219話 仮想アガスティアの書記Ⅰ
「ちょっと待て、ケア――じゃなくてリピカ」
すたすたと壁の溝を階段のようにして上層へと向かっていく司書の女を追いかけた。
俺に続いて、シールも、ヴェノムも……致し方なくという感じでリリスも付いてきた。
「なに? 私、忙しいんだけど」
リピカはそう言いながら、吹き抜けの空洞に垂れ下がるシダのような葉の枚数を、人差し指で確認するように数えていた。
「書記っていうなら教えてほしいんだ」
「なにを?」
「えーっと……この世界のこととか、お前のオリジナルのこととか」
「はい失格」
「なんでだ!?」
リピカは足を止め、不機嫌そうに振り向いた。
「この世界って漠然としすぎよ。まさか天地創造から話せってこと? 昔々あるところに? ふ、バカバカしい」
鼻で笑い、また歩き始めるリピカ。
忙しさを背中でアピールするタイプのようだ。
なんかこのいけ好かない感じ、ガワの本体と同じ雰囲気なんだが、名乗られなければまるで見分けがつかない……。
「ねぇ、私にまかせて」
にべもないリピカに手を焼く俺の背をつついたのはシールだった。
シールは交渉事も得意な人間兵器だった。
任せてみようと思ってシールを前に送り出す。立ち止まって樹の内腔に向かって手をかざし、魔力のような白い光を照らし付けるリピカに、シールは意を決して声をかけた。
「こほん。リピカ、少しだけいいかな」
「うん? あら、懐かしい顔」
シールが親しげに話しかけたことに、リピカは反応がよかった。好意的に振り向いて笑顔すら見せた。
「もしかして私のことも知ってるの?」
「もちろん。あなたのご両親も、そのずっと祖先のエルフのことも――逆に、あなたの子どもたちがどうなったのかも知ってるわ」
「ん……? 子ども……?」
「……たち?」
両親のくだりより子どもの存在について驚いたシール。一方の俺は、それが複数形であることに驚いた。
「え、ちょっと待って。私、子どもがいたの?」
複雑そうな顔を浮かべるシール。
不意打ちをくらって、元々訊こうと思ったことが完全に抜け落ちたようだった。
俺の勘違いでなければ、その子どもたちのうち一人は『パンテオン』の中に潜入済みだし、さらに言えば、このアガスティアの大樹に向かっているはずだった。
「いる。二人とも元気よ。父親と一緒で不老不死だし」
リピカは悪戯っぽく俺を一瞥した。
間違いない。やっぱりロアのことだ。
「それって、いつの話……?」
「初子は教暦999年生まれだから現時点の教暦から計算すると6667年前ね。二人目は1007年生まれで6659年前。――って、この情報必要?」
「必要っていうか、その、ビックリして……」
シールは空いた口が塞がらず、目を瞬かせた。
人類に兵器扱いされていた自分が、そうなる前まで誰かの母親だったのだ。
驚かないはずがない。
「口で説明するのが面倒だわ。興味があるなら当時の記録が閲覧できる場所を教えるけど? ただし、今のあなたにとって受け入れがたい不都合な真実があったとしても責任は負わないけれど」
リピカの応対は機械的だった。
その容赦なさは書記というより記録媒体という呼ばれ方が相応しい気がする。
シールは気が動転したように、視線を俺に向けて、その後にアガスティアの枝垂れの葉に向け、さらにリピカを見て、また俺を見た。
「うーん……どうしよ……」
「シール、無理しなくていい。変なことで心が惑わされるのはよくない。何より、シールは今のシールのままでいることが大事だ」
「そうだよね……。ごめん、ジャック」
シールが目を伏せて謝った。
俺は首を振ってシールの謝りを拒んだ。
きっと交渉ごとならと意気込んで話しかけたはいいものの、あまり力になれなかったことを悔いているんだろう。
ショックを受けて当然だ。
一度はソードと家族ごっこまでするほど、家族の形を求めていた人間兵器だ。
そんな彼女が、過去を遡れば本物の家族がいたと知ってしまった。両親のこと、子ども二人のこと、そして一度は愛を育んだ相手のことが気になっているのだろう。
当然知りたいという気持ちが湧くだろうし、それを知ったことで自分がどうなるのか不安という葛藤もあるだろう。
俺たちには永遠の時間があった。
それに何度も記憶を消されたことで、自分すら知らない自分がいる。
それを気負う必要も、無理に受け止める必要もないんだ。
「へぇ、〝ジャック〟ね」
シールを困惑させた張本人のリピカは、興味深そうにその名を口にして俺を見ていた。
「なんだよ?」
「いえ、たった今、仮想サーバーをチェックしていたら、アガスティアの葉の一筋で不思議なことが観測されたの。けれど、今あなたがそう呼ばれているのを聞いて納得したから」
