238話 対ソード班/猛獣と青の戦士Ⅱ
破壊の獣は徐々に体を膨張させていた。
体中からは剣山のように棘が生え、それら一つ一つが【抜刃】による剣だった。
単純な防護だが、攻撃を届かせづらくするという点ではとても効果的で厄介だ。
シールの【護りの盾】は、それらを貫通させるほど柔ではないが、猛攻を止める手段にはならなかった。
「ソレの相手は三号の能力じゃ分が悪いぞ」
ロアは助けてもらっておきながら、もうすでに涼しげな態度で整然と立っていた。
「いいの! 母親に文句言わないで!」
「っ……。あなたが俺の母だったのは、もうずいぶん昔のことなんだがね」
小柄な少女に、長身の男が気圧されて引き攣った顔を浮かべる。
「昔とか今とか関係ないよっ。こっちが記憶がないのをいいことに、よくも隠しておいたわね!」
「そうなるのが嫌で距離を取っていたんだ」
「――っ!」
アークヴィランと化したソードが【護りの盾】を振り切って襲いかかってきた。
寸でのところでシールとロアが躱す。
今は親子喧嘩をしている場合ではないのだが、シールが仮想アガスティアの大樹で受けた衝撃をうやむやにはしたくなかった。この正念場においても。
「距離を取ってた!? ひどい!」
「う……。俺なりに考えてそうしたことだ」
「私たちがどれだけ孤独で――」
またしても、ソードの攻撃が迫る。
肥大した魔腕が、曲剣のようになってシールの頭部をかすめた。シールは瞬時に伏せの態勢を取って避ける。
「――この運命を呪ったか! 親不孝者!」
「シール……。あなただって俺が突然正体を明かして現れたら混乱したはずだ。あなたには人間だった頃の記憶もないし」
ロアは魔剣を携えて、ソードが爪のように振るった三本の剣を切り落とした。
「ましてや所帯を持っていたことまで知れば、ひどく動揺したはずだ」
ソードの反撃をロアはすっと静かに躱した。
「じゃあ聞くけど!」
シールが【装填】で弓矢を生成する。
地面すれすれの低い姿勢で弓弦を引き、ソードの足元に矢を射る。
命中したものの、弓矢は無惨にソードの足に呑まれ、彼に新たな剣山の針を増やすばかりだ。
「私やソードに会いたいと思ったことは? 長い間、親に忘れられて寂しいと思ったことは!?」
「うーむ……」
ロアが逡巡した。
その間、ソードが獣の咆哮を上げていた。
悩んだ時点でシールのお気に召さなかった。
「うーむ!? やっぱり何とも思ってない!」
「すまないが俺は生まれつきこうでね。特に父親には愛着がなかった。あなたのことは尊敬しているよ。親としても、人としても」
「むっ……」
シールは精神的な不意打ちをくらい、反応がやや鈍った。顔もやや熱くなる。
ロアには特別な感情が湧いていた。
記憶がなくても血の繋がった子どもである。
よく見れば、自分にとても似ている男ではないか。その長躯のせいで、真実を知るまで結びつかなかったが。
その隙を察知したのか、ソードが飛び込む。
間合いを詰められたシールは回避不可と判断し、【護りの盾】でソードの突進を受け止める。しかし、力があまりにも強すぎる。
押されている中、ロアが駆けつけて真横からソードを殴り飛ばした。
「大丈夫か」
「うん。ありがと。……戦い方はソードに?」
「残念だが、あの男に教わったことはあまりに少なくてね。そもそも身内より他人を優先して助けにいくような父親だ。俺の戦術は、また別の恩師から」
「そっか……。ソードは昔からソードなんだね」
ロアは皮肉のつもりで言ったが、シールは嫌味に感じなかったようだった。
シールは元々今の人間兵器三号としての人格とは異なる性格をしていた。思慮深く、あまり感情を表に出さないタイプの――それこそ今のロアと同じ性格をしていた。
ゆえに、今こうして会話していてもロアは当時の母を思い出さないようにしていた。
時間が戻ることはないのだから。
あの頃、面倒を見てくれた母はもういない。
そしてそのときの思い出も塗り潰したくはなかった。その思いからロアは父親の姓ではなく母親の旧姓で名乗っていた。
ロア・ランドール、と――。
だから、ここにいる人間兵器三号は別人だ。
それを言えば、すぐそこで雄叫びを上げ、狂った猛獣のように変貌したあの人間兵器も、父であるはずがないのだ。
