余話 引退公演
『それから十年の月日が流れました――』
ナレーションが劇場に響き渡る。
静粛な館内で反響するその透き通った声は、耳を撫でられるように心地よい。
『カリブはクロヤギに遊んでもらった日々を思い出し、クロヤギもまた、カリブの成長を認め、王位を委ねることにしたのです――』
羊のぬいぐるみの群れが喜び合うように舞台を跳ね回り、大道具である城の張りぼてが滑るように舞台袖にはけていく。
そして、主人公の白い羊が真ん中に踊り出る。
『僕は見つけた。仲間と居場所を……! 大切な仲間がいるこの国を、僕はずっと守っていく!』
スポットライトを当てられたのは白い羊。
……だけではなく、その脇で一礼するクロヤギも一緒だった。
その演出は、二人がこれから共にヒツジの王国を守っていく、そんな希望に満ちた最後を暗示していた。スポットライトは徐々にステージ全体を照らして周囲の脇役のヒツジたちも手を振って、観客に感謝の気持ちをアピールしている。
花道に立つ無愛想な人形師を見かね、羊のぬいぐるみの一匹が自身の背の糸を引っ張る。人形師はそれに釣られ、無理やり観客席に振り返らされて、操り糸で操られたように、一礼をした。
現代人形劇ならではの、人形側に人間が操られるユニークな演出だ。
そんな様子に観客は笑い、物語は終わった。
エンディングテーマが流れ、幕が下りていく。
花道に立つ、この人形劇を演じきった人形師は、野暮ったそうに操り糸を振りほどくと、おどけた風に観客を眺め、今度は自らの意思で深く一礼した。
拍手は一際大きく、大歓声だった。
幕が下りきり、劇場内が真っ暗になっても拍手は鳴り止まない。長年にわたる人形師の最後の劇に、観客の皆、別れを惜しんでいるようだ。
――今回は、その人形師の引退公演だった。
公式には、十年。
非公式には、およそ二千年……。
人形師という一人の芸術家が見せた集大成としては、まだ物足りないとも云える一幕だった。
ヒツジの王国は、物語の最後、誰も悲しまない幸せの結末を迎えた。クロヤギもきっと〝カリブ〟とともに未来を見つめ、一緒に乗り越えるだろう。
さて、現実のヒツジの王国はどうだろうか。
現実では、カリブよりもクロヤギの方が心配だ。
あのクロヤギのモデルが、舞台を演じきった人形師本人であるということを知る者は、観客席に俺を含めて他二人しかいなかった。
「どうだった? 念願だった人形劇は――」
「……」
俺はあえて、隣に座るヒンダに尋ねてみた。
ヒンダは声にも出さず、静かに涙を流していた。
感動したのか、それとも――。
女の子の泣き顔を執拗に見続けるのは、野暮か。
さて、と、おもむろに立ち上がる。
「んじゃ、舞台裏に行くか。スージーが待ってる」
ヒンダはハンカチで目元を拭い、静かに立った。
あの一件以来、すっかりヒンダも大人しくなってしまった。
「――あんがと。ソード」
「あぁん?」
「ここまで付き合ってくれて」
ヒンダは真っ直ぐ俺を見て、ぎこちなく笑った。
大人しく……というか、大人になったんだな。
「いいって。俺もけっこう楽しめたぜ」
レディになったヒンダへのせめてもの接遇だ。
手を取って導いてやる。
手を差し出すとヒンダは強く俺の手を握り返し、出口に向かう通路に飛び出した。
劇場を出る前、俺は最後に劇場を振り返った。
まだ修理途中で、所々修繕が丸見えだったが、それでも観るだけなら十分な劇場。
お疲れ、パペット。
あとはゆっくり休んでてくれ。
○
舞台裏に行き、関係者用通路から楽屋に入ると、スージーが歓迎してくれた。
「あぁ~~、ソードさぁああんっ」
「おい、相変わらず近いっての!」
「だって緊張しっぱなしだったんですよ? 私の活躍、見てくれました!?」
「いや……。つか、スージーも出演してたのか」
