190話 ◆法典武装Ⅳ
この世界で言う『空路』とは、飛行機や戦闘機に乗ったものではないということが重要だった。
リンピアもまだゲーム世界に来て丸二日――。
初心者中の初心者であり、まだ『パンテオン・リベンジェス・オンライン』がどういう世界観なのかを正確に把握していない。
リンピアの考える『空路』とは、搭乗機に乗るのが当たり前だと思っていた。
パンテオンでも運営の手先であるゲームマスターが、トラクターに乗ってサキュバスを追いかける現場を目撃したため、文明の利器が登場しても違和感のない世界観だと考えていた。
その固定観念は間違いだった。
「え゛……!?」
転移門を通り過ぎた途端、足場を失う。
支えを失った足元は空を切り、ばたばたと動かすもその足が地に着くことはなかった。
「えぇええええええぇえええ!?」
そのまま遙か上空の世界から真っ逆さまに落ちてゆく。
唐突に始まるスカイダイビング。
空路の消費ポイントが、他のルートよりも高額だったことを考えると、この待遇はあんまりではないか――。
空を落ちてゆく。
薄ら瞼を開けて地上を見やるも、その高度が高すぎるのか、雲間と、霞んだ青が見えるばかりで地上の姿を見ることはできない。
「なんで私がこんな目にぃいいいいいい!?」
絶叫も虚しく、孤独の空の旅を強いられる。
メンテナンス中のせいでもあるのだろう。周囲に他プレイヤーもいない。頼れる人がいないのでこの状況を自力で乗り越える必要がある。
リンピアは体勢を保つため、両手を広げ、強張っていた全身の力も抜く。
高いところから落ちる経験は、何もこれが始めてではない。
これでも守護者を拝命した不死族の一派だ。
これしきの事態は何でもないことだ。
「…………っ」
リンピアは腰につけた〝筆〟を取り出した。
魔力を集中させ、イメージを固める。
「――魔砲武装、展開。……久しぶりだけど、お願い!」
リンピアは魔力を絵の具とし、虚空をパレットとし、筆を走らせた。
塗りたくられた幻想の絵は、形を成して武装兵器として具現化していく。
背中には大きなジェット。
足にはブースター。
それらの機械の動力源は、リンピア自身の魔力潮流だ。
背中から魔力を吸われ、脚部に装着されたタービンも魔力によって回転する。
――バフッ、という空圧音を轟かせ、浮いた。
リンピアは生成した装着型魔造機【魔砲武装】の力で、滞空飛行を可能にした。
これぞリンピアの魔法の真髄だ。
シズクに見せた古代魔術は、趣味で覚えた手品程度の代物である。
リンピアは元より絵描きだ。
絵の技量を魔法に応用したものが、彼女の心象抽出の極地。
彼女はあらゆる幻想を具現化する――。
「うん。魔力量も問題ないね……。ゲームに潜入してからほとんど使わず温存しててよかった」
リンピアは久々に解放した魔法技術が衰えていないことに安堵し、ほっと胸をなで下ろした。
「はぁ……。しかし、私だからよかったようなもの、他のプレイヤーさんってどうするんだろ」
自力の飛行手段を持たないプレイヤーは突然放り出された空で、どう対処するというのだろう。
リンピアは周囲を見渡した。
エフェクトのせいか、空は霞んで、霧も濃い。
少し高度を落として地上に近づく必要があるかもしれない。
魔王城へ向かうルートの一つとして選択したのだから、おそらくこの直下には魔王城があるはずだった。
リンピアはしばらく【魔砲武装】のブースターを頼りにしながら高度を落とした。
警戒は怠らず、肩から魔砲の砲身を四方八方に向けて、いつでも敵の出現に対処できるように注意を払った。
しかし、まったく敵の気配はない。
魔王城攻略の道すがら、上級モンスターの一匹や二匹は潜んでいるかと思ったが……。
しばらく降りたところで、ようやく『空路』の意義を知ることとなる。
『繧医≧こそ!
【激戦!! 魔王城プリマロロ攻略戦線!!】
――の挑謌ヲ閠よ。
空の旅は讌ス縺励ましたか?
空路を選ク繧だあなたには、追加特典として蠕悟濠戦からスタート!
魔王プリマ繝シ繧コとの死闘を――
遨コ荳ュ謌ヲ、蜍昴※繧九°!?』
突然、空中にメッセージが表示された。
文字化けしていて、所々、文字が読めない。
しかし、雰囲気から察するに、どうやら空路で来ることで、魔王城攻略を、プレイヤーに都合のいい状態から始められるようだった。
メッセージが消失した後、地上からぶわりと〝浮き島〟が上昇して現れた。
その浮き島とは、崩壊した床の残骸だった。
欠片に分れた残骸には、白いラインも引かれていて、何か砲弾でも撃ち込まれたのかというほどに穴ぼこだらけだった。
「なんだろ、これ……」
これから挑むというより、既に戦いを終えた後のような状態だった。
「まさか――」
もし先行して魔王城に来ているプレイヤーがいたとしたら、それはソードたちに決まっている。
既にソードやシールは魔王に挑んだのか。
リンピアは惨状を目の当たりにして、固唾を呑んだ。
〝浮き島〟に注目していると、リンピアはある魔力の残滓に気づいた。
黒々とした粘性の魔力だった。
「瘴化汚染……!」
この場で、魔素が暴走した証拠だった。
魔力の残滓は、航空機が飛び立った後のように尾を引き、空中に細く漂っていた。
「……っ」
その魔力に触れ、気配を嗅ぎ取る。
それは盾の勇者が纏っていた青の魔力だ。
「シールさん……」
浮き島の残骸には、剣が突き刺さった痕や、魔弾が撃ち込まれた痕もあった。
魔王との戦いだけでここまでの痕跡がついたのだろうか。それにしては――。
リンピアは嫌な予感を感じ、地上への着陸を急いだ。
「ソードさん……魔王様も……無事かな」
最悪の事態に陥っている可能性があった。
あるいは、ロアの予想が的中している可能性が高まったとも言える。
暴走した人間兵器を止めるのは、【守護者】の役目でもある。
リンピアは筆を走らせ、さらなる追加武装を描き加えた。