228話 結集Ⅱ
メイガスの不穏なコメントで、少しばかり大樹内の空気が暗くなったように感じた。
その空気に乗じて、今まで黙りを決め込んでいたヴェノムが気難しい顔のまま言った。
「……なぁ、オレにも二つばかり気がかりなことがあってよ」
「なんだ、ヴェノム?」
「まず一つはDBのことだよ」
DB――それはケアのことを言っているのか。
「オレにはこの話し合いでは、ケアを倒すことで決着つけようとしてるように聞こえたが」
「そうだ」
俺は話の途中で相槌を打った。
「捕捉するとデータヴィランだ。『パンテオン』のケアはケアじゃない。魔素がなりすましてるだけだ」
「それはさっき聞いた。んでも、それじゃあ本物のケアってのはどこにいるんだ? 紛いものって言ってもヘタに消しにかかって、本物のケアまで抹消しちまう、なんてことはねぇのかい」
「それは……」
俺は助け船を求めて背後のリピカを見やる。
リピカは肩をすくめ、俺の真横に並んだ。
「七号、あなたの知る人間兵器五号は元々存在しなかったのよ。私の体を奪った魔素がそれっぽい振る舞いをしていただけ。……その意味では〝本物のケア〟は、この世界で策謀を練っていたあのデータヴィランってことになるわ」
リピカが代弁してくれた。
ヴェノムはさらに眉を顰めてリピカを睨んだ。
「じゃあ何かい? 現実世界にいたDBは、実は敵対してたアークヴィランの一味で、それをオレたちはずーーっとこの数千年もの間、人間兵器の仲間だと勘違いしてたってか?」
「そういうことになるな……」
正確にはアークヴィランではないが。
外宇宙から浸み出した魔素を由来とする『外来の敵』と、こちらの世界で発生した新種の魔素である『時ノ支配者』とでは発祥が異なる。
だからあいつは〝はぐれ〟であり、孤独の中、電脳世界に新たな支配圏を作ろうとした。
そこに同情の余地があるのではないか、とヴェノムは考えているように感じた。
きっとヴェノムは全容を理解できていない。
だが、現実世界で過ごした人間兵器五号やDBとしてのアイツとの思い出を、頭の奥底で振り返っているように見えた。
アークヴィランハンター協会。
アーセナルドック・レーシング。
東リッツバー砂漠の大改造。
それから王都でのこと。
さらに遡れば、みんなで馬鹿やって魔王プリマローズを倒しに行く冒険の日々だって……。
俺だって何度もDBに助けられた。
あいつは『治癒術士』だったから、助けられた仲間も多いだろう。シールやアーチェ、メイガスも気づけば同じ表情を浮かべている。
俺もアイツが敵だったなんて思いたくないし、実のところ今でも思ってない。みんなそうだ。
「オレは、あの日々が嘘だなんて思いたくはねぇけどな……」
ヴェノムは吐き捨てるようにそう言った。
俺も、同じ気持ちだよ。
だからケアのことを倒すつもりはない。
俺が――『時ノ支配者』を作りだした俺がなんとかする。そのためにもみんなの協力が要るんだ。
リピカはヴェノムの言葉を聞いて複雑な表情を浮かべていた。
自分こそがその〝仲間〟にいるはずだったが、そうならなかった。そしてその立場を奪った魔素が、こうして人間兵器たちに慕われている姿を見るのは複雑な心境だろう。
「二号は見たと思うが」
ロアが言う。
アーチェは気まずそうにロアに一瞥くれた。
「サーバールームには彼女の体が接続されていた。電脳空間での死があの器にも影響するなら、先に切り離した方がいいかもしれない。君たちがアレの身を案じているなら、だが」
今のはロアなりの気遣いだろうか?
