223話 魔素無しオブジェクト
外に飛び出すと、 既に勝敗は決していた。
巨大ミミズ部屋のすぐ脇で、青い髪の男が銀髪紫眼の男を組み伏せている。
そのすぐ近くでも栗色の髪の少女が赤髪の少女に杖を向け、膠着状態にある。
ロアとリンピアの二人組が、メイガスとアーチェの二人に圧勝している様子だった。
「変だな。彼らから何も感じない」
ロアがメイガスに刃を向けながら言った。
「魔素の精神支配から解放されたというのか?」
「こっちもだよ、ロアくん」
リンピアがアーチェに一瞥くれていた。
顔を見合わせ、そして首をもたげている。
「アーチェさんに至っては、あれほど溜め込んでいた魔素の気配が一つもないよ」
「ふむ……」
アーチェは抵抗する気配すら見せなかった。
一方、メイガスはロアの体術から抜け出せず、流麗な銀髪を振り乱して暴れていた。
「僕から離れろ!」
「……」
ロアは興味を逸したのか、押さえつけていた状態からさっと立ち上がり。メイガスを解放した。
いつでも押さえられると考えたのだろう。
メイガスもそれ以降は抵抗を見せず、気丈に立ち上がる。
「ふん……」
「君たちはその無力さで何をしにきた?」
ロアが皮肉ではなく、本気で解せないような眉根を寄せたような表情で問いかけた。
メイガスが不満げに答える。
「……僕はもう【転移孔】しか魔素を持たない。アーチェはそこの守護者の言う通り、魔素無しだ。その状態だとゲームのNPCになりさがって、もう二度と自我を持つことはない」
メイガスは伏し目がちに語る。
そこには悲壮感を漂っていた。
「そうなる前に、仮想アガスティアにある自分の記憶領域を保護して、自分を失わないようにしたかっただけだ」
「魔素がないとNPCになる? 君は現実世界では人間兵器であって、プレイヤーとしてそこにいるのだろう?」
「僕たちは『パンテオン・リベンジェス・オンライン』に取り込まれて、ゲームの構成要素の一つになっている。それでもゲームシステムとは隔離されて自我を保てているのは、体内に宿した魔素を実用物として、ケアという操作者が指令を送っていたからだ。それがなくなった今、じきにゲームシステム側からオブジェクト以上の存在と認識されなくなって、自我を失うんだよ」
専門用語が多かったが、イメージは理解した。
魔素がある種、精神とか魂とかの一部だったのだろう。
「君はこのゲームの設計者だったか。さすがはここの仕組みそのものに詳しいな」
「その僕自身が、まさかこんな状況になるなんて皮肉なもんだけどね」
メイガスは悪態をついて唾棄した。
土埃が舞うクレアティオ・エクシィーロの町ではそのデータの滓のような唾が即座に分解されて消えた。
「しかし、メイガスにはまだ【転移孔】があると言っていたな。少なくとも君はまだケアの指令を受信しているはずだが」
「……」
メイガスがちらりとアーチェを一瞥した。
問題はそちらなのだろう。
アーチェは魔素をすべて失った。
俺が『紅き薔薇の棘』ですべて【吸収】してしまったからだ。そしてアーチェの自我が消えることを心配して、メイガスはここまで連れてきたということだ。
「なるほど……」
ロアはメイガスの態度から意図を察して、何とも言えない表情で言葉を濁した。
「君たちのことは把握しているが、人間兵器にしては稀有な関係だ。ここに来たことも合理的じゃない。俺を見かけた瞬間、単調な古典魔術で襲いかかってきたことも」
「ロアくん?」
リンピアがロアを詰るような眼で見ていた。
「む……」
「人間兵器だからって感情がないわけじゃないってことは知ってるでしょ。型に押し込めるの、怪異滅却に挑む上でバイアスになると思うけど」