「……?」
俺は顔をしかめ、リピカは不敵に笑う。
その対峙はソードとケアの対峙のときとまるで同じだった。俺という存在はどこまでもこの薄紫色したふわふわの髪の女と相性が悪い。
シールは葛藤を鎮めるために、仮想アガスティアの下層で休むことにして、階段を降りて、壁に背を預けて座り込んでいた。
一方のヴェノムは名乗りを上げて、ぜひ自分の過去を知りたいと宣言した。リピカは俺たちへの情報開示については吝かではないようで、ヴェノムに、彼の過去が記された葉の場所を教える。
もちろん、リリスの過去も。
ヴェノムはリリスを連れてその葉が存在するという場所を目指してずんずんと歩いていった。
果てしない枝垂れの葉の数々から、自分の過去を探すのは至難の業な気がする――。
「あなたも過去の全てを知りたいのよね?」
「そうだが……急にノリ気だな? さっきまで鬱陶しそうにしてたくせに」
一応、警戒の意思表明をしておく。
「言ったでしょう? サーバーチェック中に変なプロットを見つけたのよ。それがちょうどあなたの運命線で、せっかく本人がいるんだから照合しておこうと思ったのよ。言うなればこれは仕事の一環。どう? ちゃんとデキる女っぽいでしょ。わかったらその敵意バリバリな目で見るのはやめてくれないかしら」
「しょうがないだろ……。ちょうどおまえっぽいヤツに騙されたばかりなんだから」
俺はいじけたように言うと、リピカは心外とばかりに眉尻を下げた。
「あのね、私のようにカワイイの塊みたいな存在は人類史に五人だけ。そのうち現存してるのは四人。その程度なら混同せず分別できるでしょ。片手で収まる数よ?」
リピカが手を開いて突き出した。
「どうやってだよっ! 全部同じに見える!」
「生身が長すぎて認知機能が下がった? 残念。仕方ないから解説しようかしら。昔のよしみよ」
「なんか不服だが、解説はぜひお願いしたい」
なにせ、俺も自分自身の新事実が次々発覚して混乱しているというのに、ケアにもケアの事情があって頭がこんがらがってきたからだ。
リピカは溜め息をついて気怠そうに話した。
「うーん。どこから話せばいいかしらねぇ。詳細に話す必要がないことは省くわ。
――まず、この容姿のオリジナルっていうと、実は書記でも女神でもなくて、とある新興教団で偶像として扱われていた亜人の女の子がルーツなのよ」
「そうなのか? 元はヒトなのか、おまえは?」
「ううん。ガワだけ借りたの。その亜人の女の子は普通の子として生涯を全うしたわ。――それが一人目」
リピカは人差し指を立てる。
生涯を全うしたってことは、現存している四人には、その女の子は含まれないんだな。
「次はあなたを騙したっていう女神ケアね。邪神とも呼ばれてるけど、これがその亜人の女の子のガワをコピーして現世に受肉した神。このゲームを造ってあなたを引き込んだのも、きっとこの女神ケア――正式名はケア・トゥル・デ・ダウ」
「……トゥル・デ・ダウ?」
「海と魔力の女神、という意味よ」
「海……【潮満つ珠】……?」
「魔素の話は余裕があったら紹介する」
リピカが指を二本立て、女神ケアを加えた。
「その神が、今俺たちが戦ってる敵なんだな?」
「うん……多分」
「多分? 多分ってなんだ?」
「女神は消滅したのよ。あなたが倒した。――厳密には、ロストと呼ばれていた頃のあなたが」
「俺が……?」
「そう。それこそ災禍の化身と呼ばれた大魔術師と一緒に女神も倒した。災禍の化身は――あぁ、知る必要もないか」
それはリンピアから聞いている。
確かプリマローズの原型となった存在だ。
その〝災禍の化身〟の因子を発散させるための儀式として、魔王と勇者の戦いが繰り返されるようになったとか。
「災禍の化身を裏で操っていたのはケアだもの」
「なるほど。じゃあ、プリマローズのルーツであるその災禍の化身ってヤツも、ケアの良いように遣われてたのか?」
「まぁ彼も野心家だったけどね」
彼――というのは、俺があのゲームモニターのある空間で見かけたソードに似た誰か――プリマローズの一部である男だろうか。
それが災禍の化身。
プリマローズとケアは、遙か昔に共謀していたということになる。
「現代でケアが暗躍してたってことは、以前の俺が倒した女神が、生きていたってことか?」
「そんなはずない。絶対に消滅した」
「じゃあ、あいつは誰なんだ!? あのケアって名乗ってる女は……!」
俺は自分自身の大声で気づき、口を押さえた。
仮想アガスティアの内部では声が響く。
「それを残りの三人から考えてみてほしい。――三人目がこの私、リピカ。書記よ」
