215話 いざ、アガスティアの大樹へ
ビキ――。
頭が突然真っ二つに割れて、体の中からクロアゲハが羽化する。
ビキビキ――。
器が壊れてどす黒い成虫が飛び出した。
黒い鱗粉を散りばめて、それは大きく羽根を広げて飛び立ち、空の彼方へと飛翔する。
見るに、その羽根の筋では宇宙を見上げたときのような星の瞬きが映し出されていた。
その宇宙を映した蝶の羽根を見て、気づく。
――あぁ、そういうことか。
これは俺に与えられた唯一の戦略だ。
選択肢はただの一つしかない。
その最終地点は確実な〝死〟である。
おかしいな。
生き残るために必要なことをしているはずなのに、そこに向かって進めば進むほど、自らの身を蝕むなんて……。
――否、諦めてたまるか。
すべては自由を求めて始めたことだ。
何か成すために代償を伴うのが摂理だとして、その摂理さえ覆す方法を見つけてやる。
奇跡はどこにだって眠っているんだ。
「おい。聞いてんのか?」
「……」
「おーい。ソー……じゃなかった。こいつはなんて呼ぶんだっけ? ジョンだかジョーだか。犬みたいな名前だったと思うが」
「犬はあんたでしょ、ベム」
「うるせえ!」
ぼんやりと現実に戻される。
「ジャックにした。名無しの魔族っぽくていいでしょ」
「おう、そうだった。――名無し」
新しい名前を呼ばれて意識が覚醒する。
今見ていたものは、白昼夢のようなものか。
「ジャック!」
「ん……、うん?」
「大丈夫か、こいつ?」
ヴェノムが俺の顔をのぞき込んでいた。
といっても、今のヴェノムは髑髏面の代わりに両眼帯をつけているから、覗かれたというより、ただ顔を近づけられただけのような感じだが。
「疲れてるんだよ。ただでさえ立て続けに戦闘だったし、今も……ね?」
「優しいんだな、シール」
俺を庇うようにシールは背中に手を添えた。
ヴェノムはその手を見て、訝るように尋ねた。
シールは川のせせらぎのようにたなびく青い長髪を耳にかけて、そのいじらしい視線から顔を背けた。
「……だって、私が彼を生み出したようなものだし、不思議な感じだけど、家族みたいな感覚」
「家族ねぇ」
ヴェノムは両手を後頭部に回して、空を仰ぐ。
「それなら夫婦より親子って表現が正しいか」
「まさか。家族は家族。それでいいでしょ」
「……まぁお前らの関係は特殊だからな。オレも人のことは言えねぇし」
ヴェノムは、端で足を投げ出して座り、遙か下にある地面を興味深そうに俯瞰するリリスを、ちらりと一瞥した。
人間兵器にも理性があり、感情がある。
数千年に及ぶ人生経験が孤独に対する疑念をもたらし、他者を愛する者や、家族ごっこをし始める者や、パートナーと行動を共にする者も現れたのだ。
その結果が今の俺たちだ。
「アーチェとメイガスだってそうだ」
ヴェノムが愚痴るように名前を挙げた。
あの二人を取り逃したことは残念だ。
もう少しで『紅き薔薇の棘』の力で、正気に戻すことができたというのに――。
そうすれば、今頃あの二人も俺たちと行動を共にしていたかもしれない。
「こら。その二人のことは、今は触れないの。乗せてもらっておいてさ」
シールがヴェノムを諫めた。
俺は気にしてないのに、少々過保護だ。
見た目が子どもになったからだろうか。
それを言えば、今のシールだってだいぶ幼く見えるんだがな……。
「気遣いなんて要るかよ。オレとこいつの仲だ。なんだかジャックって呼び名も、ずっと昔からそう呼んでるような気すらしてきたぜ」
「もうっ! ヴェノムはちょっと節度がなさすぎるよ。ジャックは優しいから何も言わないけど」
シールがあまりにも俺を気遣うので、そろそろこっちも会話に加わりたくなってきた。
「シール」
「どうしたの? 少し休む? さっきからずっと動きっぱなしだし」
「いや……」
シールの言う通り、俺は魔素を使いすぎだ。
今、ヴェノムとリリスをピックアップして、そして俺とシールを含めた四人で【擬・飛翔鎧】の上に乗って、空を飛んでいる。
憑依のシールが装着型魔素として使っていたときとは異なり、俺が造りだす【擬・飛翔鎧】という戦闘機は、『紅き薔薇の棘』を大地に突き立てることで召喚する。
つまり、俺はこの戦闘機を剣柄を握りしめた状態で操縦している。
シールやヴェノム、リリスは便利な魔法の絨毯に乗るように、その上に座っていた。
快適な空の旅である。
「人間兵器だったときと違って、魔素を使っても疲れを感じないから平気だ」
「そうなの? それもそれで奇妙ね」
