148話 虹の瞳Ⅰ
教会を一旦出て、庭の木の下に集まる。
気づけば一気に日は暮れ、夜になっていた。
街灯に照らされた教会の庭は、白亜の壁、レリーフ、花壇などの存在も相まって、神秘的な雰囲気を醸し出している。
「あの~……ソードさん」
「うん? なんだ?」
時を刻む少女に話しかけられた。
「イベントサポーター、なんか変でしたよね。まるでDBさんみたいで……」
「あれがイベントサポーターじゃないのか?」
「違うと思います。少なくとも、僕が前に教会で話しかけたときは、似た格好でしたけど、ちゃんとしたNPCでした」
「ふむ」
「それが今日来たら変わってます。バグなのかな」
「…………」
イベントサポーターのNPCがすり替わった?
俺たちがゲーム世界に潜入したタイミングで?
これは何か意味があるのだろうか。
もう少し、あのDBに似た誰かを調べ尽くす必要がある。
――そのためにも。
俺はリンピアの方に振り返った。
視線を感じたリンピアは、目を瞬かせるばかり。
言い逃れはさせない。
こいつの虹色の瞳は、あの偽のイベントサポーターと同じだ。絶対に何か知っている。
「でも、ごめんなさい。僕たちもそろそろ落ちないと」
「あれ?」
マモルとシズクが操作する『時を刻む少女』も、モロスケやマリンと同様、ゲームを辞めたがっている。
「そうか……。今、現実は何時なんだ?」
「もう23時です」
寝ないと明日の学校に支障が出るということだろう。
子どもが深夜までゲームに耽っていたら、ナブトも黙っていないはずだ。
「わかった。とりあえず、またログインしたときには連絡くれ。あと、現実世界ではそのうち二号が村に戻るはずだ。戻ったら俺たちの事情を伝えて、メガティア社のことを調べるように言っておいてくれないか?」
「わかりましたっ!」
魔法少女『時を刻む少女』が敬礼する。
そして、すっと消えてしまった。
「さて、と――」
残されたのは、俺とシール、そしてリンピア。
「じゃあリンピア。話してもらおうか?」
俺とシールに詰められ、どきまぎするリンピア。
あのNPCと同じ瞳を持つ理由を説明してもらいたい。
「何から話せばいいのやら……って感じですが」
リンピアは目を泳がせている。
エスス魔術相談所で面接を受けたときに感じた堂々としたオーラは、すでにない。
俺とシールは無言でリンピアの言葉を待った。
その沈黙に耐えられなくなったのか、観念したようにリンピアは語り出した。
「ふぅ……。話すしかなさそうね」
リンピアは一呼吸置き、木陰の花壇に腰掛けた。
ローブのしわを伸ばし、居ずまいを正している。かなり緊張しているようだ。
「お二人は……〝並行世界〟をご存知ですか?」
「なんだって?」
「並行、世界?」
俺とシールは仲良く首を傾げる。
「そうです。世界は一つじゃありません。ソードさんたちのような人間兵器が存在する世界、しない世界。魔族がいる世界、いない世界。アークヴィランが地球に来なかった世界、そして、来た世界……」
いきなりスケールがデカい。
言っている意味もよくわからなかった。
ただ、リンピアには真に迫る雰囲気がある。意味がわからずとも、嘘をついているようには思えない。
「実は私、元はソードさんたちの世界とは別世界の住人で……と云っても信じてもらえるでしょうかね」
「ふむ」
一つだけ、俺にもわかることがある。
「ロアって奴も、そうなんだな?」
「……そうです。私とロアくんは、まぁ云ってしまえば永遠を誓い合った夫婦です」
「おお」
それは何とも、仲睦まじいことで。
しかし、あの無愛想な男が伴侶とは、リンピアも苦労してるのだろうか。他人の結婚観を、ましてや俺のような人間兵器がとやかく言える話ではないけれど。
「ソードさんたちは、もう六千年ほど生きていますが、六千年前の記憶はないですよね?」
「おう。よく人間兵器の事情を知ってるな」
「当然です。だって私も、六千年以上生きてますから」
「はぁ!?」
今一度、リンピアの姿を上から下まで眺める。
「お前も、人間兵器なのか?」
「違います。私は〝守護者〟ですよ。世界の」
「…………?」
人間兵器や魔王以外に、不死の存在がいることは初耳だ。