ロアは気を取り直して戦闘に集中した。
「シールのおかげで、なかなか良い時間稼ぎになりそうだ」
「まぁ持久戦は私の得意分野だからね」
「だが、それだけじゃ足りないんだ。【狂戦士】は力が増幅する性質がある。戦いが長引けば長引くほど、いずれ【護りの盾】では防ぎきれなくなるぞ」
シールもその性質はよく理解している。
だからこそソードは怖れられていた。
「じゃあどうするの?」
「こちらの耐久が保てばいいが……。隠密班もさすがにケアと接触する頃合いだろう。『紅き薔薇の棘』が【時ノ支配者】を吸収できれば――」
しかし、ロアはそんな不確実なものに、戦況の行く末を任せるような男ではなかった。
保険には保険をかけておくのが常である。
「陽動班に援護を要請しつつ、リンピアやヴェノムにも情報共有して対策案を委ねておこう」
聖剣リィール・ブリンガーがケアの手に渡った今、隠密班のカモフラージュのためにプレイヤーキルを続けるより、ソードの足止めの方が優先度は高い。
「同感。連絡はお願いしていい?」
「もうしたぞ」
「仕事が早いね。さすが私の息子」
「そう呼ばれるのはやりづらいから勘弁してくれないか……」
シールは朗らかな笑みを浮かべた。
この戦いを乗り越え、現実世界に戻る楽しみがまた一つ増えたからだ。孤独に感じていた人間兵器の運命が少しずつ変わりつつある。
ジャック――やはり彼こそソードの中身だ。
ロアの話を聞いて確信した。そしてそのロアもどこか父親に似て、優しい性格をしている。一気に家族が増えていく気分は、受け入れてしまえば悪くない。
「ねぇ、時間を稼ぐ方法、私も思いついた」
「ほう……。聞かせてもらおうか」
「でも、おしゃべりしてる時間はなさそう」
シールが正面を見据えてサインを送る。
そこには変貌に変貌を重ね、ついには元の人間兵器一号のときの姿と類似した男が、泰然と立っている。
肉腫のように体中の剣を増やしていたソードではない。そこには熟練の剣士の姿が――。
「あれが【狂戦士】の最終形態か……」
ロアが呟く。
「私は昔、見たことがあるよ。ソードが変になったとき、あの黒い影がまとわりついてた。憎悪が最上に達したときの、本当の【狂戦士】がアレなんだと思う」
姿は細身で巨躯の獣よりも迫力はない。
しかし、漏れ出る瘴気が尋常ではなかった。
「本当に足止めできるのか?」
「うん。勇者の頃は私だってチームの作戦考えるのは得意だったんだから」
「まさか泣き落としとか、そんな陳腐な作戦じゃないだろうな」
「馬鹿にしないで。人間兵器ならではの作戦よ」
ロアはシールの横顔を見て、それを信じることにした。目つきが人間兵器らしい、冷徹なそれに変わっていた。
母親は昔、弓を得意とし、それゆえ千里眼とも呼べるほどに目が優れていた。
その名残りを感じさせた。
「俺は何をすればいい」
「同じだよ。戦って、注意を引きつけて」
言いながら、シールはアーチェから譲り受けた【装填】で弓矢を携えていた。
その得物の方が、ロアにはしっくりきた。
「了解――」
ロアの行動は早かった。
掃除屋を名乗っていたような男だ。
その冷静さから司令塔として頼られがちだが、元より指令を受けて動く側だった。
敏捷性は然ることながら、剛健さもある。
瞬き一つの間にソードの背後に回ると、剣戟をその首筋めがけて容赦なく振り下ろす。
ソードは躱すような動作すら見せずに一瞬消えて、また姿を現した。
「遅ェ」
重低音な声が大気を震わす。
黒鎧から排出された邪気に満ちた声だった。
ソードが腕を、しなる鞭のように振るうと、ロアの立つ大地から後方一直線に亀裂が走った。
ワンテンポ遅れ、地面がせり上がって粉塵が舞う。
当然、ロアはその場には既にいない。
瞬時にソードの背に回り、もう次の手に出ている。ソードも裏拳でロアの剣戟を止めていた。
――異次元の交戦だった。
速すぎて人間兵器の面々ですら、目で追うのがやっとかもしれない。それほど彼の一族の戦いは格が違った。
「シゥーー」
「全盛期以上か……。やれやれ、こちらも本気を出すしかなさそうだ」
ロアは間合いを取り、剣を捨てる。
双剣が塵のようになって消えた。
そしてロアはあろうことか、徒手空拳になると素手で構えてソードと対峙した。
