133話 モコモコ・フィクサー・パーティーⅧ
シトシトと降る雨音が、旧王室に届く。
その水滴は戦いの熱を冷ますように、王城の隙間から内部に入り込み、絢爛だった舞台袖まで侵食していく――。
雫が一滴、水溜まりに落ちる。
それは王女の足元に落ちた涙だったか、あるいは、王城の衰退の象徴となる雨漏りだったか、判らないほどに腐敗人形の残骸が占める旧王室は、陰鬱としていた。
「ずっとわたくしは……迷惑をおかけしていました」
ヒシズが独白を始めた。
始めはパペットへの謝罪の言葉だった。
「いいえ。すべては王女様のためですよ」
「ごめんなさい……。わたくしが、我がままな王女で……」
「理想の国家には、成熟した王が欠かせない。これは私が決めたこと。ヒシズ様が気負いすることはないのです」
ヒシズとパペットが互いに懺悔している。
完全に置いてけぼりな俺。
話についていけず、抜き身の魔腕のやり場に困った挙句、戦闘の構えを解いた。怒りの矛先を奪われ、中途半端な気持ちで立ち尽くすしかなかった。
それに気づいたヒシズが、俺に声をかけた。
「ソード。どうかパペットを許してあげてください。すべてわたくしが発端だったのですわ……」
「何があったのか、聞かせてもらえねえか?」
「物語の続きとして話すのなら――わたくしが本当の黒幕だった、ということです」
「え……」
衝撃の真相を告げられ、どう反応していいか困った。
我ながら情けない面構えだっただろう。
王家の異変に始まり、王都の混乱にまで至ったこの難解事件の真犯人が、一番最初に相談を持ちかけた王女本人だったのだ。
あまりにも不可解で、仕方ないかとも思う。
ふとパペットを見やると、飄々とした態度で横目に俺を流し見るだけだった。
「――あの夏の日のことを告白します」
◆
ヒシズは重々しい口調で真相を語り始めた。
人形劇の幕間で見せられたように、公務で忙しいタルヴィーユ国王はある日、家族を労い、西方にある黄昏の谷へ、視察と称して遠出した。
家族旅行の発端は、ヒシズの駄々がきっかけだった。
それを受け、王に家族旅行を提案したのはパペットだ。
市民への姿勢としては、西部遠征は、異民族との交易行路を開拓するためにしましょうと助言したのも、パペットだった。
そこで不慮の事故があった。
アークヴィランの奇襲により谷底へ転落したタルヴィーユ含む王家の三人と、パペットという人間兵器の成れの果て。
パペットは全力で救出したが、助けも虚しく、三人とも死んでしまった。
『……うぇぇ……ん……』
家族の亡骸を前に、ただ泣き叫ぶヒシズ。
パペット自身も狼狽していた。
順調に理想の国家へと発展を遂げつつあった、ハイランド王国の当代の王が逝去。残された末裔は、たった六歳の少女――。
ひとまず王女を落ち着かせることが先決だ。
人間の心は脆弱だ。親の死は特にショックが大きい。
ましてや、自分の我がままで連れ出した旅行中にこんなことが起きたとあっては、どれほどの精神ダメージを負うのか、パペットには計り知れない。トラウマになる可能性か高かった。
それでは盤石な王権体制か崩れ、時代も変わる。
パペットは、まず先に遺体からヒシズを遠ざけようとした。
『嫌……ッ! お父様は、ここにいるもん!』
だが、一筋縄ではいかなかった。
六歳の少女に、死が何かを説くこともできない。
動かなくなった家族を心配し続けるヒシズを、どうやっても連れ出せそうになかった。
『助けて……! 助けてよ、勇者様。ソードなら、お父様もお母様も助けられるもん……絶対に……!』
さらに王女の追及が続く。
『そうですわ。パペットなら皆をまた元気にさせられるでしょう? ――前に、お人形さんを元気にしてくれたわ!』
パペットは絶句した。
王女も六歳とはいえ、人形の調子が悪いことと"人間"が突然動かなくなったことの違いくらい理解しているはずだ。
思えば、ヒシズはこの時から既におかしかった。