「ひどっ! ほら、幕間の回想場面で、幼いクロヤギの声を当ててたの、私ですからっ」
そんな一部だけのことを言われても……。
しかも、その場面は一番物語に没入していて、あまりキャストのことなど気にしていなかった。
スージーは緊張の糸がほどけて饒舌になったようで、ぶつくさと文句を言いながら自分の苦労を語り尽くしていた。
楽屋には、徐々にグレイス座のキャストやスタッフが戻ってきて、晴れ晴れとした表情で、装飾道具を取ったり、椅子でくつろいだりしていた。
しばらくして本日の主役であるパペットが登場。
一緒にヒシズもやってきた。
「みなさま、お疲れ様でした」
ヒシズが微笑みかけると、スタッフやキャストの女性は、立ち上がってヒシズに拍手をした。
新女王陛下――劇団のスポンサーであり、国のトップである。熱烈な歓迎で迎えているようだ。
「拍手を送られるのは皆さんの方ですわ。わたくしへの気遣いは不要です。――今日は王家からご馳走を手配いたしました。お好きなお料理を召し上がってくださいませ」
ヒシズからの労いを、嬌声を上げてスタッフは喜んだ。
良い王女様になりそうだ。
どうやらハイランド王国で女王が誕生したのは、歴史的に見ても何千年ぶりという次元らしく、特に女性からの支持は厚いようである。
「あ……」
よく見ると、楽屋に野郎は俺一人である。
キャストの着替えもあるだろうから、俺は先に出ていくことに決めた。
ここに寄ったのは、舞台が終わったら居てほしいとスージーに頼み込まれただけで、それ以外に特に用事はない。
個人的には、パペットの様子も――。
と思ったのだが、俺が心配するまでもなく、パペットはこれまで通りだし、グレイス座のスタッフからの慕われ具合も変わっていない。
楽屋の扉に手をかけると、
「あっ、お、おい。待てよ、ソード」
止めたのはヒンダだった。
「……?」
「いや……。シールさんの所に行くんだろ?」
「ああ。相談があるしな」
「あたしも一緒に連れていってくれ」
予想はしていたが、ちょっとあっさりし過ぎていて、逆にいいのかと心配になった。
「いいのか?」
楽屋に目を向け、ヒンダに目配せした。
「えーっと……あはは……」
言いづらそうにヒンダが頬をかいている。
大人になったとは言ったが、まぁ、気まずいことはあるよな。
「おっけ。まかせろ。皆まで言わずとも大丈夫だ」
ヒンダの手を引き、パペットの所まで歩いた。
パペットは、引退を惜しむキャストたちからたくさんの花束を次から次に贈呈されて、膝の上に山ほど溜まっていた。
その細身の肩をとんとんと叩く。
「パペット」
「はい?」
振り向くと、流麗な金髪がすとんと流れ落ちた。
振り返り美人とは、此れこの事か。
「俺はもう行くぞ。約束の件は……まぁなんとか早めにケリつける」
「そうですか……」
内なるアークヴィラン撃退作戦のことである。
どうやら本人は期待してなさそうだ。
なんだか俺もパペットには少し悪いことをしたような気でいる。覇気のない返事を聞くと、まるで別れた元恋人との守れない約束を、いつまでも引っ張る甲斐性なしの男のようで、情けない。
「それと、実は――」
「その前に」
ヒンダの手を引いて前に出そうとしたとき、パペットが話を遮った。
「うん?」
「今一度、ソードさんにはお願いしたいです。私にもしものことがあれば、そのときこそ必ず」
「大丈夫だって。俺はリーダーだぞ。責任は取る」
「元、リーダーでしょう」
「はは、手厳しいな」
一度、約束を反故にした男だ。
仕方あるまい。
「い、いいい、今、責任取るって言ってませんでしたぁ!?」
そこにスージーがやってきて、指を震わせながら俺たち二人の関係性を疑い始めた。
まだ尾行のときのことを気にしてるようだ。
って、本題にいつまでも入れない……!
