194話 ◆人格奪還四面楚歌Ⅲ
リンピアはプリマローズと二手に分かれた後、五号の許へと急接近していた。
狙いは彼女が持つ『アガスティア・ボルガ』。
そこに収められたソードの現代での記憶だ。
【魔砲武装】を体中に纏い、周囲には十の漏斗状小銃を展開。ロアの魔剣を左手に、夢幻を描く筆【無の存在証明】を右手に――。
彼女なりの完全武装だ。
でなければ、その身に届かない。
対するは、邪神としてパンテオン・リベンジェス・オンラインに甦った女神ケア。
……だけではない。
その側近として従えた二号、六号も待ち構えている。
その姿はまるで女王に連れ従う左大臣と右大臣のような有り様だった。
これにてゲームに取り込まれた人間兵器は、ヴェノムを除いて四人全員が憑依となった。
ソードも。シールも。メイガスも。
そしてアーチェもまた、一度はソードの手で寛解したものの、ここに来て魔素の精神汚染が再発している。
ロアがメガティス社のサーバールームで、アーチェを殺害しようとしたのも、ケアのこの狙いを予知していたからだ。
脱魂に支配される憑依の構図。
アークヴィランに序列階級が存在するなら、この状態こそ、彼ら外宇宙の脅威が星を侵略するときの、始まりの社会性だ。
今まで点在したアークヴィランはただの害獣だった。だがこうなると最早、万全な態勢を整えつつある軍隊だ。
その戦略拠点となったのが人間社会の裏側。
人目につかないアンダーグラウンド。――オンラインゲーム。
ケアはそんなアークヴィランの習性を利用しているのか、利用されているのか、あるいは利害の一致で手を組んだのか。いずれにせよ侵略の手筈を整えていることは明白だ。
アーチェも、メイガスも、丸腰で佇んでいた。
背部のスラスターから魔力粒子を排気して迫るリンピアを見据えて戦闘に備えていた。
リンピアは接近しながら、考えうる三人の連携戦術を計算し尽くしていた。
幸いにも三人とも〝魔術師〟だ。
ひょんな巡り合わせで弓の勇者として人間兵器化したアーチェも、今は六千年前に生身の魔術師として過ごしたときの姿。
メイガスは昔から魔術師だ。
そして、ケアは魔の法則を世界に紡いだ元祖。
近接戦闘員は不在だ。
ならば――。
「近づければ……勝ちっ……!」
気合い一声。
リンピアは脚部の装甲を地面に押しつけ、砂煙を立たせて死角を作った。
直後、煙から現れたのは二輪の単車。
「アーセナル・マギア?」
アーチェが突如現れたゲーム世界では見慣れない現代機械に驚き、身構えた。
「違う」
ケアが冷静にその兵器を見定める。
アーセナル・マギアは、人間たちが利便性を追求して引き継いだ道具に過ぎない。
所詮はただの乗り物だ。
リンピアが描いたそれは、古代兵装の一つ。
太古の土の精霊が磨き上げた技術の結晶。
「アーセナル・ボルガ――」
土廠アーセナル・ボルガ。
移動型兵器廠として土の精霊が作り出した単車――その模造品だ。
飛び出したバイクはリンピアを乗せて地を駆ると前輪を一回り太くさせ、車高をぐっと下げた。
単車は物凄いスピードで平面を駆けていく。
それはリンピアがこれまで装着していた『魔砲武装』のブースターとは比較にならないほどの速さ。現代で愛用されるマギアでは到達しえない神速の極みだった。
同時に、そのタイヤホイールの側面からミサイルがしゃらりと滑り出し、一斉放射された。
その数、六発。
ミサイル発射の勢いで車体はドリフトし、横滑りし始めたと思いきや、次はボディ脇――リンピアの足がかけられたペダル上部から機関銃が三人の人間兵器に向けられ、盛大に火を吹いた。
速さと破壊力。
この二面性を兼ね備える移動兵器がアーセナル・ボルガの真髄だ。
「法典武装・護」
「フローズンミラー」
ケアとメイガスがシールドを展開した。
ミサイルや機関銃はすべて防がれ、跳弾を周囲に散らす。退屈そうな顔でその物理攻撃を眼前に防ぐ二人。
「どうせ牽制ね。――アーチェ」
ケアが命じると、アーチェが杖を胸に念じた。
苦悶の表情を滲ませながらアーチェは火柱を地上という地上から吹き上がらせ、リンピアの跨がる『擬アーセナル・ボルガ』を覆い尽くす。
