195話 ◆魔王の系譜
すべてリンピアの狙い通りに事が進んでいた。
人間兵器五体を相手に、守護者一人と魔王一人で、うまく立ち回れたと満足できる結果だ。
ケアに【時ノ支配者】を使わせた。
記憶装置『アガスティア・ボルガ』も奪うことができた。
その上で、こちらは致命傷も負っていない。
これ以上ない戦績である。
ロアとヴェノムもそろそろ到着する頃合い。
彼らが到着すれば、形勢は逆転したといってもいい。あとはソードの記憶を元の体に戻せば、完全にケアの狙いを封じることができる。
その道筋まで見えていたのに――。
「く……なんてザマ……」
ケアは本気で悔しがっていた。
悔しがっているのだが……なぜだろう。
リンピアには、そのケアの悔しそうな様子がひとく歪に見えた。
「これでケアさんの陰謀も終わりです」
リンピアは突きつけるように言った。
煽り文句のつもりだったが、あらためてそう宣言するリンピアには焦りも見え隠れしている。
油断ならない敵だ。
何か罠が張られていて、まだ奥の手を隠し持っている可能性もある。
相手は嘘をつき続けた女神。
だからこれは、確認のようなものだった。
「……?」
ケアが心外そうに首をひねった。
そのまま怪訝そうにリンピアを見ている。
確認しなければよかったかもしれない。
「私が終わり? まさか――」
ケアが肩をすくめる。
不敵な笑みを浮かべ、余裕綽々な態度は崩していない。
「だって、今……〝なんてザマ〟って」
悔しそうに、恨めしそうに、ケアはリンピアを見ていた。それは『アガスティア・ボルガ』を奪われたことへの嘆きではないのか。
「ああ。それは」ケアがきょとんとした目を向けた。
「――戦利品がないのは悔しいでしょう」
「戦利品?」
「現代のソードの記憶を収めたアガスティア・ボルガ。私が丁寧に、もう一度英雄になれるように導いてあげたっていうのに、それを拒んだ間抜けな勇者。そんなヤツがいたって忘れないためにコレクションしておきたかった〝晒し首〟よ」
「……っ」
リンピアはあらためてケアが嫌いになった。
晒し首とは、もう故人のような言い方だ。
まだあのソードが死んだとは信じていない。
それと同時に、この『アガスティア・ボルガ』の奪取は、ケアにとってその程度のことだったのだと痛感させられる。
「つまりね、そんなもの、別に私は要らないの」
「ひどい……。この時代でソードさんが生きた証を、たくさんの人を救ってきた思い出を、そんなものなんて言い方……っ!」
ソードがいたから救われた人たちがいた。
まだ一年にも満たない時間。しかし彼が関わった人たちの充足した心は数え切れない。
人類の守護者として、リンピアもソードに感謝しなければならなかった。
彼は時代が変わっても、性格がぶっきらぼうになっても、本質的にはずっと昔からそうしてきたように、英雄的な人である。
「現実のことなんて、私にはもう関係ない」
それをケアはしれっと流した。
認識の違いはそこにあった。
リンピアにとってはかけがえのない記録でも、邪神にとっては差したるアイテムではない。
手に入らないのなら、あぁそうかと切り捨てられる程度のものだった。
「――――っ……!」
リンピアは感情的になりそうな自分を抑えた。
ここで相手の口車に乗ったら負ける。
リンピアが優位にいることは変わらない。『アガスティア・ボルガ』でソードを復活させられるのだから。
おしおきは相手を完封してからで十分だ。
「もしかして――リンピア・コッコ。それを手に入れたからって、勝ったつもり?」
ケアが邪悪に微笑む。
徐ろに手を翳し、張りついたような冷淡な能面で彼女は『アガスティア・ボルガ』を凝視した。
「させない……っ」
遠隔での攻撃魔術を使うつもりだろう。
リンピアは咄嗟にその葉っぱのレリーフを背に隠した。
魔術行使に目視は重要だ。
遠距離型の魔術において、特に〝目で見る〟ということは銃の照準合わせくらい必要不可欠である。だから単純に、死角に狙撃が不可能なように、視界が遮られれば攻撃魔術は撃てない。
既に発動している場合を除いて――。
「もうしてあるの。――再構築開始」
「……!?」
「海神の力よ、ここに」
「まさか【潮満つ珠】!?」
リンピアは『アガスティア・ボルガ』を手元に戻し、記憶装置の状態を確認した。
ケアの詠唱の後、三つの円環に囲まれた葉形のチップが、風化したように表面からぼろぼろと崩壊し始めた。
「なんで……っ!」
「貴女もさっき術者として先手を打ったように、私もそうしたまで。時間を止められるんだもの。簡単よ。ふふふ」
ケアの【潮満つ珠】は大地を海に変える力だ。
東リッツバー平原の砂漠を海に変えたように、地形変動を促す能力であり、人体や物体には適用されない力のはずだった。
