197話 無能の虫けら
目線が、普段より低い。
目の前では血まみれのリンピアが俺の体を抱擁していた。幼子を守るように。
「な、な……」
記憶が混濁している。
今、プリマローズと一緒にゲームをしていた。
真っ暗な場所で。
あそこはきっと俺の精神世界のようなものだ。そこにプリマローズが現れて俺を送り出したということは――。
「……」
そして、この体……。
両手を眺めて、その異様な状態を確かめた。
黒い霧をまとう小さな手。その輪廓も朧気で、普通の人間の手ではないことは一目瞭然だ。間違っても自分自身――人間兵器一号の手ではない。
これはプリマローズが言っていた通り、あいつが勝手に作った義体なのだ。
「……っ」
ズキりと頭を刺すような刺激が来た。
思い出した。魔族排球だ。
この体は、俺が何体も屠ってきた魔物の体だ。
俺は、そこに人格を植え付けられた。
植え付けた張本人はプリマローズと、俺を守るように抱きしめているリンピアか……?
その様子から察するに、故意にではない。
致し方なく、だ。
「リンピア……?」
「っ……ソード……さん……。よかっ……た」
リンピアはやっとの思いで喉を鳴らすと同時に口から血を垂れ流した。
「だ、大丈夫かっ」
「あな……た……の――」
何か説明しようとしている。
無理するなよ。
俺が喋らせまいとリンピアの肩を掴むのと、彼女が何かに気づいて俺の体を押し出したのは同じタイミングだった。
「あっ」
突き飛ばされた俺は、急造の体の使い方も曖昧で無様に尻餅をついた。
直後、リンピアの足元から無数の剣山が生え、その体を下から串刺しにしながら突き上げた。
「――――!」
リンピアは目を剥いて、干し物のようになった自身の体を見やった。
「がっ……あっ…………あ……」
「リンピア!?」
喉元から喘鳴を鳴らしながらリンピアは耐えていた。
このままじゃ確実に死ぬ。
守護者を名乗っていたリンピアだが、その体の不死性はどれくらい保証されているものか分かったものじゃない。
例えば、首を刎ねられても死なないのか。
体をばらばらにされても生きられるのか。
そんな根拠はどこにもなかった。
俺は邪悪な気配を感じて、やおら腰を上げながら振り向いた。
「まだ息ガあルだと?」
肩を振りながら魔獣のような瘴気を振りまいて歩み寄ってくる狂戦士がそこにいた。
「どうナってやがル? あノ魔王トいい、こノ女といい……どいツもこイつも人間兵器以上にしぶてぇ生命力ダな」
「あ……」
思わず息を呑む。
隆々とした黒い筋骨格の男。
細身ながら鍛え上げた肉体を持て余すような、無頼漢のごとき振る舞い。揺らめく黒の瘴気。
その男がフルフェイス兜のバイザーをオープンした。
凍てつく赤の眼光。
浅黒い肌に、黒い髪。
謎の紋様が顔貌に克明に刻まれていた。
人間兵器一号。ソード。
黒の鎧は【狂戦士】の魔素。
得意能力は【抜刃】による自由自在の剣技。
「狂戦士――」
俺は、誰よりもその男の特徴を知っている。
だってその男は、俺自身なんだから。
ああ、なんて面だ。
こりゃあ物好き以外は近づかないだろうな。
凶悪な自分自身の姿にそんな感想を抱いた。
でも、あれ……?
なんかヘンだな。
なんで【狂戦士】の姿でいるのだろう?
おまえ、その力を支配して【狂剣舞】に昇格させたんじゃなかったのか?
その【狂剣士】の狂気は、もう表層に出てくることはないんじゃないのか?
少なくとも、ついさっきまでソードだった俺はそう体感していたし、【狂剣士】の魔素を発動させることもできなかったはずだ。
「お……れ……なのか」
「あァん?」
ソードは虫けらでも見るように俺を見た。
見られただけで死ぬかと思った。
本能的に感じる。
逃げなければ捻り潰される。
それだけソードと、今はもうただの雑魚に成り下がった俺の実力には差があった。
「……」
ソードは道端でたまたま目に留まった蟻を無視するときのように、俺から視線を外した。
そして真っ直ぐリンピアを見て、歩み寄った。
ソードが【抜刃】で剣を生成する。
右手に構え、整然とリンピアに近づいた。
リンピアは断頭台で斬首刑にされる囚人のように剣山で串刺しにされたままだ。このままじゃ、リンピアの首は切り落とされる。
直感的にそう感じた。
「待てっ! やめろ!」
俺は駆け出してソードに立ち向かう。
ちゃんと見ると、今の俺はソードの腹の高さくらいしか背丈がなかった。
大人に立ち向かう子どものようだ。
事実、子どもみたいな姿だが――。
駆け出しながら、癖のように【抜刃】で剣を呼びだそうとしたが何も出てこない。
得物のないままソードの許に辿り着く。
ただ殴りかかるしかできなかった。
背後から近づき、硬質化した筋肉で覆われた腰にグーパンするが、あまりの硬さにこっちの拳の方が痛くなるほどだった。
しかも、ソードは俺のパンチに気づいてない。
剣を徐ろに振り上げながらリンピアの首に狙いを定めている。
どうしようもなく俺は掴みかかった。
背中に飛びつき、進行を妨害しようとする。
そこでようやくソードは俺に気づき、振り向き様に俺を振り落とすと、ゴミでも払い避けるように軽く足払いした。
「あがぁっ!」
たったそれだけの動作なのに、俺の体は物凄い勢いで転がっていく。ようやく止まったと思ったら蹴られた脇腹に激痛が走った。
「痛っ……! うぅ……いってぇえええ!」
地面で藻掻きながら痛みを堪える。
なんだ、これ。
全然歯が立たないじゃないか。
状況から察するに急ピッチで作った体なんだろうが、それにしてもこれじゃ太刀打ちできる方法が何一つない。
試しに何か他の能力が使えないか試す。
例えば、【抜刃】以外の他の魔素――。
【狂剣士】当然だめだ。
【狂剣舞】だめだ。
【加速】だめ。
【超新星】気配なし。
【潜水】無反応。
心当たりのあるアークヴィランの魔素を全部念じてみたが、何もできなかった。
本当にこの魔物は無能だ。
せめて魔族なら魔法が使えるんじゃないかと、基本魔術を思い出して試したが、魔術すら撃てなかった。
プリマローズのやつ……!
顔を上げて周囲を見渡す。
だが、プリマローズはどこにもいない。
あの冗談みたいな夢の中で一緒にゲームをしたのが最後だ。やっぱりあいつはもう……。
「じゃあナ。訳ノわかラねェ女――」
ソードが剣を振りかぶった。
リンピアが斬首されようとしている。
「人間兵器でモねェ。アークヴィランでモねェ。魔族っぽくモねェ……素性ノよくわかラねェ女だったが、俺ハ他人の強さに一切興味ないンデね」
ソードは最後までリンピアの存在を訝しみながらもその剣を振り下ろした。
「――やめてぇえええ!」
そこに突如、割って入る存在がいた。
甲高い女の声だった。
奇抜な革張りのボンテージファッションに身を包んだ妖艶な金髪の魔族だった。
「リリス! あいつ、まだいたのか」
てっきり俺がシールやケアと戦っている最中に逃げたと思っていたのに。
でも、なんでゲームのNPCであるサキュバスが無関係なリンピアを守ろうと――。




