193話 ◆人格奪還四面楚歌Ⅱ
プリマローズの復帰により、一時は圧倒的劣勢と思われたリンピアの進攻は追い風を受けた。
――しかし、応援に加わった魔王も手負いの王。
追い風は追い風でも微風程度にしかならない。
「プリマローズゥゥ……」
憑依ソードが、その名を憎々しげに呟いた。
人間兵器の前に立ち塞がる新たな敵を、あと一手で滅するところだったのに、とんだ邪魔が入った。
黒々しい筋肉の鎧はさらに膨張を進め、狂気を振りまいて強度を増している。
かつての剣の勇者は、見るに堪えない姿だ。
プリマローズは苦い顔を浮かべながらも、堕ちた男の醜態を見据え、威風堂々とした出で立ちで対峙した。
「ソード……。おぬしは、五十年前のおぬしともまた違う……。なんじゃ、見下げ果てたわ」
「なぜダか怒りが収マらない。オ前が、憎イ……」
「当然じゃろう。妾とそなたは元より殺し合う運命――。我らが勇者と魔王の因縁の元に結ばれるよりずっと昔から、その因果は続いておったのじゃ」
「あァ……?」
プリマローズは『紅き薔薇の棘』を構えた。
震える剣身。竦んだ足。
魔王は最早、盾の勇者に痛めつけられた空中戦で立っていることすらやっとなほどダメージを負っていた。
反面、その痛みがゲームイベントのプログラムに組み込まれかけていたプリマローズの自我を呼び覚ました。
今のプリマローズは、孤独のうちにゲーム実況者として名を馳せ、唯一の理解者であると信じて親しみと愛を込めてソードの再来を待ち侘びた魔王の人格だ。
――故に、彼女は何としてでも、対峙する黒い獣を組み伏せなければならない。
たとえ剣が震えても、足が竦んでも、想いを遂げるためには過去のソードを倒し、プリマローズが愛したソードを取り戻さなければ、未来に進めない。
「オ前とハ殺し合う運命……。それハ違いねェ」
ソードは手に手に無数の剣を呼び出した。
それは握るというより、指先の爪一つ一つから剣が伸びるかのような有り様だった。
ソードは両手両指あわせて十本の剣を、指先に浮かべた。
剣の魔素【抜刃】。
ソードがソードと呼ばれる所以たる能力だ。
彼は体の何処かしこからも剣を出す。
剣を振り、剣を撃ち、剣を突き穿つ。
彼自身が剣そのものであり、その胴体を剣を操るための軸という役割でしかなかった。
「さァ、殺シ合おウ――」
囁いた直後、ソードはその場から姿を消した。
消え去るときに生じた風圧が、プリマローズのピンクの長い巻き髪を揺らした。
「――っ……」
左斜め後ろ。
ソードの狙いを半ば直感のみで読んだプリマローズが愛剣を背後に回し、その剣戟を受け止めた。
――ッ……ゥン。
その波動が、湖面を揺らした。
ガタガタと揺れる『紅き薔薇の棘』。プリマローズは剣の反動を殺さず、そのままくるりと回転して横一閃に愛剣を振り抜く。
ソードがいた空間をすらりと抜ける紅剣。
既にソードはいなくなっていた。
上。――否、下だ。
プリマローズは彼の剣術を知り尽くしている。約二千年もの間、その剣に屠られ続けた。その剣技への対処は体に染みついている。
プリマローズは姿勢を変えず足だけを浮かせた。
その足元を黒い剣が通り過ぎる。プリマローズはストンプするように地面に足を勢いよく押しつけ、剣身を地面に押さえつけた。
続けざまに、ソードの残り九本の剣が四方八方からプリマローズの体を囲い込む。――それらを側転しながら躱して剣柄まで一気に距離をつめる。
そこには担い手のソードが剣を掴んでいる。
プリマローズは逆さまの姿勢で『紅き薔薇の棘』を振り抜いた。
ソードのフルフェイスの兜と首の隙間――。
そこに赤い剣を食い込ませようと力いっぱい剣を振るう。
十本の剣すべてを往なして辿り着いたその首だ。
しかし――。
ガッ――。
肩から生えた新たな十一本目の剣に弾かれる。
「……くっ!」
その肩から生えた剣が縦に振り下ろされた。
プリマローズは、断頭の刃のようなその剣が目前に迫るのを、スローモーションで見ているかのようにゆっくり感じられた。
強引に体をひねり、背に備えた梟の大翼を振り回してソードの顔面を叩く。
そのまま仰向けのまま翼を羽ばたかせ、一気に間合いを取る――。
ズキリという痛みが背中を這った。
相棒を取り込んで得た翼が無惨にも大太刀で捌かれたように割れていた。