柄にもないことをこの期に及んで言うのな。
「現実世界に伝手がないわけじゃない」
俺がそれに答えた。
「メンテナンスが明けた今、ログインし始めたプレイヤーもいる。何人か知り合いもこのゲームをプレイしているしな……」
マリノア、シズク、マモル。
あの三人にサーバールームの件は頼もう。
「それにモロスケの件もあるし、今回は、人間たちの力も借りたい」
「あんたらしい意見だ」
「珍しく賛同してくれるんだな」
皮肉まじりに俺がロアにそう言う。
「俺は守護者だ。世界のバランスが整うように話が進むなら異論はないさ」
「……ロアくん、これからは言い方を学ぼうね」
傍聴者を決めていたリンピアがロアの耳にそばだててそう言っているのが聞こえた。
「実はオレが気にしてることの二つ目はそれだ」
ヴェノムが割り込むように言葉を投げかけた。
「それって?」
「ログインしてる人間……それはこいつのことも含まれてんだろうな?」
そう言いながらヴェノムが叩いたのは、リリスの背中だった。
「あたし!? あぁ、あたしなぁ~……。そうだよねぇ。うん……うぅ」
リリスががくりと肩を落とす。
「リリス、どうしたんだ?」
さっきから意気消沈している。
アガスティアの大樹に来るまでもかなりパニック状態だったが、今では不気味なくらい静かで、他人が見ても気分が落ち込んでいるのは一目瞭然だろう。
「さっきアガスティアの葉で見たんだが」
ヴェノムが天井を指差す。
そこにはシダのような葉が垂れ下がっている。
その一枚一枚に、一人の人間の運命が刻まれている。
「ようやくリリスは自分が人間だったと認めた」
ヴェノムがそう告げる。
そういえば俺がリピカと話している最中、二人で自分たちの運命を見てくると言ってどこかに立ち去っていたのだった。
「ただ、その記録が全部他人事のように見えるらしい。オレもそうだった。オレは人間兵器になる前、人殺しで生計を立てていた暗殺者だったようだ。山奥で生まれて暗殺者に育てられて、最後にはどっかの貴族の館で要人警護してたかな」
ヴェノムは他人の人生のように語る。
「まぁ昔のオレのことなんてな、どうだっていいがな。この世界でのナリにも合点がいったし」
ヴェノムは目の眼帯を指差す。
「でもリリスは昔の人間じゃねぇ。今も人間として生きてる。そのリリスが……このゲームに役割を与えられちまってるリリスはどうなるんだ? ちゃんと連れ戻せんのか? それが心配だ」
ヴェノムの気がかりに、俺は答えを持ち合わせていなかった。安心させてやりたいが、無責任なことは言えない。
「それについては――」
「そのことだけど――」
ロアとリピカの言葉がかぶる。
リピカはおかしそうに笑うが、ロアは不貞腐れたように目を閉じて、それ以降は話さない。
リピカが悪戯っぽく笑みを浮かべて答えた。
「人間が急に消えることはないわ。特殊な兵器で神隠しにでも遭わないかぎりね。その子も私の体と同じよ。運営が手元に置いておくとしたら、やっぱりサーバールームにいるんじゃないかしら」
「なるほど。そんなことなら、オレはこんな世界に来るんじゃなかったぜ」
ヴェノムが両手を頭に組んで背もたれに大きく体を委ねた。リリスの生身の体を助けにいけない歯がゆさを感じているらしい。
ゲームの中では現実世界には手が届かない。
「でも……やっぱりなんか複雑よ、あたしは」
「あぁん?」
「だってサキュバスの自分が好きだもの。そりゃここでの扱いには不満は感じてたけどー」
「イベントボスってやつか」
「そうそう、それね。はっきり言って人間に追い回されるの、ストレス超やばいし。でも本当のあたしがただの人間で、何の取り柄もないんだったら、やっぱり戻りたくないかな……。この世界でなら魔法だって好き放題使えるしっ」
リリスはウインクして目元にピンク色のハートを出現させた。ゲームの仕様だろう。
魅了魔法【誘惑】。
――対象を魅了させて意のままに操る力。
魔族排球でも世話になった。
しかし、そんな理由でケア攻略やゲーム世界からの脱出を拒まれても困る。
「リリスちゃん。魔法は何が使えるの?」
そこにリンピアが声をかけた。
今まで言葉を発していなかったお姉さんに急に話しかけられ、リリスも困惑している。
「えっ? ……えーと、この【誘惑】だけよ」
「なんだ~。好き放題って言ってたから、もっといろんなことができると思ったのに」
「そういうお姉さんは……もしかして、魔法使い……?」
リンピアの格好を見てそう判断したのだろう。
リリスは興味深そうにリンピアを見ている。
「そうねぇ。ちょーっとこのゲームだと制限はあるけど、現実世界でなら、ありとあらゆる魔法が使えるよ。ペン一本で何でも造れるし、古代魔法もちょちょいのちょい」
リンピアはあえて〝現実世界〟を強調した。
魔術相談所の面接のときも思ったが、リンピアは話術も巧みで交渉もうまい。
「えぇ~! やばい。こんなとこにプロがいた」
「あぁ、そういえば今一人先約がいるけど、わたし、二人までなら弟子も取れるんだけどな~。リリスちゃんが魔法に興味あるなら【誘惑】の他にも色々教えちゃうよ。昔、サキュバスが使ってた魔法も一通りね」
「い、いいんですかっ」
「うんうん」
言うまでもなく先約とはシズクのことだ。
魔王失踪事件で『パンテオン』に入る前、シズクも目を輝かせて、リンピアに羨望の眼差しを向けていた。
「だったらリアル、帰ります!」
リリスは敬礼して高らかにそう宣言した。
「切り替えはやっ!」
思わず俺は突っ込んだ。
ただ調子が戻ってくれたようで安心した。
リリスはその天真爛漫な雰囲気がいいのだ。ヴェノムが惚れ込むのも納得である。
「そうそう、リリスにはこれから始まる戦いでもかなり期待してるんだ」
俺は付け加えてそう言った。
「え、ええ? ど、どうしてあたしっ?」
リリスがどきまぎしている。
サキュバスとしての力は【誘惑】しかないが、魔族排球のときにもその力で大いに助けられた。
またその力を活用できると、俺は閃いていた。
「さっきロアに試したことで気づいたことがあるんだ。もしかしたら俺の魔王としての力、リリスと協力すれば応用できるかもしれない」
「む?」
不意に名前を挙げられたロアが、胸にトラウマがあるのか、嫌な顔を浮かべて俺を一瞥した。
リリスもワケが分からないとばかりに目を瞬かせている。




