235話 ◆時を刻む少女(神)
街の転移門から魔王城の陸路へ繋がるポータルは、魔王城の西側に広がる森の一区画のキャンプ地に開通していた。
本来、その陸路も魔王に挑むチャレンジロードに相応しいように、おどろおどろしく枝を奇怪に曲げた枯れ木が犇めき、打ち捨てられたスラム街のような空気が充満していた。
だが、いまやプレイスタイルも千差万別なプレイヤーのアバターで埋め尽くされ、恐怖感を駆り立てる演出も台無しに、仮装パーティーのような状態で大行脚が始まっている。
そこで爆発が起きようが、カーニバル感覚で訪れたプレイヤーにとっては演出としか思わず、歓声すら沸き起こる始末だ。
そんな中、心境の異なるプレイヤーがたった一人、転移門の前で呆然と立っている。
画面の中に広がる光景を前に呟く。
「ぼ、ボクたちがここで何か役に立てるかな?」
魔法少女風の格好をしたプレイヤー。
ディスプレイの名前は【時を刻む少女】。
憧れの女の子に似せたアバターで遊ぶマモル・クーノダだ。
リンピアからのダイレクトメッセージを受信して、マモルやシズクはすぐ行動に出ていた。
しかし、その内容は子ども二人でなんとかするにはハードルの高すぎる用件だった。
自分に似たアバターを操作するマモルを、隣で複雑な心境で見ていたシズクが答えた。
「リンピアさんによると、都のブロワール大橋の下にサーバールームがあるという話ですが」
ラクトール村から王都へ向かう間、もしリンピアやシールから緊急連絡を受けた場合に困る。
ここは人海戦術がいいとシズクは考えた。
「王都にちょうどコネのあるお友達もいますし、そっちの方がずっと頼もしいでしょう」
「ヒンダ?」
「はい。きっともう着いてる頃ですよ。それより私たちには中継役の方が合ってます」
ヒンダは『パンテオン・リベンジェス・オンライン』をやってもいないし、知りもしない。だがヒンダの後援には唯一、この事件の蚊帳の外にいる人間兵器がいる。
運営本部に乗り込むなら、彼女が適任だろう。
人間兵器たちはゲームでマモルと繋がれ、シズクはヒンダと個人端末で繋がれ、ヒンダは現地で人形師と繋がれる――。
ゲームとリアルの連携を繋ぐ中継ポイントだ。
自分たちは大事な導線の一つ。
この戦いは、ソードがこれまで積み重ねてきた人と人との繋がりによって、事が有利に運ぶはずだとシズクは確信していた。
それがソードという男が、他の人間兵器とは違う生き方を選んだがゆえの強さ。
シズクは、ソードとの出会いからたくさんの人間兵器と接触する機会があった。
古の勇者たちは、様々な考えを持っていた。
剣の勇者だけは他の誰とも似つかない、どこか人間らしい感情を持っていた。シズクはそれを身近に接して感じていた。
人間嫌いで運命から逃げた勇者、なんて評判が一人歩きしているけれど、当の本人は真逆だ。彼はどうしようもなく人間が好きで、その愛ゆえに憎くなったのだ。
だからせめてこの正念場で報われてほしい。
人間を愛した果てに憎しみを抱えた彼に、人間も捨てたものじゃないんだと知ってほしい。――否、知らないままでもいい。けれど人間たちからの恩返しを、せめて受け取ってほしいのだ。
シズクはマモルの肩越しに画面を覗き込んで指をさす。片思いの相手に接近されたマモルは緊張で思わず頬を染めた。
「マモルさん、フレンドの……この方です」
「モロスケね」
「連絡は取れますか?」
「どうかなぁ。最近モロスケも成り上がって、上位プレイヤーとばっかり遊んでるし……」
マモルの弱気な発言を、シズクは冷徹な目で見返す。
「お、送ってはみるけどねっ」
マモルは慌ててフレンド欄からモロスケを選択する。
