186話 さようなら、新しい貴方
振り返ると、そこにはアーチェとリリスがいた。
ケアが俺と会話しながら、その実、語りかけていたのは背後にいるアーチェだった。
アーチェは驚愕して冷や汗を流している。
リリスは何が起きているのか理解できていないようで、俺やケアを見比べながら、怪訝そうに眉を顰めていた。
「アーチェ! 今の話、聞いてただろ!」
俺は叫んだ。
アーチェは、一度は憑依に零落れたが、再起して今に至る。
正常な思考を持ってるアーチェなら、今の話を聞いて、どっちが真っ当なことを言っているのかくらいわかったはずだ。
「ソード……あたし……」
「このゲームはケアの陰謀だった。あいつが諸悪の根源だ。あいつをなんとかすれば、シールも、メイガスも連れ戻せる! 現実に帰れるんだ!」
「……」
アーチェはきっと葛藤しているのだろう。
俺だってそうだ。
対峙しているのはかつての仲間だ。
それを敵と見なして争うことに、抵抗がないと言ったら嘘になる。
でも、現実で待つヒシズやパペット、それにラクトール村のシズク、ヒンダ、マモル……他にもこの時代で知り合ったたくさんの人間たちを思うなら、ケアの暴走を止めなければならないことは、考えるまでもない。
「アーチェ、力を貸してくれ!」
俺は背後に向けて手を差し伸べる。
一vs三の人間兵器同士の戦いでも、二vs三にできれば勝算は高まる。
アーチェは俺に「私にまかせて」と言った。
そうしてちゃんとリリスのことも助けてくれた。
〝――やっと少しは仲間を頼れるようになったじゃない〟
と、彼女はさっきそう言ったばかりだ。
俺はアーチェの言葉を信じる。
頼れる仲間は、ここではアーチェしかいない。
さぁ、と手を差し伸べる。
アーチェは難しい顔をしながら、足を引きずるようにして歩み寄ってきた。
手を取り、剣士と弓兵でこの状況を打破する。
そうなることが様式美だし、こと悪を打倒する上では理想的な展開だった。
――だが、アーチェは俯きながら、俺が差し伸べた手を交わし、脇を通りすぎた。
「……」
通り過ぎたのだ。
アーチェが歩み寄っていたのは俺じゃない。
俺と対峙するケア、シール、メイガス。
――ここでは特にメイガスへ寄り添うと決めたのだと想像がついた。
「……」
――そうだよな。
俺は理解していた。
その背に向かって、そうやって諦念の声をかけることもできた。
でも、俺は何も言わなかった。
アーチェは苦しんでいる。この選択を。
真っ当な思考回路を持つ彼女だからこそ、この決断の意味がどれだけ重いかなんてことは、彼女自身がよくわかっている。
現実世界を脅かす選択。
信じてと告げた仲間を裏切る選択。
それがアーチェ自身に返り、重くのしかかっている。
だからアーチェは重たい足を引きずるように、ゆったりゆったりとメイガスのもとへ向かっていた。
それほどまでに彼女は魔術師を求めていた。
元よりアーチェがゲーム世界に来た目的も、メイガスと再会するためだったんだ。だったら、その選択を俺は非難することはできない。
それほどまでに、このゲーム世界は今まで感情を持つことがなかった人間兵器さえも〝愛〟に漬けてしまう誘惑がある。
シールがそうであったように――。
「ごめん、ソード……。ごめん……」
アーチェはメイガスの元に辿り着き、その隣に立って振り返ってから懺悔した。
ツインテールの赤髪が振れ、俯きがちに謝るアーチェは、とても幼く見え、まるで義理の妹に謝られる兄の気分になった。
「あたしは、メイガスと居たい。そのために……」
ぽろぽろと溢れる涙が、細かい結晶となって散り散りに消えていった。
謝る必要なんかない。
アーチェの目的は最初からわかっていた。
「わかったから何も言うな」
「え……」
「お前の決断を、俺は悪く言わない。何千年と待ったんだ。それでようやく願いが叶った。だったら、喜べ。俺のことなんて気にするな。いいか?」
「……う……ご、ごめ……なさい……」
「謝るなって言ってんだ」
「……」
謝らずにはいられないのだろう。
この状況は誰がどう見ても、分が悪い。
人間兵器一vs人間兵器四。
絶望的な状況だった。
気づけば、今は俺が少数派。
糾弾の対象であり、打倒すべき悪は俺の方。
正義はいつも多数派に存在するのだから。
