150話 人の真似事
ゲームの中という電脳空間における、水面下での並行世界の創造――。
それがアークヴィランによる侵略なら……。
元々俺たちの目的は、人間兵器が宿している魔素の暴走を封じ込める方法を模索するために、メイガスを当てにして、此処に来た。
万が一、メイガス本人が憑依となっていた場合が厄介だ。
どんな魔素に乗っ取られたかも未知数である。
「DB……」
魔素の特定には、DBの存在が不可欠だ。
そのDBとも今は連絡がつかない状態。
ゲーム世界では個人端末は持ち込めなかったワケだし。
さっき、時を刻む少女と別れるとき、アーチェだけでなく、DBにも伝言を頼んでおけばよかった。
機転の利くシズクのことだから、もしかしたらDBにまで連絡を取ってくれるかもしれないが。
「DBの偽物ならいるんだけどな。そこに」
教会の長椅子から、最奥の講壇の脇に佇む修道服姿の〝ケア〟を眺めた。
夜通しずっと見張っているが、動きがない。
たまに夜中でもゲームをプレイしているプレイヤーがケアに話しかけたときに、目の色が虹色に変化して、饒舌に次回のポイント争奪クエストの説明をし始めるくらいだ。
「……」
本当にNPCなのだろうか。
怪しい……。
特に、DBという女はすべてが胡散臭い。
あいつは頼れる存在だが、性格的に信用はできないタイプの女だ。そういう背景もあって、DBと瓜二つの女はみんな胡散臭く見えてしまう。
あのNPCに何の罪もなかったとしても!
「……」
立ち上がり、俺は再び講壇に近づいた。
イベントサポーターのケアは虚空を眺めている。
俺が近づいても、こちらを向くことはない。
「むうー」
とりあえずケアの頬を摘まんでみた。
生身の感触が、指先を通じて伝わる。
これがゲームのグラフィックの一つだとは到底思えない。
「もしかして、こいつ、我慢してんじゃねえか? 本当は中にDBがいて、NPCのふりしてる可能性も……あるよな?」
実際、七人の人間兵器が勇者をしていた時代、五号一人だけが記憶を維持した状態で何度も覚醒し、それを俺たちには話さなかった。
余罪があるだけに、十分可能性としてあり得る。
頬の次に、耳たぶを摘まんで引っ張ってみる。
反応がない。
鼻を摘まんで息ができないようにしてみる。
反応がない。
唇に触ったり、眉間を釣り上げたり、目の周りをこね回したり、とにかくあの手この手でケアの反応を誘おうとする。
しかし、何も反応がない!
「ちっ、我慢強いヤツだ!」
俺はヒートアップしてきて、ケアの体にほぼ覆い被さるようにして両肩を掴んだ。
その瞬間。
――ギィ。
誰かが教会に入ってきたことを、背後で扉が軋む音を聞いて気づいた。
「ソード……なにやってるの……?」
「え……? え? ソードさん、本当になにやってるの?」
街の深夜散策に出歩いていたシールとリンピアが戻ってきた。こんな最悪のタイミングで。
「ああ、いや、こいつが本当にNPCかを――」
「痴漢! 変態!」
「無抵抗な少女を無理矢理押しつけて、いかがわしいことしようなんて最低ですね!!」
「そんな人だとは思わなかったっ!」
おいおい。俺がNPCに欲情するとでも?
人間兵器だぞ。
しかも、このケアも、中身がDBだったとしても人間兵器だ。無感情な存在の俺たちが、人間みたいに発情するワケがない。
シールはあからさまに不機嫌そうな顔をして、踵を返して扉から出ていってしまった。
「待て! ゲーム世界に来てからのシール、なんか変だぞ!」
慌てて後を追いかける。
感情的になるなんて、あいつらしくない。
リンピアの脇を通り過ぎて教会を出て行くと、リンピアはハラハラしたような、それでいて何かを期待するような眼差しを向けていた。
○
教会を飛び出し、街灯に照らされて幻想的な雰囲気が漂う庭まで、シールを追いかけた。
「一体どうした。お前らしくもない」
「……」
シールはこちらに背中を向けたままだ。
一本の樹の幹に手を当てながら、俯きがちに佇んでいる。
「……気のせい」
「あん?」
「気のせいよ、多分」
「うん。そうか」
気のせい?