リンピアはそれらを蛇行運転で躱した。
目算、残り数メートルという距離まで縮み、リンピアも手を伸ばす――。
記憶装置『アガスティア・ボルガ』を持つケアの手元まで、あと一歩……。
その直前で――。
「……あっ」
リンピアの手が寸断される。
見えない裁断機によって切断されたように、スライスされて腕が切り落とされていく。
そのまま飴細工のように細切れにされ、腕から肩、首、胴体が薄っぺらな肉片となった。
アーチェはその光景を見て青ざめた。
いかに憑依状態にあるといえど、ケアやメイガスのようにはまだ狂気に染まり尽くしていない。アーチェの心には常人の思考回路は残っているのだ。
人が一人寸断されていく様子は、常軌を逸した光景だ。とても受け入れられるものではない。
しかし、肩を並べてその技を繰り出した男は口元を歪ませて嗤っていた。
「開通――閉鎖」
メイガスが魔術の詠唱を終える。
亜空間が開き、即座に閉じられていく。
結果、リンピアの体は細切れ。狂気の裁断魔術を披露したメイガスは満足そうに握り拳を虚空に振り上げていた。
裁断されゆくリンピアの体とともに、彼女が乗ってきた『擬アーセナル・ボルガ』も一緒に細切れになってバラバラとなる。
崩壊の一途で――。
「おや……?」
単車のエンジン部分が切断されると、断面から一つの手榴弾が現れた――。
「……【焼夷繭】!?」
突如、ぴかっと光を帯びて手榴弾が爆発した。
爆弾魔の七号が得意とする能力だ。
メイガスは目を覆って視界を守る。ケアも咄嗟にそっぽを向き、眩い光から目を守った。
爆発直後、『擬アーセナル・ボルガ』と、裁断されたリンピアの体は霧散して消滅する。
フェイク。
土塊の移動型兵器だけでなく、その乗り手すらも偽物だった。
「だろうとは思ったけど――!」
ケアは振り向いた直後、そこにリンピアが立っていることにたった今気づいた。
気配なく背後に回っていたのだ。
「な……」
「残念でした~。私が空間転移魔術を使えないとでも思いましたぁ?」
にこりと笑いながら、リンピアは指をパチンと鳴らす。
その指先に小さな穴が開通していた。
穴の先には、先ほどアーチェが滅多打ちした、火柱上がる業火の光景が見える。
空間と空間を結びつける転移魔法【転移孔】。
それはメイガスがたった今披露してみせた、裁断の技と原理は同じだ。
リンピアは、開通した亜空間を通過して一瞬でケアの背後に回り込んだ。
一方のメイガスは、開いた亜空間を、対象が通過する前に閉じてしまうことで、その肉体を強制的に切断するように活用した。
ケアもメイガスもその裁断した対象が偽物だとは気づいてすらいなかった。
当然だ。
リンピアの『無の存在証明』は本物を描く。
消えるまではアーセナル・ボルガに乗っていたリンピアもまた本物だったのである。
芸達者な守護者だ。
目くらましのために偽のアーセナル・ボルガと偽の乗り手まで用意し、術者本人は空間転移で先回りする。しかも人間兵器の動体視力をも凌ぐ早業での、重ねがけの魔術――。
「これだから守護者は……っ」
「ふふん。私は簡単には負けません。それっ!」
リンピアは足でケアの手を蹴り上げた。
ケアが持っていた『アガスティア・ボルガ』が宙に舞い上がる。
リンピアは視線を上に向け――。
「……!」
視界全体が赤黒く染まるのを垣間見た。
それは、ケアがこの世界において独壇場を築き上げたきっかけの魔素。
奇跡の下に体現した正真正銘の魔法。
――時間操作【時ノ支配者】発動の予兆だった。
『あの女は、その力を持つかぎり無敵だ』
リンピアは、転移門でロアと別れる前、そう助言された。
『そりゃわかるけど……。でも、どうするの?』
リンピアは聞き返す。
これからいざ挑もうというときに、敵が無敵だと言われる妻の気持ちを、この淡泊な夫は気づいているのだろうか。
『なに、好きに使わせておけばいいさ』
『好きにって……だったら私、やられちゃうと思うんだけど』
時間を止められている間にボコボコにされるのだけは勘弁願いたい。
