185話 策士二人の種明かし
蓋を開けてみればなんてことはない。
このゲーム世界は最初から最後まで、アークヴィランの魔素の瘴気で真っ黒だった――。
湖城の岸にじっとりとした風が吹く。
いや、吹いたように感じただけ。それが天然の風じゃないことは重々承知していた。
このねっとりした風も、暗澹とした雲も、すべてがすべて瘴化汚染の影響。
湖畔の水さえ、黒い泥のように見えてきた。
「……」
アーチェから離れ、ゆっくりとした歩調でケアの隣につくメイガスを、俺は凝視した。
この男も予想通り、憑依だった。
メイガスは、朗らかな表情で、目を細めながら俺を見ていた。その顔色は親しみに溢れていて、だからこそこの状況下では残虐に見えた。
ケアは感情のない目で。
シールは冷酷な目で。
人間兵器、一体vs三体。
「メイガス……。お前も俺を騙すつもりで――」
ゲーム攻略中の中間考察、その二。
〝――メイガスが悪意をもって閉じ込めた〟
これが見事に的中したということである。
「騙す? こうやって対面で再会できたっていうのに、相変わらずソードは酷い口ぶりだ」
「だってそうだろ! こんな世界つくって……!」
「ソード!」
メイガスは俺を叱りつけるように怒鳴った。
気圧されて思わず言葉に詰まる。
「僕はソードと下水道で話したときから、一度たりともウソをついてない。そうだろう?」
「っ……」
メイガスの濃紺の目が俺を真っ直ぐ見据える。
「ほら、僕の目を見て、振り返ってみてよ。キミは肉体派だけど知能は高かったはずだ。記憶力だって、みんなが思ってるよりずっと高い。僕はそんな理解が早くて頭の良いソードが好きだったよ。少なくとも昔はね。――どう?」
「……」
下水道でのメイガスとの会話――。
〝ああ、九回目のこと? 気にしないでよ! 確かに僕はやられちゃったけど、おかげですごい発見ができそうなんだ〟
会話なんて印象的なもの以外は薄らいでいく。
頭に残るのは強烈なインパクトがあるものくらいだ。
あのとき、メイガスの〝すごい発見〟とは何なのか、という疑問が頭に残った。
それ以外にも驚くべきようなことを言っていた気がするが、言っていたという事実だけ記憶に残り、具体的に何を言っていたか――。
すごい発見とは、このゲーム世界のこと。
すなわち、新世界の創生。
人間兵器にとって最良で幸福な世界を、アークヴィランの力で構築できることを発見したんだ。ケアと共謀して。
その疑問が氷解すると、他の会話の中身も、記憶の氷が溶けるように滲み出てきた。
確かに思い返せば――。
〝魔王に殺されたのは間違いないよ。人間兵器としての僕は、確かに死んだ〟
人間兵器としての僕は。
〝ここは簡単に言うと、魔導の中身そのもの……というか、僕自体が今の魔導通信ネットワークを構築していると説明した方がわかりやすい〟
〝僕はアークヴィランの憑依として、この電脳魔術を構築できたんだ〟
「ああ……」
嘆息した。
そうだった。メイガスは嘘をついていない。
メイガスは自ら憑依である自分を大っぴらに、何の抵抗も見せずに公表していた。
〝お前、アークヴィランに乗っ取られてるのか?〟
〝そうだけど、アークヴィランと融合しながら、自我は保つことができた〟
自我を保つことができた――。
それを聞いたときは、メイガスだけ何か秘術があって、独自に憑依の精神汚染から自己防衛する手段があるのだと思って、軽く流した。
魔術オタクのメイガスのこと。
自身に内包する魔力的な要素をコントロールすることに、他の仲間より長けているのだと思った。
それなら安心だ、と俺は勝手に解釈した。
だが、何のことはない。
『憑依』とは、ケアの言うようにアークヴィランの精神汚染によって魔素に支配された存在。
対になるのが『脱魂』。
それを実現したのが俺とケアの二人だけなら、メイガスもまた魔素に精神支配された、ただの憑依。
自我を保てているのは、今そこでメイガスとケアを間に挟んで佇むシールと同じ。
王都でヒシズと一緒に復興に尽力する、パペットと同じ。
『脱魂』したケアに制御されているに過ぎない。
俺が無知だった。
黒幕は最初から、俺の傍で謀略していたのだ。
憑依状態にある仲間を従えて――。
「どう? 僕は嘘つきじゃなかっただろう?」
メイガスが得意げな顔して聞いてきた。
「ああ。メイガスは最初から真実を語っていた。下水道で会ったときから」
「ほらね。――それに、忠告もしたんだよ。僕はこうなることも計算していたから」
「こうなる?」
「キミならきっと抵抗する。キミを無闇にこのゲームに引きずり込むのは、トラブルの原因になる可能性が高いってね」
その計算はご覧の通り、とメイガスは両手を広げて現状を暗喩した。
さすが魔術を極めた人間兵器。
将来予測も正確だ。
だから俺にはこう警告したのだ。
