175話 ◆髑髏面の尋ね人Ⅰ
久しぶりに七号の登場です。
――目的。
我らがリーダー、剣の勇者ソードは仲間の思いや旅の目的、生きる理由を大事にするヤツだった。
そんなお節介な野郎だからだろう。
今回、仲間はおろか元々宿敵だった魔王にすら肩入れしてしまったらしい。三つ子の魂百までということわざは、ソードのような勇者には何度でも使ってくれて構わないとばかりに相性が良い。
ソードのお人好しは、ここ数千年変わらない。
七号が個人端末でその連絡を受けたのは、オトナのプレイスポット、マグリル商会が牛耳る、王都東区の歓楽街「マグリル」の路地だった。
この街の店に閉店の二文字はないと云うかのように、商店街の店という店は深夜にもかかわらず、電灯が煌々と照っていた。
その奥まった地に『潮漬けサッキュン』という風俗店がある。
ヴェノムは、旧友でありハンター仲間である二号から受けた連絡を一旦無視し、――アーチェがわざわざ連絡を入れる案件は報酬も弾めば労力が嵩むような大仕事ばかりだからだ――その風俗店に入店した。
「は~い。いらっしゃあーい」
黒い角。ピンクの巻き毛。垂れた目尻。
サキュバス族を模したコスプレをまとった店長のシェリーが出迎えた。
「あっらぁ、やだぁヴェノムさんじゃない。そろそろお越しになるかなって思ってました」
「……」
シェリーは陽気な笑顔を向けた。
ヴェノムは髑髏面を被ったまま、無愛想な態度で受付カウンターまで詰め、どさりと札束を置いた。
「あ~……ヴェノムさん」
シェリーは困ったように眉を寄せた。
「いつものだ。ほら、受け取りな」
「いえ。……それ、今日は受け取れないのよ」
「受け取れない? 金額はきっちり十万ゴールド。ここで数えてみるかい?」
「そういうことじゃなくってっ」
ヴェノムは札束を握り直し、べしべしとカウンターを叩き始めた。
柄の悪い客の対応に困る受付嬢のようにシェリーはたじたじだったが、その実、ヴェノムが『潮漬けサッキュン』の問題客としてブラックリストにいるわけでも、シェリーが店長としての頼もしさに欠けるわけでも、そのいずれでもなかった。
「献金はもう意味がないんですよぉ……」
「まさかっ――」
ヴェノムが身を乗り出す。
髑髏面に隠されていても、その表情が引き攣っていることをシェリーは確信していた。
相手は腐っても人間兵器。
ここで暴れられて店ごと破壊されたら敵わないと思ったシェリーは、ヴェノムに誤解を与えないように、冷静に順序立てて説明することにした。
「実は、リリスちゃんがね――」
「男の相手をさせたんじゃねぇだろうな!?」
しかし、シェリーの配慮はもう無意味だった。
次に出る言葉次第で【焼夷繭】が炸裂する危険性すらあった。
「違うの。違うのよ。約束通り、ちゃんと誓約は守ってるわ。大丈夫よぉ。ふふふ……っ」
「じゃあ、なんで俺の献金が受け取れねぇ?」
「それがね――」
シェリーからの説明を聞き、肩を落とした状態でヴェノムは『潮漬けサッキュン』を退店した。
まだ何人か歓楽街に人の往来がある中、ヴェノムはマグリルに詳しい遊び人たちから、いまだかつて『潮漬けサッキュン』からそのように意気消沈した姿で出てきた客はこれまでただその髑髏面の男しか見たことがないと、後に男たちが飲み直したバーでひっそり酒の肴にされた。
差し詰めスカルフェイスのマスクがサキュバスの好みじゃなかったんだろう、と笑い飛ばす男たち。
ヴェノムはそんな喧噪も露知らず、マグリルから出て、狭い空き地に出来た緑地のベンチにどっかりと腰を落とした。
大きな外套に隠した【焼夷繭】や【王の水】を収めた瓶がガシャリと派手な音を立てた。
シェリーは、ヴェノムが心ここにあらずといった状態で退店していく背中に向け、彼を元気づけるためか、本当に興味があったのか、それともこれが最後の来店だと悟ったのか、
「ねぇ、一回くらいは利用していったらどぉ? 人間兵器だって溜まるもんはあるんでしょ? ふふ、あたしが特別サービスしてあげるわよ~」
そんな言葉を投げかけたが、空虚に消えた。
ヴェノムから受け取っていた寄付金は、それだけ価値のあるものだった。
例の悪臭事件のとき、ぱたりと客足が途絶えていた時期だって、ヴェノムはいつまでも接客慣れをしない新人サキュバスの独占権を得るため、多額の献金を納めていた。
オートマタ事件後、郊外からの客足とインバウンドが減った現在もその献金には助けられている。
おかげで経営難にならず、魔術相談所への高額謝礼金も支払うことができたのだ。
その額、新人が一月で稼ぐ額の三倍はあった。
それほど強固にリリスという新人サキュバスの女の子を匿い、男たちの慰み者にされることをヴェノムは回避していた。
それにはヴェノムなりの目的があった――。
リリスと出会ったのは、十年も前だ。
その頃のリリスはまだ年端もいかない少女で、片田舎の湿地に一人で暮らす貧民だった。