このゲーム世界において、異端は俺で、危険分子は俺。
――死ネ。戦犯。凶賊。悪の根源。
なんだか聞いたこともない幻聴が頭を木霊する。
死刑台に立たされたような気分。
聴衆が断頭台に立たんとする俺を、取り囲んで非難する情景が脳裏を貫く。
「単純に――」
ケアが一人の俺に告げる。
「力の差だけじゃないのも気づいていて? まぁ、私は【時ノ支配者】で貴方を好きに調理するのなんて容易いのだけど、貴方の厄介なところは、死ぬとわかっていても戦意を失わないところ。その異常な正義感に、これまでの悪は倒されたのよね。――だから、その戦意を端からへし折ってあげる」
よく舌の回る女だ。
戦意なんて、その実、もうなくなっている。
相棒と思っていたシールだって敵対している。
助けにきたと想っていたメイガスは、俺を危険分子として認識している。アーチェは悲痛の表情で、俺に懺悔している。
それでも尚、今は対峙しなければならないんだ。
これが俺の信念。
俺を勇者たらしめた人間たちの願い。それを受けて、俺はここに立っている。それで、俺自身に戦意なんてものがあるわけなかった。
「アーチェの場合、私の制圧によってこちら側に回ったんじゃない。自分の意思で、こちら側に回ることを選んだ。つまりね、私の意思とは関係なく、この世界を望んでいる者もいるということ――」
肩をびくりと震わせる赤髪のツインテール。
それ以上、仲間のメンタルを抉るな。
無粋すぎる。
「アーチェはこの世界を望んでるわけじゃねぇ! 履き違えるな!」
「……アーチェだけじゃない。シールだって、この世界が好きなのよ。憑依になる前だって、貴方と一緒にこの世界を旅することを嬉々として受け入れていたじゃない」
どこかでひっそりと見ていやがったか。
ケアはいろんな姿になりながら、俺たちがパンテオン・リベンジェス・オンラインでの動向を見張っていた。
どこまでも抜け目のない女だ。
「それに、このゲームを楽しむすべてのプレイヤーだってそう。現実なんてクソくらえ、ゲームの方が何倍も楽しい、そう思ってるわ。だからこのゲームは人気沸騰中なのよ」
「ゲーセンの男もそんなことを言ってたな」
「でしょう。つまりね、需要があるってこと。それを破壊するなんて、貴方はこのゲームにとってのウイルスみたいなものなのよ。多勢を敵に回してまでも貫く正義――いえ、そんなものは悪か。悪行を貫く貴方にはがっかりよ」
だから、「要らないわ、貴方」と――。
俺はそっと剣を両腕に出現させた。
肉弾戦しかできない。
あいつのトリッキーな魔素の数々をなんとかする術は持ち合わせてない。
だから力尽くでやるしかないんだ。
「お前の屁理屈には懲り懲りだ。瘴化汚染が進む原因を作ってるのは間違いないんだ。ぶっ壊して当然だろ。現実の人間みんなが、こんなクソゲーを遊んでるワケじゃないんだしな」
「あら、逆に戦意が増しちゃったようね」
「当たり前だ! ――それにまだ負けると思ってねぇよ。人間兵器は冗談抜きの不死身だ。お前らもだが。どれだけ殺り合ったって戦いは一生続く。人間兵器同士が争いあったときには、心の折れた方が負けなんだよ」
嘘じゃなかった。
人間兵器は、基本的に死なない。
不老不死の体だからだ。
体がボロボロになっても復活できる。俺だって今まで腕を射貫かれたり、脇腹や足が爆散しても、復活してきた。
真核が無事なかぎり、死ぬことはないんだ。
だから、この競り合いは永遠と続く。
参ったと言った方が負けなのだ。そんな消耗戦は俺の専売特許だ。意志を貫くことに関しては、どの人間兵器よりも得意なんだからな。
「ふふふ。誰が、貴方を倒すって言ったのよ」
「あ? 違うのか?」
「貴方を倒す必要なんてない。不要な〝貴方〟を抜き出して消去するだけ」
「どういう意味だ……?」
ケアが卑しく笑う。
言っていることの意味がわからない。
ゲーム世界において、俺を抹消する手段が他にあるとでも言うのだろうか。しかし、それだと倒すことと何が違うのかわからない。
「ククク。ほら、ここよ、ここ。思い出して」
「……?」
ケアは左手を開き、右手の指でとんとん叩いた。
ケアの手のひらには何もない。
しかし、そのジェスチャーは俺のことを暗示している。
左の手のひら……?
