218話 クレアティオ・エクシィーロⅢ
巨大ミミズ部屋(勝手にそう名付けた)を出てから、シールとリリスと合流し、アガスティアの大樹に侵入することにした。
盛り上がった根元から内部に侵入できた。
外から見たときは中が真っ暗だったから、灯りでも持ってこないと何も見えないかと思ったが、その必要はなかった。
中は、まるで吹き抜けの集合住宅のように、遙か上まで空洞が続いている。
そこからヤナギの葉のようなものが、仄かな青白い光りを放ちながら大量に垂れ下がっている。
それはもうみっしりと……。
「これがまだ倒れる前の大樹か」
俺も初めて見た。
四人揃って、そんな幻想的な風景に目を奪われてしばらく呆然と見上げていた。
「伝承によると、それぞれの葉っぱに人間一人分の運命が綴られてるって話だったか」
ヴェノムが感嘆の息を漏らしながら言う。
しかし、その先を想像したのか、げんなりしたように肩を落とした。
「――ってことは、アレを一枚一枚調べていかないと、どの葉っぱに目的の情報が記されてるかわからねぇな」
それは骨の折れる作業だ。
俺たちがわざわざここまで来たのは、今やこのゲームの首魁となったケアについて調べるためだった。
「手分けして探そっか……」
シールがまた天井を探して溜め息をついた。
樹の内部は、天井が見えないほどヤナギの葉が密集してぶらさがっている。
内側の壁に溝があって、一応、登れるようにはなっているみたいだ。そこを目で辿ると、葉っぱの数にうんざりしてしまう。
リリスはとてとてと壁の方まで歩いて、周囲を見渡した。
「こんな膨大な情報だったら検索ボードくらいあるんじゃないのよ? ほら、こっちの隅の方とかに。さすがに手当たり次第は非効率っしょ」
と、現代人らしい発想でショートカットの手段を探し始めた。
壁を手でなぞり、それらしいものを探そうとするリリス。そんな便利なものがあるならいいが、アガスティアの大樹は古代エルフが暮らしていた都市の一部だ。
その再現した姿がこれだとすると、現代文明のような便利なツールがあるとは思えないが……。
俺とシールは分かれて壁面の溝から天井を目指して登ろうとし始めたとき、
「――ひゃあ!」
突如、リリスが悲鳴を上げた。
ヴェノムが「どうした」と言って慌てて駆けつけ、離れ離れになっていた俺やシールもそちらに目を向ける。
一番下層の壁を調べていたリリスだが、なぜか尻餅をついていた。
どういうわけか、リリスが怯えて見つめている壁に、四角く切り取られたような縦長の穴が空いていた。
まるで扉が開いたかのように。
「ってて~……」
「なにしてんだよ。ったく」
ヴェノムの手を取り、リリスが起き上がる。
「ありがとう、ベム。いや……そこの壁が急に開いて……」
リリスが恐る恐るその壁を見やる。
開いた壁の方から、誰かが徐ろに姿を現した。
カツンカツンと小気味いい足音を鳴らし、暗がりから現れたのは、なんと大きなブローチにリボン、正装を身に纏った司書のような姿の――ケアだった。
「なっ……!」
最初に反応したのはヴェノムだった。
戦闘の構えをとり、即座に得物を用意した。
俺もすぐ『紅き薔薇の棘』を出せるように、蔓を伸ばす――。
突然あらわれたケアは、そんな俺らをつまらなそうに見やり、欠伸をして、背伸びをした。
「ふぁ~~……」
口元に手をやって、そして呟く。
「はぁ。――また悪者してるのね、私」
肩をすくめ、まるで邪悪さを見せない惚けた言葉に一瞬惑わされそうになるが、相手はケアだ。
さんざん騙されてきたし、もう懲り懲りだ。
「はいはい。倒したいなら倒したら? 私が何を言ったって、胡散臭く聞こえるんでしょう? 悪役には慣れているから大丈夫よ。どうせ仮想世界で死ぬことはないんだし」
ケアがくるりと体を回転させて後退すると、壁面に背をぴたりとつけて両腕を伸ばした。
煮るなり焼くなりどうぞお好きに。
――そう言わんばかりに。
「……」
ヴェノムが俺に目配せした。
これは判断に迷う。
その司書ルックは『パンテオン・リベンジェス・オンライン』で現れたケアの姿そのもの。
出で立ちもバーウィッチの図書館で出逢ったときのままだ。そこから一緒に旅をして、魔王城までナビゲートされ、そして最後に本性を見せた。
今そこに現れたケアは、謂わば二番煎じ。
同じ手で取り入ろうなどと考えるだろうか?
