158話 嫉妬
朝の監獄島クエスト開始から一時間が経過した。
リリスとともに通過した監獄島下層の通路の先には何もなく、光に包まれた後、イベントサポーターがいる教会に戻ってきていた。
それから同じルートを通って周回。
牢屋の扉を破壊して抜け出し、階段を下りて下層に向かい、リリスがいたリビングルームを素通りして通路を通って脱出というルートだ。
マラソンしたものの制限時間が僅かだったため、四周しかできなかった。
稼げたポイントは三万程度だ。
「現在のあなたのイベント挑戦ポイントは、48500ポイントです。魔王城プリマロロ攻略戦に挑戦できます。陸路、航路、空路の三経路を選択できます。転移門へワープしますか?」
「いや、しない」
「またの挑戦をお待ちしています」
クエスト終了後、教会のイベントサポーターに話しかけると、現在のトータルポイントを教えてもらえた。
魔王城に直接転移するための必要なポイントは十万程度だった気がする。現在の二倍を稼ぐと考えると、いずれかの経路で攻略に向かってもいいか。
教会を出て、陽当たりの良い庭に出ていく。
クエストを終えたプレイヤーたちが続々と外に出てきて、ログアウトしているのか、すぅっと消えていく。
現実世界に戻るのだろうか。
こうして見ると、至って平和な光景だ。
プリマローズがゲームに取り込まれた以外の異変は起こっていないのだから当然といえば当然か。
あくまでこの『パンテオン・リベンジェス・オンライン』に対する違和感は、元勇者の俺だからこそ感じているものだ。
シールとリンピアが出てくるのをベンチで待つ。
「外の世界ってこんな感じなんだね」
リリスが俺の隣に座り、全身を伸ばした。
黒い革張りのボンテージ衣装の光沢が強く、スタイルの良さも相俟って、だいぶ目立つ。
「外の世界……か」
ゲームの中を〝外の世界〟と云うリリス。
彼女にとって内側の世界とは監獄島であり、ゲームの中だとしても此処こそが外なのだ。
ゲームを抜ければ、さらに広い世界が広がっているというのに――。
「は~、日光浴って気持ちいいわ~」
「サキュバスらしくねぇな」
「ふふふ。いいじゃない。初めてのことは何でも気分がいいもんだわ。この後どんなことが起こるのかなってワクワクしてるし」
リリスはにっと歯を見せた。
成り行きで連れてきたものの、魔王城に連れていくことはできないし、いずれ俺がゲームを脱したら離れゆく存在だ。
「ていうか、お前は一応、プレイヤーにとっては敵なんだよな? こんな所にいて大丈夫か?」
「さぁ? 大丈夫なのかな?」
「えええ?」
「良い悪いなんて他人が決めるもんじゃない。私はクエストのボスでいるのが嫌になった。だから逃げ出した。それだけだわ」
「……それもそうだ」
リリスを見ていると当時の俺を思い出す。
勇者でいることが嫌になったから逃げ出した。
それを否定することは、昔の自分を否定することになる。だが、当時はその代償として自分にとってつらい世界を見せられたものだ――。
リリスがそうならないことを願う。
教会から、二人組の女が出てきた。
旅の軽装をして背中に大型狙撃銃を背負う青髪の少女と、魔術師ローブを着た茶髪に虹色の瞳が特徴の女だった。
「おーい。こっちだ」
俺はシールとリンピアに気づいて声をかけた。
二人もすぐ気づき、小走りに近づいてきた。
「ソード……。大丈夫だった?」
「問題ねぇ。四周は周回したかな。そっちは?」
「三周くらい。変だなって思ったのは、牢屋の鍵のことで――」
シールは俺も体験したことを語った。
鍵がないために他のプレイヤーが誰一人脱出できなかったことだ。
上階でインキュバスを倒したことで鍵を入手し、二周目からは他のプレイヤーも脱出させることができたそうだ。
「変だよね。私たちみたいなイレギュラーなプレイヤーがいることが前提のクエストみたい」
「そうだったのか……」
「そうだったのか?」
シールが怪訝そうな顔を向ける。
「えっと、ソードは鍵をどうしたの?」
「鍵は入手してない。サキュバスも倒してねぇ」
「んーと、それは――」
シールが質問を重ねかけたタイミングで、俺の背後からリリスが顔を出した。
「こんにちは~」
朗らかな雰囲気で、リリスは笑顔を見せた。
彼女を見た瞬間、シールの表情が固まる。
「誰?」
「こいつはリリス。監獄島のクエストボスだったサキュバスだ」
「は?」
シールは明らかに不機嫌な顔になった。
後ろに控えていたリンピアは気まずそうに、片手で目を覆っていた。