「狩りに参戦中かもしれないから、ボイスメッセージで送ってみるよ」
文字だと確認していられないのだろう。
声を送る機能もこのゲームにはあるようだ。
シズクはマモルのプレイを見ながら、だんだんパンテオンのゲーム仕様を理解していた。
フレンドメニューなるものがあり、そこにフレンド登録しているプレイヤーが表示される。そしてそのメューから離れた地点にいる友達に、チャットを送れるのだ。
マモルがボイスメッセージを吹き込むと、存外すぐ連絡があった。
『――~~おう、時を刻む少女か! 俺がどこにいるかだって? へへっ、下々の者には辿り着けないだろうなぁ!! なんたって俺は魔王城に直接ワープしてんだぜ? 最高の狩り場だぜぇ!』
やけに威勢の良い声が返ってくる。
「モロスケ、もう魔王城にいるの!?」
マモルが追加のボイスメモを送る。
するとマモルの吃驚な態度に気分がよくなったのか、モロスケからゲーム内で着信が入った。
通話に出ると、モロスケの視点映像が一部共有されてクローズドな配信モードとなる。これはフレンド間でプレイ状況を視覚的に共有するための機能だった。
『おう。これ見ろよっ! 新たな仲間たちとともに激ウマ報酬を総取り! ヒャッホーウ!』
配信モードの先には魔王城の内部と思しきおぞましい城で、トッププレイヤーたちとともに派手なバトルが展開されている様子が映される。
中には、マモルも配信サイトで見たことがあるようなプロゲーマーたちのアバターもいる。彼らは派手なスキルや魔法で、魔王城にスポーンする強敵相手に無双していた。
『俺も一気に有名ゲーマーだぜぇえええええ! ファンもいっぱい抱えるプロになれるんだ! フォオオオオオオオオ!!』
もちろん、モロスケの剣も派手だ。
モロスケは果敢に近接戦に挑み、剣を一振りするだけで部屋や廊下が丸ごと崩壊するようなごり押しプレイで、敵を葬っている。
それはモロスケのプレイヤースキルより、武器そのものの強さの方が際立っていた。
あまりに強すぎてテクニカルなプレイヤースキルなど不要なのだろう。剣を適当に振れば、オブジェクトごと破壊してしまうのだから。
『いやぁやっぱゲームは武器だわ! 俺にはゲーム魔人の加護がついてる! ヒャーハハハ!』
モロスケは実のところ、突然家に現れた〝ゲーム魔人〟のことをすっかり信じていた。
世界中には不可思議な現象があり、ゲームにおいてもそういう超常的な出会いがあるのだろう。それがモロスケ――ボク・ウィモローのもとに現れた。そして幸運にも、その魔人はチート武器を与えてくれた。
ツイているのだ。
母親と喧嘩ばかりで家庭環境にうんざりしていたボク・ウィモローの人生に、ついにツキが回ってきたのである。これまで母親を罵倒し続けていたのも、それがゆえに魔人の耳にその憎悪の声が届き、ついに報われたのだとボク・ウィモローは考えるようになった。
『悪いがな、時を刻む少女、俺はもうお前と遊んでる時間はなさそうだ! 俺はこの新たな仲間たちとトップを走ることでこれから毎日奔走されそうなんでなぁハハハハハハ!』
絵に描いたような調子の乗り方に、シズクはそれを傍観しながら辟易していた。
ソードに人間愛のお返しをするという思いは、この男に託すのは惜しいにも程がある。独占的な思考に染まった人間は、橋渡しの導線には相応しくないのだ。
しかし、どうやってもその武器が鍵……。
それを手渡したのもソードであり、それが今、思慮の浅いプレイヤーの無双に使われているという状況には何か意味が……。
いや、意味を考えることでしか、シズクにはこの気分の悪さを鎮める方法がなかっただけなのだが。
