16話 七号ヴェノム
気づくと、目の前で人の気配がした。
見えなくても誰かの顔面が迫っているのを感じる。
「ここはキスするのが古来の様式美じゃ」
「え、なんですかそれ」
「王子が眠りについたときにはキスで目覚めさせるのじゃ」
「逆では? お姫様が眠りについたときでは? えっ、えっ?」
シズクの動揺する声が聞こえる。
薄目を開けると、プリマローズが口をうの形にしてキスを迫っている様子が窺えた。間髪入れずに殴り飛ばす。
「ぐほぇえ!」
プリマローズは錐もみ回転をして峡谷の端にふっ飛んだ。
体を起こして周囲の様子を探る。
「あー……」
首をひねって五感に問題ないかを確かめる。
イカの爆発に巻き込まれたんだった。
【狂戦士】の鎧が丸ごと剥がれるほどの大爆発だった。
「ん? 瘴気が晴れてる……?」
黒い霧で埋め尽くされていた峡谷が澄み渡っていた。
瘴化汚染が浄化されたようだ。
倒したのか。
決着の瞬間を見ていなかった。
「ちくしょうッ」
近くにいたヴェノムが地面を拳で叩いた。
この男、急に現れたな。
倒しておいて何故「ちくしょう」?
イカ・スイーパー退治は不本意だったのか。
俺が茫然としていると、ヴェノムは落ち着きを取り戻して、咳払いしてから手を差し伸べた。
手を掴み、立ち上がる。
「ったく、獲物を横取りしてくれたな」
「ヴェノム……」
髑髏顔のヘルメットを取った七号は、俺の知るかつての同胞の顔そのままだ。
嫌味は毒の勇者の口癖だった。
「横取りってどういう意味だ?」
「イカ・スイーパーの本体は、お前に寄生した。【超新星】はお前の物だ。おめでとよ。ケッ」
「……?」
ヴェノムは卑屈そうに、顔を歪ませた。
俺は未だに状況を飲み込めない
「魔王なんかと結託して……。恥ずかしくないのか?」
「待て待て。俺はここら一帯の砂漠化を止めたかっただけだ。横取りとか【超新星】とか、何の話か分からねえ」
「もしかして、何も覚えてないか?」
「そうだ。ちょっと眠ってて……いや覚えてる事もあるんだが……」
眠ったのは50年だが、記憶は5000年前のものだ。
知らないことばかりで混乱している。
そもそもヴェノムが現れたことも意外だった。
俺たち七人の人間兵器は魔王を討伐した後、全員揃って次の魔王討伐まで眠りにつく。そして目覚めは必ず一号の俺から番号順に行うというのが習わしだ。
今は必ずしもそのルールはない。
最後に起こされる七号がここに居るのがその証拠。
そもそも封印されていない可能性すらある。
この様子だと、シールもシーリッツ海の祠におらず、どこかで活動しているかも……。
「アークヴィランは、外宇宙からの力の箱舟だ。然るべき器に寄生することで力を発揮する。
アークヴィラン23号『イカ・スイーパー』。
その能力は【超新星】。
俺の本来の力と近縁の能力だから、研究材料のために確保しておきたかった」
ヴェノムは片手に握りしめた大きな瓶を見せつけた。
瓶には呪符が貼られ、何か封印しようとした痕跡があった。
「然るべき"器"? 寄生する?」
「俺たちみたいな存在だな。チッ、これ以上は説明が面倒だ」
「む……」
ヴェノム、昔のよしみなのに素っ気ない。
「要するに新しい力を手に入れるチャンスなんだよ」
新しい力か。
つまり、俺には【超新星】が備わったと――。
ちなみに七号ヴェノムには爆弾を合成する【焼夷繭】以外に、物を溶解する【王の水】という能力を持っている。
俺にも【狂戦士】と【抜刃】という二つの力がある。
当時、勇者にはだいたい能力が二つあった。
それが今では増やせるのか。
