135話 ◆人形師の忘憂Ⅰ
今より55年前の話――。
教暦7660年。
人間が、魔族から世界を取り戻した教暦6550年以来、実に千年以上の時が経っていた。
千年前の復興の立役者だった六十二代目のハイランド王が確立した『文化を守る』という基盤は、公営の人形劇の存在で安定し、世間の関心事も次第に移り変わっていった。
それは『星命環境』という概念。
すなわち、瘴化汚染のことである。
既に、件の【アークヴィラン】が人類の味方ではなく星の侵略者であると断定されていたし、人類も血生臭い争いが減ったことで、環境のことに気が回るようになったのである。
瘴気で枯れゆく自然が増えていたのだ。
アークヴィランは、直接的には人類に無害だが、間接的には有害。いよいよ環境保護団体がそれらの駆除を始めたり、宗教団体が異端排除と称して、狩りに乗り出すようになった。
人間は、暇になったのだ。
未来を考える余裕ができたのだろう。
悠久の時を生きる私が、もし将来のことを考えることがあれば、途方もない作業になることだろう。あるいは人生の終わりが見えれば、私も人間と同じように将来を考えるようになるのだろうか――。
アークヴィランの形態は様々だ。
屍に憑りつき、人型や動物型を取る個体が多い。
一方で樹々や土壌、海洋に溶け込んだ自然環境型も存在し、はたまた、季節や気候条件によって出現する現象型なる奇妙な個体もいた。
それらを排除する行為が、駆除か聖戦か、それに挑む人間が大儀に掲げる物事によって意味が異なっていた。
人形劇団をたばねる私は、世間の関心事を常に見張り、芝居が流行遅れにならないように創意工夫を重ねていた。
だから、55年前のことを多少は覚えていた。
当時の人間は、いつも空の向こうを見ていた。
アークヴィランがやってきた外宇宙のことが気になっていたのだ。そんな『星命環境』の概念によって外宇宙に目が向き始め、またしても世界では戦争の影が漂い始めた。
――"空の向こうに未知の侵略者がいる"
彼らは、星を巣食うアークヴィランとの戦争を憂いでいた。
ハイランド王国は率先して討伐部隊を組織した。
聖戦でもあり、駆除でもあるその組織のアークヴィラン狩りは、統率の取れたものだった。
後の『アークヴィランハンター協会』である。
統率者は【DB】という少女に役目があてられた。
長らく教会の司祭を務め、法治国家ハイランド王国の宗教基盤を支えた少女だ。
元の名は、ケア。
誰もが知る元勇者――人間兵器五号である。
私はケアという名前に聞き覚えがあった。
よく思い出せないが……。
それどころか、私は人形造りに打ち込み始めた時期から、過去に囚われることをやめた。それゆえ、自身の過去を思い出せなくなっていたのだ。
もしかしたらDBに会えば、わかるだろうか。
そう思い、司教とコンタクトを取ろうと考えていた矢先、意外なことにDBの方から私を訪ねてきた。
――人形劇場『グレイス座』。
ここは私が人形劇団の座長を務める上で名乗った芸名『グレイス』をそのまま入れ込んだ、人形劇に特化した公演劇場である。
"灰色な世界を優雅に染める"
そのスローガンに因んで命名した名だ。
結局、その芸名もこれから会うDBのせいで失ってしまったが……。
「こんにちは。……えっと、グレイスさん?」
「当劇場にようこそいらっしゃいました、DBさん」
私は事前に手紙を受けていたのもあって、精一杯の歓迎で彼女を出迎えた。
彼女の背後に、数名の衛兵がいた。
DBという要人を守るための護衛だろうと、あまり気にも留めず、劇場内へ案内したのだが、DBは館内に入るや否や、好戦的な言葉で私を牽制した。
「――いいえ、あえて昔の名前で呼ぶわ。人間兵器四号。コードネーム"パペット"。あなた、当時の記憶はある?」
「え? あぁ……ごめんなさい。昔のことはよく覚えてなくて」
かつての同胞として、思い出話でも語り合おうとしてくれたのかと思った。その好意的な解釈が無駄な労力だったことを、私はすぐ思い知る。
そもそも彼女は初めて会ったときから、どこか腹黒さを感じさせる態度ではあった。
「捕まえて」
「え? ――あ、何の真似ですかっ?」
「あなたはアークヴィランの憑依の嫌疑がかけられているわ」
「ヨリマシ……?」
「アークヴィランの手に堕ちたってこと」
「何かの間違いでは?」
私は抵抗する気もなかった。
屈強な兵士たちに気安く体に触られることも、その腕力によって拘束されたことも恐ろしいとは思わなかったが、私には長年、王家と懇意にしてきたという自負があった。
DBの非礼は、いずれ非難されるだろう。
いざとなれば人間の兵士を往なすことなど、造作もない。
「プリマローズ・プリマロロのことを覚えてる?」
DBは私の鼻先のすぐ傍まで迫り、怜悧な目でじっと睨みつけたまま、そう尋ねた。
「……もちろんです。彼女は魔族の将軍で、前統治時代の征服者でした。それが何か?」
「最近、発見されたのよ」
「……!」
正直、驚いた。
魔王は千年前に魔族が全滅したとき、彼女の同胞ともども死んでいたと思っていた。それ以上に、私は何か彼女に固執していたことがあって、生きていると知って嬉しくもあった。
「彼女はどこに?」
「北のフリーデリヒ雪洞に引き籠ってる。協会の使者が監視してるわ……。まぁ自発的に引き籠ってくれてるから、逃げ出しそうもないのだけれど」
「そうですか」
私はプリマローズに会いたくなった。
昔、彼女と張り合っていたことがある。
それは……何だっただろう?
