236話 対ソード班/ケラウノス・スコープ
気配を探らなくても、その尋常ではない闘気は遠目にもありありと見えていた。同時に、その闘気が通り過ぎた場所はのべつ幕なしに破壊され尽くしている――。
リンピアは固唾を呑んだ。
あの黒々とした闘気は、ソードのものだ。
アーチェが【焼夷繭】で引き起こした爆発を聞きつけて、鬼神がごどき勢いで剣士がやってきたのだ。
「ヴェノムさん」
リンピアは筆を構え、ヴェノムを呼ぶ。
ヴェノムは惜しみなく新しく手に入れた能力を駆使し、本命の到着までの間、魔王城の西エリア陸路を進行するプレイヤーを倒し回っていた。
その疾風迅雷の剣捌きは、人間兵器七号としての身軽な身体能力あってこその技だ。
「なんだ!?」
ヴェノムはリンピアから通信を受けて返答する。
「本命のご到着です」
「了解」
ヴェノムの切り替えは早かった。
元よりそのための対ソード班。
心構えなど、とうに出来ていた。
ヴェノムはその場から跳び上がり、自分がいた森の地点を上空から俯瞰する――。
そして黒々とした闘気を眼帯越しに目視する。
この世界では視覚をもたないヴェノムにも、それはよく視えた。
「――あそこだな」
体をひねり、着地点に向けて軌道を考える。
ソレは剣士というより戦車のような在り方だ。
通過した場所から、ことごとく地形が変形している。
森だったオブジェクトは木屑のデータ片に。
川だったオブジェクトは泥のデータ片に。
そして、大地はえぐれたまま修正されない。プレイヤーならば削り取ることもできない不可侵の領域を、ソレは暴力的に侵していた。
ゲームシステムにおけるウイルスのようだ。
本人はそんなつもりは微塵もなく、ただ現実と同じ振る舞いをしているだけなのだろうが。
しかし、一見して無作為に見えるその動きには
どこか目的があるような気がした。
まるで何かを探しているような……。
だとすれば、何を。誰を――?
ヴェノムは黒い闘気の通過点から予測された交錯地点に舞い降りた。
「……」
「…………」
剣士は止まり、暗殺者は剣を抜く。
言葉は交わすことはなかった。
対ソード班の狙いが彼の足止めなら、無駄口の一つでも叩いて、時間稼ぎをすべきだったかもしれない。
だが、ヴェノムは真逆のことを考えていた。
対峙した男は、戦いに生きる道を選んだ本来の剣の勇者ソード。こちらが挑む理由など、ソードはきっと理解しているだろう。
その上で無駄口を挟むなど、剣士に無礼だ。
剣士を足止めしたいなら戦って止める。
それが作法だろう。――ヴェノムは何故か、この世界に来てから、そういった類いの流儀にこだわりを持つようになっていた。
元来、人間兵器七号のオリジナルは、そういう人物だったのかもしれない。
「――――」
ヴェノムの方から動く。
最強の剣士相手に、剣で挑むのは無謀だ。
それでもヴェノムには勝算があった。
ソードは大剣を両手に握り、ヴェノムの接近を待ち構えていた。
ソードは、元仲間である人間兵器が魔素をシャッフルし、未知の能力を持ってる可能性があることを知っている。
シールは元来の【護りの盾】と、新たに取り込んだ【翼竜】を合成して別の魔素を造っていた。
人間兵器は魔素を融合する触媒なのだろう。
ヴェノムもまた未知の力を駆使してくるかもしれない。それを見切ってからが反撃が、常套だろう――。
「っ……」
ヴェノムは能力を使わずに剣を振るった。
下段からの袈裟方への斬り上げ。
その剣術は、不思議とソードもよく使うものだった。
ソードは難なくそれを上体を反らして躱す。
その態勢から大剣を横に振るった。
その一撃はあまりにも重く、速い――。
ヴェノムが受け止めれば、長物の剣は無惨にも折れてしまうことだろう。それでいて、ヴェノムはこの間合いから逃れることはできない。どれほど瞬時に身を翻したとしても、だ。
「取った――」
ソードが呟く。
暗殺者風情が真正面から剣士に挑むとは悪手。
元より肉弾戦に挑むようなタイプの勇者ではないと知っていたからこそ、このヴェノムの挙動がおかしくも残念に思った。
――――。
ソードの剣が、通り抜ける。
一撃の交錯で屠ってしまうことはソードも惜しかった。……惜しかったのだが、しかしその剣が、ただヴェノムの体を横切ったということが、あまりにも不思議でしょうがない。
手応えがない。
「……?」
剣が、何も斬らなかった。
