188話 ◆法典武装Ⅱ
リンピアは、緊急メンテナンスの運営アナウンスを受けてから、しばらくバーウィッチの広場に座り込んでプレイヤーの動向を観察していた。
一人取り残され、することもないからだ。
プレイヤーたちは徐々にログアウトし、その数を減らしている。
ソードの後を追ったシールは無事に追いつけただろうか。――などと余計なことも気にしていた。
あの二人はリンピアにとって他人ではない。
二人には【守護者】について事情の説明はしたものの、最も重要なことは触れなかった。
それはソードとシールの関係だ。
「お義母さん、お義父さんに追いついたかなぁ」
リンピアはゲーム世界に取り込まれてから、初めて二人を見たとき「おとうさん」「おかあさん」と呼び間違えたが、実のところ、あれは呼び間違えでもなんでもなかった。
ソードは良いように呼び間違えだと解釈してくれて助かった。
実際にリンピアからすれば、ソードは「お義父さん」であり、シールは「お義母さん」なのだ。
血の繋がった両親ではない。
血が繋がっているのは、リンピアの伴侶の方。
そう――すなわち、ロアは二人の子だった。
それも六千年以上も昔に産んだ子だ。
青い髪や妖精族らしい美形の容姿は母親譲りであり、剣の生成や技能は人類最強の父親譲りである。
ロアはその特異な生い立ちから、現代で活躍する人間兵器の面々と比較しても、圧倒的に強かった。
後に人間兵器となる親の間に生まれたサラブレッドなのだから、当然といえば当然だ。
ソードもシールはその事実を覚えていないし、六千年という時間の隔たりが邪魔をして、その三人を人間の家族と同じように扱えるものなのかは、甚だ疑問である。
しかし、数十年前にはソードとシールが、人間の家族の真似事をして、シーリッツ海の孤島で同棲していた事実を考慮すると、家族としての二人の誓いは、本能に染みついているようにも思える。
――『パンテオン・リベンジェス・オンライン』に来てから、特にシールは人間だった頃の彼女の感性に戻りつつあった。
容姿も昔の姿に復元されているし、もしかしたらこのゲームには、人間兵器をオリジナルの彼らへと還元させる力があるのかもしれない。
それはある意味、人間性を欠いた人間兵器たちにとってチャンスになろう。リンピアはこの奇妙な〝怪異〟を肯定的に受け止めていた。
あらためてゲームの街並みを見渡す。
ログアウトしていくプレイヤーが多いが、中には放置しているのか、まったく動かないキャラクターも大勢いた。
このゲームは不思議だった。
虚構の世界だというのに、現実よりも温もりを感じさせるようなプレイヤー同士の営みがあった。
それも、運営のメンテナンス一つでかき消されてしまうのだから脆い世界だが――。
「ん……?」
多少の寂しさも感じながら考えを巡らせると、視界の端に見覚えのある人物の影が横切ったような気がした。
「そんなわけない、よね……」
リンピアは一度否定したが、その人影が徐々に近づいてくるにつれて、それが本物だとわかって目を丸くした。
「えっ、ロアくん!?」
「やぁ。早々にリンピアと合流できて何よりだ」
噂をすれば影というものだろうか。
青い髪の男が、現実世界と同じ姿形で目の前に現れた。
どうしてロアがゲーム世界に来られたのか。
その後ろには、長身で長い黒髪をたなびかせた男も付いて歩いてきた。男の目元は黒い帯で隠されていて、どうやって視界を確保しているのか疑問である。
「どういうこと……? その人は一体?」
「彼は人間兵器七号のヴェノム」
「えっ。ヴェノムさん?」
「――のゲームの中の姿といえば伝わるか」
現実世界では髑髏面にボロの外套という出で立ちだった七号とは、印象が対称的だった。
「そこにいるのがロアの相棒かい? よろしくな。俺はヴェノムだ。アークヴィラン・ハンターの」
「ヴェノムさんのことはよく存じてますけど……。それ、視えてるんですか?」
「あぁ? あぁ、まぁな。何故かわからんが、瞼の裏に黒い風景が浮かんでるような感じかねぇ。俺にもよくわかんねぇよ。視えるから気にすんな」
黙っていれば、影のある美丈夫という印象だが、ヴェノムの粗暴な喋り方がそのすべてを台無しにしていた。
ロアは肩をすくめ、リンピアを見た。
「おそらく『心眼』による特性だろう。彼のオリジナルは暗殺者として大成した一族の末裔だったはずだ。暗具で闇を駆ける彼らは、目隠ししても五感すべてで周囲を捉えることができたそうだ。思えば、七号が好む魔素も暗殺向きだな」
ロアは事もなげにそう語る。
――『焼夷繭』や『王の水』も、確かに暗具といえば暗具のようなものだ。
「それはそれとして、なんでここにいるのか教えてくれないかな? ロアくん」
「話せば長くなるんだがね……」
「じっくり聞かせてもらいます」
「やれやれ。キミのその根気強さはたまに煩わしくなる」
リンピアは頬を膨らませた。
離れ離れになっていた伴侶と再会して、その言い草はないだろう。無愛想だけならまだしも、ロアは徹底的な合理主義であるがゆえに、リンピアもそんな男に可愛げのなさを感じていた。
「私はどうせ面倒臭い女ですよーだ」
「そこまでは言っていない。根気強いのは良いことだ」
「良く言っていたように感じなかったけどね!?」
「言葉とはそういうものだ。ま、詳細は話すからそれで勘弁してくれ」
ロアは『パンテオン・リベンジェス・オンライン』に入るまでの経緯をリンピアに伝えた。
