24話 迫害のセイレーンⅣ
知ってしまった以上はエレノアに伝えざるを得ない。
俺とシズクは氷の塔まで引き返した。
「おい、エレノア」
不可視の輪郭を叩いて、家主を呼び出す。
魔術が解かれ、塔の内部が透けて見えた。
「どうかしたのですか」
「良い報せと悪い報せがある。どっちから聞きたい?」
「……」
わざわざ俺が引き返してきたこと。
わざわざ報せにきたこと。
この状況からしてセイレーン族に関することと察したようだ。
エレノアは強張った表情で不安そうに口を開いた。
「……では、悪い報せを」
「わかった。まずシーポートの現状が酷いことになってる。街の連中はイカ・スイーパーが死んだことを既に知ってて、あんたのお仲間をレースの賞品にしてる」
エレノアは目を見開いた。
やはり予想外だったらしい。
ここで囮を演じる意味は一切なくなったのだ。
「そ、そんな……」
「余計なお世話だと思うが、放っておいたら大変な事になる」
エレノアは深刻な顔で下唇を噛んだ。
気持ちはわかる。人間に騙されて、さぞ心外だろう。
「それでは……良い報せとは?」
「もう囮のフリする必要はなくなったことだ。さぁ行くぞ」
俺は顎で合図して外に出るように促す。
アークヴィランに怯えて鳴りを潜めていた人間が、エレノアの尽力も虚しくセイレーンを本格的に迫害し始めたのだ。
もうここで辛抱する意味はない。
「……」
エレノアは扉に手をかけて氷の塔から出ようとしたが、あと一歩のところで躊躇い、また元の椅子の上に腰を下ろしてしまった。
「どうした? 助けに行くだろ?」
「それは勿論ですわ。ですが、まだ動くには早計に思えて……」
「仲間が慰み者にされてもいいのか」
「いいえ。でも今の状況から、先のことを冷静に考えておきたいのです」
随分と慎重な精霊だ。
そういえば、古代ではセイレーンが姿を見せることは稀だと言われていた。航海で歌声を聴くことはあるが、船の略奪行為をする現場を押さえた航海士はいない。
「今ですら奴隷扱いだ。早く助けねえと何されるか分かったもんじゃねーぞ」
「わかってますわ!」
エレノアは今までにないほど語気を強めた。
「ソードさん」
シズクが俺の袖を摘み、顔を覗き込んだ。
それで俺も少し冷静になった。
エレノアは唇を震わせている。辛いんだな。
「悪い。俺も他人事と思えなくてムキになっちまった」
「お気持ちは感謝いたします」
気まずい空気だ。
眉間を押さえ、重い頭を支えた。
「エレノアさん」
シズクが口火を切った。
「あの街の大人は、セイレーンのことを"捕らえたセイレーン"と呼んでいました。これには違和感があります。あなた方はシーポートに流れ着き、ご自身の意思で共存を選んだのでは?」
「……それも、ちゃんと話さなくてはなりませんね」
エレノアは諦めたように語りだした。
最初に話さなかったのは、きっとセイレーン族にとっての最後の誇りを守りたかったのだろう。
「アークヴィランがこの星にやってきたのは教暦5000年頃……。ですが、世界の均衡が崩れたのはそれよりもっと昔です」
「世界の均衡?」
「教暦2700年代、史上初めて魔王が勇者に勝利した年です」
その話は俺も無関係じゃない。
首元をぎゅっと握られたような気になった。
「均衡が崩れたのはそれからです。魔族が世界を支配し、約2000年ほど魔族の時代が続きました。人間は虐げられ、精霊族にも辛く厳しい時代となりました。危機に曝された我らセイレーンも占星術が得意なケット・シーへ相談にいったのです」
ケット・シー族は猫の精霊だ。
一部の霊格の優れたケット・シーには予言能力があるとか。
「ケット・シーの予言では魔族の時代もやがて終わるが、そのさらに先の時代、より厳しい時代が来ると教えてくれました」
「それがアークヴィランの時代か」
「そうです。我らはケット・シーの予言のおかげで、事前にアークヴィランが我ら精霊の味方ではないと知ってました。最初こそアウター・ヒーローと英雄視されたアークヴィランを、私たちは避け続けてきたのです」
プリマローズも言っていた。
当初、アークヴィランは『外側の英雄』と呼ばれて讃えられた。
味方と勘違いして接近した精霊もいたのだろうか。
絶滅した精霊族もいるかもしれない。
「我々は海を渡り続けました。どこまで行ってもアークヴィランの追っ手が来る中で必死に……」
エレノアが目を伏せる。
思い出したくもないのだろう。
しかし、何が起こったのかをすべて話してくれた。
海では、鯨のアークヴィランに一族の半数を丸呑みにされた。
浮島では、樹木のアークヴィランに仲間を絞め殺された。
海岸では、蟹のアークヴィランに仲間が食べられた。
「やがて逃げ続ける生活に皆、疲れてしまったのです」
そんな状況で疲弊していたとき、人間に捕まった。
人間なら歌を聴かせて眠らせ、その隙に逃げることは簡単だったし、それまでの逃亡生活でもそう対処していた。
しかし、その時の族長が言い出した。
"人間に守ってもらおう"と――。
アークヴィランは人間を襲わない。
それなら人間の街は安住の地になるのではないか。
もう逃げなくても住むのではないか。
それが一縷の望みだったのだ。