戸惑いは一瞬の隙に。
ヴェノムはその隙を見逃すことはなかった。ソードの戸惑いに対して、長物の刀剣を振るい上げる。しなやかに。柔軟に。
それは地を這う蛇のように、ソードの真下から噛みつくように振り上げられた。
「っ――!」
ソードは【抜刃】で剣を増産する。
逆手に取りだした剣で、その蛇を弾き返した。 間合いを取るため、ソードは距離を離す。
「おまエ――」
ソードはそう呟く。
ヴェノムは無傷だ。剣で斬られた痕がない。
「オレはずっと昔から邪の道に生きていてね。剣は得意だったが、お前とは筋違いの剣技だよ」
「罠師だっタ野郎ガ、剣士ノ猿まねで何になルと思っていたが――」
ソードが悪態をつく。
専売特許の剣において、相手に涼しげな態度を取られることにプライドがくすぐられた。
「次元魔術ノ恩恵か。そりゃあメイガスの魔素ダな。――【転移孔】。俺ノ剣を躱したんじゃナく、剣ノ軌道に合わセて、穴ヲ開いた」
「そういうこった。どうせ一発でバレるだろうからよ。こっちも惜しみなく使わせてもらうぜ」
ソードの剣が通り過ぎたのは、次元の裂け目を剣の軌道に合わせたから。――すなわち、ヴェノムの体を斬ったように見せたソードの剣は、別の時空を横切っていただけなのだ。
「それで何にナる? 逃げ腰ノ剣で、俺に勝てるワケねぇダろ」
ソードの言う通りだ。
しかしながら、対ソード班の目的もまた、時間稼ぎである以上、ソードと戦う時間が長引けば長引くほど良し。
ヴェノムは、その目的に反するが、ソードと相対してなお、勝つつもりでいた。
「――――!」
ソードの手に力がこもる。
向こうも、ヴェノムの舐めた剣術に付き合うつもりはないようだ。
「ハハ、少しは本気になってくれたか」
ヴェノムも興が乗ってきた。
挑むなら本気でなければ意味がない。
「出し惜しみは無用だ。オレも行くぜ」
「……?」
「――ここであんたが死ななきゃいいがな」
異様な空気を察したソードは、二つの剣を握り直す。
解放された瘴気がヴェノムの体から沸き立つ。
まるで竜巻を見ているようだ。
たった今の小細工のようなものではない。きっと剣の勝負を超えた、別の大技を彷彿とさせる。
「遠雷――」
ヴェノムが呟く。
その長物の剣がうねる。
そして、空高くでは雷鳴が轟いていた。
剣の勇者には見たこともない光景だった。
暗雲がとぐろを巻いている。だが、そこに意識を向けるわけにはいかない。
敵は目の前にいるのだ。いやに雷鳴が轟いているが、それとこの戦いに何の関係があろう。
まさか雷魔法の応用で、ヴェノムが稲妻でも振り落とそうと言うのか――。
しかし、その程度の大技。
戦士はいかなる環境でも最大の力を奮えるように鍛えられている。剣の勇者なら尚更だ。雷雨が降ろうが、強風に晒されようがソードの剣技はゆるがない。
速さ、そして重さ。
敵を両断する剛の剣技を究めた男だ。
それが雷一つでどうにかなるわけがなかろう。
ヴェノムが振り上げた剣を、ソードは簡単にはじき返した。
「甘イな」
ソードは、ヴェノムの隙を見逃さない。
剣が【転移孔】を貫通するからなんだと言う。
ならば決して敵を逃さぬよう、神速の剣を何本も用意して、ただ斬るのみ。ソードの剣は一本ではない。二本でも少ない。
内包する剣は無限に増殖するのだ。
それが【抜刃】の本領である。
「――――ッ!」
左右の手に構える双剣。
他に宙に剣を複製し、複製し、幾重にも張り巡らせた【抜刃】の剣が剣山がごとくヴェノムの周囲に張り巡らせる。
「終わりだ」
ソードが翳した手をぎゅっと握り占める。
それと同時に、四方八方からヴェノムの体に一斉に無数の剣が襲う。串刺しにせんと空から落ちる剣。磔にせんと地中から伸びる剣。
針山地獄の【抜刃】――。
それを。
「待ってたぜ」
にやついた口を、ヴェノムは向けた。
「……ッ!」
ソードは異常を察知した。
凡才ではその時点で、確実に死んでいた。
だが、ソードだから迅速に動けた。
「ガァアアアアアアアア!」
纏う鎧は【狂戦士】。
黒々とした筋骨は、急速な勢いで剣士の体を守るべくまとわりついた。
その直後――。
「――【雷霆の万華鏡】」
ヴェノムはその名を呟いた。
ソードが用意した針山地獄が、ヴェノムの体に突き刺さるや否や、天空の雷帝が吠えた。
ヴェノムの体に開通した転移孔から稲妻が【抜刃】を媒介して、その戦場で紫電を散らす――!
