153話 監獄島の夢魔Ⅲ
「それでさー、そのとき、あたしも気づいたの。あたしたちの搾精って、なんだか冒険者に都合よくないかな? って」
「ふむ……」
「だってただのサービスシーンだよ、こんなの」
「うーん。なるほどな」
「そういえば、こないだの仕事で会った冒険者は、いつまでもあたしを倒そうとしなくて、様子が変だったの! だって近づいてくるくせに攻撃もしてこないんだよ? 突っ立ってるっきり。何してるのかわからなくて、あたしも普通に襲うじゃん。それで押し倒して、いざキスからって思ったら、なんて言ったと思う?」
「……なんて言ったんだ?」
「うほっ良いアングル、だって! 信じられない。アングルってなに? 意味わかんない! って」
「ほう……。そんなことがな」
ひとまず俺は紅茶を啜った。
俺は今、どういうわけか、サキュバスの仕事について愚痴を聞かされている。
突然、ソファでサキュバスの女とお茶会だ。
彼女――リリスはこの快適な部屋に、『運営』と名乗る男に案内され、以来、首輪をかけられて生活しているのだと云う。
リリスは、黒の過激なボンテージファッションに加え、大きな南京錠が首からぶらさげているため、印象がSM系のそれだ。
王都の歓楽街にあった『潮漬けサッキュン』という店の店長シェリーと比べ、露出は少ないものの、さすが〝本物〟だけあってインパクトは強い。
しかし、とにかく話が長い。
だいぶ長い間、人と話をしなかったのか、積もる話をすべて俺にぶつけられ、さっきから愚痴の内容が四方八方に飛び散らかっていた。
時系列も不明で、正味、何言ってるか分からん。
俺もほとほと疲れ始めた。
「――ねえねえ聞いてる? ソードさーん?」
「聞いてるが、最初の質問については?」
「最初? 何の話だったっけ?」
「なんでここにいるのかって話だ」
「あ、そうだったわね」
リリスがくりっとした瞳をさらに丸くさせた。
ようやく本題が聞ける。俺も姿勢を正した。
「えっとー、運営さんの話だと、あたしは〝貴重な存在〟なんだって。だから、しばらく休んでいいって此処に連れてこられたのよ」
「……休んでいい? リリスは今、冒険者を襲ってないのか」
「うん。どれくらいの間かわからないけどね」
「でも、それだと精気はどう吸収してる?」
サキュバスにとっては、男の精気が。
インキュバスにとっては、女の精気が。
それぞれを養分として吸うことで生きられる。
「あたしも不思議だったんだけど、何もしなくても生きていられるわ。今まで疑問に思わず、冒険者を見たらとりあえず襲ってたんだけどね。でも養分なしで生きられるって、あたし最強すぎじゃん」
「……」
ゲームの世界だから、だろうか。
リリスはモンスターのプログラムの一つであり、食事をしなくても死ぬことはない。その前まで、現実世界のサキュバスのように、生きるため、食事のための『搾精』だったのに、その必要がないと本人が気づいてしまった……?
その『運営』が言う〝貴重な存在〟の貴重とは、どういう意味だろう。
――もしかして自我の芽生えのようなものか。
「ここへ連れてこられる前、自分に変わったことはなかったか? 自分の存在に疑問を思ったり、搾精自体を戸惑ったりとか」
「ああ~」
リリスは赤い瞳を天井に向け、考えている。
「それこそね、その〝良いアングル〟の話」
「あぁそれか」
「うん。冒険者たちの様子がヘンなんだもん。その前にも、あたしに襲われる事を喜ぶ人もいたし、ヘンだって思ってたんだけどね」
現実世界に、それ目的のオトナのお店もあった。
そりゃ喜ぶ輩もいるはずだ。
そもそもゲームなんて遊び心とか娯楽で生まれたものだから、その中のサキュバスという存在は、特に色気担当の役回りとされるだろう。
「良いアングルって言われたときに、つい〝アングルって何よ! 気持ち悪いから離れて!〟って相手を殴っちゃったんだよね」
「殴った? 夢魔のくせに?」
「思わずね」
「はぁ殴ったのか。魔法じゃなかったか……」
「うん。生理的に無理だったわ。殴った」
エリスは拳をつくり、当時の武勇を誇るように見せつけてきた。
遙か昔、現実に棲息していたサキュバスは、腕力が弱かったため、戦いにおいて殴るという攻撃手段は取らなかった。
「その後すぐだよ。運営さんが来てさ」
「貴重な存在だと……」
「そうそう」
ゲーム世界こそが現実であるリリスにしてみれば、自身が上位世界の何者かによってつくられ、お色気担当と勝手に割り振られているのは、堪ったもんじゃないだろう。
運営の動きは、やはりリリスの〝自我の芽生え〟を感知したから? ――それを貴重な存在として扱うということが意味することとは……。
「そのとき運営さんとは初めて会ったんだけどね、不思議と初めてって感じがしなくて、なんか当たり前のように身近にいた人って感じたよ。だから、そのまま甘えて、この部屋で暮らしてるわ」
「なるほどな」
俺たちやプリマローズのように現実世界から連れてこられた〝自我〟を持つ者もいれば、ゲーム世界のプログラムから〝自我〟を持った者もいる?
