162話 人間史料Ⅱ
俺の懸念を察したDBがこちらに向き直った。
彼女が持つ本は、いつの間にか閉じられていた。ところで、その本に何の意味があるのだろう。
「ソード。あなたの悪い予想は、だいたい当たる」
酷い答え合わせだった。
当たってほしくないことばかり当たる。
「アークヴィランの思惑が充満し尽くした世界で、他の宿主にも影響が出ないはずがない。人間はおろか、耐久に優れる人間兵器でも、憑依化が進むことは考えられるわ」
「シールのことを言ってるんだよな?」
「シールのことを考えていたんでしょう?」
「……」
あいつは【蜃気楼】と【護りの盾】の魔素を宿している。
その二つのどちらか、あるいはどちらもが精神を侵し、シールを豹変させる可能性がある。
「俺やアーチェは大丈夫なのか?」
「そうねぇ。あなたはこないだ気合いで【狂戦士】を乗っ取り返したし、アーチェも王都での一悶着で溜まったものを一気に浄化したから、すぐに影響は出ないんじゃないかしら」
それなら、心配すべきはシールのこと。
あとメイガスも――って、そういえば……。
「お前は?」
「え、私?」
DBを指差すと、おどけたフリをしていた。
「お前も魔素を色々持ってるよな? 【治癒】【再生の奇蹟】、【潮満つ珠】……それから他にも何かなかったか?」
謎めいた存在だけに、魔素の十や二十は保有していそうである。王都では謎めいた力をいくつか披露していた。
それこそアーチェの比ではないくらいに。
「ふふ。ちゃんと私のことも心配してくれるのね」
「心配じゃねえ。警戒だ」
「まあ酷い。癒やしの大天使DBちゃんとて、たまには癒やされる側に回りたいときだって、あるのになー」
「だったら性格を直すことだ」
「はぁ……。無機質な存在にも愛さえあれば、私も愛してもらえるのかしら」
DBが柄にもないことを言い出している。
無感情な目であることは変わらないせいで、言葉一つ一つの真意がまるで読めない。
「話の続きだ。時間がないんだろ」
「そうだったわ。――えーっと、あら? どこまで話したのだったかしら」
「私が訊いたのは、DBが機械の中にいた理由よ」
アーチェが促すように尋ねた。
今日に至ってはDBもやや抜けている気がする。
「あぁ~、それは私の元の体が、アークヴィランに捕まったってだけよ。メイガスと同じね。私を史料にして世界を作り、メイガスの知識で摂理を作り、プリマローズの欲望や感情から娯楽の中身をよりリアルなものにしている」
「なんだかDBらしからぬ失態ね……」
アーチェもやや呆れ気味だ。
単純に考えれば、DBやメイガスを捕まえた主犯であるアークヴィランを倒せば、この事件は終わるということだが、問題はその方法だった。
「プリマローズを倒せば解決するのか?」
「まだ思索段階だから確信はないけれど、メイガスと接触できれば決定打が見つかると思う」
「そうか。それなら魔王城を目指して……」
そのとき不意に床の振動を感じた。
ぐらぐら――。
地震かと思ったが、ゲーム世界で地震なんか起きるはずがない。
「ああ、時間切れね」
「何が始まる?」
「訊く前に足を動かしてっ」
DBは机の上に土足で乗りかかり、いくつか机を踏み台にして扉の方に向かう。
存外、軽快なステップだ。
その直後、図書館の壁に並んでいた本棚が外側からの力で折れ、中身の本が盛大に飛び散った。――千切れたページの一枚一枚がグリッチノイズのように細切れになって消失していく。
「なに!?」
何かが本棚を突き破り、図書館に侵入してきた。
壮大な物音が響き、俺やアーチェもぎょっとしてその侵入してきた物体を見やる。
それは、大きな四角い箱……のようなもの。
黒々としていて光沢があり、一瞬、何なのか理解できなかった。それが『パンテオン・リベンジェス・オンライン』の世界観にそぐわない物だったせいで、頭の理解が追いつかなかったのだ。
「アーセナル・マギアだ!」
大型の車体。
現実世界でも人間たちが移動用の乗り物として使っていたものだ。しかも目の前に現れたマギアは、荷台もあり、窓枠に格子までついた装甲車仕様である。大型のタイヤもスパイクが付いていて、いかついデザインだった。
「え、えええええ!? 運営さん!?」
今までDBの話を黙って聞いていたリリスが、車体の運転手に気づいて声を荒げた。
運転席には、黒い人型の影のような存在しか乗っていない。あれが『運営さん』……?
「リリス! 今はとにかく逃げるぞ!」
俺はリリスの手を引き、図書館の出口に向かって駆け出した。既にアーチェはDBの後を追い、出口から飛び出している。
本棚や机をすべて薙ぎ払い、突進してくる大型アーセナル・マギア。
スピードは圧倒的に向こうの方が速い。
俺は障害物の多い図書館を利用して、かろうじて追突を逃れた。外に飛び出すと同時に、正面扉の前の階段を転げ落ち、道に転がる。
リリスを抱きかかえて受け身を取った。
「ソードさん、大丈夫?」
「あぁ~……なんなんだまったく……」
首を振って意識を保つ。
今は悪態をついている場合じゃない。
「ソード! こっち!」
DBの呼び声がした。
道の先を見ると、DBが分厚い辞書のような本を開いて詠唱し、目の前に同じような装甲車仕様のアーセナル・マギアを出現させた。
ツッコミを入れている場合ではなさそうだ。
DBは運転席に、アーチェは助手席に乗り込む。
遅れた俺とリリスは、走り始めた車の荷台に飛び乗った。
「振り切るわっ!」
「ねぇDB、訊いてなかったけど、このゲームってどういう世界観なの!?」
「世界観はこの私よ。DBちゃんの見識を基に創られているって言ったでしょ」
「納得だわ……」
アーチェは追及を諦めた。
剣士や魔法使いに扮したプレイヤーが歩く、古めかしい街並みの道を二台の装甲車が疾走していく。
すれ違いながら悲鳴がいくつか上がった。
途中で避けきれずに跳ねたプレイヤーもいたかもしれない……。