湖岸に身を叩きつけられながら、プリマローズは手をついて態勢を整えようと身をよじる。
――現代で手合わせをしたときのソードの技量を遙かに超えている。
凄まじい速さ。目覚ましいパワーだ。
狂人の魔素【狂戦士】と、それを統べるケアの【法典武装】の力が掛け合わさり、人間兵器最強のさらに先の次元に進んでいる。
これほどの強敵、古代の五大精霊の力を取り込んだ程度の恐怖の魔王プリマローズ・プリマロロでは実力差が段違いだ。
古い力は、新しい力によって淘汰される。
「時代の流れとは虚しいものじゃの……」
プリマローズは悪態をついた。
態勢を整え、剣を構え直すその間、わずか二秒にも満たなかった。その直後にはソードから漏れ漂う瘴気が眼前に差し迫っていることを感じていた。
「じゃがな……っ!」
プリマローズは手を翳し、虚空を掴むようにした後に振り払った。
すると、霧が立ちこめる湖の水面がせり上がり、それが特大の大波になって岸辺に溢れかえった。
「【海女神の狂愛】!」
魔王の中に潜む精霊の力を一つ解放した。
目視で捕らえることさえ難しいほどの敏捷性で接近していたソードは、その津波に巻き込まれて水の中に飲まれていく。
満ち潮のように満ち溢れた湖岸の水の上、プリマローズは片翼でかろうじて浮遊していた。
目下、水浸しで立っていられる状況ではない。
いかに時代が移ろいでも人型には決して抗えない運命がある。それは地面がなければ自由に体を動かせないという制約である。
太古の海神がなぜ海と大地を分け、人に二足の制限をかけたのか。それは決して神域を侵すことができないようにするためだった。
「これで多少は時間稼ぎも――」
「よクモ――」
振り返るよりも衝撃が全身を粉々に砕く方が先だった。
プリマローズの体は空中で吹き飛ばされた。
視界が上下左右でめちゃくちゃになる最中、プリマローズが見定めたのは、戦闘機のような装甲を身に纏い、空を駆ける青い髪の女人間兵器――。
「よクモ、ソードをぉおおォオオ!」
絶叫とともに壮絶な速度で滑空するシール。
プリマローズは辟易した。
――またか、と。
黒い瘴気を纏う筋肉の鎧は、まさにペアルックとでも言わんばかりの姿だった。
予てより夫婦関係の二人を知っているプリマローズは、その嫁の固執は致し方あるまいと、半ば達観的な目で見ていた。しかし、
「おぬしから見てそうであるようにのぅ……」
プリマローズは死に体で軋む全身に力を込めた。
気合い一閃、腕を高々と振り上げて、空中でバランスを取る。
「妾にとってもおぬしは恋敵じゃぁあああ!」
プリマローズが突き上げた拳に合せて、湖面から【海女神の狂愛】がせり上がる。
噴出した水柱に包まれたシールだが、地上での津波よりも威力の弱い水柱を、シールは難なく抜け出した――。
そのままプリマローズに一直線に飛んでくる。
「死ネ、魔王ぉおおおぉおお!」
「妾をなめるでない……!」
機関銃の弾雨が、プリマローズの体を穿つ。
その中においても魔王は不敵に笑ってみせた。
「――【雷帝行脚の嬉遊曲】!」
プリマローズがパチンと指を鳴らした。
すると暗雲が轟き、空から音もなく稲妻が走り巡り、びしょ濡れのシールの体に直撃した。
感電したようにバチバチと焦げ尽くした戦闘機【擬・飛翔鎧】は動きを止めて湖へと墜落していった。
「ハッ……ハァ――」
プリマローズもまた力が尽きかけていた。
元々、体の方は限界だった。それでも古代魔法の叡智をふんだんに振るい、最凶と化した人間兵器の夫婦二人に抵抗できているのは、身に宿した精霊の力と意地とプライドのおかげだった。
どうしようもない黒化夫婦の二人は撒いた。
あとはリンピアがケアから無事に『アガスティア・ボルガ』を取り戻せていれば……。
プリマローズは悪の根源であるケアが立っていた場所に視線を移そうと、下を俯瞰する。
「【抜刃】――」
視界の隅に絶望の影が映った。
墜落していたシールの【擬・飛翔鎧】を踏み台にして蹴り、跳躍しながらプリマローズの許まで飛びかかるソードの姿が目に留まる。
「……よもや、ここまでとは……」
黒の大剣が迫る。
ソードが振り上げた一本の剣が魔性を滾らせる。
プリマローズは目の前が真っ暗になった。その視界不良はソードが振りまく魔素の瘴気のせいか、自身の絶望によるものか――。
どちらも然ほど違いはないな、と自嘲するようにプリマローズは笑った。