222話 仮想アガスティアの書記Ⅳ
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俺はそれから一年かけて【瘴気】が増幅している場所を回っていった。
リピカは採取しろと簡単に言うが、その採取作業というのが、現地に赴いて袋詰めするような楽な作業ではない。
魔石を磨り潰して得られる粉末を特別な布に塗りたくって魔方陣を描き、それを魔術トラップのように採取ポイントに設置しておく。
そして、あとは魔方陣に黒い粘性の物体がこべりつくまで、ひたすら待つのだ。
この作業が釣りみたいに忍耐力が必要だった。
単純に一つ一つの作業が長いのだ。
黒い粘性の物体以外のマナが結晶として生えてくることもあって、失敗すればまたやり直しになる。
そんなわけで、みっちり一年かけてマッピングされた六種の【瘴気】を採取してきた。
ちょうど二ヶ月に一種のペース。
随分のんびりと旅歩いてたのね、とリピカに皮肉でも突きつけられそうな遅さだ。
採取したエリアの情報とともに、魔方陣を持って王都に帰る――。
大聖堂に向かうと、リピカの付き人であるパウラ・マウラさんが、いつものように麦わら帽子を被って花壇の手入れをしていて、俺も見かけたついでに挨拶をした。
「こんにちはー。精が出ますね、パウラさん」
「あぁ、ご無沙汰ですわね」
「ご無沙汰……ってことは、以前にも会ったパウラさん、でいいんですよね?」
「ですわね。あなたと会うのは三回目です」
「ということは――」
マウラ家は、初代パウラさんが大聖堂でリピカの世話役をするようになって以来、代々同じくパウラという名の娘さんが教会に従事している。
俺の時間感覚は普通の人間とは違うし、パウラさんのように鳥系亜人種の寿命も人間のそれと比べるとやや短い。
子の成熟も早いため、母と娘が見分けがつかないときもあった。
そのせいで何度か人違いをしたものだ。
だから会うたびに何代目かを確認している。
「五代目のパウラさんか?」
「はい。先代からお世話になってますわ」
「ご苦労なことで。リピカの世話なんて俺だったらぞっとするな。先祖の呪いみたいなもんだろ」
「楽しいですわよ。教会の名で魔法界ではたびたび優遇されることもありますし」
「そ、そうか……」
いつまで続くんだろう。
このまま何千年も未来まで離反者が現れなかったら、教会へのマウラ家の忠誠心は本物だったことになる。
「ところで、リピカは中に居るか?」
「ええ。先客もおりますわよ」
「先客……?」
パウラさんと話して気持ちも朗らかになっていた俺だが、リピカに先客と聞いて、やや緊張感が高まった。
なにせ、あいつに来客なんて古い知り合いしかいないからだ。
案の定、そうそうたる顔ぶれがあった。
――五人の精霊たちである。
そのメンバーが集うのも200年ぶりだろうか。
真面目な風の精霊様や土の精霊様、水の精霊がいるのは珍しくないが、アウトローな性格をしている火の賢者や雷の賢者までいることに驚きが隠せない。
「……」
俺は目を丸くして立ち尽くしていた。
聖堂の重たい扉が開かれていることに気づいたリピカがこちらを見て、精霊様も俺に気づく。
世界の中心的な立場にある少女たち六人の視線が集まり、俺も恐々として固まった。
「えっと……タイミング悪かったか?」
「いえ、むしろちょうどいいわ」
リピカが答える。
「各地で増幅している【瘴気】のことよ」
俺は背中のバッグに意識が向いた。
そこには採取した【瘴気】が入っている。
精霊五人に話を共有するほどだ。
またしても世界規模の危機、なのか……?。
「――全国で多発的に観測されている黒魔力、どうも災禍の化身のものだけではないのよ」
俺は教会の長椅子に座り、リピカの説明を聞いていた。
「というと……?」
「女神が1000年前に開いた異界の門から、どんどん外宇宙の力がこちらに流れ込んできている。それが自然界のマナを食いながら増殖して、黒魔力に変化しているの。――外来生物が新天地で繁殖して、その土地に適合していくみたいにね」
「……」
息を呑む。
つまり、【瘴気】=災禍の化身という図式で考えていたものが、実は災禍の化身以外の【瘴気】も存在しているというのだ。
呼び出された精霊たちも俺と同じく独自の方法で【瘴気】を集め、それが判明した。
「じゃあ、俺が集めてきたこれも……」
「どれも『災禍の化身』の因子は感じない。他人ね」
長椅子に並べた魔方陣の束を見たリピカが首を振った。
