230話 ◆魔王の軍勢(蟲)
魔王プリマローズが愛した静かな湖畔――。
鬱蒼としげる森の中心にぽっかりと穴を空くようにできた陥没と山の緩急は、威厳を好む魔王を魅了させるには十分だった。
そこが後に、幾度も繰り返される勇者と魔王の戦場になることを、かつての魔王プリマローズ・プリマロロは実のところ、予期していた。
野望の前には必ず立ちはだかる存在がいるものだ。
それは経験則から来る予想ではなく、本能や潜在意識にすり込まれた予期だった。
戦場化することは必然であり、その予想もあいまって城を堅牢に建てたのだ。
その城も、魔王が暮らしていた頃より【瘴化汚染】により黒々しさが増していた。
それは新たな支配者となったデータヴィランが振り撒く瘴気だ。
――当時の魔王は、超未来においてその湖城を模した仮想空間で勇者と魔王の戦いが再現されることは、まったく予期していなかった。
ましてや、魔王が挑む側になろうとは思ってもいなかった。
怒涛の勢いで押し寄せる魔王の軍勢。
彼方の平原を埋め尽くす黒い波は、森の木々を押し倒し、荒れ狂った獣のようにその中心である魔王城を目指す。
ギャア ギャア ギャア。
カエレ カエレ カエレ
魔王サマノ城ヘ! ワレラガ城へ!
縄張りを奪われ、巣を追われた猛獣。
その実、それら一体一体が意思を持たない単調なNPCだ。樹木というオブジェクトと他の魔族の猛進に挟まれて押し潰され、データ粒子としてその身を散らしても誰も気にすることはない。
潰れたNPC本人ですら、死を感知する間もなく新たな黒い波の一部にリスポーンする。
その圧巻の光景を目の当たりにした、小高い丘に立つ二人の勇者――。
「バグ……じゃないわ」
唖然としながら、治癒の勇者が呟く。
手には法典武装。
その辞書からゲームプログラムのコードを呼び出して、即座に静的なコードチェックやマルウェアによる改変を確認していた。
敵には『守護者』もいる。
筆一本で世界法則を描き換える【無の存在証明】という力を持つ守護者だ。
ご丁寧に、迫り来る黒い魔族の群れもまるでその守護者がかつて体験した七つ夜の怪異を彷彿とさせる。
もし何らかの情報――それこそ仮想アガスティアの叡智を入手して、『パンテオン・リベンジェス・オンライン』のネットワークのバックエンドに不正アクセスしたとしたら、バグを誘発させることもあの力で可能だろう。
しかし、どうやら違うらしい。
「アイツらノ仕業カ?」
剣の勇者が尋ねる。
「きっとそうなのだけど……どうやっているのかわからないわ。バクじゃない。通常のゲームシステムを応用して、あのMobを動かしている。……でも尋常じゃない量よ」
敵も、バグはどうせゲームシステムの中枢であるケアによって修正されると踏んだのだろう。
しかし、あれはどうやって――。
「超常の力じゃなイってんなラ、簡単なコトだ」
ソードはそう言うと丘から跳躍した。
常人なら一人で相手にするには骨が折れそうな光景だ。
森の中に飛び込み、ソードは大剣を手元に造りだして構えた。
ゴゴゴ、という大群の足音が迫っている。
そこはリアルな自然環境ではない。
木が倒れれば普通はメキメキと音を立てるものが、この仮想空間で木が倒れるときの音は、まるでガラスをばりばりに踏み散らすかのような不快な粉砕音が高鳴っていた。
ソードはその音に集中しながら、姿勢を低く剣を構える。
両手にのみ【狂戦士】の黒鎧をまとい、一刀の攻撃力を高めている。
そして、木々を押し倒しながら怒涛の勢いであらわれた黒の魔族の大群を見定めた瞬間、黒い魔素を剣身からたぎらせる。
「シゥーーーー……」
ソードが息をゆっくり吐いて魔力を込める。
ギュルギュルと剣身にまとわりつく黒い魔素。
それはソードが本来の【狂戦士】の力を最大限まで開放する際に鳴らす排気音だ。
「――――ッ!」
目を見開き、ソードが押し寄せる軍勢に向けて剣を横一閃に振り抜いた。
すると【抜刃】の剣身から、黒い魔素が前方広範囲を飲み込むようにエネルギーを放出された。
音もなく、その一面だけ大気を食らい尽くしたかのような一撃。
遅れて、爆砕音が周囲に鳴り響く。
アーチェの【掃滅巨砲】が彗星の横断だとすれば、ソードの【抜刃】の一振りは太陽フレアの爆発だ。
