226話 斯くて戦士は泥を呑む
現実……と言ったら間違いがあるか。
ゲームの世界に帰ってきて、最初に見たのはロア・ランドールの冷酷な目つきだった。
この男は実の父親である俺にですら、躊躇なく害虫を押し潰す清掃員のような目を向ける。そしてその得意の剣技で容赦なく、今まで己自身が信じた正義の下、人類にとっての〝敵〟を切り捌いてきたのだ。【守護者】という身勝手な役割を機械的に全うするために――。
その冷淡さは異常とも思える。
……とはいえ、それこそ6500年前の自分自身を見てきた今の俺としては、当時の俺もそうだったような気がしてきた。
いや、きっとそうなのだ。
実の父親に、そんな目を向けてきたのだ。
宿敵である魔王プリマローズ・プリマロロが、災禍の化身という黒魔力を素にして生まれた存在であり、それが自分にとっての敵である、という勝手な理由で戦い抜いてきたのだ。
それが今やどうだろう。
俺は真にプリマローズ・プリマロロの血肉を引き継いだ息子として生まれ変わった。この『パンテオン・リベンジェス・オンライン』というゲームの世界で……!
そして今、俺は人類の〝敵〟として、守護者である息子に殺されたというわけだ。
なんてことはない。同じ状況だ。
血は抗えないのだ。
俺にとっての宿敵が父親だったように、ロアにとっての宿敵も父親になっただけだ。
やっと俺は親の気持ちに触れたのだ。
魔王の系譜を引き継いで。
そして、その覚悟も知ることになった。
それを【時ノ支配者】というデータヴィランの親として試されるというわけだ。
だとすれば、ロアと俺では、一つだけ違うことがある。
喉に突き刺さったロアの魔剣を素手で握る。
ロアは俺を一度斬り殺し、そして即座に復活したことを察知して、さらに刃を力強く俺の喉に押しつけていた。
ロアは、俺がロアの得物を握り返し、あまつさえそれを抜き返してきたことに驚き、緊張を漂わせていた。
「……っ! ……さては、既にこのゲームの一部になったというわけか」
「さぁね。どうかな」
「ならば生憎だが、いずれあんたは消える。このゲームという怪異を、俺が滅却した後すぐに」
「ロアが俺を始末しようとした理由も、そういうことなんだよな?」
ロアは答えなかった。
俺はずぶずぶと喉に食い込んだロアの赤黒い魔剣を抜き返した。その力に押し負けまいと、ロアはやや表情を曇らせて、力を込めていた。
でも、俺が勝った。
魔剣は抜け、俺は杭を打たれた状態から解放された。
「……お前は確かに頭がきれるよ。判断も早いし、俺みたいな単純な脳筋野郎と違って器用だ。才能を全部奪い取って、さらにそれを使いこなす度量を持って生まれてきた戦いのプロみたいなもんだよな。それは認めるよ」
「……」
ロアは少しばかり黙って、訝った顔を向けた。
しかし、すぐ守護者としての顔を取り戻す。
「あんたの評価と、俺の役目には何も関係ない。あんたは――無名の男は今やケアより凶悪な存在になった。なんだ、その体中の黒い泥は……」
ロアは俺の胸を見ていた。
ただの真っ黒いモブの体を。
普通のプレイヤーにはそうとしか見えないものを、ロアは〝黒い泥〟と表現した。
やはりロアには見えているのだ。
俺が白昼夢で見た、あの黒い繭とそれが羽化して宇宙へと羽ばたいていく蟲のビジョンが。
守護者としての眼力か?
あるいは、怪異の掃除屋としての経験か?