ロアやヴェノムがゲーム世界に潜入できたのは、モロスケの所有するGPX端末のおかげだ。
起動したところ、何の障害もなく取り込まれることに成功した。七号がいたことが幸いしたのだろう。
今のパンテオンは、人間兵器を見境なく取り込もうと作用する。
ボク・ウィモロー――モロスケと接触したとき、既に彼は『パンテオン・リベンジェス・オンライン』をログアウトしていた。
理由を聞いたところ、緊急メンテナンスがあるから、と――。
持ち合わせの装備が高価なものばかりのモロスケにとって〝データ保護〟という脅し文句は絶大の効力がある。
ましてや、モロスケはゲームで唯一のチート武器『天地創造の極光剣』を入手している。
それを失う恐怖は素人には計り知れなかった。
メンテナンスの報せはリンピアも把握していた。
「モロスケさんって……あの人か……」
ソードとも何度か話す機会があり、魔王城までのイベント攻略について相談に乗ってくれていた。
「その通り。メンテナンスの原因はボスモンスターであるサキュバスの逃走だろう? そのサキュバスというのは、おそらくプログラムじゃない。プレイヤーの一人だ」
「え……」
リンピアは困惑した。
〝それで? なんで倒さなかったの? モンスターなのに〟
〝こいつは運営に監禁されてたんだ。自我を持った稀なケースってことで。運営の思惑を知るチャンスだろ? 倒すなんて貴重な情報源を失――〟
〝違う! ソードはなんでその子を庇うのよ!〟
奇しくも、あの夫婦喧嘩の発端となった存在。
もしそれが本当なら、ソードの行動は正しかったことになる。ソードの言う通り、運営の思惑があるのだ。
「リリスはサキュバスでもなんでもない。普通の人間のガキだ。なんでゲームの世界に閉じ込められちまってるか知らねぇがな。――俺のツレだった」
ヴェノムはそう付け加えた。
広場でまた一人、プレイヤーがログアウトして消えた。最早、バーウィッチという町の広場に残るプレイヤーは、ロアとリンピアとヴェノムの三人だけになっていた。
メンテナンスがまもなく始まる。
「そういえば、リンピアも、このゲームについては昔から気にしていただろう?」
「うん……。だって、人気だったからね。健全なゲームが話題になるだけなら気にもしなかったけど、ここの世界観は、古い時代の街並みと瓜二つだし」
そう、目を付けてはいた。
しかし、その他の現実の怪異滅却を優先し、こちらを後回しにした。なぜなら、ここには特にアークヴィランの侵略行為の形跡も、人間への害悪も確認できなかったからだ。
「そもそもプリマローズ・プリマロロが失踪したことが事の発端だったが、それ以外の目立った怪異はなかった。俺たちがこのゲームを放置していたのも実害がなかったからだ。だろう?」
「そうだね。でもソードさんが、メイガスさんや魔王様を捜索したいと私を頼って……あれ?」
リンピアは違和感を覚え、思考が止まる。
元々、何の問題も起きてなかったのだ。
ソードの意思としては、パペットの救いを急いでいたようだが、それ以外の人間にとっては、これは些末な出来事――。
つまり、この世界にこのまま魔王や人間兵器が閉じ込められたままだったとしても、所詮その程度の問題で終わるのだ。
「この怪異は至極、人間兵器の立場に寄り添ったトラブルだ。そんなトラブルならと俺が真っ先に疑った元凶は、中でも最も電脳ネットワークに近しい存在――」
「五号ね」
「そうだ。おまけに、あの女は他の人間兵器と比べても異質だ。その身に神性を宿しながら、【守護者】ではなく【人間兵器】となる道を選んだ。長期間の稼働で発生する不具合が、他の者と違う経過を辿っても不思議じゃないさ」
「そうか~……」
リンピアは頭を抱えた。
人間兵器五号。元・女神。
かつて人類を恐怖に陥れた邪神でもある。
毒は抜けたと思っていたが、彼女も彼女なりの理念に基づき、アークヴィランの魔素に体内を食い散らされたのかもしれない。
「ちょうどいい。他のプレイヤーもいなくなったことだ。幸いにも『リィール・フリンガー』はこちら側にある」
「……そういえば、モロスケさんは?」
「そのままログアウトさせている。俺も一度は内部の状況を調べておきたかったんでね。メンテナンス後にまた落ち合えるように、合流する日時は決めたから安心しろ」
「さすがロアくんね。頼もしい」
リンピアは魔術相談事務所の実務のほとんどを、ロアに当てにしていた。
「そういうことなら、これからどうする?」
「ケアを追う。彼女が元凶なら、おそらく人間兵器が揃いつつある今、動きに出る可能性が高い」
「そうだね。……うーん。だったらあそこかな」
「俺も、リンピアと同じことを考えている。ソードやアーチェが目指す場所に、ケアも現れるだろう」
言いながら、ロアは町のイベント旗を見ていた。
そこには魔王城攻略イベントのフラグが揺れ、プリマローズのシルエットを写し出していた。
単純にロアの手際が良すぎるのだ。
計算高く、仕事も徹底的だった。
あまりに計算が速いせいで、先走ったことをすることが玉に瑕だが――。
アーチェを殺そうとしたことも、ケアの陰謀をいち早く察知し、人間兵器の数を減らした方がいいという計算が弾き出されたための先走りだった。
――時を同じくして、今まさにアーチェがケアの陣営に回ったことを、まだリンピアも、ロアも、ヴェノムも気づいていなかった。