「なんでボスを倒すんじゃなくて連れてきたの?」
「いや成り行きでな……」
「待ってソード。意味がわからない。ボスを倒さないって、クエストをクリアしなかったの?」
シールの語気は強くなっていた。
怒りを感じている様子だ。
まただ。シールが感情を露わにするなんて珍しいことだ。そもそも人間兵器が、人間のような感情に振り回されることは今までなかった。
冷静で合理的――。
それが戦闘兵器らしい生き方だった。
「……牢屋を出てからモロスケと合流した。階段に向かったら、あいつは下に行けないというから、俺は他のプレイヤーが入り込めないそのエリアにこそ何かあると思ったんだ。それで下層に降りたら、リリスに出会った」
「それで? なんで倒さなかったの? モンスターなのに」
「こいつは運営に監禁されてたんだ。自我を持った稀なケースってことで。運営の思惑を知るチャンスだろ? 倒すなんて貴重な情報源を失――」
「違う! ソードはなんでその子を庇うのよ!」
「……」
正直、驚いた。
今のシールは合理的じゃない。
人間の嫉妬に近い感情に支配されている。
「あぁ……っと」
言葉に詰まり、俺は何も言い返せずにいた。
教会を後から出てきた他のプレイヤーたちが、シールの姿を見かけて声をかけていく。
「あっ、クエストで助けてくれた人だ! さっきはありがとうござ……い……まし……」
何人かのプレイヤーが、俺とシールの間の険悪な雰囲気を察して、お礼だけ言うと歩き去る。
リンピアが対応して、他プレイヤーを捲いた。
様子から察するにシールとリンピアは監獄島攻略の最中、他プレイヤーの攻略を手伝い、英雄的な働きをしていたようだった。
入手した鍵で他プレイヤーを脱出させてあげたのだろう。
まるで勇者だ。
それに比べ、俺のやったことはボスを庇うという勇者どころか魔族側に回る謀反行為。
「あはは~……。あたし、もしかしてお邪魔虫?」
リリスも気まずさで苦笑いしか浮かべてない。
俺は手で合図して、下がっているように伝えた。
そんなジェスチャーによる意思疎通も、シールは良く思わなかったようだ。ひたすら俺を睨んで、やや息も荒くなっていた。
「あっ――残党がいるっすよ!」
その膠着状態を破ったのは、教会から出てきた他プレイヤーだった。
複数のプレイヤーが集団で出てきたのだ。
その中心には強面のイカつい男――モロスケが。
取り巻きのプレイヤーにチヤホヤされて、顔のにやつきが止まっていない様子だった。
今の声は取り巻きの一人が、こちらに気づいて声を上げたようである。
「モロスケさんっ! サキュバスがあんなところにもいますぜ!」
「なに? 収穫の少ないユーザーに配慮した追加のフィールドクエストかもしれんな」
「やっちゃいましょうよ、モロスケさん!」
取り巻きに持て囃されたモロスケはご満悦だ。
俺の許から離れたリリスを標的に、彼らは好き勝手なことを言っている。
もしかして……。
監獄島クエストのことを振り返る。
モロスケを脱出させ、俺は下層に向かったが、モロスケは一人で上層に向かった。そこでAIとして登場した普通のサキュバスを倒したモロスケは、鍵を入手したのではないだろうか。
その鍵で他のプレイヤーを助けた――。
つまり、女性プレイヤーにとってのシールとリンピアのような英雄的ポジジョンに、男性プレイヤー側からはモロスケが位置づけられたのでは?
「イヤァ! 来ないでぇ!?」
リリスは追いかけられた。
俺も反射的にリリスを目で追う。しかし――。
「助けようって気じゃないよね、ソード?」
「……」
「ただのNPCでしょ。あぁやってプレイヤーに倒されるように作られたんだから〝運命〟だよ。それを守ることがおかしなことだって気づいてる?」
「――あぁ」
自然と嘆息が出た。
シールは忘れてしまったのだろうか。
俺たちがどうして勇者の宿命から逃げたのか。
そうやって型に嵌められた〝運命〟を、誰よりも憎んだ存在は誰だったのか――。
変わってしまったのはシールだった。
取り戻さなければいけない存在は、どうやらメイガス、プリマローズの他にもいるらしい。
「俺は、大事なことを忘れたくない」
「そうだよね。だったら」
「だから、リリスは助ける」
「え――」
俺はシールを振り切り、リリスを追いかけた。
後ろを振り返る気にはなれない。
形の見えない敵がこの世界にいる。
俺は未だかつてない存在に、薄ら暗い恐怖心を抱いていた。……シールを取り戻すことは少し後になりそうだ。