231話 隠密班/二つの覚悟
魔王軍は、城を取り囲むように配置した。
四方八方から進軍していくことで、注意を分散できると考えたのだ。
ただ、やはり俺は運が悪いのだろうか。
まさにソードが本領発揮して放った【抜刃】の射線上にいて、判断が少し遅ければ死んでいた。
何かが来るという気配を察知して寸でのところで射線から逃れることができたが、一歩遅ければ、その瘴気で焼き殺されるところだった。
「……っぶねぇ」
心臓なんてもうないかもしれないが、心境的には心臓ばくばくだ。
まぁ、死んでもまた【Restart】ボタンを押せば復活できるんだろうが……。
「冗談じゃないのだわっ。やっぱり帰る!!」
ワンテンポ遅れて、俺と同行しているリリスが叫んだ。
俺はとにかくリリスは命に替えがきかない。
その意味では軽々しく捨て身の攻撃をしかけるわけにもいかないのだが。
「待て待てっ! おまえがいなかったらこの魔王軍を維持できないんだっ」
「だって戦わなくていいって言うからこうして着いてきてるのに――というか、この下り二回目じゃなかったかしら! あたし騙されすぎ!?」
この魔王軍の猛進を実現させたのは、リリスの魅了魔法【誘惑】の力だ。
スポーンする魔族を、リリスが片っ端から【誘惑】をかけて支配下に置く。そして魔王城に向かうように仕向けるのだ。
リリスの力といっても、司書のリピカが急造してくれたボルガでその効力を増幅させ、範囲を広げているが――。
リリスもこの話を聞いたときは、ゲーム世界で最後にサキュバスとしての力をふんだんに使えると興奮していたのだが、今ではソードの一撃を目の当たりにしてこのザマだ。
「リリスの身に何かあったら、俺がヴェノムに殺されるんだっ! 頼むから傍にいて作戦通り動いてくれっ」
俺は土下座する勢いで頭を下げながらリリスを引き留める。
リリスは嫌そうな顔をしながら、小悪魔の尻尾をふりふりと振っている。決めあぐねて迷っているようである。
「あんたと一緒にいるのが一番安全ポジじゃなかったの?」
「そうだ。その予定だ。さっきのはソードがたまたま降り立った場所が悪かった。だから、な?」
「むぅ……。まぁ隕石は同じ場所に二度落ちないって言うし……。逆にここはもう安全かしら」
聞いたこともない理屈だが、一理ある。
兎にも角にもリリスが逃げ出さずにいてくれてよかった。
作戦というのは、言うほど綿密に練られた物じゃない。
チームを三つに分けてケアとソードを攪乱しながら、俺がケアに近づき『紅き薔薇の棘』で【時ノ支配者】を吸収するというものだ。
はっきり言って、ソードは強い。
アーチェやヴェノムが怖れるくらい本領発揮した剣の勇者は異次元に強いのだ。だが、直接あれと戦わずとも、黒幕である【時ノ支配者】を取り込んでしまえば戦いは終わる。
【時ノ支配者】は『パンテオン』のゲームシステムを構築する基盤そのものだ。
それを飲み込んでしまえば、ゲームシステムが崩壊してTHE ENDというわけである。
そのとどめを指す重要な役目を、隠密班として俺、ジャックとリリスの二人が担う。
リリスは今、【誘惑】の力で魔王軍を構成する中心となっている。仮にソードや一般プレイヤーが行く手を阻んでも、モブという肉壁を寄せ集めて逃げることができる。
ただでさえ、これだけの数の軍勢だ。
どれも似たような魔族の中から、俺一匹を探すのは困難を極めるだろう。
対ソード班としてはロアとリンピア、ヴェノムが当たる。
元守護者であり、人間兵器最強であるソードを引き留めるには、こちらも守護者二人を当てる必要があると考えた。
そしてヴェノムも戦闘員として実力は十分だ。
戦闘が泥沼化しても、偽ケアの野望を打ち砕くことができれば、その後から憑依ソードもどうにかなるだろう。
なんせ、ソードには一度、憑依を乗り越えて脱魂に至った実績がある。
アレにそれだけの意志の強さがあれば、ケアの支配が終われば自我を取り戻せるだろう。
――最悪、そうならなくても〝秘蔵のアイテム〟は用意した。……あの男には荒療治が効くことをシールが一番よく知ってる。
陽動班はシール、アーチェ、メイガスの三人。
この三人は一緒に行動せず、それぞれ単独でケアの注意をそらすための奇襲や囮攻撃をしかける役割だ。
それぞれ配置につき、つい先ほど作戦決行。
こうして班を列挙すると、隠密班が一番安全で楽なのは言うまでもない。
しかし、さっそく本陣である俺とリリスの隠密班が、ソードとエンカウントしかけるという不運に見舞われたのだった。
「あんた自身は覚悟できてるのだわね?」
ぞろぞろと行進を続ける魔族の大群に二人で紛れながら、リリスがふと俺に振り返って尋ねてきた。
「覚悟? そんなもの今さらどうして?」
できているに決まってる。
あらためて覚悟なんて言葉を、よりにもよってリリスが突きつけてきたことが意外でたまらなかった。
「ベムも言ってたでしょ?」
ベムはヴェノムの愛称だ。
「あたしだってあの魔族排球は怖かったけど、振り返ると楽しい思い出よ。ケアが偽物だったとしても、一時でもそうやって一緒にパーティー組んで遊んだ相手に、とどめなんて刺せるのかって聞いてんのよ」