『そんな嫌そうな顔するな。あの女神、泥臭いことは嫌う質だ。時間を止めている間に直接攻撃してくることはまずない。気取り屋はスマートに事を済ませたがる。そこに隙が生まれる』
『ロアくん、人のこと言えない……』
『何か言ったか?』
『ううん。なんでも』
淡泊で気取り屋なのはロアも同じだ。
先天的に神性を宿す者は皆、あぁいう性格なのだろうか。リンピアは呆れて溜め息が出た。
『でも、時間を止められたら手も足もでないよ』
『【時ノ支配者】にも弱点はある。あれは魔力の消耗が激しいんだ。ケアも所詮、神から人間兵器に型落ちした身。当然魔力にも底はある』
五号が魔力切れを起こした事例を、リンピアも知っている。
それは【潮満つ珠】で砂漠に海を出現させようとした日のことだ。あの程度の魔素の行使で魔力切れを起こすなら、治癒の勇者と名高い人間兵器五号の魔力貯蔵量も、守護者のそれと比べて遙かに劣る。
『キミはせめて二度――あるいは一度でもいい。時間を止めさせて彼女を消耗させておけ。そうすれば俺と彼が到着する頃には活路を開く』
『難しい注文するな~』
『稀代の魔術師だったキミなら造作もないだろう』
――ロアの指示通り、その力を使わせた。
今から時間が止まる。
それを体感できないリンピアは、今まさに止められたのか、これから止められるのかの判断すらつかない。
だが、ケアの時間支配を妨害する罠も張った。
――――……ジュ。
小さな蒸気の音が突然、空中で鳴った。
それは高々と蹴り上げた『アガスティア・ボルガ』の近辺だ。
かかった。
「くっ、貴女、それを狙って……」
ケアが急に空から落ちてきて着地した。
彼女は今の今までリンピアと同じ地上に居て、その手に持っていた『アガスティア・ボルガ』を上空に蹴られたばかりだというのに、しばらく時間が経過したような様子で、焦った顔でリンピアを睨んでいた。
おまけに右手を左手で庇っていた。
痛めたらしい。
「ふっふっふー。私もこれまで何度も修羅場を掻い潜ってきましたので」
「【焼夷繭】といい、ヴェノムの加勢ね……」
リンピアが張った罠――魔素【王の水】。
それはヴェノムが作る強力な溶解液だ
ケアが必ず上空に蹴り上げられた『アガスティア・ボルガ』を追って空に跳び上がることを予想し、その瓶も一緒に蓋を開けて放り投げた。
時間を止めた瞬間から、ケアにとって時間は永遠のものとなる。
故に、真っ当な攻撃や罠は回避可能だ。
ゆっくり避ければいい。
しかし、目的のアイテムを覆い尽くす勢いで罠が張り巡らされていたらどうだろう。それも触れること自体、危険な罠だったら――。
「でも、そんなことして何になるというの? どうせ瞬発力では人間兵器の方が上。あの葉っぱを覆う毒液が消える頃、こっちが力尽くで奪うまでよ」
ケアは空を見上げ、先ほど奪い返そうとした『アガスティア・ボルガ』を目視しようとする。
しかし、そこには葉のレリーフがない――。
「……?」
「おやおや~、どこ見てるんですかぁ?」
リンピアが煽るように、指で摘まんだ『アガスティア・ボルガ』を見せつける。
「もう取りましたけど?」
「どうせそれも偽物。その手にはかからない」
「いいえ、これは正真正銘、ソードさんの記憶を宿した本物です」
リンピアはパチンと指を弾いて、指先に開通した空間魔術の【転移孔】を見せつける。
それはついさっき開いた亜空間の穴と同じものだった。
「まさか……転移の開通先を……二つ」
「そうです。あの時点で私は二つの種明かしをしていました。一つは、ケアさんの背後をいち早く取ることができた理由。もう一つは、先々空を舞って落ちてくる『アガスティア・ボルガ』をこうして今、私がゲットしている理由」
したり顔を浮かべて微笑むリンピア。
すべてがその奪取に向けたブラフだった。
これが人類最強のサラブレッドであるロアを使役する、魔術相談所所長の力量――先手に先手を重ね、相手を出し抜く賢人リンピア・コッコの戦い方だ。
「神を騙るなら、知恵をつけ直すことですね」
「く……なんてザマ……」
ケアは本気で悔しがっていた。