〝僕は大丈夫だから。でも、ソードはなるべく近づかない方がいい。地下は元々奴らにとって危険分子を排除する処刑場として――〟
それが下水道で交わしたメイガスの最後の言葉。
「ケアも僕の助言は聞いてくれたんだけどね、予想外のことが起きてね……」
「お前でも予想できないことがあったワケか」
「そりゃあね。神様じゃないし。――それはキミが脱魂に至ったことだよ」
「……」
パペットとの戦い――。
あれで俺は【狂剣舞】という脱魂の力を手に入れた。
脱魂化した俺に、ケアもメイガスも驚いた。
ケア以外にも『憑依』を制圧できる存在が現れてしまったのだから。計算が狂ったのだろう。
饒舌なメイガスを静めるように、隣のケアが手で制しながら口を挟んだ。
「――私はパペットの憑依がシッポを出すまで、人形劇団の動向は見張っていたんだけどね。まさか、あなたの方が先に手をつけちゃうんだもの。こっちは何十年粘ったと思ってるのよ? ……まったく、剣の勇者さんはいいとこ取りで困るわ」
ケアは恨み節を唱えた。
そんなケアの様子は昔と変わらないので、特になんとも思わん。
パペットも度々視察に来るケアを倦厭していたのは、内包する魔素が、本能的に拒絶反応を示していたからか……。
差し詰め、蛇に睨まれたカエル。
鷹の標的にされた小動物とばかりに。
喰われるような気がしていたのだ。あいつは。
「そこで、作戦変更――」
ケアは両手の人差し指を立てて前に突き出し、片方の指を折った。
残った片手の人差し指がプランB。
「勝率は低かったけど、お人好し朴念仁のソードを、あえてパンテオン・リベンジェス・オンラインに取り込んで、中で懐柔することにした。正義と悪。勇者と魔王。この対立構造を使えば、チョロいあなたなら、あっさりこちらに懐柔できると思ったのだけれど――」
ケアは人差し指を立てたプランBの片手をぱっと開き、作戦失敗をジェスチャーで示した。
そのぱっと開いた手の平が〝今〟を示していた。
ようやく種明かしが、現在に辿り着いた。
「まさか仲間との絆よりも、一介のプレイヤー、イベントボスというMob、そして悪の魔王を優先するなんて、さすがのお人好しも筋金入りで呆れちゃった」
「ふん、残念だったな……。俺は何を考えてるかわからねぇ内輪の仲間より、助けてってわかりやすく顔に書いてある他人の味方だよ」
「そういう行動原理がシンプルすぎて逆に行動を予測できないあなたのこと、ずっとずっと昔から好きになれなかったわ。友達、少なそうよね」
そりゃ、お生憎様。
てか、ケアに言われたくねぇ。
「――さてと、これまでの経緯は一通り話したけれど、今度はこれからの話。ここから何が起きるかはわかってる?」
ケアはどこからともなく本を出現させた。
それは、このゲーム世界のチートアイテム、シリアルコード辞典だった。
ケアは俺を『要らない』と言った。
つまり、俺を抹消して、六人の人間兵器で仲良くやっていくってことだろう。
「ああ、やってみろよ? 言っとくけど、俺は考えを変える気はねぇからな。この世界は瘴気で真っ黒だ」
アークヴィランを利用するのは悪魔の手だ。
それは、現実で平凡に暮らす人たちを脅かす。
俺はパペットに約束した。
パペットを蝕む魔素をなんとかする、と――。
ヒシズだって、やっと身内の死に向き合って王国再建に向けて頑張っていくんだ。
そんなときに、このゲームの存在は汚泥だ。
アーチェ曰く、これのメインサーバーは王都の地下にあるというし、再建の弊害になることは間違いなかった。
人間にとって邪魔なんだ。
彼らのことを思うなら――パペットが語る〝真の理想の世界〟を目指す上では、このゲームは王国の裏面に成り代わる。
身勝手な人間兵器の仮初めの理想郷に浸って、王国の暗部を広げる手伝いなんかしたくねぇ。
「私たちを敵に回す、ということがどういうことかわかって言ってるの?」
「もちろんだ。お前ら三人――いや、実質一人か。ケア、お前にはきついお仕置きが必要だよ」
盾兵と魔術士という憑依の二人も厄介だ。
だが、中枢は脱魂状態の治癒術士にある。
あいつさえ制してしまえば、まだ逆転のチャンスはあるのだ。
「ふ、ふふふふ。ふふふふ」
ケアは乾いた嗤い声を漏らした。
目は相変わらず笑っていない。
「あなたは気づいていない。どうやってもこの状況では、私を覆すことはできない。盤上をひっくり返せば、気づくと思うのだけれど?」
云いながら、ケアは俺を見ていなかった。
俺の背中越しの誰かを見ていた。
その視線の違和感に気づき、この最悪の状況というのは、まだまだ最悪ではなかったのだと知った。
盤上をひっくり返す。
あいつが見ているのは、俺の後ろにいる、人間兵器の仲間だった。
恒例の伏線回収回が続きます。
メイガスのセリフの引用は「第二章 97話 六号メイガス」からです。
振り返るとメイガスは本当のことしか言ってないですね。
ケアと違って正直な性格なのでしょう。