「剣を介して強奪したからなのか、ゲームのNPCだからなのか、魔王の特性なのか、よくわからないけど、まぁそんなことはどうだっていいっ」
実は、力を酷使するたびに、黒い蛹が羽化するビジョンを見ているのだが、それを言えばまたシールが心配しそうだし、そのビジョンの正体を俺自身もなんとなく理解しているので、とりあえず置いておく。
「今は休んでいる場合じゃないんだ。ロアとリンピアに追従する形になるけど、ケアを倒す方法を探るためにも『アガスティアの大樹』に急ぎで向かう必要がある」
「うん。わかってるよ」
シールは憑依から解放されてからというもの、俺との会話が快活だ。
迷いが吹っ切れたような印象があった。
「だったら俺のことは気にするな。もう油断できない。ケアだって次にどんな罠をしかけてくるかわかったもんじゃない」
「はぁ……。やっぱりあなたはあなただね」
俺が進行方向に向き直ると、シールは背中から俺を包むように抱きしめてきた。
「無理しないで、私には甘えていいんだよ」
「わぁー! そういうのやめろー!」
顔が熱くなるのを感じて、咄嗟に俺はシールから奪い取った【護りの盾】を展開して、背後から抱きついてくるシールを押し返した。
「えぇ~。ひどいな、もう」
「よくそんな小っ恥ずかしいことできるなっ」
「うーん。なんか想いを打ち明けたら、吹っ切れてどんどん表に出ちゃうようになっちゃった。ダメかな……?」
「ダメじゃないが、えー、その……」
俺の相棒はこんな情熱的な人だったのか。
知らないシールに出会えたような気がして嬉しい反面、その一方、対ケア攻略で躍起になる自分が、その浮かれた空気を受け入れない。
もしここで、あのGameOver画面に戻れば、プリマローズは何と言うだろうか。
ゲームだから楽しめ?
妾という女がいるじゃろう?
どっちにしろ今は何も口を刺されたくない。
というか、このやりとりも全部見られてるんだよな……。
地団駄を踏む魔王の姿が目に浮かぶ。
「お二人さん、お熱いのは結構だが……」
ヴェノムが言いづらそうに割って入った。
「アガスティアの大樹に行って何になるんだ? そもそもここは『パンテオン・リベンジェス・オンライン』っていうゲームの中だろう? 都合よく古代の大木も一緒に再現されてるとは思わんがねぇ」
「そうだな……」
ヴェノムも『アガスティアの大樹』の存在は知っている。だが、現代に復活した俺がなぜ記憶を引きずって戻ったのか、ちゃんと理解していないのだ。
「ヴェノムにはちゃんと話しておいた方がいいかもしれない。アガスティア・ボルガのこととか、今の俺が誰なのかって話を――」
正味、俺自身も俺が誰なのかよくわからない。
その答えが『アガスティアの大樹』にあるような気がする。
その意味では、対ケア作戦のためというより、個人的な期待があって向かっていた。
でも、あのロアがわざわざ探しに行ったのだ。
存在するという根拠はあるのだろう。
俺が誰なのかも疑問だが、あの〝ケア〟が何なのかということも、きっとアガスティアの大木が存在しているなら、わかるはずだ。
俺はヴェノムに伝えることにした。
「アガスティアの大葉の性質は知ってるだろ」
「まぁな。万物創造から未来永劫が綴られた葉なんだろう? 古代エルフの暮らしていた大木で、葉の一つ一つに人間全員の運命が記されているとかいう――」
俺も魔王討伐時代の当時、七回目の覚醒から記憶消去を回避する目的で『アガスティアの大葉』を探した。
そのときヴェノムの協力も取り次いだように覚えているが、今のヴェノムはそのときの記憶が消されているから、知りもしないだろう。
「俺はその葉を利用して魔道具を造った。シールと一緒に。人間に利用されるのが嫌になって……自由が欲しかったんだ」
「へぇ、そんな裏技があったのかい。――あ、そういえば九回目の魔王覚醒のときだったかな? なぜか一号がいねぇって当時の王家に言われて違和感を覚えたな」
「あぁ。それがすべての始まりたった」
振り返れば、複雑な話だ。
記憶のある人間兵器と、記憶のない人間兵器。
あのときからその二勢力に分かれ、アークヴィランの魔素に対する耐久レースに差が生まれた。
もう今さら隠すことでもない。
ソードという男が――今、敵対している憑依化した人間兵器一号がなぜ生まれたのか。〝俺〟とあいつは何が違うのか。
すべて『アガスティア・ボルガ』が鍵となる。
これからあの男に挑むためにも、それについて語っておかなければいけない。
次回更新は2021/9/20(月)17:00です。




