176話 ◆髑髏面の尋ね人Ⅱ
人間兵器は不死身だ。
人間のように寿命が来ることもなく、体内のコアを潰されないかぎり生き続ける。そのため、世界連盟は人間兵器が資産を持つ上で、一定の条件を設けている。
その中の一つに、人間個人への財産分与や贈与は禁止というルールがある。
悠久の時間で稼いだ金は莫大な財産を生み出す可能性があり、それを悪用されないという確信が持てるほど、世界は元勇者を信じてくれなかった。
そのせいで、ヴェノムはリリスを身請けできなかった。
出来たことは買ってきた食料を分け合う程度。
ヴェノムはアークヴィラン・ハンターである。
世界中を渡り歩く職業であり、アークヴィランの狩り場が、少女を連れていける安全な場所だという保障はまったくなかった。
金を渡しておくこともできない。
当初は食料を保管して食いつながせる方法でやりくりしていたが、そのうちリリスが自ら働きたいと意思表示し、一緒に職を探すことになった。
しかし、湿地育ちのみすぼらしい少女を雇うところはどこにもなく、当ては王都のディープグラウンドである歓楽街「マグリル」しかなかった。
そこでヴェノムは閃いた。
個人への贈与が禁止でも、法人への寄付は認められている。
身寄りの無い少女が働いていても違和感がなく、人の流動の激しい風俗店なら、話をつければ匿ってくれるのではないかと考えた。
狙い通り、シェリーは快諾してくれた。
交渉の結果、新人の嬢が稼ぐ三倍の献金でいいということになった。ヴェノムはその日から金欠勇者になった。
シェリーがいくつか経営する店のうち、便宜的にリリスを在籍させる店をどうするかリリス本人に訪ねると、彼女は迷わず『潮漬けサッキュン』を選んだ。
なぜか訪ねると、
「あたし、魔族に憧れてるのよ」
そんな風に、いつにも増して快活に答えた。
人間にとって魔族とは忌み嫌う対象そのもの。
リリスが変わり者だとヴェノムも知っていたが、魔族への憧れを聞いたのはそれが初めてだった。
そんな彼女だから、ヴェノムを好き好んでくれたのかもしれない。
魔族はアークヴィランの侵略によって絶滅した。
人間に打ち勝った後の魔族は、自由奔放に栄華を極めたあと、アークヴィランという天敵が現れ、孤高に絶滅の道を選んだ。
そんな生き様が、湿地生まれと蔑まれながら、当の本人は自由奔放に生きるリリスのような人間の心境に通ずるところがあったようだ。
「――魔族なら死んじまったけど、精霊族なら生きている種もあるぞ」
ヴェノムはその話を聞いた日の晩、湿地に吹きつける夜風に当たりながら、焚き火に身を寄せるリリスにそんな話をした。
「本当に!?」
「あぁ。今度会わせてやろっか?」
「嬉しい。会ってみたい」
「魔族ではないんだけどな」
「どっちも似たようなものだわ」
少女にとっては魔族も精霊族も、その希少性と人外という性質が同じなら、どちらでもいいようだ。
ヴェノムはそれから数年かけて、セイレーンという精霊種と接触するために、シーリッツ海の港街シーポートでアルバイトを始めた。
賑やかな港など、仕事はいくらでもある。
元来の威圧的な気質から監視の仕事は得意だったため、ヴェノムは「アーセナル・ドック」のレース場の監視員の仕事に就くことにした。
アークヴィランのハンター稼業と掛け持ちで多忙を極め、当初はなかなかセイレーンと深く関わる機会は得られずにいた。あのアーセナルドッグ・レーシング事件に関わるまでは――。
セイレーン族を東リッツバー砂漠のオアシスに移住させるという、ソードとシールの計画に乗ったのは、そういったヴェノムのエゴ――もとい、リリスの為であった。
そうでもなければ、ケチな極悪勇者が、コスト高な『焼夷繭』や『王の水』を大盤振る舞いし、改築工事を手伝うはずもない。
セイレーン族とお近づきになれたヴェノムは、シーリッツ海の事件が落ち着いた後、こっそりリリスを連れて砂漠のオアシスを訪れていた。
そのときリリスが見せた琥珀色の瞳の輝きを、ヴェノムははっきりと覚えている。
――手がかりとは、実のところそれだ。
○
ヴェノムは、リリス失踪の唯一の手がかりであるセイレーンの住処へ向かうため、単車を走らせた。
しばらく訪れてなくとも、ヴェノムを歓迎するかのように開かれたオアシスの入り口――DBの設計ではクジラの口をイメージしたらしいが――は今でも大きく開かれている。
「あら、ヴェノムさん。お一人かしら?」
出迎えたのは族長のエレノアだった。
あばら骨のようにそり立つ玄関の柱に背を預け、鰭でぴちゃぴちゃと水たまりをかくエレノア。
その動作は人間で云う〝貧乏ゆすり〟だと云う。
なぜだかエレノアは苛立っている。
ヴェノムはそんな彼女の態度を顧みず、用件だけを手短に告げた。
「実は、相方を探してんだ」
「相方? ソードさんのことですか? 彼は長いこと来てませんが……」
「違う違う。――マリノアは留守かい?」
リリスは、セイレーンたちの中でも特にマリノアを気に入っていた。
気難しそうな姉のエレノアより、愛想よくアイドルムーブを振りまくマリノアは老若男女問わず懐かれやすく、リリスも憧れていた。
そのマリノアなら、リリスの居場所も知っているかもしれない。
「はぁ……。マリノアなら、あの悪趣味な部屋にいますわ。最近はよくそこに」
「あの引き籠もり用の部屋か?」
