191話 ◆法典武装Ⅴ
高度を下げると湖城の全貌が見えてきた。
俯瞰した魔王城の姿は、リンピアの知るそれとは一風変わった状態だった。
崩壊とは言い切れないが、城と呼べる形状を維持していない。
内側から爆散したような――。
あるいは、蕾が開花したように天井が開放されて、その中の空洞に深々と爪で引っ掻いたような痕や、隕石でも落ちたのかという大きな溝ができていた。
「……」
激しい戦闘があったことは間違いない。
しかし、そこはもぬけの殻だ。
視線を城の外に移すと、湖岸の傍に立つ複数の人影が見えた。
「あっ……!」
リンピアはそこに向かって魔砲武装のスラスターから魔力粒子を排気し、滑空した。
黒々としたオーラを滾らせる鎧を着た人物がいるのだ。ソードの魔素【狂剣舞】だと判断したリンピアは、声をかけながら急降下した。
「ソードさ――!」
しかし、すぐ違和感が襲う。
二人……?
リンピアは息を呑んだ。
自然とその滑空の勢いも減弱した。
黒々とした鎧を着る人物が二人も立っている。
黒いボディアーマーといえば【狂剣士】――とその派生の【狂剣舞】しか心当たりがない。
湖岸の傍には、それぞれ瓜二つの黒い外殻を纏う存在がいた。
片方は、黒い瘴気をめらめらと滾らせている。
一見、静かに立ち尽くしているようだが、その内に秘めた禍々しい魔素は、今か今かと力を解放するときを待っているかのように、凄まじい邪気が全身から立ち込めている。
飼い主の〝待て〟によって涎を垂らすしかない闘犬のようである。
もう一方は、力を失ったように、黒い外殻のみを残して硬直している。
魔力を滾らせることもなく、立ったまま死んだかのようである。
その姿は、まるで中身のない蝉の抜け殻だ。
剣の勇者が二人に増えたとは考えにくい。
どちらかがソードであり、どちらかはまがい物であることは明白だ。
リンピアは嫌な予感がしていた。
「……!?」
二人の黒い鎧を見比べていると、地上から強い視線を感じた。
首だけを斜め上に上げ、こちらの存在を警戒する司書のものだった。
「五号様……!」
白い正装。薄紫の髪。
その無垢な雰囲気は現実世界と変わらない。
邪気も瘴気も逸した女神の成れの果て。張りついた能面のような無感の表情が、その女の底知れぬ奸計を主張している。
リンピアは湖岸に着地した。
蝉の抜け殻のような【狂戦士】の傍に。
「ソードさん……だよね? 大丈夫?」
五号と黒い瘴気を纏う鎧と対峙しながら、その抜け殻に横目で話しかけるリンピア。
「――――」
しかし、反応がない。
抜け殻の【狂戦士】は、まるで剣を振りかざす直前のようなポーズで固まっていた。しかし、その手元には剣がない。
彼の得物である【抜刃】の剣が――。
何をされたのか、守護者のリンピアでも皆目見当もつかなかった。
「守護者までログインしてる……? なんで?」
白い司書が背後にやおら振り向いた。
そこに居るのは、ローブを羽織る魔術師然とした男だ。
「六号さん……」
リンピアはその二人の関係を見計らう。
ロア曰く、このゲーム世界はケアの陰謀だ。
その問答の様子は、メイガスも片棒を担いでいることの証明だった。
「システムに組み込んだ強制ログインプロセスは人間兵器が持つ不死性の〝根源〟を認証キーとして実行されるように書き込んであるよ」
メイガスがこめかみを掻きながら答える。
対して、不機嫌そうな表情を浮かべるケア。
「不死性の根源……って、神性魔力のこと?」
「そうだ。つまり、神性魔力持ちなら問答無用で吸い込むようになる。人間兵器も、守護者も」
「それじゃあリンピア・コッコがここに現れたことは、必然ってこと?」
「うーん……。彼女たち『守護者』の動きは読めないからねぇ。カオス理論の蚊帳の外――予定調和なんてお構いなしの外側の人間だし」
メイガスが困ったように愛想笑いを浮かべた。
ケアは、そんな仲間の返事に興味を逸したように、そっぽを向いて「まぁいいわ」と呟く。
ケアはリンピアに向き直り、三日月のような笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、リンピア・コッコ」
「ごきげんよう……って、挨拶するような雰囲気じゃないですよね?」
ケアのその目は笑っていない。
首謀者であろうがなかろうが、彼女はいつもこんな態度なのだが、こと今回に関しては、その笑顔が首魁であることを象徴していた。
「ソードさんに何したの? それに――」