リピカは指の三つ目を立てた。
「お前はどういう存在なんだ?」
「経緯を話すと複雑だから省く。ただ、女神の思念体が一旦、体から分離して抜け殻になった女の子――の成れの果て、とだけ伝えておくわ。アーカーシャ・レコードの担い手であり、書記を名乗ったのもそれがきっかけね。実は五人の中で一番あなたとの付き合いが長い」
「へぇ……そんな親しみやすさは感じねえが」
「それはあなたの偏見でしょう」
ケアはやれやれという風に肩をすくめた。
「四人目と五人目はあなたも知ってるはず。人間兵器五号、そしてDB」
リピカは指を連続で四本、五本と立て、ついに手がパーになった。
「人間兵器五号は当然知ってる。もちろんDBもな。でも、その二人は同一人物だろう?」
「その二人が同一人物っていうなら――」
リピカはパーになった手を再び逆に閉じていって、人差し指と中指の二本だけを残した。
「この最初の二人しかいなくなる。厳密にいえば女神も書記も五号もDBも、みーんな同一人物みたいなものよ」
「DBは、五号が現代でそう名乗ってただけだ」
「ふーん。果たして本当にそうかしら?」
「……違うのか?」
リピカは自分の存在のカウントに使っていた手とは、逆の方の指をくるりくるりと糸を巻き付けるように回す。
すると、内側の空洞から一本の枝葉が蔓を伸ばしてきた。リピカがそれを掴む。
「特別に少しだけ見せてあげる」
シダのように枝から垂れて生えるそれぞれの葉が突然輝き、光のオーブを浮かび上がらせた。
オーブの一つ一つに、水晶占いのような映像が浮かび上がる。そこには幾重にも重なるケアっぽい人物の生涯が映像として流れていた。
演劇の舞台のようなところで歌を歌う、ケアっぽい容姿の女の子。
月を見上げるケアのような女の子。
俺らしき子どもと一緒にいるシーンもある。
大聖堂の司教座の前で堂々と立つ姿や、リピカのように司書みたいな服装で本を読んでいる姿も見られた。
他にも、魔王に挑む白衣の人間兵器ケア。
金属の箱の中で、ケーブルに繋がれて寝たきりになっているDBもいた。
――同じ少女なのに、様々な一面がある。
「万華鏡みたいでしょう? 時代、立場、角度を変えれば同一人物でさえ別人になる。あなたも同じよ。他の人間兵器もね。リアルの方がよっぽど役割演技してると思わない?」
――まぁ、あなたの話はこの後でね。
リピカはそう付け足して不敵に笑うと、見せたい場面をクローズアップするように指を手繰らせ、アガスティアの枝葉をまさぐった。
「見てほしいのは、ここ」
映像が拡大されて、光に飲み込まれそうになるほど周囲を埋め尽くした。
その光のオーブに映し出された映像は、鬱蒼と生い茂る森の奥地にある小屋から始まっている。
リピカは回想に耽るように目を閉じ、やや上層を仰ぎ見るように顔を上に向けていた。
「ああ、この場面……印象深いわ。何せ、この瞬間まで私はリピカ・アストラルとして現実に存在して、そして人間兵器五号になろうとしていた」
「五号に、なろうとしていた……?」
〝あの女、どうにも俺の知るケアと違う〟
ふと、ロアが言っていた言葉が頭に甦る。
〝もしあのケアが正真正銘の女神ケアだったとすると、逆に俺やあんたが知るケアの方が紛いものだった可能性が高い〟
「リピカ……もしかして、お前が本物の五号?」
問いかけると、リピカは仄かに微笑んだ。
その笑顔がひどく邪悪さのないものだったから――。
〝DBと名乗っていた女、人間兵器のケア、それらは女神ではなかった可能性がある、ということだ。そして俺が知るケアという女も、昔はリピカ・アストラルと名乗って教会の司教を務めていた〟
ロアがすでに証言していたことだ。
リピカ・アストラルが人間兵器五号の原型。
――俺はようやく目の前の女が、一番最初に旅を共にした仲間だったのだと確信した。
「はぁ……」
リピカは俺の問いかけに否定も肯定もせず、ただ、諦念を含んだ溜め息をついた。
そして自嘲気味に続けた。
「私、ずっと敗北ヒロインだったし、白魔導師ってメインヒロインっぽいでしょ? だから、少しだけ憧れていたのよ。でも引いた魔素が外れだったみたい。……悪役ばかりやってきたからそのツケだったのかしらねぇ」
突然に見せたリピカのそのウィットな態度が、現実世界にいたDBの雰囲気そのものだった。
リピカが見せた記録は、人間兵器の原点。
人間兵器にとって一番最初の魔王討伐、その前日譚だった。
最初は鼻で笑ったくせに、結局、律儀に教えてくれるらしい。
昔々あるところに――。
そんな昔話を。
次回更新は2021/9/27(月)17:00です。




