙されながらも先に進んでいった。
ケアがどこにいるか、なんとなく予想がつく。
新世界の神になると豪語するような女だ。
それが一階や二階、食堂やなんでもない客室に待ち構えているはずがない。
間違いなく、最上階。それも魔王の部屋。
俺やリリスは隠密班だ。
なりふり構っていられない今は、姑息な手段でもケアを止める方を優先すべきだった――。
「さてと、あたしはここまでだわね」
だいぶ階段を登ってきて、そろそろ最上階に近いだろうエリアで、リリスが立ち止まった。
NPCを操ってここまで同行してくれたが、これ以上進んでケアにバレたら意味がない。リリスはカモフラージュ役なのだ。
おかげで俺は他のモブと見分けがつかない状態でここまでまんまと侵入できた。
「そうだな。案内人の務め、ご苦労さん」
水先案内人にならなければいいが。
「ちゃちゃっとやっちゃってよね。アンタは絶対に大丈夫だから」
「へいへい。……なんか、地味ですまねぇな」
最終決戦にしては、飾り気のない作戦だ。
派手な戦いも熱い展開もない。
ただこっそり忍び込み、ケアが気づかぬうちに【時ノ支配者】を食う。ただそれだけ。
俺が自嘲気味に笑うと、リリスは目を剥いた。
「なに言ってんの? 地味? これのどこが! ――アタシにとって人生最大の晴れ舞台だったのだわ。こんな爽快で、こんな壮大な大行進したことないもん。だから、ありがとねっ!」
リリスは屈託なく笑った。
無垢な表情に少女らしさが全面に出ている。
ああ、ヴェノムが惚れ込むのも無理ない。
この少女は汚い境遇で育ってもなお心はずっと綺麗であり続けたのだ。
その純真さは、醜悪な人間たちの本性を知る人間兵器には、宝石のように映る。
「いってくる」
俺は余計なことを言わないようにした。
これ以上、リリスと何か喋っていると悪い癖がでて、優しい言葉をかけてしまいそうだ。
こちらこそありがとう。おかげで――。
お前も無事に――。
お前たちがこの先もリアルで――
そうはしたくない。
俺がこんなにも足が奮え、背筋が凍り、頭がかち割れて吹き飛びそうな状態でも前に進んだのは、ただ単純に俺自身のためだ。
そこに、人のためや世界のためといった大義を当て込みたくない。
だからリリスには無愛想な態度で背を向けた。
リリスもそれをよくわかっているようで、俺が離れていくのを何も言わず見送った。
俺自身のために、戦いを終わらせるのだ。
ケアという女神が始めた巨悪の渦。
その結果生まれた残滓が、こうして何千年という時を超えてもまだ牙を剥く。
こっちが忘れても襲ってくる。
今回の【時ノ支配者】のように。
その戦渦に巻き込まれたままでは、俺は未来永劫このままだ。自由も勝利も掴み取れない。
一時はその境遇に身を投じることに自惚れていることもあった。
でも、そんなものに溺れて俺はどうなった?
空虚だっただろう?
俺の人生はもっと自由で情熱に満ちた、広い世界にこそ広がっている。
さぁいけよ、俺。
未来をつかみ取れ。
そう足に命じ、遅くなっても一歩一歩、断頭台の道を歩くかのような気分で階段を昇っていく。
「シール……。借りるぜ」
隙は、一瞬だろう。
語り合う間も与えず決着をつけなければ。
それから先は、己の耐久勝負だ。