なんだその言い草は。
「確かに、私ちょっと変かもしれない。現実世界にいるときよりも、なんだかソードの一つ一つの振る舞いに、気持ちが振り回される感じがする」
「それはよくねえな。作戦に支障が出る」
「ええ。……これもゲーム世界に来た影響かな」
「どうかな。でも、プログラムで作られた世界に入り込んだ結果、現実世界より感情的になるっていうのは奇妙な話だ」
「……」
シールは振り返り、木の幹に背を当てた。
俺の目を見て喋ることに抵抗があるようで、視線を下で泳がせながら躊躇いがちに話す。
「ソードは忘れちゃってるかもしれないけどさ、私たち、昔は人間の真似事をして、夫婦みたいに生活してた頃もあったんだよ」
「それは……」
初耳だ。
俺が『アガスティア・ボルガ』による記憶の上書きが行われる前か。今から五十年程前の。
「なんでそんなことをした?」
「なんでだろうね。人間の気持ちを理解するためって名目だったけど……」
シールはようやく俺の目をちらちら見た。
「私の本心は、アークヴィランのことで躍起になるソードが心配だったから、そういう暮らしをすれば、人間みたいに支え合えるかなって考えた……んだと思う」
「当時から随分とシールの世話になってたのな」
「ううん。結局、救えなかったしね」
「ああ――」
最終的に俺の精神を蝕む【狂戦士】を封じ込めたのは、アガスティア・ボルガによる応急措置によるものだ。
「でも私、あのシーリッツの孤海の島での暮らし、好きだったな」
「あの大量の魔素を溜め込んだ島で暮らすのが?」
「それはまた別の話。ソードと二人で生活するのがってこと」
やや笑顔を見せるようになったシール。
その表情は、当時のシールがいかに心安らかに暮らしていたのかの表れだ。
「昔の俺がどんな奴だったか知らんが、こんな風に揉め事に首を突っ込みやすい男と生活してたら、落ち着かないんじゃないか?」
「それがよかったんだよ」
シールは歯を見せて笑った。人間のように。
人間兵器である彼女が――。
それは俺たちが長年、手にすることができなかった感情である。
魔王を討伐するためだけに覚醒する無機質な存在が、ついぞ手にできなかったもの。夫婦の真似事すら始めるほど、時には憧れた人間らしさというものの一つの形。
「ねぇ、これは特に深い意味はないんだけど」
「うん?」
シールはふと両腕を左右に広げた。
現実の彼女よりだいぶ小柄になってしまって、広げた両腕も、とても範囲が狭い。
「今ここで、抱きしめてくれない?」
「――――」
その意図を探る必要はなかった。
シールはゲーム世界において自分が変だということを自覚してるし、俺もそれを言及したばかりだ。
それでも尚、こんなスキンシップを求めてくるということは、これはシールなりの試行錯誤の一環であり、変になった自分を楽しもうという遊び心でもあり、そしてまた任務中の一時の贅沢でもある。
俺はそれを否定するような間抜けじゃない。
「……」
黙って近づき、言われた通りに抱きしめてやる。
世話になった相手を無下にする気もない。
「あぁ……」
シールは嘆息をついた。
小さい彼女は俺の体に全身がすっぽりと包まれてしまう。やがて張っていた筋が弛緩し、背中に回された手が優しく俺を撫でる。
不器用な真似事だ。
この行為に特別意味があるわけがない。
だというのに――。
「なんだか、こういう日が続けばいいなって、思っちゃった」
「……」
シールの甘い言葉がひどく、耳を劈いた。
彼女が嬉しそうにすることは俺も本望なのだが、今のは違う。その言葉は、本質的に、俺たちの存在理由を揺らがせるのでは――。