その湿地はよそでは暮らせないアウトローが集うような無法地帯だったため、リリスのような人間の少女でも、当然のように親がいなかった。
ふとしたきっかけでヴェノムを慕うようになったリリスに、ヴェノムも愛着が湧いていた。
ヴェノムが肌身離さず装備している髑髏面は、普通の人間を寄せ付けない。
元勇者。史上最強の人間兵器。
花形のアークヴィラン・ハンター。
いくら立派な肩書きを持っていても、ヴェノムは剣や盾を扱う王道の勇者でも、弓や魔法を使いこなす器用な英雄でもない。
毒の担い手。
邪道をいく破壊的なダークヒーローである。
そんなヴェノムを推す者などおらず、ヴェノム本人も一人とて見たことがない。
近代では、同じく色物だと認識していた四号すら、人形劇場が成功してから女優としてファンを獲得していると聞いていた。
ヴェノムは特段、ファンが欲しいわけではない。
ただ自分の力を認め、ダークヒーローだからこそ頼りたいという人間を探していた。それこそが自分の存在意義を確かめる術だった。
その唯一貴重な人間が――。
「失踪した……? 臆病なあいつが……?」
一体全体、どこにいったというのか。
シェリーの話では、王都のオートマタ事件が収束した後を境に、突然店に出勤しなくなり、自宅を訪ねたところ、自宅のアパートそのものが取り壊されていたと云う。
「最近ある話なのよぉ。オートマタ事件で住宅迷宮の餌食になった貴族がアパートのオーナーだったとかねぇ。王都もこんな状況だし、貰い手もなくて王家が買い取って壊しちゃうんだって」
シェリーは片手を頬に当てながらそう語り、困ったように息を長く吹きつけていた。
北区に軒を連ねる貴族の邸宅。
そこがメイズモンスターの餌食となり、死人も何人か出たという話だ。犠牲者の中には、ある事業のスポンサーだった貴族もいて、その余波で東区のような商業区の事業や、南区のような住宅区の不動産が潰れた、という話がいくつもある。
リリスが住んでいたアパートも、その一つだったようだ。
オートマタ事件の最中、ヴェノムは西方の高山地帯で雲に潜むアークヴィランを狩っていた。
当然、王都の惨事もDBからの連絡を受けて知っていたが、被災地は主に北区で、リリスが住む正反対の南区は関係ないと考えていた。
そもそも二号や四号が引き起こした不祥事など、百害あって一利なし。
どうせ連帯責任で報酬は期待できないだろうし、その手の事件は〝ボランティア精神〟が盛んなソードやシールに任せればいいと思っていた。
それがまさかこんな形で――。
ヴェノムは、損得勘定で生きるようになってからは味わうことが久しくなかった後悔の味を前に、苦い顔を浮かべた。
「そういや……」
仲間の顔ぶれを思い出し、そこでようやくヴェノムは、アーチェから来ていた連絡を思い出した。
プライミーを開き、メッセージを確認した。
『メイガスの痕跡が見つかったわ。
最近子どもの間で流行ってる『パンテオン・オンライン・リベンジェス』っていうゲームの世界よ。
ソードとシールが先に向かった。
私もそっちに行きたい……。
多分、リアルから支援する仲間が必要だと思うから、ヴェノムにお願いできないかなって。
詳しい経緯はシズクとマモルに聞いて。
ラクトール村の子、知ってるでしょ?
報酬はそうね……。無事にメイガスを連れ戻せたら、私が今まで稼いだ討伐金の半額を渡すわ。
あとね、プリマローズもゲームの世界にいて、イベントのボスにされているみたい。間違っても、あなたはこっちに来ない方がいいわ。
魔王は嫌いだったわよね?
まぁ、私たちで好きなやつなんていないか。
そういうわけで、お願いね アーチェ』
ふざけた話だ、とヴェノムはベンチの背もたれで大きく逆反りに伸びをした。
アーチェがハンターとして稼いだ金額の半分となると、相当の報酬になるだろう。
金欠勇者だったヴェノムにとって、これ以上ないほど美味い話だが、そもそもヴェノムは金を稼ぐ意味をついさっき失ってしまったばかりだった。
「くだんないねぇ……」
今のヴェノムは例えるなら失恋した思春期の男子のような心境でいた。
世の中で起きている大半のことはどうでもよく、我が身に起きた離別の焦燥感の方が、一大事なのである。
「アーチェ、悪いね。俺はソードじゃねぇんだ。自分にとって価値のないことはしない主義でさ。薄情モンで悪いが」
誰もいない緑地で一人、ヴェノムは呟いた。
それは詫びではなく、メッセージの馬鹿らしさに対する皮肉だった。
「世界の命運とか仲間の危機とか……くだらねぇ。人間たちゃ正義を求めるが、正義は俺のことなんかち~っとも構っちゃくれないね。それより俺にとっちゃ、俺を求めたあいつが何十倍も大事だわ」
ヴェノムは膝に手をついて立ち上がり、リリスを探しに出ることにした。
手がかりがまったくないわけではない。