210話 青の絆Ⅲ
目的はシールを倒すことじゃない。
思いを伝えることだ。
「大丈夫……。ちゃんと向き合うことだ。死ななければ、できる……」
不自然な方向に捻じ曲がった左腕を、右手で掴んで無理矢理に戻した。
ギシっと腕が軋む音が鳴る……。
形は戻ったが、痛い。実に痛い。
ゲームの世界だとしても、俺にとってはこの世界こそ現実なんだと実感させられる。
「単純ナ攻撃ガ効かなイのなラ――」
シールがその場から忽然と消えた。
次に現れたときには、近くの木の枝に止まっていた。
――バキリ。
シールが太い枝を硬質化した手刀で折った。
枝の根元から細片の塵がホログラムのように漂って消えていく……。
俺がそんな非現実的な物体に気を取られていると、シールはまた消えた。
と思いきや、真っ直ぐ何かが射放たれた。
シールがたった今折った枝を、先端をこちらに向けて投げたようだ。
「投擲……! っとと!」
咄嗟に身を躱す。
反応が少し遅れ、飛び跳ねるように避けた。
その先にシールが待ち構えていた。
右に避けたときのちょうど真横に待機して、狙ったように俺の右腕を【擬・飛翔鎧】の翼部で叩き折ってきた。
ぐしゃりと腕を引き抜かれて、一本失った。
「ガ……ァッ!」
「ファイア!」
片腕を失ってふらふらとたたらを踏む俺の横っ腹に、シールは【擬・飛翔鎧】の肩から突き出た砲身で特大の輻射状魔弾をぶっ放してきた。
「――――ッ」
高火力の魔砲に焼き尽くされる。
体中が爛れていくような不快な痛みが襲う。
だけど……!
「っ……! 耐え、られる……!」
「え!?」
黒焦げになった、元から真っ黒な体の俺。
魔力を利用した攻撃ならメイガスで何度か受けて魔法耐性を多少つけている。
シールの【擬・飛翔鎧】から放たれる高火力輻射魔弾は、メイガスが手加減して撃ってきた魔弾より遙かに強い威力だったが、死ぬ閾値は超えなかった。
異常な魔力照射に耐えた俺に驚くシール。
そこに一瞬の隙が生まれた。
「シール……!」
俺は残された左腕で、シールの肩口から突き出る【擬・飛翔鎧】の副砲の筒を掴んだ。
そこから先、何ができるわけじゃない。
ただ単純に、戸惑うシールに意地を見せるためにやったことだ。
「どういウこと! なんで死ナないノ!?」
「俺がお前に、伝えたいことがあるからだ……」
「な……。――やメて!」
俺の意地汚さに恐怖を覚えたようで、シールは副砲から魔弾を近距離から乱射してきた。
俺の脇や頬に当たるたび、相殺するような音を立ててシールの魔弾は蒸発していく。
「言ったよな。俺を支配したいって。それは、俺がどうしようもない甲斐性なしで、縛るしか自分の願いが叶わないって思ったからだろう?」
「死んデ……! 死ね! アハハ死ね死ね!」
俺の訴えに耳も傾けず、狂ったようにシールは【擬・飛翔鎧】から魔弾を乱射していた。
それを受ければ受けるほど俺の魔法耐性が高まり、もう直撃の反動すら感じなくなる。
シールは【擬・飛翔鎧】を腕の部分だけ解放して素手になり、俺の胸や腹を殴ってきた。
それらももう物理耐性ゆえに効かなかった。
「気が済むまでやればいい。俺はもう痛みも感じない……。感じないんだよ……」
「アナタのこと、知らナい! ハハハだから死んデ! 死なナい、耳障リ! 言葉ガ……!」
「痛みがわからない。わかってやりたいのに」
「うるサいうるサいうるサい!」
シールの叫びに合わせて砲弾が撃ち抜かれた。
俺の体に全部直撃していく。
その副砲の砲身を決して離さない。
林の中の広間で狂った叫び声と銃声が反響して響いていく。
一つ一つがシールの苦痛のように思えた。
「俺は……お前がどれだけ苦しんだか、わからない。わからなくて、ごめん……」
「や、メて。喋ル、な……うるサい。死ね」
「俺はリーダーだったくせに鈍いから……お前のことも理解してなかった」
遙か昔、魔王討伐のとき、もっとみんなの思いを聞いていれば、勇者の運命と全員で向き合うことも出来たんじゃないか?
アガスティア・ボルガなんてものに頼らなくても乗り越えられたんじゃないのか?