それでリリスは匿われたのだろうか。
ここで運営をアークヴィランだと仮定する。
〝これも、新たな並行世界なのでは、と――〟
リンピアの推理を照らし合わせると、『運営』というアークヴィランの目的は、リンピアの推理通りの可能性が高かった。
すなわち、新世界を創造し、支配する。
新世界を作るには、自我を持つ存在が必要だ。
プログラムでしか動かないNPCだけでは、世界を作ったとはいえない。
「逆に聞きたいんだけどさ、ソードさんはどうして此処に来たのよ?」
「俺はゲームのイベント中で――」
ふと思い出し、部屋の壁時計を見上げた。
そこには都合よく現実世界の時間を刻む時計があった。もうクエスト開始から四十分が経過していることに気づいた。
「あ、時間がやばい」
「どうしたの?」
「俺はこの監獄島から脱出したい。どこかに出口はないか?」
リリスは、急に俺が切迫したように問い質したせいか、戸惑って目を泳がせ始めた。
「あぁ~、えっと……。この部屋はね、ソードさんが入ってきた階段の出口とは反対側に、もう一つ出口があるわ」
「あれか!」
リリスの視線を辿ると、クリーム色の壁紙に紛れて、ちゃんと扉があった。
「運営さんがたまに来るときは、そっちから出入りするかな。でも、あたしは開けられないよ」
「開けられないなら壊せばいい」
「えっ」
扉まで近づき、ドアノブを回す。
当然、開かなかった。
鍵がかかっているというより、手応えがなく、ノブがぐるぐると回るだけ、という感じだ。
俺は【抜刃】で赤黒い剣を手元に造り、ぶっ叩くように切り裁いた。
現実の扉と同じように、木っ端微塵になった。
「うそ……。ソードさん、何者?」
「元・剣の勇者だ。リリスは知らないかもしれないが、昔はわりと知名度があった」
扉の先は真っ黒な通路となっている。
遠くで微かに光が差している。
「行っちゃうの……?」
「もちろん。引き返しても監獄島から脱出できるかわからないしな。仮に脱出できなくても、あの先に行けば何かあると思う」
もし『運営』なる存在がいたら、黒幕を早い段階で倒せる。それなら話が早い。
黒幕がメイガスの可能性もあるし。
どっちにしろ元から追いかけていた存在だ。
「ねえ。あたしも行ってもいいかな?」
「いいんじゃねえか」
「そろそろこの部屋にも退屈してたのよ」
そりゃあそうだろう。
リリスがいた部屋は、快適だが刺激がない。
魔族なら特につまらないと思うだろう。
「行くとしても自己責任だぞ。俺も俺でやることがあるし、子守りは少し前に懲りたからな」
「心配無用よ。別に守ってもらおうなんて思ってない。ただ、広い世界に出たいなって」
リリスもこのゲームのサービス開始以来、ずっと冒険者を待ち受けて倒される存在として存在し続けたのだとしたら、自我が芽生えた今、いろいろと欲が出るのも当然だ。
俺もかつて勇者として、機械的に魔王を倒していた頃がある。それと重なって親近感が湧く。
「でも、この鎖で遠くへ行けないの。もしかしてソードさんなら……」
「ああ? そういうことか」
リリスが首元から垂れ下がる鎖を持ち上げた。
ジャラリと鳴るその鎖は、リリスの力でも何ともできない破壊不能オブジェクトだった。
俺は躊躇わず、鎖を【抜刃】で切り裂いた。
鎖は四角い小片となって完全に消失した。
「すごい……」
リリスは呆然としている。
少しして実感が持てたのか、自由になったことを喜んで、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
俺は自由人の味方である。
「そういや、リリス以外にサキュバスは?」
「あたし以外? ううん。知らない。あたしはあたししか知らないし、他の仲間も見たことないわ」
「……」
そうなると、クエストはどうなっているのか。
リリスとは別でプログラムされたサキュバスが代理で冒険者たちの相手をしているのだろうか。
――じゃないとプレイヤーもクエストをクリアできなくなるし、クレームも来るだろう。運営もその辺は準備していそうな気がする。
「まぁいい。そういうことなら行くぞ」
「うんっ!」
俺は暗い通路の中に入っていった。
リリスもその後に続く。