「云ったでしょう。私はソードさんたちの世界とは別の世界の住人だと。今から遙か昔、時間魔法を極めた災禍の元凶が引き起こした厄災によって、世界の時軸は不安定になって、あらゆる並行世界が発生しました――」
「時間魔法……?」
リンピアは饒舌に語り始めた。
曰く、元々、世界は神が統制していた。
しかし神への信仰が途絶え、神が死に絶えると、それに台頭するように、神の領域に挑んだ〝災禍の元凶〟とされる魔術師が、時間の法則を書き換え始めたようだ。
それが七千年以上、昔の話。
結果として、並行世界が山ほど発生し、世界は複数に分岐してしまったのだとか。
俺たちが暮らす今の世界は、その〝災禍の元凶〟を封じ込める儀式の一環として、二百年に一度、七人の勇者と魔王を戦わせることを慣例化させた世界。
「時間魔法って、最近どこかで体験したような――」
いつの時だったか。
時間に干渉する系統の魔素をこの身で体験した気がする。
パペットやアーチェとの死闘に必死で、【狂戦士】の精神汚染も進んでいたから、記憶があやふやではあるが。
シールがリンピアに問いかける。
「リンピアは、昔からの経緯も全部知ってるってこと?」
「その通り。私やロアくんのような守護者は、分岐した世界の役割からは、もう外れています。――外野のような、観戦者のような、そんな存在ですね。だから歴史上何が起きて、どうして今に至ったか、概ね把握してます」
頼もしいのか。頼りないのか。
ある意味、リンピアのような存在が一番厄介だ。
全能的な立場にいながら部外者である守護者。
それはつまり、何が起きても責任がない、ということなんじゃないか。
そんな連中を、俺たちは頼っていいのか?
「リンピアは、俺たち勇者の戦いが、儀式だと云ったな?」
まずそこを確認したい。
勇者の運命には、だいぶ俺も翻弄された。
俺自身もおかしくなったし、仲間もおかしくなった。
それを世界が仕組んだ儀式だというなら、本当に運命ってやつが憎くて憎くてたまらない。
「――そう。儀式です。
災禍の化身の思念を取り込んだ当時の精霊様たちが融合して魔王様の原型が生まれた。それを打ち倒すことで、災禍の元凶を、定期的に弱体化させていた。そんな儀式ですね」
「その魔王ってのがプリマローズだよな?」
「その通り。今の魔王様は、元々賢者と呼ばれた五人の精霊様の融合体なんですよ。私も尊敬してました。……〝災禍の元凶〟の思念の影響で、横暴な性格になりましたが」
「はぁ……」
リンピアがプリマローズのことを〝魔王様〟と敬称をつけて呼ぶ理由がわかった。
昔は偉大な存在だったのだろう。
それが今や、見る影もないが。
ゲーム廃人だし。
「俺たち元勇者は、その儀式に起用されたメンバー七人だったってワケか……。はぁーあ」
溜め息が出る。
とんだ理不尽な運命があったものだ。
あらゆる葛藤を思い返し、やや萎えた。
「でも、なんでそんな話を、今に打ち明けた? リンピアの虹色の瞳と何か関係あるのか」
「だって、ソードさんは記憶がないんでしょう……? 私が誰かもわからないのに、私の話を信じてもらえないんじゃないかって思ったので」
リンピアは、不安そうに俺やシールを見上げた。
「そりゃあ、急に言われても、なかなか受け入れられんな」
ただ、どうして俺たちが魔王と数百年周期で戦わされ続けていたのかは、少し理解できた。
納得はしていないけど。
俺の心労を感じ取ったか、リンピアはさらに続けた。
「えっと……ちなみに私もロアくんも、勇者として儀式に取り込まれる前のソードさんを、よく知ってます」
「そうなのか?」
「うん。もちろん、シールさんのこともよく知ってます。昔は、二人とも全然違う名前でしたけど」
「生憎、俺たちは昔のことを覚えてないんでね。馴れ馴れしくされても、急には打ち解けないぞ」
「それはもちろん……」
他人が自分をよく知っているのに、自分は知らない。
パペットも、こんな不気味な感覚だったのだろうか。
というか、人間兵器七人はどういう経緯で、勇者として儀式に起用されたのだろうか。俺はどうして勇者に……?
それも聞いてしまいたかったが、聞いてしまえば、何か悪い方向に向かう気がした。
知らぬが仏、という言葉もある。
シールもそう察していたようで、リンピアに自分たちの背景を深く尋ねようとしなかった。