今、こうして国家を導く存在に昇格した私に、多大な影響を与えたはずだが、思い出せない。
でも、会いたい。
会えば思い出せるのではないか……?
そもそも私がアークヴィランの"よりまし"とかいう嫌疑にかけられることと、彼女の発見に何の関係があるのだろう。
「プリマローズは、勇者のあなたが、最後は戦いを放棄したと証言しているわ」
「……」
DBは私の疑問を察してか、言葉を続けた。
「本質的に私たち人間兵器は、魔族と戦うように造られている。そんな人間兵器が、自発的に武器を捨てるなんて、他に理由がない限りありえないわ」
「そうは言っても……四号の私がどうして戦いを投げ出したのかなんて、覚えてません」
「それも変な話だわ」
「……?」
DBの真に迫る表情に私は気圧された。
私を押さえつける兵士の腕に、さらに力が籠ったように感じられた。
「人間兵器の時間感覚は概算で人間の百分の一。つまり、千年前のことだったら十年前のような時の流れよ。勇者が最後に魔王と戦った九回目の覚醒――三千年前でも、三十年前の出来事のようなもの。そんな大事な局面のこと、その程度で忘れる?」
「でも、私は……」
「あなたが魔王との戦いを放棄した理由。そして、当時の記憶がない理由。――可能性は一つよ」
DBは淡々と、まるで判事のように告げた。
「アークヴィランの習性が働いている」
――罪状を言い渡された。
私は実のところ、感覚的にアークヴィランとはどういう存在なのか、そして私もその一味と繋がりがあるのではないかという猜疑心はあった。
何故なら"内なる声"を聞いていたから。
あの声は凶暴で、強迫的だった。
私はアークヴィランハンター協会に連行された。
劇場から教会まで目と鼻の先だったが、見知らぬ者に同行されて更迭されるというのは、思いの外、気分が悪くて、長い時間に感じられた。
「わからないことがあります」
「……」
護送車の中で、私は独り言のように呟いた。
返事は期待してなかったが、DBは先の言葉を促すように私を見ていた。
「アークヴィランとは魔族に仇なす者でしょう? もし私が当時からアークヴィランに乗っ取られていたとして、それで魔王との戦いを投げ出すというのは、理屈に合わないのでは……?」
アークヴィランであるはずの私が、魔族の長をみすみす見逃す方が変だ。
訝しんだ表情を向けたのは私の方だったが、それ以上にDBは不機嫌な態度で、顔を顰めた。
面倒くさいやつを見るような視線だ。
「普通に考えたら、そうかもしれない……」
DBは溜め息まじりに応えた。
昔の誼で仕方なく、といった風だ。
「私たち協会も、アークヴィランを研究し始めて、最近ようやく解明できたこともあるのよ――」
前置きを挟んでからDBは、横髪の毛先をくるくると回し始めた。
「アークヴィランの習性は、街灯を見つけたらそれに集まる単純な羽虫とはワケが違う……。とても知能の高い生物で、そして人間と違うのは、彼らがそれぞれの形態によらず、群体生物のように社会的な意思疎通を図れる生物だということ」
「意味がよくわかりません」
「でしょうね。単純に言えば、一匹一匹に個性があるのに、一匹一匹が一つの大きな生命体の一部だということ」
「……?」
聞き慣れないことで理解が進まなかった。
私に理解できたことは、アークヴィランが人間のように愚かな同士討ちをしない生き物なのだということ。それはある意味、私が考える『理想の国家』に近しい在り方で、確認すべきではなかったと後悔した。
これでは私のアークヴィランらしさが、さらに露呈することになる。
「あなたが魔王との戦いを放棄した理由は、後に続く大侵略――つまり、アークヴィランによる魔族大殲滅のための布石だったのかもしれない」
DBが言うには、アークヴィラン襲来が人間統治時代のことであれば人間側の被害が大きくなり、魔族殲滅は成し得なかったかもしれない……らしい。
アークヴィランにとっては人間より魔族こそが、いの一番に駆除すべき惑星の原住民だった。あえて魔族をのさばらせ、駆除しやすくしてから叩く、という算段。
――確かに狡猾だ。
その最初の手引きをしたのが、私ではないかと協会は睨んでいるそうである。
私はまだ教会にすら辿り着いていないのに、裁判で異議を唱える罪人のように、反論を重ねた。
「でも、勇者だった頃の私がアークヴィランと接触していたのなら、他の勇者も同じようにアークヴィランに乗っ取られていた可能性もありませんか?
――そうだ。あの裏切りの勇者も同じです。もちろん、あなたも」
私は話に聞く"一号"の話題を出した。
私だけが特別、アークヴィランの支配下にあるように非難される謂れはない。
DBは一号の名前を聞いて、やや凍りついた表情に動揺の気配を漂わせた。どうやら一号のことを訊かれるのは嫌らしい。
「一号だって今も何処かにいるのでしょう?」
「いるけど……」
DBは歯切れが悪いように言い淀んだ。
初めて、この少女も人間らしい一面があるのだと親近感が湧いた。だが、それも一瞬のこと。すぐに気を取り直して司教然とした態度で言い返した。
「彼には彼の贖罪がある。無論、私にもね」
「だったら――」
「ただ、贖罪は記憶があるからこそよ。私も彼も、その記憶に悩まされているわ。あなたは?」
「……」
何も言い返せなかった。
「いいわよね。すべて忘れてしまったあなたは」
私も、好きで記憶がないわけではないが。
DBは車窓の外を眺め、その先にある彼女のホームである白銀の尖塔を見ながら、溜め息をついた。
「ふむ。記憶か……」
そこに何のひらめきがあったのかわからないが、DBは何かに気づいたように目を見開いていた。
薄紫色の髪が、夕焼けに照らされて赤みを帯びていた。