「やれやれ……。口達者な君が、ここに来るまでに途中で目覚めてしまったことは、今は少し残念に思うよ」
ロアは肩をすくめ、構えていた魔剣を解いた。
「つまり、君たちと俺はもう敵対関係にないということだ。怪異の源である【魔素】が消えたというなら、俺が君たちを害する理由はない。自我を失う恐れがあるというのは気の毒だが」
そして溜め息をつくと、こちらを見た。
俺が立っている仮想アガスティアの入り口を。
「俺もこの樹で、あのケアの……正体を……」
ロアは驚いたように眼を丸くさせ、やがて焦点が俺に合っていく。
「おい。アレは……」
「うん? どうしたのロアくん?」
珍しくロアが驚愕している様子に困惑して、リンピアがロアの視線を辿る。
そして、リンピアも仮想アガスティアの入り口にいる俺に気づいた。
「あの魔物……ソードさんの……?」
「なんだあの【瘴化汚染】の塊――蛹みたいな影は……」
ロアがぎりっと歯軋りを建てる。
すると、一気に空気が凍り付いた。
――人智を超えた男の、疾風迅雷のごとき一撃が突如として迫ってきた。
「……っ!」
俺は咄嗟に『紅き薔薇の棘』を手元に出す。
ロアの肉迫に抵抗して剣を振るう。
赤黒い魔剣の紅の薔薇剣が衝突して火花を散らした。
――しかし。
するりとこちらの剣戟は受け流され、ロアの赤黒い魔剣は俺の喉元に滑り込む。
物理耐性が極まっている状態だが――。
「がっ……」
まるでバターを剪るようにヌルリと、
ロアの魔剣は俺の首をスライスしていく。
首を刎ねられた。
急に視点が高くなり、首が飛び跳ねたのだということを自覚した。そして視界は暗転。
確実に死んだ。
理由もわからず、神速の奇襲で殺された。
しかも人間兵器じゃない。
相手はロア――。
蛹みたいな影って……?
◆
明転。
画面には『GameOver』の表示。
俺はコントローラーを握り占め、突然の理不尽を噛み締めていた。
「なんだ、あいつ……! マナー違反だろ!」
ロアがまたしても憎らしくなる。
メイガスとアーチェと敵対する理由はなくなったと言いながら、俺のことでは敵対する理由があった――もしくは出来たってことだろうか。
イラッとして『Press any button』に従って、ゲームを再開しようとした。すると――。
「待ちなさいよ」
「……なさいよ?」
甲高い声に声をかけられて思わず振り向く。
俺の真後ろには、あの仮想アガスティアの葉で見ていた記録の中で映っていた精霊の一人が、腕を組んで仁王立ちしていた。
パンクロックファッションで金髪の幼女。
――雷の精霊ティマイオスだ。
「ティマイオス……だったか?」
「師弟に忘れられるなんて屈辱的な気分ね。まぁいいわ。名前も覚えてくれていたみたいだし、及第点。うん、許容します。ティミーちゃんは寛大だからね」
「ティミーちゃん……?」
高慢そうな態度で見下ろされた。
「まさか、アンダインみたいにアドバイスでもしてくれるのか?」
「ううん、それはルール違反だもの」
ティマイオスはあっけらかんと言った。
「じゃあなんだよっ」
「さっき貴方が見たものの続きを話してあげる」
ふん、と息を強く吹き出す金髪幼女。
なんだろう、この高慢さ。
確かにプリマローズの面影がある。アンダインのときにも感じたが、やっぱりこの精霊たちの合体形態がプリマローズだったのだと凄く感じる。
「続きって……もしかしてあの始まりの話か?」
「ええ。あのときもリピカに説明を求められたのはあたしだったし、その続きから話した方がわかりやすいでしょう」
そうか、俺が仮想アガスティアで過去の記録を見ていたことを、ここにいる精霊たちもみんな画面を通して見ていたのだった。
次回更新は2021/10/4(月)22:00です。