「ええ。プリマローズさん設計の。――まったく、どういう神経しているのでしょうね」
プリマローズという名を聞き、ヴェノムはふとアーチェからの連絡を思い出した。
ゲームがどうとか――。
いや、今はそんなことよりリリスのことだ。
ヴェノムは頭を振って、セイレーンの住処に邪魔することにした。
「……よければ、ヴェノムさんからも妹に注意してあげてください」
「ん? なにをだ?」
「あの子、ここ最近ずっとゲームばかりしているのですわ。時には仲間の寄り合いの会にも参加せず、好き勝手やり放題ですわ……はぁ」
エレノアの言葉の節々に感じる妹への怒りについて、ヴェノムはようやく気にかけることにした。
なにせ、セイレーンという種族は人間以上に同郷の仲間を大事にし、血筋ならさらに硬い結束で結ばれる。
マリノアは特に姉びいきが強い。
エレノアの檄が飛べば、ヴェノムの問いかけなんかまるで耳に入らないだろう。マリノアを口説くには、姉のエレノアを押さえる必要がある。
「ほう……。ゲームねぇ」
またしてもその単語が現れ、ヴェノムは頭に何か引っかかるものがあった。
「ま、マリノアは元から自分勝手なとこがあっただろ。流行りに乗っかってるだけじゃないかねぇ」
「だといいのですけれど……」
エレノアの愚痴を一通り聞き遂げた後、ヴェノムは例の悪趣味な部屋に向かった。
魔王プリマローズ像が中央に建造された、セイレーンたちのゲーミングルーム。そこは最近まで利用されることがなかったものの、ふとした気まぐれでマリノアが『GPⅩ』のコントローラーを手にしたときから様子が変わった。
「魔王の引き籠もりがうつっちまったかい?」
ヴェノムは、マリノアの背に声をかけた。
「んー? ――なんだヴェノムか。久しぶり~」
「なんだとはなんだよ。せっかく遊びに来てやったってのに」
マリノアはゲームに夢中の様子で、ヴェノムの声に反応して一瞬だけ振り向くが、またすぐ視線は画面に戻ってしまった。
「どうせゲームなんてのは直に飽きる。夢中になれるうちに好きなだけやればいいと俺は思うね。――ま、やりながらで構わねぇから、ちっとばかし教えてくれねぇか?」
「おっけー。なにかあったの?」
マリノアは脇に置かれたポテトチップスをひとつまみして、むしゃむしゃと食べながらコントローラーを脂でベトベトにしていた。
これが港ではアイドル扱いの精霊種なのだから、世も末だとヴェノムは思った。
「リリスを覚えてるか? 前に会わせた……」
「あ~。あの人間の女の子だよね」
「そうだ。実はよ、そのリリスが――」
マリノアはゲーム画面の地味な男キャラクターを操作し、何やら牢獄のような部屋を歩き回ったり、壁を調べたりしていた。
探索を終えると、教会のような場所にワープ。
その無目的な動きは、ゲームに疎いヴェノムから見ても、一目でマリノアが遊び方をよく理解してないのだとわかるような動きだった。
「あいつと連絡がつかなくなっちまってな。家も壊されちまって、どこ行ったのか見当もつかねぇ」
「え――」
マリノアは驚いて短く反応した。
「もしかしてマリノアのとこに来てねえかと思ってね。ほら、リリスはあんたが好きそうだったし、連れてきたのも最近――」
「ウソ……。それって――」
マリノアの反応は、リリスが失踪したことに驚いてのものではなかった。ヴェノムの方に振り向いたわけではなく、いまだにリリスはゲーム画面を見つめている。
「俺の話、聞いてんのかい?」
「いやその」
マリノアはゲーム画面を震えた指で差した。
こちらの深刻さを意にも介さぬ態度に苛立ちを覚えたヴェノムは、なんだなんだとマリノアの傍に詰め寄り、隣に座ってゲーム画面を見た。
教会前の庭園らしき場所で、他のゲームプレイヤーたちが誰かを追い回す光景が映っていた。
長閑な昼下がりを演出したゲームグラフィックには似つかわしくない、騒然とした光景。
ヴェノムも意味のわからなさを感じていた。
「これがなんだってんだ?」
「リリスちゃんって、この子じゃない?」
「あん?」
マリノアが指差した場所を注視すると、そこには金髪にボンテージファッション姿のサキュバスが、男たちから逃げ惑う姿が映されていた。
その姿はリリスに似ている。
それだけなら、ただゲームのキャラクターが似ただけだと断言できた。だが、そのサキュバスの頭上のキャラクター名には、はっきり「リリス」と書かれているのである。
「……? 違うだろこれは……。いや、え?」
「こっちにソードもいるよ」
マリノアは画面の別の場所を指差す。
そこにはソードと瓜二つのキャラクターが、男たちに追われるリリスを追いかけていく場面だった。
「……」
「そうそう。ソードは今ゲームの中にいて、魔王城攻略イベントを目指してるんだって」
「魔王城……? イベント?」
「期間限定イベントだよ。プリプリちゃんがそこにいるんじゃないかって。あ、行くにはポイントが必要でさぁ――。そういえば朝のイベントクエ、サキュバス戦だって話だったかなぁ」
マリノアが矢継ぎ早に情報を並べ立てる。
ヴェノムは言葉一つ一つに聞き覚えがなく、情報を整理しきれなかった。
「すまん。まっっったく理解できねぇ」
ヴェノムはあらためて、個人端末に届いていたアーチェのメッセージをちゃんと読もうと考え直した。