いや、裏を掻いて二度同じことをして近寄ろうとした可能性も……。
「だぁああ、わかんねぇえええ」
もうあのガワをした女のことを必ず白い目で見てしまうように先入観が刻み込まれてしまった。
「ふふふ、ここですぐ攻撃してこないところが、やっぱりあなたらしいわね」
ケアが俺を片目で一瞥してからそう言った。
「……おまえは、ケアなのか? もうかれこれ第二、第三のケアっぽいヤツが現れて、こっちもワケがわかんねぇよ」
まぎらわしいから増えないでほしいものだ。
「第二、第三はあなたの方でしょう?」
「なにぃ……?」
「ジャックにロスト、それからソード。あぁ、ジェイクなんて名前のときもあったかしら」
ケアらしき謎の女が不敵に笑う。
自分すら知らない自分を知られているのは、気味が悪いものだ。
「俺の過去を知ってるんだな」
「もちろん。ころころと名前と役割を変えて生きる無名の戦士。それがあなた」
「じゃあ、おまえは誰だ?」
「自己紹介に意味はないだろうけど、あえて名乗るならリピカ。――リピカ・アストラル」
その名前はロアの口から聞いた気がする。
俺は警戒を解きつつあった。
ケアと違う名前を名乗ったことに安心したわけじゃないが、ここで戦う意味を見出せない。
饒舌なところはケアもリピカも変わらないようだし、騙されたフリをして情報を引き出すのも悪くない。
「それで、リピカはここで何をしてるんだ?」
「リピカというのは〝書記〟という意味なの。世界の運営には記録係が必要で、古来から世界の顛末を綴る記録媒体がどこかには必ず存在するのよ。――『アーカーシャ・レコード』、『アガスティアの大樹』、そしてこの『仮想化アガスティア』ね。私はそれぞれの媒体で記録係を担う書記」
「仮想化アガスティア……?」
「ゲームというソフトウェア内に構築された仮想データサーバーだから、そう呼ぶの」
やっぱり、ここはデータサーバーだった。
仮想化とか言われてもよくわからないが、イメージとして結局は記録媒体ということだろう。
「ちょうど今、メンテナンスが終わって私も再起動されたところよ。またプレイヤーが遊び始めてメモリも積み重ねられるから、私が呼び出されてお仕事の始まり始まり~、ってこと……。はぁ」
メンテナンス終了――。
ついにか。他のプレイヤーも遊び出すということは少し面倒な事も増えそうだ。
「そのメンテナンスっていうのも、男性プレイヤー向けの監獄塔マップのボスデータが破損しちゃったから、新たに別のボスサキュバスを用意し直したみたいなんだけどね~」
リピカは正面で唖然として突っ立っているサキュバスを見やった。
「でも、お役御免で良かったわね、リリス」
そんな気遣いの言葉すら向けていた。
リピカはリリスにウインクして、また俺やヴェノム、シールに目を向ける書記。
そして短く溜め息をつくと、こちらの戦意喪失を感じたようで、回れ右して彼女は歩き出した。
「そういうわけで、私の姿にそっくりの誰かさんが、またまたまたまた……もう何度目? 懲りないわね。まぁその誰かさんが悪事を働かせていたとしても書記である私には無関係。手に汗握る熱い戦い、気の抜けない騙し合い、死線をまたぐ駆け引き――そういうむさ苦しくて泥臭い世界を、一歩引いたところで書き留めるのがこの私だから」
リピカは涼しい顔して壁面の溝から樹の上――仮想化アガスティアの上層へ向かっていった。
当然、俺はあとを追いかけた。
ここには自己紹介を聞きに来たんじゃない。
この樹とリピカの役割を説明されても、さらにわからなくなったこともある。
ケアの狙いとか、巨大ミミズ部屋の意味とか。
そして結局このゲーム世界を動かしている目的は何なのかってことだ。
次回更新は2021/9/24(金)17:00です。