「――モロスケ! その武器だ!」
マモルが突然叫ぶ。
『んぁ?』
「その武器を返してあげてよっ」
『はぁ? 返すって誰に? これは俺のだぜ。ゲーム魔人から受け継いだ、選ばれし者の剣だ』
「違うよ。それはきっとソードさんの剣だっ」
マモルが、らしくもなく立ち向かっていた。
『ソード? はぁ、なんだお前、羨ましくなったのか? ウザってぇ野郎だ――なっ』
モロスケがまた魔王城の部屋を吹き飛ばした。
上位魔族が蹴散らされる。
プリマローズ・プリマロロの部下が……。
魔王の愛した城が、舞台が、芸術的な思想が荒らされていく。シズクやマモルもその思想に触れて、邪見にしながらもどこか憎めなかった。
今でもこの部屋で――マモルがパンテオンを今プレイしているタイム家の一室で――プリマローズが夢中で遊ぶ姿が目に浮かぶ。
コントローラーやキーボード、周辺機器の数々にプリマローズの痕跡が刻まれているのだ。
「剣は、剣士が持つから剣なんだ! モロスケ。キミが持ってもそれはただの棒だよ。きみはただ振り回してるだけじゃないか! その武器でプリマロロ城を破壊することだけは……キミがやることだけは……なんだか無性に……き、きき気に食わない!」
マモルがそう言い切った。
勇気のいる振る舞いだっただろう。
あくまでモロスケはついこの間まで一緒に遊ぶゲーム仲間だったはずだ。ここで、そんな喧嘩を売るような言葉を突きつけることは、マモルにとってどれだけ心を消耗することか、隣で聞いていたシズクは察していた。
そして、いやに胸に響いた。
『馬鹿じゃねえの? ムキになってよ。もうお前とは一生遊ばねえ。トッププレイヤーとのコネを自分から切るなんて馬鹿だねぇ。ま、せめて昔のよしみでこのイベントの結末だけは特等席から見せてやってからブロックするわ。そこで俺がガポガポ稼ぐ姿を指くわえて見てろよっ! ハッハッハッハ!』
ボク・ウィモローは小さい男だった。
こんな田舎村の子どもに見せびらかすだけで充足感が得られる程度の。
『――ふふふ、楽しそうね』
ふと鈴を転がすような声が魔王城に響いた。
これだけバトル音で環境音やBGMがかき消されるような場所だというのに、その声はマモルやシズクが見るクローズド配信画面からもはっきりと聞こえてきたのだ。
そして、二人はその声に聞き覚えがあった。
『あぁん? ――他のプレイヤーか? おい、ここは先に来た俺たちの狩り場だぜ。どこの誰か知らねえが失せな!』
『あらあら。私はちょっと、なくし物を探しに来ていただけなのよ』
モロスケの視点が、声の方に向く。
そこには司祭服を身に纏った、薄紫色の髪をした少女が――。
「……っ」
シズクが息を呑む。
人間兵器五号――否、これが黒幕である。
『なんか怪しい女だなぁ? NPCか? 新手のモンスターか?』
『モロスケ、この女、選択してもユーザーステータスが出ねえぞ』
『ってことは――もしかして中ボスか』
モロスケやパーティーメンバーが戦闘の構えを取る。
『わぁすごい。勇者って感じね』
司祭服の女が感情のこもってない声で驚きを表現する。
シズクやマモルは固唾を呑んでその声に耳を傾けていた。モロスケの配信で窺える映像には、ケアが魔王城の廊下の端に、亡霊のように立っている姿が窺える。
本当に亡霊のようで、空気が淀んでいる。
『ふふ、この世界ならなりたい自分になれるものね。あなたたちも、そして、私も――』
『なに言ってんだ? まぁいい。さっさと倒してレアドロップ狙うぞ!』
『――待って』
ケアは人差し指を唇に当て、微笑んだ。