アークヴィランを狩れば。
今回イカ・スイーパーから奪った力【超新星】は自爆能力らしい。
爆薬、爆弾はヴェノムの専売特許。
研究材料のために狙っていたようだが、俺が手にしてしまったというわけか。自爆なんか手に入れても嬉しくないけどな。
「なるほど。なんとなく理解した」
アークヴィランは力の箱舟。
それそのものも脅威だが、力を狙った輩もいる。
それを狙った連中と、争うことにもなるかもしれない。
現代は敵味方の線引きが曖昧だな。
「イカ・スイーパーは、たまたま器として才能のあった旅人の死体に寄生していた。だが、【超新星】を使って自爆すると、宿主ごと破壊してしまうから一旦、本体を外側へ放出して自爆する習性がある」
あの黒いイカがアークヴィランの本体だったのか。
「問題は本体を押さえる方法だった。接近すれば爆発に巻き込まれる。かといって遠くにいても宿主から本体を引き離せない」
「なるほど。それで俺なら――」
「無敵の防護を持つお前かシールなら自爆に巻き込まれても無傷だ。アークヴィランに接近して本体を分離できる。まぁ、まんまとそのおかげで手柄を獲られたが」
ヴェノムは不服そうに口を突っぱねた。
それほど手中に収めたかったらしい。
興覚めしたように帰り支度を始めたヴェノムを見て、俺は何から尋ねればいいかわからなくなっていた。
せっかくのお仲間の登場。
聞きたいことは山ほどある。
「ヴェノムは誰の命令で動いてる? ハイランド王か?」
「ハイランド王? はっはっは、まだ寝惚けてるな」
「……?」
変なことを聞いてしまった。
もっと聞くことはたくさんあっただろうに。
「俺は俺の意志でアークヴィランを捕獲して回ってる。外宇宙の力は強大だ。コレクションの価値がある」
「コレクションか。変わらねえな」
昔からヴェノムは収集癖があった。
もっぱら毒物とか拷問器具とかエグいものに目がない。
研究の為と言っていたが。
名前だけでなく趣味も毒々しい男だ。
「さて――俺は次の獲物のところに行くぞ」
「もう行っちまうのか」
「もたもたしてるとアーチェに先越されるからな」
「二号か。あいつもアークヴィランを……」
アーチェ。人間兵器二号。弓兵だった。
あいつももう活動中なのか。
「お前も人助けは大概にしておけよ」
「なんだって?」
「所詮、人間なんてエゴだらけの醜い生き物だ。昔は俺たちもそれでずっと不遇だった。忘れるなよ」
忘れるものか。人助けなんて懲り懲りだ。
俺はそれが嫌で5000年前、自由のために魔王討伐から逃げたんだ。
今さら忠告されることでもない。
ヴェノムは峡谷の隅で励まし合うヒンダやシズク、マモルを遠目に眺めていた。
「子どもはまだいいよな」
「……」
「にしても、あの爆風で無傷か。大した"ガキ"だ」
ヴェノムは目を細めて訝しむ表情を向けた後、肩をすくめて俺に向き直る。誰のことを言っていたのだろう。
「まぁいいか。じゃあな」
「あぁ。――あ、シールが何処か知らないか?」
「いや? お前のが詳しいだろ。いつもコンビ組んでた」
「目覚めてから見てない。まずシーリッツの祠に向かおうと思う」
「祠か。どうかな……」
ヴェノムはあまり他の勇者に興味ないようだった。
一人で好き勝手に生きているようだ。
既に十分自由を謳歌している。
……俺はなぜ五十年前、再び眠りについたのだろう。
ヴェノムがこれなら俺も一度は自由を手に入れたはず。
それをどうして5000年前の記憶を植え付けてやり直した?
考えれば考えるほど謎は深まるばかりだ。
シールなら何か知ってるかもしれない。