リンピアもそれくらい熟知していた。
なのに、なぜ魔道具に――。
ケアが嗤っている。
残酷にも勝利宣言は続く。
「貴女の生まれた時代よりさらに昔、クレアティオ・エクシィーロという砂漠の国に一本の大樹があった。その樹には『アガスティアの葉』という運命を書き記した葉が生い茂っていたわ。――大樹は枯れ、葉が砂塵と化してもその備忘録の力は残っていたのよね。それを素に作ったのが『アガスティア・ボルガ』という〝運命の記憶媒体〟」
「クレアティオ――」
リンピアもその砂塵の国に聞き覚えがあった。
太古の妖精族が棲んでいた国であり、ロア・ランドールの祖先のルーツだった。
その大樹から作り出した魔道具で、今までソードの記憶を上書きしていたのである。
「簡単に言うと、そのアイテムはその土地の砂で出来ている。あとは言わなくてもわかるわね?」
「ああ……あぁあ……」
手元の葉が、ぼろぼろに崩れた表面から雫に変化して零れ落ちていく。それはソードの記憶が露に消えることを意味していた。
魔道具の素材構成までは不勉強だった。
砂漠を海に変える力。
その適応範囲がボルガ本体にまで及ぶとは思いもしなかった。
虚を突かれ、気が動転して頭が回らない。
どうすればこの窮地を打破できるか――。
考えを巡らせていたとき、
「がっ――ア……ッ!」
突如として足元から生えた無数の剣山に、リンピアの体は貫かれた。
鮮血を散らし、その場に崩れ落ちる。
それでも『アガスティア・ボルガ』だけは手放さず、握りしめていた。すでに魔造兵器と呼べるか怪しいほど変わり果てたそれは、リンピアの手を濡らすだけの水滴と化していたが――。
この剣山は、ソードの得意とする【抜刃】。
隙を突かれて襲われた。
ケアとの戦いに夢中になりすぎていた。
「あら。遅かったじゃない」
ケアが事もなげに声をかける。
リンピアは崩れ落ちた体で、顔だけを上げて大地に現れた黒い獣を見た。
黒の筋骨。全身に棘のように生えた剣。
それはもうリンピアの知るソードではない。殺戮の獣と化した剣の猛獣だ。なぜか彼は、全身びしょ濡れだった。
「なんダ、こいつハ」
剣獣が呟く。
リンピアに対して言ったのではなかった。
ソードの足元にずさりと投げ捨てられた誰かを見ながら文句を言っていた。
派手なピンクの髪。高潔な白の角。
黒い魔族衣装はぼろぼろだ。
プリマローズ・プリマロロ。彼女はシール、ソードと続く激戦の末、もう虫の息だった。
「昔戦ったトきはこんナに手こずラなかっタ」
「そのときは私のサポートがあったからでしょうに。……まったく、これを機に治癒術士にも感謝してほしいものね」
剣士と治癒術士の平穏な会話だった。
その勇者パーティーらしい普通のやりとりが、この状況においては常軌を逸していた。
リンピアは、貫かれた体を引きずって這い進んでいた。
ソードが現れたことは不幸中の幸いだ。
まだ『アガスティア・ボルガ』が機能するかわからないが、試してみる価値はある。ソードの体内に崩壊した雫を取り込ませることができれば、あるいは記憶も戻るかもしれない。
「ソ……ドさ……」
手を伸ばす。
届くかわからないその雫――。
――ガゥン。
遠くから残響。
突如、湖岸にこだました銃声だった。
いきなり放たれた狙撃はリンピアの胴体を打ち抜き、地を這うリンピアの体を跳ねさせた。
「ァ――――」
何滴か、雫も地面に飛び散った。
消えていく……。ソードの記憶が……。
リンピアは転がり、横向きの倒れた状態で狙撃手の姿をとらえた。
そこにもまた黒い筋骨を滾らせる存在がいた。
シールだった。
彼女もリンピアの障害として立ちはだかる。
「まダ生きテる。油断しないデ」
瘴気に侵されたシールは、黒いバイザーを開放してその面貌を晒した。
そこには光のない冷酷な瞳。
シールはすくりと立ち上がり、ソードの傍により沿った。気づけば、そこにはメイガス、アーチェも立っている。
倒れ伏した反逆者二人を見下ろす勇者五人。
魔王を討ち取った勇者たちの雄志があった。
ここまで凶悪なビジュアルで、彼らが目に焼き付く日が来るとはリンピアは考えもしなかった。
リンピアは朦朧とした意識で手元を見やる。
雫はもう手で掬い取った程度しかない。
そんな『アガスティア・ボルガ』の慣れの果てを見て、リンピアは絶望していた。
もう手立てがない……。
「ハァ……ハ…………アア……!」
虫の息だった魔王が、生まれたての子鹿のようにぷるぷると足を震わせながら立ち上がろうとしていた。
「おまけにしぶとイな……? こノ世界の魔王は何年封印さレて、復活ニ何年かかっタ? 通例より成熟シている気がする」
「どうでモいいヨ。殺すダけなんだシ」
ソードとシールが死に体の魔王を見下ろした。
プリマローズは全身に魔力を滾らせ、最期を覚悟したように毟られた翼を広げて叫んだ。