「――こんな危険な存在を、掃除屋の俺が放っておくと思うか? ケアの攻略法はすでに見破っている。ともすれば、どす黒い泥をまとう今のあんたの方がよっぽど危険分子だ。邪悪さは感じるが……なぜかな。脅威には思えない。おそらくあんたみたいな無力ながら不死身な存在は、何度か斬ってみれば弱点も見えるだろう」
ロアはまた魔剣を手元に呼びだして構えた。
ケアの攻略法は見破っている、と言ったか
きっとそれはロアの考える攻略なんだろう。
なんだっけか。
〝――とあるプレイヤーが所有するアイテムに、ケアがこの世界で為し得ようとした目的のすべてが詰まっている〟
って、言っていたな。確か。
あの女神ケアを演じるデータヴィラン【時ノ支配者】は、仮想世界のアイテムやオブジェクトから、現実世界の万象事物を逆輸入しようとしている。――とティマイオスが推測していた。
その一つに、裏をかいてデータヴィランを滅する糸口があるということだろう。
ロアの頭の計算機では、それがこの怪異を滅却する一番冴えたやり方だという答えに行き着いたわけだ。
でも、残念だが、そんなものは俺が認めない。
「お前のやり方に文句はない。……というか、今のところ文句のつけようはない」
「そうか。では潔く自身の首を差し出すか?」
「いいや。文句はないけど、認めないね」
「なに……?」
ロアが眉根をぴくりと動かす。
「やはりその泥の影響で邪悪な存在に成り下がったと見える。無名の英雄も、おちぶれたな。妨害するつもりなら無駄だ。あんたに俺は止められない」
ロアはやや姿勢を低くした。
きっとその直後には、音もなくまた俺の間合いに入り込んで攻撃をしかけてくるだろう。
わかる。あいつの戦術は何度も見てきた。
精度が高すぎるからこそ、己の力と速さに自信があるからこそ、格下の相手には単調になる。
俺は『紅き薔薇の棘』を体中から生やした。
背中や肩、太股、胸といった至るところから、無数の黒い触手のように、蔓が伸びていく。
ロアは一瞬、顔をはっとさせたが、構うことなくその黒い茨の蔓を切り裂くと決めたようで、剣を振るった。
「お前のやり方には覚悟がないんだよ、ロア」
「……!?」
そう助言したと同時に、俺は蔓をロアの体に捻じ込んでやった。
ロアが〝黒い泥〟と表する『紅き薔薇の棘』はその体に宿主を求めて体内に侵入する寄生虫のように、うねうねと体をくねらせると、根元を切り離してロアの体に侵入した。
「ぐっ……!」
苦悶の表情を浮かべるロア。
動きを止め、その場で胸を掻き毟り始める。
青白い肌に黒い静脈の筋を浮かべて。
「ぐ……あぁぁ、アァァアアアア……!」
耐えているな。
苦しいんだろう。
その『紅き薔薇の棘』が何体分のアークヴィランの魔素を吸収したと思ってるんだ。
歴史的に〝勇者〟と称賛される人間兵器四人が長年持ち続けた魔素の数々だぞ。
三号の【護りの盾】、【蜃気楼】、【翼竜】、その混合魔素である【擬・飛翔鎧】。
六号の【永久歪み】。
七号の【焼夷繭】、【王の水】。
そして、極めつけは二号の魔素が多種多様だった。【誘導弾】、【桜吹雪】、【弩砲弓】、【装填】、【掃滅巨砲】、【雷霆】――。
これらの魔素が、アークヴィランの妄執が、『紅き薔薇の棘』という一つの剣を触媒に溶け合って瘴気の塊を生み出している、
ロアが見た俺の体内に孕むものだ。
常人ならこの外宇宙の狂気の巨塊に一瞬で精神を犯されて発狂する。
ロアは白目になって口を大きく開けていた。
やがて声も掠れ、おかしくなりそうになったところで、その直前で送り込んだ触手をロアの体から呼び戻して、俺の体内に戻した。
「ハァ……ハァ……ア……アア……」
「へへ、さすがのロアでもきつかったな?」
俺は悪戯小僧のように笑ってみせた。
抱えている物の一端を見せてやって、したり顔にならずにはいられない。
「あんた……こんなものを内に秘めて正気でいられるのか……?」
ロアは息も絶え絶えにこちらを見上げてきた。
俺は答える気がなかった。
正気かだって? そんなの生まれたときから失ってるよ。
「そうか……。あんたはこれを使って……」
ロアは汗を浮かべながらぼんやりと虚空を見ていた。
頭のいい子だ。
すぐ考えを見破られてしまう。
見破ったからには、決してスマートなやり方ではないと思ったことだろう。
馬鹿で愚鈍な俺だからこそ、そういうやたらめったら規模の大きなやり方で世界を救うのだ。
いつだってそうだった。
自分という存在をもたない無名の英雄は、そうやって己を省みないやり方をして、助けた人々からもついぞ認知されることはなかった。
孤高の戦士はそうやって丘に立つんだ。
ロアに足りないのは、その覚悟。俺とロアの決定的な違いはそれだった。
俺の作戦を悟ったロアはなんとも言えない表情を浮かべ、そしてその顔は悔しそうでもあった。
きっと俺には叶わないと気づいたんだろう。
そしてもう二度と俺に刃を振るう気はないとばかりに魔剣を取りこぼした。
それが地面に跳ねて塵のように消える――。
背後から人の気配を感じて、振り向くとそこには、仮想アガスティアの大樹の中から出てきたシールが、俺を見ていた。
何かを察したように、息を呑んだ状態で固まっている。その目はこう言っていた。
――約束、守ってくれるよね?




