202話 決死の逃走劇Ⅲ
アーセナル・マギアが急発信する。
危険を察知したヴェノムが運転席に乗り込み、アクセルを踏み込んだのだ。
ヴェノムは目元が隠されているだけに、前が見えているように思えないし、傍から見ていて不安しかない。
過ぎ去っていく後方を見やると、ケアが肩で息をしながら俺たちを恨めしそうに睨んでいた。
……【時ノ支配者】を使う様子はない。
本当に魔力が切れたようだ。
立ち尽くすだけのケアと、どんどん距離が遠ざかる。
「……」
俺はそんなケアから目を話さなかった。
あいつも俺を見ている……。
その赤い瞳に映る俺は、どんな姿をしているのだろう。
俺を危険分子と認識しているのだろうか。
でも、力をすべて置き去りにして、記憶だけを引き継いだ魔物に興味はない気がした。
俺自身、過去の俺と対峙して、その圧倒的な力の差を間近で感じたのだ。
でも、
――〝怖いか?〟
夢の中にいたプリマローズがそう問いかけた。
力の差は歴然。なのに、なぜだろう。
俺は実際に奴らに殺されかけてもまだ、怖いという気持ちが湧いてこなかった。
それどころか何か欠陥めいたものを感じる。
うまく言葉にできないけれど、人間兵器には決定的に足りないものがある。
その正体がうまく掴めない。
でも、勝機はそこにある気がした。
俺だからこその勝ち目がそこに――。
「そういえば、あんた何処に行こうってのよっ」
助手席に座るリリスが顔面蒼白で、ヴェノムの危険運転に文句を言った。
確かに、俺も行き先を聞いてなかった。
「知らねえ!」
ヴェノムは急ハンドルで前方の岩を躱す。
「わぁ! ――って、はぁっ!?」
車体が揺れた反動でリリスは体をドアに押しつけられた。
ワンテンポ遅れてリリスが驚く。
「じゃあ、なんでこんな乗り物用意したのよ!」
「あの男が最初に魔王城の惨状を見たとき、酷い状況だからそこのお嬢を連れて撤退しようって言ってきたんだ」
ヴェノムが背後の荷台を一瞥する。
そこにはリンピアがモスグリーン色のシーツをかけられてすやすやと眠っている。
「えっ゛? あたしとそこの子は?」
リリスは振り向いて、俺を見た。
「お前のことは最初からオレが助けるつもりだった。後ろのヤツはおまけだ」
「なんであたし、見ず知らずの男に付け狙われてるワケ!? 助けられたことは感謝するけど、あんたも十分怪しいんですけどっ」
「だーからっ、オレはお前の連れだよ!」
「あんたなんか知らないのだわっ」
運転席と助手席の二人が口喧嘩を始めた。
ただでさえヴェノムの視界が心配なのに、そこに追い打ちをかけるようにリリスがヴェノムを足蹴にしている。
その攻撃のせいで、ヴェノムのハンドル捌きも滅茶苦茶になっていた。
確かに奇妙な状況だ。
リリスにしてみれば、ヴェノムも俺も、誰なのかわからない。
ヴェノムはリリスのことだけ知っていて、俺が誰なのかわからない。
そして俺だけが両方とも知っているのに、どちらからも俺が誰なのか認識されていない。
仲介してくれそうなリンピアは、魔力切れで眠りこけているし、起きる気配もなかった。
ヴェノムは、リリスからのキックを腕で払いながらもハンドルを切って前方に立ち塞がる岩や木々を避けていた。
次第に装甲車は林の中に突入し、かろうじて拓けている獣道を無理矢理すすんだ。
魔王城があった湖からはかなり離れた。
――と、そのとき。
「あっ! あいつ……」
ヴェノムが前方に注意を向け、悪態をついた。
俺も進路方向を注意して見てみる。
そこには魔術師がよく著るようなローブを羽織り、悠然と立ちはだかる男がいた。
「メイガス……」
俺がそう呟く一方、ヴェノムもメイガスの狂気を感じ取ったのか、殺傷兵器を取り出そうと手を懐に忍ばせた。
肉体派ではないあの人間兵器が、こっちが全速力で駆け抜けた場所まで一瞬で追いつき、疲労の色も見せず立っている――。
俺やヴェノムのように、メイガスをよく知る存在ならそれがなぜか考えなくてもわかることだ。
「チッ……相性の悪い男に出会っちまったな」
ヴェノムは片手でハンドルを握りながら窓から身を乗り出して、目を細めた。
どう応戦するか考えているようだ。
メイガスは不敵に笑っている。
「あの人、魔王に囚われていたんじゃ……」
「リリス――」
俺が荷台から話しかける。
急に名前を呼ばれてぎょっとしたのか、リリスは振り返って怪訝な目で俺を見る。
「プリマローズは死んだ。あの魔族排球も、ケアが俺たちを引き込むために仕組んだ演出だよ。メイガスは囚われているふりをしていたんだ」
「……ね、ねぇ、さっきからキミ、急によく喋るようになったけど、本当にあのときの魔物?」
「違う。俺はソードだ」
「え゛……?」
今となっては俺自身、俺が誰かわからなくなってしまったから、そう名乗ることにも抵抗があったが、わかりやすく伝えるには仕方ない。
「ソード……?」
ヴェノムも振り向いて俺を見た。
おまえには前を見ててほしいとこだが。
「説明は後でな……。とりあえず今はメイガスを振り切ることを考えるぞ」
俺がそう言うと、ヴェノムはむしろ納得したような様子で前方に向き直った。
やっぱりヴェノムは、その目で普通とは違う何かが見えてるんじゃないか?
「あぁ……滅茶苦茶で意味わからないのだわ」
リリスが頭を抱えて首を振る。
「そう悲観的になるな。こっちにソードがいるのは朗報だぜ。なんつったって人間兵器を一番よく知る男だからな」
ヴェノムは威勢よくアクセルを踏み込み、立ちはだかるメイガスに向かって猛スピードで迫っていった。
「正直、おまえがソードかどうかは半信半疑だ! だけど、もしそうなら証明してみろ! そんなナリでも司令塔ぐらいはこなせんだろっ!」
ヴェノムはそう言い放った。
試してやるってことだろう。
さすがは当時の共謀者。そういうことなら俺も腕が鳴る。