「ヌゥウウウウウアアアアアアアッ!」
魔力放出によって周囲に砂埃が舞う。
それも大した反応もなく冷静に見やる人間兵器たち。
「っ……! 薔薇よ……!」
プリマローズは翼を羽ばたかせながら、手元に愛剣『紅き薔薇の棘』を召喚する。
それを横一閃に振るう。
剣筋はぶれ、今の人間兵器たちの脅威にはなりえないような剣圧だった。
メイガスは水の魔弾を生み出し、プリマローズに放った。直撃し、落ちたところをソードが剣を空に掲げて突き刺した。
反動で『紅き薔薇の棘』が吹き飛ぶ。
くるくると回転してリンピアのすぐ傍の大地に突き刺さった。
「ぐっ……」
「何ダ? お前、ソんな意地汚かっタか?」
「……クク……誰かさんを……真似たのじゃ」
プリマローズは不敵に笑ってみせた。
その意味のわからない今際の挙動に、ソードは首を傾げるばかりだ。魔王は今にも絶命寸前のはずだ。
「リンピ……ア……!」
魔王は大剣に串刺しされた状態で、背後のリンピアに叫ぶ。
リンピアもまたダメージが大きく、横たわったままだったが、やおら顔を浮かせて魔王の声に耳を傾けていた。
「諦め……るで……ない」
魔王は自由になった手をぷるぷると震わせ、何かをこね回すような動作を繰り返している。
視線はリンピアの頭上――すぐ傍の地面に目配せしていた。
何かに気づいたリンピアは見上げるようにして視線を移した。
そこには、『紅き薔薇の棘』が刺さっていた。
その剣から黒い魔力が漏れ出ている。
魔王の手の挙動に合せて、その魔力が粘土のように形を変幻自在に変え、赤い剣を覆うようにして何かが具現化しようとしていた。
「――!」
リンピアは気づいた。
目を見開いたリンピアを見て、プリマローズも満足したように笑ってみせた。
そこで蠢いていた魔力は、徐々に小型の魔物のような姿に変わる。魔族排球で彼女が召喚していたモブの一人を作るように、その黒い影は、『紅き薔薇の棘』を取り込んだ状態で、魔物一匹に姿を変えつつあった。
「なんなんダ? 何ノつもリだ」
剣獣ソードが、プリマローズの不審な動きに怪訝そうな表情を向けた。
「ソー……ド……。あとは……頼む」
「あァ? 死にカけて頭がおかシくなっタか? 俺が何ダ? 何ノ話をシてんのか、さっきカらさっぱり――」
大剣を揺らして魔王を揺する剣獣。
その都度、プリマローズは全身から出血し、ついに口からも吐血した。
それでもなお笑うプリマローズ。
「ふふ。其方には言っておらぬ……。妾が愛した男はただ一人。妾の愛剣を宿すのに相応しい男はこの世にただ一人なのじゃ」
プリマローズは毅然として言った。
それが攪乱であることに、剣獣ソードはようやく気づいた。
「っ……」
剣獣はリンピアに視線を戻す。
リンピアは満身創痍の体で、地を這いながら別の場所を目指していた。そこには小さな魔物が抜け殻のように佇んでいる。
取るに足らないモブの魔物だ。
魔族排球においても、こうなる前のソードが何体も無惨に葬ってきた、無力な魔物。ただの一塊の黒い影。
その足元に辿り着いたリンピアが、手を掲げてモブの魔物の口元に手を押し当てた。
その手から流し込まれたのは少しの雫――。
「クク、妾の置き土産じゃ……! あの男は強いぞ。なんせ妾も身をもって味わったからのぅ。貴奴は這い上がってからが本番じゃ! ハーッハッハッハッハ」
プリマローズの高笑いが湖岸に響き渡った。
直後、プリマローズは爆発四散するように、その身を魔力そのものへ昇華させた。
色とりどりの魔力粒子は霧散するように消え、魔王プリマローズ・プリマロロの因子が一気に消滅したことをリンピアも感じ取った。
ただ一つ。
魔物の胸に宿す、紅き剣だけを残して。
「お願い、ソードさん……! 帰ってきて!」
原料は『アガスティア・ボルガ』の溶けた雫。
有機体は魔王が召喚したモブの魔物。
そして触媒は、魔王の愛剣だ。
プリマローズが繋いだ運命の手綱――。
彼女はソードの宿敵でもあり、恋人希望者でもあり、そして古くは彼の〝親〟でもあった。
五大精霊に封じられた魔王の因子とその系譜。
ソードは、その系譜を辿る者だった。
プリマローズ好きの皆様には大変申し訳ありません。
魔王は死にました。
次回からようやくソード視点(一人称)に戻ります。
※魔王の起源について
『148話 虹の瞳Ⅰ』にてリンピアが触れています。
曰く「災禍の化身の思念を取り込んだ当時の精霊様たちが融合して魔王様の原型が生まれた。それを打ち倒すことで、災禍の元凶を定期的に弱体化させていた。そんな儀式ですね」とのこと。
災禍の化身は、別作『魔力の系譜~名も無き英雄~』の全編に関係してます。
※こちらをお読みいただかなくても、ここまで読んだ読者さんは十分本編を楽しめます。