184話 憑依と脱魂
「おまえが、黒幕だったんだな……」
気づけば周囲には敵だらけだった。
シールもDBも二人揃って俺と対峙している。
しかもDB――いや名前が違うか。ケアの【時ノ支配者】という時間を止める能力によって、俺はまな板の上の鯉さながら、身動きが取れない。
湖畔の砂利に押しつけられて固定されている。
「ケア、なんで憑依なんかに!」
そうでなければ、この対立はありえない。
それこそさっきまで協力してバレーボールに身を投じていた関係だ。
もっと言えば、王都ではアーチェに射貫かれた腕を修復してくれたし、それ以外にも困ったときは教会で相談にも乗ってくれた。
皮肉屋で扱いづらかったが、頼りにしていた。
セイレーンの棲み家をつくる手伝いだって、してくれたじゃないか。
「――憑依? 私は正気よ。アークヴィランに神を支配できるとでも?」
ケアは平然と答えた。
この裏切りを異常とも何とも思ってなかった。
なら、今までのDBは何だったんだ。
「なんでだ! 少なくとも運営を撒いて魔王城に連れてきてくれたのは、おまえだった!」
「だって、その方が手っ取り早く、魔王を倒せたでしょう?」
あくまで効率を求めて――。
それがケアという女の本性だった。
俺に協力しているようでいて、目的のために利用していただけだったのか。
神を自称するやつにロクなやつはいない……。
俺も長いこと生きているが、神には一度たりとも出会ったことがなく、神と名乗る存在は、総じて自惚れでしかなかったからだ。
だから、神様なんて空想の産物だ。
俺以外の人間兵器も信心深い者は一人も無し。
神様なんていないのだ。
神職に就く五号ですら、神を馬鹿にするような態度をよく取っていた。
その本人が、今しがた神を自称した――。
どうして神が俺を貶めるというのか。
「何が女神だよ! ハッピーエンドは……? おまえが言ったハッピーエンドは、仲間たちの未来を守ることだろう!? 俺を嵌めて何になる」
「知れたことよ。これが――」
ケアは両手を広げ、この世界を示した。
「この世界が人間兵器にとっての理想郷だもの」
「理想、郷……?」
ケアは冷酷な虹の瞳を俺に向けた。
とぐろを巻いたような瞳。
そこに、人間味は微塵も感じなかった。
「貴方も、五千年ぶりに目覚めて感じたでしょう。人間兵器の本質は、数千年前から何も変わらない。人に利用され、人に倦厭される。脅威が現れれば助けてと縋りつかれ、平和な時には生活圏を制限され、その生涯に自由はない」
"ソード……。私は、自由でいたい"
そう最初に言い出したのはシールだった。
俺だけじゃない。みんな、自由を願っていた。
実際に束縛された運命から逃げ出した俺だからこそ、ケアの言葉が胸に突き刺さる。
「人の業の外側にいる私たちに、人間たちは制限を課した。行き場を失った人間兵器は何をしているかしら? アークヴィラン狩り? 人形劇? ゲームの運営? 教会でお祈り? ――私たちの本質は、そんな低俗な営みに付き合わされるようにはできていない」
ケアは淡々と語る。
それは神の立場から人を貶す様な物言いだった。
「力を振るい、魔王を倒し、民に敬われる。人間では到底できないことをやってのけてこそ人間兵器の本質というものよ」
「人間兵器の本質……?」
「ええ。そこに人間の意思は介入させない。私たちは好きなときに戦い、勝ち上がり、そして満たされる。それが永遠の生を謳歌する糧になる」
ケアの言葉は、これまで『パンテオン・リベンジェス・オンライン』で味わった感覚に納得感を与えてくれた。
ここでの戦いには充足感があった。
仲間との連携にやりがいを感じた。
現実世界では味わえない達成感が、このゲーム世界にはあったのだ。
そして抑圧された感情を、解放してもいいんじゃないかと感じさせてくれた。
シールはその感情に身を委ねてしまったのだ。
居心地が良かったのはシールだけじゃない。
アーチェだってそうに違いない。
魔族排球でのアーチェの瞳には勇者全盛時代の輝きを感じた。
「貴方は勘違いしているかもしれないけど――」
ケアは不愉快そうに俺を睨む。
「アークヴィランの魔素を支配し返したのは、貴方が初めてじゃない。何でもかんでも一号が最初と思わない方がいいわ」
「へぇ……。お前が先だって言いたいのか?」
「そう。魔素の汚染によって『憑依』になることは人間の器で確認されていたけれど、人間兵器が器になる場合には、アークヴィランの精神支配を凌駕する場合がある。――それを『脱魂』と言うの。私も脱魂化した」
貴方と同じようにね、とケアは付け加えた。
アークヴィランに支配される『憑依』。
アークヴィランを支配する『脱魂』。
魔素汚染の最終形には、その二通りの状態があるようだ。
「脱魂化した人間兵器には『憑依』を制圧する力がある。貴方がパペットにしたようにね」
「制圧だと?」
「貴方は〝喰らう〟なんて表現していたけれど、実際は手綱をつけて従えただけよ」
平和主義者の思考は笑えるわ、とケアが笑う。
その余裕の笑みは勝ち気な証拠。
きっと今は……ケアのが強い。
さて、この不利な状況をどう打破するか。
「百聞は一見に如かず。――そろそろ【時の支配者】を維持するのも疲れてきたからシールを解放するわ」
ケアはそう言うと、蚊でも払うように片手を振ったかと思うと、周囲を漂う赤黒い霧を一気に消滅させた。
維持するのも疲れてきたから。
ケアは確かにそう言った。
【潮満つ珠】と同じ魔力消耗の激しいタイプの魔素なのか?