俺はふと自分の左の手を開いた。
そこには何もない。
何もないのだが、何もないことを変に思った。
「……っ!」
はっとなって、目を見開く。
左手のひらにはあるモノをくくりつけていた。
それは今の俺が、俺になった始まりのアイテム。
記憶の発端となった大切な魔道具。
俺は咄嗟に駆けだした。
悠長なことをしている場合じゃない。
いち早く、ケアを行動不能になるまで斬り尽くさないと、きっと俺は、俺でなくなってしまう。
俺という自我を切り取られてしまう。
「やれやれ、気づくのが遅いわ」
「――【抜刃】!」
ケアの全方位から剣山を出現させて、串刺しにせんと能力を発動する。
「――〝止まれ〟」
ケアが一言そう言うと、世界は赤黒い空気に満たされて静止した。
これは【時ノ支配者】。
世界そのものを支配する規格外の静止の魔素。
「――――」
意識があるのをここまで残酷だと思わなかった。
ケアが四方八方の剣山をゆったりと避けながら、俺へと近づいてくる。
「まな板の上の鯉ってやつねぇ。ほらほら、大事な〝貴方〟が抜けてしまうわよ」
「――――ッ」
翳した左手のひらから何かが出てきた。
バチバチと紫電を散らして出現したのは、三つの円環に囲まれた葉の形をした四角いチップ。
その小さなオブジェクトは、俺が初めて人類への離反を考えて装備したアイテムだった。
記憶装置『アガスティア・ボルガ』。
俺という人間兵器の記憶――七回目から九回目の目覚めの記憶と、この時代に目覚めてからの俺の冒険の記憶が詰まったものである。
それを抜き取ろうというケアの意図はわかる。
記憶の消去処理を施されなくなった人間兵器たちは、五千年の記憶を持ち続けている。
俺だけは違う……。
勇者側が魔王に負けてからの五千年分の記憶を、アガスティア・ボルガで上書きしている。
その記憶を抜き取ってしまったら……。
「さようなら、新しい貴方――」
ケアは冷淡な口調でそう告げた。
「次に目覚めるときは、また古い貴方よ?」
古い〝貴方〟――。
それは、憑依へと陥ってしまったかつての俺の人格を意味していた。
魔素の精神汚染に耐えきれなかった前の俺。
また憑依に戻るかもしれない。そうしたら、ケアの脱魂の軍門に下る可能性がある。
そうだった。
俺の憑依状態を、アガスティア・ボルガで静める方法を思いついたのは、ケアだった。そのときからこの計画を……。
「よかったわね、シール。また最愛の彼に会えるわよ」
ケアは皮肉たっぷりにシールに向けて言った。
新しいソードである俺は、絶望で瘴気よりも黒い何かに飲み込まれるような気分だった。
そうだ……。
シールが愛していた男も、本質的に俺ではない。
記憶を上書きされる前のソードだ。
俺はその男の成れの果て。
記憶をすげ替え、器を借りていたにすぎない新しい人格だった。
だから元に戻るだけ……。
じゃあ、俺は、誰なんだ……?
アガスティア・ボルガによる記憶の上書きをシールに提案したのはケアでした。(第1章 75話 昔々のつい最近Ⅲ)