213話 ◆夢魔への憧れⅡ
メイガスは端正な顔立ちの優男だ。
昔から感情を剥き出しにすることはなく、魔術探究の果てに極端なことをする癖はあったが、他者を気遣う優しさを持っていた。
そんな男が、憑依になったらどうなるだろう――。
ヴェノムは茂みの中から、林の木陰で片手を掲げるメイガスを観察した。
それはメイガスの魔術の構えだ。
さっきの交渉では見せなかった戦意。
荒事に持っていく気まんまんだ。
リリスのふざけた態度が効いたのだろうか。
あの男、振り返れば自分のペースというものを大事にする性格だった。リリスのような、会話の順序を滅茶苦茶にする破天荒な女は苦手なのだ。
「ありゃ奴さん、ちょっと頭にキテるな……」
「あたしがやらかしちゃったせい?」
小声で不安を吐露するリリス。
そんなリリスにヴェノムは屈託なく笑った。
「いや上出来だ。さすがオレの見初めた女だ」
「ベロのオレ様ムーブはちょっとムカつくけど、褒められるのは悪くないのだわ」
リリスはヴェノムに負けじと、ニカっと白い歯を見せた。
「でもリリス、良かったのか?」
「なんのことよ?」
「あいつの話、聞いてただろ……? リアルでのおまえは――」
なんて伝えればいいのか分からなかった。
ヴェノムの口から、リリスが湿地生まれの貧乏人で、貧しい生活を送っていたみすぼらしい少女だったなんて言えたものじゃない。
リリスは本当はただの人間で、サキュバスへの憧れで風俗街に身を置く少女なのだ。
その現実を本人はどう思うかわからない。
「ま、何があったってあたしはあたしなのだわ」
リリスはあっけらかんとしていた。
「ここがゲームの世界で、あたしはゲームのキャラクターじゃなくてちゃんと中身のある人間だってことも聞いた。でもね、それが何だって言うのよ? あたし自身がサキュバスだって言うなら、あたしはサキュバスよ。誰が認めなくてもね」
形に拘っていたのはヴェノムの方だった。
「へぇ、殊勝なこったな。感心したぜ」
リリスは胸を張り、控えめなバストを明け透けに強調する。
「ふふ、まぁね。……それに」
「それに? なんだ」
ヴェノムは、途端に言い淀んだリリスを気にして顔をのぞき込む。
「ううん! 内緒!」
「なんだよっ」
「乙女に秘密はつきものだわ。話すもんですか」
「くっそ、可愛げのねぇ……!」
「あの男を出し抜いたときに話すわ。ベロにはあたしを守ってくれた恩もあるし。とにかく、気にしなくていいの。生き方は他人に決められるもんじゃない。あたし自身が決めるの」
まるでヴェノム自身が言いそうな台詞だ。
リリスが同じ考えなことに安心して、少し迷いが生まれていた自分を、ヴェノムは恥じた。
「そうとくりゃ、オレも迷わねえ」
ヴェノムは【焼夷繭】を三個生成した。
あとは腰に携えたお飾りの長剣で、どこまでハッタリをかけられるかだった。
メイガスは、やはり気配を探知しているのか、ヴェノムとリリスが隠れている茂みまで真っ直ぐ歩いてくる。
なぜヴェノムの所在を把握できるのだろう。
そこが勝機の分け目になる気がする。
最悪、リリスにこの飛び道具を渡して、不意を突くやり方もできるが――。
そのとき、メイガスが急に驚いて空を仰いだ。
何を驚いたのか、ヴェノムもその視線を辿って空を仰ぐ。すると空には――。
「うげ」
空を飛ぶ黒い物体が見えた。
それは憑依に堕ちたシールが、このゲーム世界で手にした鎧の別形態だった。
戦闘機のようなフォルムで、機銃が胴体の底から伸びているのも確認できる。
「くっそ、ここでシールかよ……っ!」
ヴェノムは舌打ちした。
メイガスとアーチェならまだ騙し討ちと心理戦で出し抜ける可能性はあった。そこにシールまで加われば、その可能性も限りなくゼロになる。
「待って、ベロ。なんか様子が変だわ」
「ん?」
リリスが、メイガスを指差している。
メイガスは腑に落ちない様子で空を仰ぎ、困惑のあまり眉間に皺を寄せている。
「あの空の女の子、仲間のはずでしょう? なんであんな顔するワケ?」