リンピアは、メイガスの傍に寄り添う赤髪の少女の姿も確認していた。
間違いない。二号だ。
アーチェは難しい表情をしながら俯いていた。
「なんでソードさんと他の人間兵器が……? そこの黒い鎧の人も、一体誰ですか」
「ふふふ。これだから魔術師あがりは答えを急ぐから鬱陶しいわ。ずっと昔から、そんな気質は変わらない連中よね」
「答えてくださいっ!」
人類の守護者であるリンピアにとって、人間兵器は力のバランスを保つための対となる存在だ。
その一人一人の事情に干渉なんかしない。
しかし、ソードだけは特例だ。
彼はロアと他人ではない。ロアの危なっかしさを間接的に支える一つの要素だ。それが消えてしまうような状況は何が何でも避けたい――。
「感情的なのね。パートナーを見習ったら?」
「ロアくんと私はこれで上手くやっていけてますのでっ」
「そう。順風満帆に過ごすのは大事ね。――冗談はともかく、貴女が困るようなことは起きてはいないわ。安心して」
「それはどういうこと……ですか?」
リンピアは【魔砲武装】の砲身をケアに向けながら、威嚇するように詰問している。
しかし、その返答で一瞬、拍子抜けした。
「まず先に、こっちについて――」
ケアは紹介するように手を翳した。
その手は、先ほどからめらめらと瘴気を漂わせている黒い筋肉のような外殻の鎧の存在を指し示していた。
「彼女はリンピア・コッコのよく知る人物よ」
言うと、黒い鎧の人物はフルフェイス兜のバイザーを解き、素顔を晒した。
そこにいたのは、このゲーム世界にログインするときにも一緒だった人間兵器だった。兜が解けて頭部が解放されたことで、長い青髪がさらりと肩に落ちる。
「シール……さん?」
戸惑うリンピア。
シールは冷酷な瞳でリンピアを見つめている。
その感情が抜け落ちた目元はロアに似ていた。
「シールさん、なんですか。その格好! まるでソードさんの【狂戦士】みたいな……」
「――みたいな、じゃない。コピーしたのよ」
凜然とシールは言った。
「私が彼をマモる――。そのためニは力が必要でショう? だから貰ったノ。最強ノ鎧を。盾の勇者ニ相応しイ姿。本来私が持つベキ魔素よ。そウ思わなイ?」
「いや、えっと……その……」
シールの問いかけには鬼気迫るものがあった。
リンピアはたじたじになって、ろくに返事ができなかった。
何より、シールは明らかに常軌を逸している。
「ほら、貴女のよく知る人物でしょう。別に新手の敵ってワケじゃないわ。そして、ソードのことだけどね」
ケアが捕捉するように答えた。
湖岸に漂う邪悪な雰囲気とは相反して、平然と人間兵器と守護者の問答が繰り広げられていく。
それが何でもないことのはずがなかった――。
「そこにいるじゃない。貴女の隣に」
「え……? でも全然動かないし、返事も……」
「ああ、それは仕方ないわね。だって彼、まだ〝寝起き〟だから」
「――寝起き?」
リンピアは眉根を寄せた。
ケアの淡々とした説明が、陰謀めいていた。
守護者の談判をねじ伏せようという意気を、その制圧的な物言いから感じていた。
「ええ。えーっと、五十年ぶりくらいかしら? 封印の祠で眠りについてから――」
「それ、どういう意味ですか……? ソードさんはさっきまで私と行動を共にしてましたよ。現実世界でも、我が魔術相談所のバイトとして仕事もこなしてました」
ケアが三日月のような口元をさらに釣り上げ、邪悪な雰囲気を漂わせた。
「――ああ、貴女の言っているソードと、私の言っているソード。どうやら違う人のことみたい」
「は……」
リンピアは言葉に詰まった。
困惑は失意に。驚きは悪寒に。
リンピアの隣に佇む【抜け殻】が、次第に目覚めた野獣のように、黒い瘴気をシュウシュウと周囲に散らし始めた。
確かに何かが目覚めようとしている。
「貴女の言うソードって、こっちでしょう?」
ケアは手元に握りしめる物体を突き出した。
そこには円環に囲まれた葉っぱのレリーフのような魔道具があった。
――記憶装置『アガスティア・ボルガ』。
まるで命の灯火が消えゆくように、その装置の光の点滅が、徐々に弱々しくなっていた。
「……っ!」
すべてを察したリンピアは愕然とした。
魔道具によるソードの記憶改変は、憑依症状の緩和のために施された応急措置。
それはリンピアも知っている。
その緩和装置が抜き取られたソードが、リンピアの隣にいる【抜け殻】ということ。
なら、今から目覚めようとしているのは……。