シールと一緒に運命に抗ったからこうなった。
俺がこんなことに付き合わせたんだ。
後悔が浮かんでいく。
〝ふん。最初からそれでいいのよ。やっと少しは仲間を頼れるようになったじゃない
〝五千年前はできてなかったっ〟
魔族排球の正念場でアーチェにも言われた。
もし今の俺が、過去のソードと比べて秀でていることがあるとすれば、それは人間兵器のみんなに寄り添えるということ。
今の俺が成長したことは、そこにある。
「離セ! 殺ス! アアア……グゥ……ハハ殺ス! 私ハ……! 滅ぼしたイ。ガァ……アアア……死ね死ね死ねアハハハハハハ!」
狂気を振り撒きながら、シールは泣いていた。
黒いバイザーからぼたりぼたりと粘ついた黒い泥が溢れ出ている。
泥のような涙だった。
「離さない。お前の苦しみがわかるまで――!」
ぐっと片腕に力を込める。
シールの肩の砲身を掴んだ俺の左腕に、血管筋のようなものが浮かび、それが指先まで這うように進んで指先から〝血の線〟が飛び出した。
「薔薇……!? の蔓……!」
それは棘が張りついた薔薇の蔓のようだった。
赤い蔓が俺の指先からシールの肩に伸び、絡みついた。
……プリマローズ?
俺は一瞬その魔王の姿を思い出した。
赤い薔薇――そう、『紅き薔薇の棘』……!
ドクン――。
シールが纏う【擬・飛翔鎧】に赤い蔓が触れると、一気に彼女の全身へ赤い筋が刻まれた。
「な――」
「……!?」
シールも俺も驚いていた。
赤い葉脈のようなものがシールの【擬・飛翔鎧】に張り巡らされ、ジュウジュウと炙るような音を立てながら黒い魔素を吸い取っていく。
「やメ……離しテ……! アア、アアアぁあ!」
「そうか。プリマローズ……お前の剣が」
俺はその剣の存在を、確かに感じていた。
体の内側に。全身に。そして手に――。
魔王プリマローズ・プリマロロの愛剣『紅き薔薇の棘』――その剣がなぜ薔薇と呼ばれたのか、そのルーツを思い出した。
プリマローズは花が好きだった。
特に薔薇の花が。
紅蓮に咲く華麗なフォルムが、魔王の心象を映し出していたのだ。
薔薇の花には棘がある――。
その性質が魔王であるあいつと似ていた。
プリマローズが愛剣を『棘』と呼ぶのは、魔族として内包する嗜虐性と求心力――カリスマ性を誇示するためだ。
その剣には、魔王のカリスマを表わす象徴として【吸収】の属性もあった。
プリマローズの肉体に備わる【耐性】と、その愛剣に備わっていた【吸収】が、今の俺に宿っている、ということか。
「あぁぁぁあ!」
シールが悲鳴を上げている。
その声に狂気は感じられなかった。
「わかった」
シールの体を這う赤い葉脈を見ると、その根に当たる俺の指先に〝剣柄〟が生えていた。
魔素という養分を吸って成長した芽が――。
「一緒に戦おうぜ、プリマローズ!」
俺はその剣柄を握り、一気に引き抜いた。
魔素を吸い取った赤い歪曲した剣が、シールの体から引き抜かれた。
俺の小さな手でも収まるショートソード。
剣としてまだ幼い。でも、十分だ。
この剣は【抜刃】のように無から造り出すことはできない。だが養分さえあれば育つ。
――【吸収】の特性を秘めるカリスマの剣だ。
シールの体を覆っていた【擬・飛翔鎧】が崩壊を始めている。
シールはその翼部で俺に抵抗しようと、残された黒い腕を伸ばす。それを躱し、剣柄を握り占めて一気に振り下ろした。
シールの目元を覆う黒バイザーが両断された。
ぱかりと割れたバイザーが分解して消える。
シールの目元が晒された。
その白くなった瞳が、徐々に元の赤みを取り戻していく――。
「ああ……わた、し……」
正気を取り戻したようだ。
その目尻には涙が溜まっている。
「あなたの言葉が、聞きたかった……」
それは過去のソードではなく、俺に向けられた気持ちだった。シールが俺を見て続ける。
「新しいあなたが、私を……。今のあなたを生み出した私を、受け入れてくれるか、わからなくて……」
それでか。
シールはいつも俺を遠巻きから見ていた。
シーリッツ海のレース大会でも、シズクに擬態して俺をサポートしていた。
王都で暮らそうとする俺を追いかけず、呼ばれるまで姿も見せなかった。
シールも、俺との距離を計っていたのだ。
「そんなの――」
――聞かなくてもわかるだろう。
そう言おうとして咄嗟に口を噤んだ。
違う。聞かれて答えるんじゃない。自分から言わなきゃ意味がないんだ。
「怖かったもん……。私、臆病だから……」
「じゃあ、俺から言う」
「へ――」
剣を捨て、片腕でシールの体を引き寄せた。
それはいつかの焼き増しだ。
「これは特に深い意味はないんだが」
引き寄せたシールを片腕だけで抱きしめた。
少年姿になった俺でも、シールの小さな体はおあつらえ向きだ。それはまるで子どもが無理に大人らしく振る舞おうと背伸びするようで――。
「抱きしめさせてくれ。……好きだ、シール」
自分の感情に初めて向き合おうとする俺には、とてもよく似合った態勢だった。
「……ふふ、どうしたの、人間兵器らしくない」
「もう人間兵器じゃないから、いいだろ」
許しを請うためじゃなくて、自分に素直でいるためにそうする。
それは今の俺が前に進む唯一の方法だった。
まだ取り戻すものはたくさんある。
次回更新は2021/9/13(月)17:00です。