「あんたのような鉄の塊を斬ろうなどとは端から考えていない」
「常套ジャネェカ」
狂戦士ソードもまた拳を構える。
剣の重みが消えた二人はさらに速度を上げた。
いつ始まったのかわからない拳と拳の交錯が、そこかしこで沸き起こっていた。塹壕のような大地の裂け目で。木々の枝葉の上で。あるいは遙か空高くで。――いつそこへ移動しているのか、理解できない。
メイガスの【転移孔】でもそれほど早く移動できまい。
シールはその二人の戦いを目でなんとか追いかけていた。
弓矢をつがえ、狙いを定める。
ぐぐっと弦を引きながら、黒いガスを振り撒いている。シールもまた魔素を酷使しようとしていた。
一度は三種混合の魔素【擬・飛翔鎧】を生み出したほど有能な触媒だ。その自分の器なら、他の魔素も合成に合成を重ねられると信じていた。
そして、その素養が、敵対するソード自身も持ち合わせていることも――。
彼も【狂剣舞】という魔素を生み出した経験がある。
――しかし、あの次元の速さでは、こちらが必中を用意してもなおその身に届くかどうか。
追尾する側が背後を取られて叩き墜とされるかもしれない。
ならば、ブレンドする魔素と別個で発動させる魔素とで分ける必要があるだろうか。
実のところ、ロアの助けに入る前に、シールは【擬・飛翔鎧】で仲間にかけ合い、魔素を再度交換してきた。
それが吉と出るか、凶と出るか。
シールはいろんな思いを抱いていた。
ソードは、相棒だった。
それは人間兵器になるずっと前から。
だから自分なら止められる。その自信がある。
そのために〝盾〟を選んだのだ。アガスティアの葉の記録にもそう刻まれていた。
「…………これで、終わりにするから!」
シールは矢を放った。
気づけば、それは特大のエネルギー巨砲となっていた。アーチェの得意とする【掃滅巨砲】――。
その特大エネルギーを、ロアも、ソードもすぐ感じ取った。二人の異次元の戦いでは、彗星の横断に晒されるような鈍足な動きはしていない。
当たることはまずないだろう。
もしその軌道にソードを誘い込むとしたら、それはロアの役目だ。
そう判断したロアは、ソードの首根っこを掴んで大地に押しつけんと上空から全身全霊をかけて投げ落とした。
ソードはロアの超人的な怪力で突き落とされたとて、着地点を変えるよう空中で軌道修正することは造作もなかった。
――が、ソードはあえてそのまま落ちた。
飛び道具に頼ってダメージを与えるつもりなのだろうが、あの程度の攻撃で怯むはずもない。
無敵の鎧が防護を固めているのだ。
もしソードがあっさりあのエネルギー弾を消失させることができれば、猪口才な三号の意志を削ぐことはできよう。
ソードは落下しながら剣を構える。
大地を一直線に横断する彗星。その箒星を払うように、剣を上段に構えて地上を目指す。
そしてちょうど【掃滅巨砲】とソードの落下の軌道が交差するとき。
「っ――!」
ソードは直下に剣を斬り払う。
ザァンという遮断機のような音を立て、彗星は真っ二つに割れた。
ソードが【掃滅巨砲】を斬ったのだ。
それはシールの戦意を削ぐための挑戦であり、それは成功したとソードは確信したのだが、直後にはそれは間違いだったことに気づく。
真っ二つに分かれた【掃滅巨砲】のエネルギー弾の中から、何かが生まれた。
それは他愛ない小さな脅威のように感じられたが、ソードはその戦闘センスから、それに触れてはならないような気がして、すぐ身を翻した。
着地し、受け身を取りながら地面を駆る。
振り向くと、そこには【掃滅巨砲】の内部から生まれた二つの子が、ぐるぐると三つ編みを編むように天へと飛翔していく。
その二つの子が別々の進路を辿りながら、再度地面に向かって飛来してくる。
「――【鎌鼬】カ」
アーチェの能力に、追尾の矢があった。
ソードは対処法ごと把握していた。
二頭の猟犬は、ソードに狙いを定めて追ってきている。ソードはそれらから逃げる素振りも見せずに待ち構えていた。
【掃滅巨砲】をカモフラージュに、二つの【鎌鼬】を内に潜ませたその技量だけは評価しよう。
だが、それで何になるというのか。
卓越した剣士の前では、そのようなツバメ、簡単に斬り落とせるというのに。
ソードは剣を構え、鎌鼬を迎え討つ。
その瞬間――。
「加重!」
シールが叫ぶ!