まるで鏡面に広がる閃光。
雷帝が地上に召喚されたかのように、それはギャリギャリと愉快に笑いながら、ソードの剣を食い尽くし、迅雷の動きでやがて担い手にまで稲妻が達した。
ソードは稲妻に手を握られた気分だった。
両手両足を電気の鞭に拘束されたのだ。
「ガガ……ア……! っんダ――こレ!」
敵を捕捉し、雷を撃ち落とす【雷霆】。
その雷鳴の速さから、確実に敵を捉えて焼き焦がすアークヴィランだったが、あまりにも身動きの速い人間兵器は捉えきれない場合もあった。
しかし、その確実性を掟破りの空間転移によって保証する。
それが【雷霆の万華鏡】――。
「罠師、ガ……! カカガァアアアア!」
空の雷鳴が轟くたびに、拘束されたソードの体に高電圧の雷撃が伝い、身を焦がす。
【狂戦士】で防御を固めた彼でも直撃によるダメージは相当のものだった。
「本業は暗殺者なんでね。はめてからが勝負よ」
しかも、この魔素は一度、万華鏡領域に捉えた相手を二度と解放しない。
もうソードは逃れることはできない。
磔にされたまま術者が解くまで雷撃は続く。
確殺の無間地獄だ。
「ふぅ、あの牧師の出る幕じゃなかったな」
ヴェノムは胡坐をかいて座り、獲物にかかった獣を見るようにソードを見上げた。
「ガァゥ! アアアガァアア!」
【狂戦士】をまとったソードは、まさに獣だ。
剣士ではなく、狂気に呑まれた鬼と化す。
その馬鹿力でも【雷霆の万華鏡】の磔からは逃れられないようだった。
少しするとリンピアがやってきた。
壮絶な現場を前に意外そうな目を向けた。
「つ、捕まえたんですか? ソードさんを?」
「あぁよ。まさかお嬢さん、オレのことを舐めてたのかい?」
リンピアは、唖然としながらゆっくりヴェノムに視線を向けた。
不機嫌そうな目をしていた。
ヴェノムを見くびっていたわけではないが、ソードの力は圧倒的なものだと思っていたのだ。
「い、いえ、もっと手こずる相手かと思っていたので……」
「強敵こそ罠に落ちやすいのさ」
「み、みたいですね」
リンピアのやや拍子抜けした様子に、ヴェノムはしたり顔で続ける。
「へへ、あんたの旦那には出番を取っちまって申し訳ねぇって伝えといてくれ」
「あぁ……ロアくんは今、別働隊として城に向かってます」
「城? どうしてまた?」
リンピアの表情が曇る。
ヴェノムはそれで察した。
どうやらソードという猛獣をあっさり捕獲したことに拍子抜けしたのではなく、別の問題に直面してリンピアは気もそぞろになっていたのだ。
「……なにかあったのか?」
「それがあの聖剣リィール・ブリンガーが……」
時を刻む少女 (シズク) から連絡があった。
ケアが開闢剣を手に入れたと。
ロアの予想が外れ、モロスケが魔王城に直接ワープしていたことが敗因だ。
リィール・ブリンガーがケアの手に渡ってしまった以上、この新世界が現実世界と切り離されてしまうのも時間の問題だった。
そうすると、ここがゲームではなく、別次元の異世界として形成されてしまう。
偽物のケアが、新世界の女神となるのだ。
それを止めなければならない。
今この瞬間にも切り離されてもおかしくないのだ。
「ジャックはまだなのか」
「わかりません……。ジャックくんもリリスちゃんも、この世界ではNPCとして扱われてますので通信も繋がりませんし」
あえて通信できないように配慮した布陣だ。
隠密班の所在が、ケアのネットワークで把握されたら意味がなくなるからだ。
それが仇となった。
「グ……ウウウウ……ガァアア……」
ソードの唸り声が強くなっていた。
異様な気配を察して振り向くと、ソードの体をまとう【狂戦士】の瘴気が増している。
雷霆の稲妻の餌食になり、ずたぼろになった鎧だが、その都度修復されて、燃えかすのような有り様だったのに、その状態からでもさらに黒い霧を強く噴出しているのだ。
「アアア……ガアアアアアア……!」
獣が暴れる。
それは苦痛に抗っているように見えたが。
〝――こっちよ――〟
何かが聞こえる。
ソードという獣の内側から誰かが導いている。
黒い獣はそれを拒む素振りすら見せるが、それでも抗えずに狂気を増している。
そしてついに、雷霆の万華鏡を振り切るほどの凶暴な力を持って、稲妻の鞭を引きちぎった。
「な……っ!」
「そんな!」
黒い獣は四つん這いになりながら――実質もう人格を持たないような猛獣の動きで、近くにいるヴェノムやリンピアに目もくれずに駆け出した。
「どこ行きやがる、あいつ!?」
「あの声……女神の導き……。もしかしたら魔王城の方に呼び戻されているんじゃ……」
「ケアのところか!?」
「ええ……聖剣を手にしたケアは、自分でそれを使うつもりがないのかもしれません。だったら、剣を振るう役目を担うのは――」
二人は目を見合わせ、目論見を察する。
あの偽のケアは、女神の振る舞いを真似るデータヴィランだ。しかし、振る舞いを真似しているからこそ儀礼的な行動も守るのだろう。
聖剣は剣士が振るい、女神の名の下に新世界を創造する、という形式を――。
リンピアはロアへ通信を送った。
ヴェノムはすでに駆け出している。あの猛獣を止めるために。
「ロアくん! そっちにソードさんが向かった! ――止めて! 何がなんでも!!」