無理な注文に首を振るパペット。そこに、
"――あと十年。十年後に、戻ってくる男がいる"
誰かがそう助言した。
狼狽していたパペットは、藁にもすがる思いで、その助言を鵜呑みにして王女の要求を呑んだ。
『わかりました。王女様の、仰せのままに……』
今は、どうしようもない事態が起きてしまった。
王が死んだと国中が知れば、内政は荒れる。そうすればアークヴィランでなくとも、別種族が侵略に来るだろう。
一方で、十年も経てば、王女は成熟する。
肉体的にも、精神的にも。
それだけじゃない。十年後には、ある男が戻ってきて、アークヴィランが絡む陰謀を断ち切ってくれると誰かが云った。
パペットは禁呪を破った。
人間の骸を【傀儡女】で操った。
初めてのことだ。そのとき、パペットの視界には、ピシッと浸蝕する黒い亀裂が現れ始めた。
"内なる声"と同類の、黒々しい何かだ。
禁呪を破った者への罰のように思えた。
だが、これも十年の我慢……。
後戻りができない傀儡の女のことは、その誰かがなんとかしてくれる。
終止符を打ってくれる。
だから今は応急措置として、人形師は、己を犠牲にすることで『理想の国家』を守った――。
◆
「じゃあ、パペットは、わかっててこんな凶行を……」
「外道の所業だと理解していました。また、これが私の"内なる声の悪性を、自ら肯定することになる事も――。
それでも私は、王女と国を守りたかった」
パペットの行いは、アークヴィランの侵略行為としては、筋が通り過ぎている。
王への家族旅行の提案。
別のアークヴィランと連携した誘発事故。
王女を騙しながら、操り人形を使って王政を支配。
無自覚でそうなったと言いながら、ちゃっかりと支配者の座にいやがる。
これを侵略と言わずに何と云う。
でもパペットは無自覚ながらに悪性を自覚し、このシナリオに抗うために自らシナリオを作った。
『モコモコ・フィクサー・パーティー』という物語を。
「それを十年もかけて、やり抜いたのか……」
「ソードさん。私のような存在にとって、十年など一瞬の出来事です。あなたもそうでしょう?」
「あぁそうだ……。そうだったな」
どうやら俺は誤解していた。
パペットはまだ俺たちの仲間だ。記憶を失っても、アークヴィランに乗っ取られても、勇者の本質は失っていない。
「十年の月日が経って、ヒシズ様が今の王家に違和感を覚えたこと。――私は、それ自体が彼女の成長の証だと思いました」
パペットが騙し騙しやってきた王様の人形劇。
そんなもの、違和感を覚えて当然だ。自分以外の家族が皆、生身の人間ではないのだから。
ヒシズが悲痛な面持ちで答える。
「わたくしは、なぜ忘れていたのでしょう……。形だけの家族を、わたくしが強請ったのです。それをいつしか本物の家族だと信じ込み、十年もの間、平然と過ごしていた……」
家族が死んだことすら忘れてしまう。
悪い夢だと記憶の片隅に押しやるように。
――それをヒシズは受け入れた。トラウマに向き合い、家族の死を乗り越えられるほどに成熟した。
「だから、わたくしがすべての発端なのです」
ヒシズは罪を受け入れ、もう一度そう宣言した。
どうやら騒動は終息したようだ。
ヒシズは女王の器に成長し、次代の王として、いずれは王座に着くことになる。王家の人間が死んでいたという事実は、多少の混乱を招くだろうが、いつかは落ちつくはずだ。
これでめでたしめでたし――。
「……」
「……」
それでも、まだ終わっていないことがある。
俺は忘れていなかったし、パペットも待ち侘びていた。
俺たちは静かに対峙を続けていた。
「その様子だと、ソードさんも理解していますか」
「ああ」
「安心しました。終止符を打つと宣言されたことも、それを私が確認したことも、忘れたとは言わせませんよ」
そう――。
悪役は悪役らしく退場しなければならない。
それが、パペット自身が描いたシナリオなのだ。