「確かに……な?」
その違和感に気づいた直後、空からその戦闘機が急降下してきた。
機銃が火を噴き、林の中に銃弾が降り注ぐ。
それはヴェノムに向けられた攻撃ではなく、メイガスを狙ったものだった。
「なんだ!?」
墜落するかのような勢いで黒い戦闘機は、メイガスに飛来した。
「シールの気配がしない……!?」
メイガスが叫ぶ。
ゴォォオオオという轟音が鳴り響く中、メイガスは苦い顔を浮かべて指をパチンと弾いた。
すると宙に亜空間への扉【転移孔】が開く。
戦闘機は地面に不時着し、その機体は土を掘り返すように抉りながら地滑りしていた。
戦闘機は吸い込まれるように孔の中へと滑り込んでいく――。
「な、んだって……?」
メイガスが困惑を口にする。
黒い戦闘機の機体には、二人組の誰かが剣を突き立てて、それをハンドルのように握りながら乗っていた。
【転移孔】を介して黒の戦闘機――【擬・飛翔鎧】はメイガスの居る地点を、透明のトンネルをくぐるように通り過ぎた。
その刹那の瞬間、機体から乗っていた二人組が飛び降りた。
それは平凡な旅装姿の青髪の少女シールと、
「ソード……!?」
現実世界の姿そのままの剣の勇者。
コンバットスーツを着て、暗黒に堕ちた雰囲気をまるで見せない清浄なる剣士が、紅い剣を携えて着地した。
ソードは【狂戦士】の憑依に堕ちたはずだ。
そんな通常の姿で現れるはずがない。
「いや、違うっ」
メイガスは身を仰け反らせながら分析した。
突如として現れた、居るはずのない剣士が紅い曲剣を振りかぶる。
奇襲を狙ったのだろう。
メイガスの胴体に横一閃に剣が振るわれた。
同時に、剣士の体はバチバチと紫電を飛び散らせ、化けの皮が剥がれ落ちるように内部の黒い影を曝け出し始めた。
その変装の効果は一時的――。
皮が剥がれ落ちるその様子は、青髪の盾兵が得意とした魔素【蜃気楼】のそれ。
「…………ッ!」
剣が振るわれる。
メイガスはバックステップで躱そうとするも、その剣先が腹をかすめた。
剣士の皮が剥がれ、そこにいた黒い影は、ただの少年になった。
それは先ほど林道で対峙した黒い魔物だ。
「キミは……! その変装……!」
「伸びろ!」
メイガスの腹部をかすめた剣先から、植物の蔓のようなものが伸びる。
その蔓に触れたら最後だ。
何か致命的な脅威に晒されると直感で判断したメイガス。蔓を避けようと、そのまま仰向けに倒れようとしたが、間に合わない。
棘だらけの蔓に捕まり、腹部に植物の蔓が突き刺さった。
「ぐっ……」
「やった!」
メイガスにまとわりついた棘だらけての蔓が、体から〝養分〟を吸い取ろうと蠢き始める。
「…………っ」
メイガスは呻った。
――直後、隕石のような巨大な球が飛来する。
メイガスと黒い影をまとう少年の間を、その火球を通過した。
蔓を焼き切り、二人の間合いを引き裂いた。
アーチェのサポートだ。
「くっ、ちくしょう!」
悔しがる少年。
メイガスは、アーチェに感謝しつつ、黒い魔物から間合いを取った。
「う、うぅ……何をした……?」
メイガスは腹を抱えて喘ぐ。
着実に何かを吸われた。
その正体不明の攻撃は、メイガスの頭脳を持ってしてもこの状況を解釈しきれない。
黒い戦闘機として飛んできた物体は、シールではなかった。
そもそも人ですらなかった。
少年が作り出した〝幻影〟のようなもの。
――【擬・飛翔鎧】の模造品。
それよりも驚いたのは、シールがその戦闘機に少年と一緒に乗っていたのに、メイガスはそれがシールだと気づけなかったことだ。
少し前までシールの行動は手に取るように見えていたのに……。
「まだまだぁ!」
黒い少年は猪突猛進で間合いを詰めてくる。
ついさっき対峙したときと、その気迫は雲泥の差だ。
一体、何が起こっているのか。
メイガスは困惑しながらも少年の猛攻に対抗すべき、手を翳して次の策を考えた。
次回更新は2021/9/16(木)17:00です。