その妖艶な雰囲気に、思わずプレイヤーたちも動きを止める。
『お別れの前に言っておくわ』
『なんだ……?』
『あなたのお友達は、一つだけ正しいことを言っていたわ。ふふ、その……なんだったかしら。〝剣は剣士が持つから~〟ってところ。そうそう、当然のようで重要なところよね』
『は……? 時を刻む少女とのチャットがなんで聞こえてんだ……?』
ケアが、下弦の月のように口を歪める。
『時を刻む――。ふふふ、奇遇ねぇ』
『え……?』
手をぽんと優しく胸元で合わせ、ケアは何かを摘まむように指と指を合わせた。
『あなたのお友達と私、意見も在り方もどうやら同じみたい。私、今日は幸運なのかしら』
ゆったりとした話し方に、ついに苛立ちを募らせたモロスケ以外のプレイヤーが得物を構える。
『話に付き合う必要ねぇって。やっちまえ!』
『おおー!』
正体不明の司祭服の少女に挑むプレイヤー。
ケアはついに指を擦り合わせ、パチンと音を鳴らした。
『――私も、時を刻む少女だから』
画面全体が、赤黒い空気に包まれて止まる。
プレイヤーは戦いに挑む姿勢で固まり、身動きが取れなくなっていた。それだけではなく、周辺の瓦礫や、モブの魔族も固まっている。
ゲームのラグだとも思えた。
しかし、そうではないのが司祭服の少女の振るまいで判断できる。
『ふふふ……。動けない? 現代の勇者たちはその程度?』
ゆっくりケアがモロスケに近づいていく。
その赤黒い異様な空間はモロスケの配信越しだけだった。マモルが操る【時を刻む少女】がいる陸路のキャンプ地では、普通にプレイヤーたちが思い思いに過ごしている……。
『剣は、剣士が持つから剣なのよ。だからこれは相応しい人に渡すわね』
ケアが固まって動かないモロスケの剣を、吸い取るようにデータ片にして奪った。
モロスケは、声すら上げていない。
リアルの彼は何か叫んでいるかもしれないが、ゲームにはその音声が乗っていないのかもしれない。
『でもね、貴方のお友達もそれ以外のことは間違っている。これはただの棒なんかじゃない。その真価はいずれ見届けられるかもね』
ケアはまるで凍り付いた魔王城の空間で、ゆっくり踵を返して歩き去っていく。
モロスケたちプレイヤーは動けない。
『そうだわ。私の子どもたちをせっかくだからもっと楽しんでもらいたいし、この子たちは動けるようにしておくわね。――じゃあ、よい復讐ライフを』
そう言うと、ケアは上位魔族を解放した。
硬直が取れた上位魔族はプレイヤーを見つけるや否や詰め寄り、身動きが取れないプレイヤーを機械的な動きで何度も殴りつけ、そのHPゲージを削り始めた。
何もできないプレイヤーたちは、画面の前でただ見ているしかできないのだろう。
彼らの悲鳴や無念を感じられる要素すら、その場ではすべて奪われていた。時を刻む少女のチートによって。
やがてプレイヤー【モロスケ】は死んだのか、配信も途切れた。
どこかでリスポーンしているのだろうか。
一体、どんな気持ちで。
「シズクちゃん、今の……」
マモルが呟いた。
画面を凝視していたシズクは、開闢剣が奪われる場面や時間を止める力に直面したことをリンピアに連絡することも然ることながら、それとはまた別のことを考えていた。
「時を刻む――」
近所の森にある祠のことだ。
シズク・タイム――先代からタイム家は、精霊の森を守る神官を務めていた。仕えてきた精霊の名はオルドール。時を司る精霊だ。
伝承によると、その精霊も時間を止める力を有していたとか。
そこに剣の勇者を祀る祠もあった。
これは何かの偶然か?
タイム家は精霊オルドールと縁がある……。
きっと偶然なんかじゃない。