「他人って。……じゃあ、この【瘴気】一つ一つが新たな敵なのか?」
「どうかしら。それはまだわからないけれど」
「のんきなこと言ってる場合かっ」
最悪、『災禍の化身』級の厄災が、無数に押しかけてきている状況ということだ。
悪の首魁が何人も登場するなんて嫌すぎる。
もしかしたら人知れずどこかで俺のように悲惨な目に遭っている人間がいるかもしれないということなのだ。
それは人類の守護者として見過ごせない。
「落ち着きなさい。アレは女神の謀略もあったからだし、その神ももういないから」
元女神であるリピカが言うのも変な感覚だ。
「新たに確認された【瘴気】はヒトのような高度な知能を持っていない。まだ、ね」
「まだってことは……」
「焦らないで。わからないことだらけなのよ。でも、もし【瘴気】に悪知恵が働くなら、こんな風に私たちに採取される前に姿を隠すでしょう? そうじゃないってことはきっと知能がないのよ。本能的に増殖しているだけなら、植物の種子みたいなものだと思うの」
「本能的に、か……」
新たな敵の登場――ってワケでもないのか。
少し安心した。
単調な動きしかしないなら、こちらも制御しやすいはずだ。
一方で当初の目的のことだ。
リピカがメトミス峡谷で採取してきた【瘴気】は『災禍の化身』の陰りを感じるって話だった。
俺の憂いを察したのか、リピカはあらためて話題を切り替えた。
「で、『災禍の化身』を封じる儀式だけど」
「一定周期で魔王を封印するって話だな?」
「ええ。今、その方法論について彼女たちと話し合っていたのよ。黒魔力には通常の魔力じゃ対抗できないことは覚えている? 確かあなたは昔、魔法大学で黒魔力の初期研究をしていたはずよね?」
「あぁ、よく覚えてるよ」
色は、そのまま魔力の性質をあらわすのだ。
黒はすべてを塗りつぶす色。
だから黒魔力は他の魔力も飲み込む性質を持っている。
「黒魔力を直接攻撃するためには古典的な魔術では無駄だった。魔力ごと飲み込まれて、そのままアレのエサになる」
リピカはそう言うと、司教座を離れて一人の精霊のもとに近づいた。彼女は金髪で、派手なパンクロック風な服を着る精霊の一人。
雷の精霊だ。
「ちょうどここに専門家もいることだし、ここから先は彼女に説明してもらおうかしら」
リピカは金髪ロック幼女の肩に手を置いた。
ティマイオスは不服そうに眉を顰めていた。
「あたしが話さなくてもよくない? 理論を説明する必要もないだろうし、表面だけ掠め取れば単純な話だぞ」
「いいから彼にもわかるようにお願い」
「はぁ~……。仕方ないね。元我が校の生徒だ。このティミーちゃんがわかりやすく、懇切丁寧に――」
〝そこで映像が乱れる〟
「――簡単な話さ。目には目を、歯には歯を」
〝おい、なんか映像の調子がおかしいぞ〟
〝地震でサーバーの接続が不安定なのよ〟
「黒魔力には黒魔力……すなわち【瘴気】さ」
〝地震ってなんだよ?〟
〝仕方ないわ。中断しましょう〟
◆
アガスティアの葉に映し出された映像の乱れが激しく、致し方なく映写を中断した。
「妨害が入ったわね……」
仮想アガスティアの書記であるリピカが、歯噛みしながら外を睨んでいた。
「なんだよ、妨害って」
「わからない? 外で激しい戦闘が起きてる。大樹もその余波を受けて枝葉が揺さぶられているのよ」
リピカの視線に合わせ、俺も天井を見上げた。
枝垂れの葉が揺れて白く光っていたアガスティアの葉が点滅を繰り返していた。
「わ……こ――なたも……――れないかしら」
「うん? 大丈夫か?」
リピカ自身もその点滅に合わせて体が二重にも三重にもブレている。
「私も所詮は仮想世界の住人だから」
諦観するようにリピカは言う。
忘れていたが、『パンテオン・リベンジェス・オンライン』に存在するリピカも仮想のアバターだということだ。
その運命は、この仮想アガスティアと密結合しているのかもしれない。
「外の騒ぎ……えないと、ストレージがダメ――ったら記録――……なくなってしまうわ」
リピカも体がブレて話が途切れ途切れだ。
でも、意味は伝わる。
「とにかく外で喧嘩してるヤツを止めてくればいいんだなっ」
俺はそう解釈し、階段を駆け下りていった。
人間兵器の始まりを知る貴重な情報だ。
このまま破壊されてたまるものか。
『33話 データベースは大聖堂に』『61話 アーセナル・ドック・レーシングⅢ』で登場しているパウラ・マウラさんは162代目となります。
次回更新は2021/10/1(金)22:00です。