兵器自体が飛来するのではなく、兵器からのエネルギーの膨張によって一帯を飲み干す焼灼の一閃である。
前方直進ロングレンジに向けた放出。
それにより魔族の軍勢は一斉に消滅した。
「雑魚ハ束になっテも雑魚ダ」
そう吐き捨ててソードは踵を返す――。
しかし、その聴覚ですぐ異変に気づく。
背後からはいまだ地響きが轟いていた。
「……?」
振り返る必要はなかった。
たった今薙ぎ払った敵は復活している。
それはすぐ察した。しかし、ソードはそれでも振り返った。ゲーム世界に目を覚ましてから間もない今のソードにとって、この世界での戦闘環境をより間近で見届けることは必要だ。
ソードという戦闘狂は、天性の戦士だった。
「なんだ……こいつラ……」
その森の奥に広がる光景は、地獄絵図だった。
【抜刃】のロングレンジ攻撃で、粉々に破壊された樹木のオブジェクトの四角い欠片の一粒一粒から、まるでそこから自然発生するように黒い物体が生えている。
それが魔族のモブの形に成り代わると、再び突進を始めていた。
カエレ カエレ カエレ
ワレラガ家二 魔王サマノスミカへ
その粘ついた物体が人型へと変わる瞬間は、なんとも形容しがたい不気味さがあった。
正統な勢力じゃない。
善や正義を謡える軍勢では決してない。
この世の理を侵し、法則を無視し、先住者の了見も無視して染めつくす外来生物のような意地汚さが感じられた。
まるで人様の家に湧いて増える蟲のようだ。
これが魔王の率いる本来の軍勢。
黒い魔素が〝瘴気〟と呼ばれる所以だ。
「…………」
ソードは撤退せずにはいられなかった。
一体一体を倒すことは造作もないだろう。
だが、この勢力には〝倒す〟というより〝駆除〟という表現が相応しい。ならば、それはソードの役目とはやや異なる。
戦士が相手にするのは蟲ではないのだ。
ソードはその場から跳び上がり、まだ無事に立っている樹木の枝の上に乗った。
そして上からその軍勢が猛進を始める様子をじっくり吟味していた。
「ゲームかナんだカ知らねえガ……」
これは悪趣味だ、と心でぼやいた。
ソードの知るオリジナルの世界とは程遠い。
ケアと共闘して、果たしてこの侵略者の追放を達成できるかどうか怪しいものだった。
ソードは木々を飛び越えて、元いた丘に戻ってきた。
ケアは『法典武装』という辞書を宙に浮かせて開き、目の前の光景と辞書を見比べながら、悔しそうに歯噛みしていた。
ソードの帰還に目配せだけして、ふと聞く。
「どうだった?」
「ひでぇナあリゃ。気持チ悪イ」
「そうでしょう……。見るからにヴィランって感じよね。あれがアークヴィランの正体よ」
「一斉二倒しテもどんどん湧イてきやガるな。どこカに司令塔がイるはずだ」
「そうね」
ケアは魔王城に迫ってきている黒の軍勢を憎々しそうに見ながら言った。
「これだけの数の魔王軍を支配下におけるのは、バグやチートコードでもないのなら、やっぱりオリジナルの魔王の因子を持つ、あの男としか思えないわ」
「プリマローズノ子どもカ」
ソードはそう呟いた。
プリマローズを倒した後に誕生したあの魔族。
誕生直後に対峙したときにはもうソードも気づいていた。
ソードの斬撃を避けるほどの反射神経。
普通の雑魚魔族では考えられない。確実に捉えたと思った一撃を、あの魔族は躱したのだ。
それだけで、何かが違うとは感じていた。
「アイツを殺せバ終わるンだな」
ソードはそう言うと、再び踵を返した。
「いくの?」
「あぁ。アイツにハなんだか因縁ヲ感じる。プリマローズから生まれタからってワケじゃネェ。なんテいウかな。俺ガ一番嫌イなタイプだ」
「そう……。きっと他のモブと見分けがつかないかもしれないけれど、魔王の因子を持っているなら『紅き薔薇の棘』を所有しているはずよ」
「おう。探しテ、ぶっ殺ス」
「私はプレイヤーを通知で引き寄せて討伐イベントをここに集約させるわ。この魔王城のネットワーク負荷に耐えられるようにサーバーのスケーリングも調整しないと……」
ケアはそう言いながら辞書を捲って、手を翳しながら魔法でも使うように白い光りを辞書に向かって込めている。
ソードは、ケアが何を言っているのかまったく理解できなかったが、理解を放棄してすぐさま飛び出した。
戦えれば、他のことは何だっていい。
その戦いの果てに、剣を究めた理由も見つかるはずだ。