「いいから、ちょっとあんたは黙っててくれっ」
「えっ、だって今、パペットさんと何か大事なことを……っ! 責任って何の……何の責任ですかぁああっ!」
「はいはい。スージーさんはこちらで一緒にわたくしとお食事を楽しみましょうね~」
ヒシズが暴走するスージーを羽交い締めにして、無理やり引き離してくれた。
新女王、ナイス神対応。
「こほん。――ほら、こっちに来い」
ずっと俺の背に隠れていたヒンダを前に押し出して、パペットと対峙させた。
パペットは目をきょとんとさせて、ヒンダが現れたことに、やや動揺していた。
「え、えっと……あたしは……」
「ヒンダさん、観に来てくれていたのですか?」
「う、うん」
パペットは目尻を下げながら、申し訳なさそうに視線を逸らした。
「……ありがとうございました。私はてっきり、もう人形劇のことを嫌いになってしまったのでは、と思って――」
パペットは、アークヴィランの侵略行為の一端とはいえ、ヒシズを救うという身勝手な筋書きのためにヒンダを利用してしまったことを後悔していた。
ヒンダにあれ以来、会わせる顔もなく、しかし、ファンや女王の意向で、最後の引退劇を開催することになり、そのまま会わず仕舞いでパペットは舞台に臨んだ。
一番気まずく感じていたのは、パペットの方だったかもしれない。
「ううん。あたしさ……」
ヒンダが意を決し、パペットの目を見た。
「パペットさんには、確かに酷いことをされたけどさ。……っでも、人形劇、やっぱり好きなんだ!」
「……っ」
「今日見て、あらためて感じた。やっぱりどんなことがあっても人形劇が好き。パペットさんの造った人形も、この劇場も、グレイス座も、全部好きっ」
ヒンダは気づけば声を張り上げていた。
何事かと様子を見守っていたグレイス座のキャストたちも、朗らかな表情を向けている。
「ヒンダさん……ありがとう」
パペットは唸るように声を出した。
それは蚊の鳴くような声で、舞台で魅せたメインキャストとしての透き通った声とは雲泥の差だ。
「――でもさ、入団の話は……ごめんなさい。まだ決められねえやっ」
ヒンダが鼻をすすって、そう言い放った。
「いいのか? またと無い話じゃねえのか?」
俺がそう確認すると、
「うん。だって、あたしまだまだガキだもん。勉強してないことだってたくさんあるし、知りたい世界だって、もっとたくさんあるんだ」
「ははぁ。ま、欲張りなのは変わんねえか」
「へんっ! ソードのことだって倒せるくらい強くなりてぇしなっ」
強がってヒンダは俺のスネを蹴った。
パペットの【傀儡女】によって強化されてしまった馬鹿力は相変わらずで、子どもの脚力だが、骨の髄に響くほど強烈だった。
「だからさ……パペットさん。あたしがもっと大人の女になって、それから人形劇やりたいって言ったら、そのときからでも、迎えてくれるかい?」
「……」
パペットは下を向いて、なかなか答えない。
不安になったヒンダが、その顔色を覗き込もうと近づいたとき、パペットはヒンダの体を大事そうに抱きしめた。
「わぶっ……」
「はい……グレイス座はいつまでも待ってますよ」
「へへへ……。ありがとう、パペットさん」
ヒンダの髪に、雫がぽたりぽたりと垂れた。
まさかと思ったが――。
それは、れっきとした涙だった。
人間兵器が流すはずもない涙を流している。
あれももしかして魔素の……。
「それに、グレイス座の座長は、スージーに引き継ぎます。そのときは、彼女を頼ってください」
「えっ? えぇ!? 私ですかぁ!?」
遠くから絶叫が聞こえる。
予想外のご指名に、キャストやスタッフも皆、ざわつき始めた。
「ふふ……。よかった。あなたのようなファンが、私の財産です……っ」
パペットはスージーのリアクションに構うことなく、ヒンダに微笑みかけた。
にっこりと細めた目から、頬を伝う一筋の涙。
いや……。魔素の影響なんかじゃない。
人間兵器と人間は家族。合わせて一つだ。
あの涙は偽物なんかじゃなく、正真正銘、本物ってことで。
「じゃあ、いろいろと世話になったな」
俺は着替えを待つキャストのことも思い、楽屋を出ることにした。ヒンダの手を引き、ドアノブに手をかける。
「パペット。また連絡するからな」
「お待ちしてます」
「女王様もこれから大変だろうが、頑張れよ」
「はい。あなたには、また王国を救っていただきました。本当にありがとうございました。勇者様」
パペットとヒシズは並んで、手を振っている。
ヒシズがもう一方の腕で抱えているぬいぐるみを見て、俺は安堵の息を漏らした。
「――救ったのは俺じゃねえって。お前の〝推し〟だろ。な?」
指差して、そのぬいぐるみを指摘する
面食らったようにヒシズはきょとんとした顔を浮かべたが、すぐ笑顔になった。
「はいっ」
その腕には、傀儡の勇者をモチーフにしたぬいぐるみが大切そうに抱きかかえられていた。
二人がずっと平和に過ごせますように――。
俺はそっと願いを込め、劇場を後にした。
次回もう一話、余話を挟みます。(更新日未定)