なんだかリリスのぶっきらぼうな物言いが、少しヴェノムに似ていて微笑ましかった。
――今まで見てきて、あんたがお人好しってことがよくわかったし。
と付け加えてリリスは片目で一瞥した。
「……それは、大丈夫だ」
覚悟ならとっくにできている。
この『紅き薔薇の棘』をプリマローズから受け継いだ時点から、その運命は決まっていたのだ。
リピカも言っていた。
俺を起源とするアガスティアの葉の、その葉脈にまた別の脈が一筋できていたと。俺という存在の新たな運命が現れたことを、その葉が暗示していたんだ。
「そ。なら頑張んなさいよ」
リリスはそれから何か思い出したように手をぽんと打った。
「それから朴念仁っぽいあんたに、夢魔であるあたしからの最初で最後のアドバイスだけど」
「ん? なんだ」
「シールさんとのこと、ちゃんとしとくことっ」
「ちゃんと? どういう意味だよ」
妙に濁した言い方だ。
「女泣かせは不幸の種よ。お人好しのあんたのことだから、きっと無神経なことをするんだろうなって思って。――いい? シールさんは本気よ。あんたのせいで変になって、その後あんたのおかげでまた元気になったのだわ」
「……大丈夫だろ。シールは、盾の勇者だ」
その返答の意味がわからなかったらしく、リリスは顰めっ面になったが、すぐ察して怒りに満ちた表情を浮かべた。
少女ってのは、どうしてこの手の話の察しがいいんだろう……。
「バカねぇ! やっぱそんなことだと思った!」
「あぁ? 何がどう〝そんなこと〟なんだ?」
「あんた、自分がいなくても剣の勇者がいるからとか言いたいんでしょ!? はぁぁ? ちょっと信じられないのだわ。マジでナイ」
「俺はいつもみんなの最善を考えてるからな。個人の感情で作戦を台無しにしちゃいけない」
リリスは信じられないとばかりに口をあんぐり開けていた。
「あんた、図書館で話したときからなんも変わってないわねぇ!? また自分は人間兵器だからーとか言い訳するの? もう兵器でもなんでもないくせにっ」
「うっせぇなぁ……」
本当にうるさいなと思う。
悔しいけど、確かにもう人間兵器ではない。
「あんたのそれは、きっと人間兵器になる前からね。病気よ病気。どこかで自分自身を殺して生きてきたのだわ。そんなヤツに世界なんて守れるわけないじゃない。作戦も失敗するわよ!」
「そんな言い方はやめろっ! リリスにはわからんさ。俺はずっと――」
ずっと? 本当にずっとだろうか。
人間兵器になる前の記録は、仮想アガスティアで見たロストとしての人生を、断片的に知っているだけだ。
彼も守護者として世界を守る役目を担ったときに人の思いを踏み躙る決断をしたのだろうか。世界を救うために。
「――ずっとこう生きてきたんだと思ってる」
「はっ……呆れた。もういいわよ。あたしは警告はしたのだわ」
リリスはそっぽを向いてやや急ぎ足で先を行ってしまった。
魔族の群れの脇を通り抜けるとき、魔族たちは主人に道を譲るように避けていく。
あの子は些かお節介なところがあるな。
ヴェノムもずいぶん苦労したんじゃないか。
……しかし、シールとのことか。
正直なところ、【時ノ支配者】を取り込んだあと、自分がどうなるのかまったくわからない。
その件、誰にも相談していないし、誰も追及してこないが、なんとなくタダではすまない予感はしていた。
そうでなくとも、アークヴィランの魔素を溜め込みすぎて、俺に内包された瘴気の渦はとんでもないことになってるのだ。
あのロア・ランドールですら発狂するほど。
そして、あの黒い繭から孵化して蝶が宇宙に向けて羽ばたくビジョン――。
これ以上は、俺自身がトぶことになるんだ。
きっと他のみんなも察しているのだろう。
察した上で、言ってこないのだ。
俺がどういう人間かわかってるから。それに、手立てもそれしかないから。
――〝私は、あなたと一緒に生きたい〟
ゆえに、その言葉もまた警告なんだろう。
信じていいのか?
あの言葉を、信じていいのか?
俺は、その選択を後悔しないだろうか。
なんだか昔から俺には、自分自身が犠牲になる終わり方をしないと後悔するような、そんな救いようのない負け犬根性が染みついている。
〝ソードじゃないよ。あなただよ。わかる?〟
指切りげんまんして、念押しでそんな言葉まで突きつけられて、俺の逃げ場はもうない。
思えば、シールは作戦会議中もずっと疑り深い顔して俺を観察していた。
約束を忘れるなよ、って顔だ。
そうだな……。まぁ頑張ってみるよ。
耐えられるかな?
耐えられなくて、もう無理ってなったときに『自己犠牲』って選択は楽なもんだ。でも、その楽な道はいろんなヤツから封じられつつある。
「はぁ……」
先行くリリスの背を見やる。
しんどいのはこっちだってのに、あんな風になじるなんて酷いもんだ。
〝――つらいときに、それが頑張る糧になるはずだわよ〟
図書館でそう言われたのは覚えてる。
自分自身が思ったことを、素直に受け止めていくこと。それができて初めて俺は真の自由を手に入れるんだろう。
そうだな……。
もう少しだけ頑張ってみよう。
もう戦わなくて済むように。あの孤島で静かな日々を過ごせるように。