そうして時が動き出す――。
「――助けてもらったら、服従ノ言葉を忘れなイでね!!」
シールが高らかに叫ぶ。
彼女の肩の銃砲から、散弾が炸裂しようとしていた。ケアに時間を止められる直前までのシールとの戦いの熱が一気に湖畔を充満していた。
俺は咄嗟に目を反らした。
「ダメよ、シール」
ケアがシールの銃砲にそっと手を添える。
手先から漂う黒い瘴気がシールの装備という装備にまとわりついていた。その煙は、俺がパペットに刃として放った性質のものと同じだ――。
「……ケア?」
シールははっとしたように振り向く。
何の違和感もない仲間二人の声掛けの光景。
だというのに、俺はこの場において二人とは一線を画した場所にいる。
決して相容れない、ゲーム世界への認識。
ケアはこの世界を理想郷と騙り、シールはそんな世界を守りたいと云う。
ふざけるな。そんな二人とやっていけるか。
シールの重装が一部解かれ、口元のガスマスクのようなものが頬にずれ込んだ。
やっとシールの全貌が見えた。
「ソードを殺す必要はないわ。だってあの彼は失敗しただけだから。またやり直せる。シールも二人の暮らしに戻りたいでしょう?」
「そウよ。私ハソードを支配シたいだけ」
「だったら私に任せなさい。もう一度、やり直させてあげるから――」
シールは毒気が抜かれたように【擬・飛翔鎧】を解いた。
そこにいたのは、幼い少女姿のシール。
背中に狙撃銃を担いでいる、このゲーム世界に降り立ったときの姿のままだ。
だが、瞳は変わらず黒いとぐろを撒いていた。
憑依は完全に解けていないのだ。
「さてと――」
ケアが前に躍り出る。
湖畔に湧いた戦いの熱が冷め、背景に浮かぶ魔王城の荒廃感もやや晴れやかになる。
この演出は平和を主張していた。
「見てわかったでしょう? 脱魂は憑依を制圧する上位存在よ」
ケアは得意げに、仰向けで倒れたままの俺を見下ろしている。
悔しいから体に鞭打ち、なんとか体を起こす。
「つまりね、ソード、ここからは貴方の選択よ。……私は貴方を簡単にお払い箱にする力がある」
それは脅迫だった。
ケアの虹の瞳がぐるぐると蠢いていた。
「おまえごときが? やってみればいい」
「まだ最後まで話してないのに、可愛げのない男ね。もう一度仲間に加えてあげてもよかったのだけど?」
ケアは無機質な瞳に不満の色を浮かべた。
「……こんなチープな世界を理想郷だなんて言うおまえと同類にはなりたくねぇ」
「その様子じゃ、方針を変える気はないようね」
「当たり前だ。仲間の暴走を止めるのがリーダーの役目なんでね」
「私以外の暴走も?」
ケアはシールに目配せする。
「シールもだ」
「ふふふ、シールだけかしら?」
「なに?」
ケアは後ろを振り向き、空を仰いだ。
ちょうど頭上から瓦礫の数々が力を失ったように落下してきていた。
魔族排球の残骸だ。
ばらばらになったコートの瓦礫が空から降ってきて、地面に直撃するとともに粉々になった。
その中に紛れて――。
「あぁぁあああああああっ!」
「きゃああああああっ」
三人ほどの人影も一緒に落ちてきた。
赤い髪の少女が、杖を下に向けて炎魔法を放つと、落下の勢いを殺して他の二人を支えながら地面に滑り込んでいた。
アーチェとメイガス、そしてリリスだった。
「はぁ……はぁ……! ど、どんなもんよっ! 無事着地したわよ!」
「し、ししし、死ぬかと思ったのだわ~……」
「……」
まともなメンバーが舞い戻ってきてくれた。
アーチェが俺の甘えを受け入れて、リリスも一緒に助けてくれたのだろう。メイガスも無事に檻から救出できたようだし、ナイスな立ち回りだ。
ケアが何を根拠に暴走と言ったか知らないが、あそこにいるのは信頼できる仲間。
少なくともアーチェは信頼できる。
リリスも、頼もしくなくても信用はできる。
「残念だったな。アーチェとは信頼関係を結んでいる。リリスだってこの世界で出会った友達みたいなもんだ。――形勢逆転したな」
三対二。
メイガスも入れれば、四対二だ。
もしどこかに飛んでいったプリマローズも復活すれば、五対二。
いずれにせよ、ケアの暴走はシールを巻き込んだところで少数派だ。俺を動揺させるためのはったりだったか?
「アーチェが守護者の妨害を受けながらも、この世界に来た動機は何だったかしら?」
「あん……?」
ケアは俺の方を見向きもせずに吐き捨てた。
アーチェたちの様子を見守っていると、今まで正気を失っていた男が、徐ろに上体を起こした。
「メイガス!? 気がついたの!?」
「うん。心配かけたね、アーチェ」
「私がわかる!? わかるのね!? ……うっ、うう、よかった……本当によかった……」
アーチェはメイガスの復活を泣いて喜んだ。
そのまま抱きつきそうな勢いだったが、メイガス自身がその腕を遮り、軽快に立ち上がった。
その銀髪が風に靡く。
長い前髪が揺れ、その濃紺の瞳と目が合う。
その瞳の奥で瘴気の黒がとぐろを撒いて蠢いていた――。
「……」
俺は息を呑んだ。
確かに予想はしていた。
メイガスが怪しい、と。
憑依になっているんじゃないか、と。
その予想は的中したが、今は当初よりもっと最悪のシナリオの渦中にある。
幸いなのは、メイガスが黒幕じゃなかった点。
しかし、その幸運は真の黒幕の配下に回っていた事実によって、黒く塗り潰された。