その手の矛先はソードに向けられている。
今、彼女はなんと唱えたのか。
ソードが気づくより先に、その技にかかる方が先だった。
一気に体が重くなり、動きが鈍る……。
それは魔法では到達しえぬ重力の御業。
空間を曲げ、対象の質量を変える禁忌【永久歪み】という魔素の力。
「オマエ、メイガスノ――」
「さぁ、かかって!」
シールが呼びかけたのは飛来する【鎌鼬】だ。
一瞬の隙――。
ソードは直撃を受け入れることにした。
ここであえて【鎌鼬】という弱小の追尾矢を躱す必要などどこにもない。当たったところで【狂戦士】の前では木の葉に触れるようなものだ。
二つの猟犬がさらに加速する。
ソードの直撃の直前、猟犬は矢じりの形から別の何かへと変わっていた。
「――――っ!」
ソードははっとした。
その矢はどろどろに溶け、液状と化した。
直撃の寸前に物性が変わったのだ。
ソードの両サイドから【鎌鼬】が挟み込むように泥を浴びせる。
それらが黒い鎧をびしゃびしゃに濡らした。
「ナンダ、コレ、ハ……」
シゥー、シゥー、と黒い鎧から排気音が鳴る。
ソードの呼気の音のようでもあったが、それは強力な酸となった【鎌鼬】の溶解音だった。
じわりじわりと黒い鎧に魔素が浸みていく。
「ヴェノムノ小道具ジャネェカ。ダカラッテ俺二通ジルトデモ……? エェ?」
ソードから聞こえる重低音の声。
それが蒸発の音にかき消されていく。
シールがブレンドした魔素は、それだけではない。
「ウ、ウウウ、グウウウ……ナゼダ。硬ェ」
ソードは動きがぎこちなくなっている。
黒い鎧がまるで接着剤で固められたかのように滑りが悪い。錆び付いたかのように。
それもそのはず。
「ソード。あなたなら私の思いを聞いてくれるって信じてるから」
「ナニヲ……ォオオ……オオオ……」
そうしてソードは声も発さず、身動きが取れなくなっていた。
【王の水】が浸み込み、【護りの盾】で固められたソードの鎧だ。
まるで彫刻――。
ソードはついに動かなくなった。
ロアがシールのもとへ近寄る。
「三種混合の魔素――【鎌鼬】と【王の水】、そしてあなた自身の【護りの盾】か。異色の組み合わせだな」
「無敵の鎧と最固の盾だよ。硬すぎて動けるはずないでしょ」
シールは彫刻になったソードを見上げた。
「きっと【王の水】を介して【護りの盾】が【狂戦士】に溶け込んでくれるはず」
「それは、どういう……?」
「私の魔素を無理やりソードの魔素と融合させれば中和できるかもしれないと思って。憑依の状態が、【狂戦士】の瘴化汚染のせいなら」
ロアは呆れて溜め息をついた。
この期に及んで、シールはまだ黒い獣に堕ちた男を救おうというのか。
諦めの悪い……。だが、その根気と粘り強さにロアは尊敬の念を抱いていたのだ。
「さすがだよ。か――。あぁ、コホン」
「ん? 今なにか言おうとした?」
「なんでもない」
「なに~? 続きを言ってみなさいよ! 今なにか大事なことを言おうとしたでしょう!」
「気のせいというやつだ」
「は!? 気のせいって何よ! 人間兵器の五感に気のせいなんかないから!」
親子の口論が一時鎮まった戦場に響く。
その声は、ソードの耳には届いていない。
彼は今、融け込んできた新たな魔素の情念によって、彼自身の心象の中にいた。
その迷宮から抜け出せるかどうかは、ソード自身の思想にかかっている。




