131話 モコモコ・フィクサー・パーティーⅦ
抜け殻の戦士が立っている。
暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がる黒い輪郭。
その戦士が手を差し伸べた。
「汝、我が力ヲ欲するか?」
「あぁ? 誰だ、お前――」
「殺戮ヲ求ムるか?」
泰然として立ちはだかる黒い鎧。
こいつは、俺自身だ。
戦いたいのなら、この手を取れと告げている。
「お前ハ残虐とは何タるかヲ知らない。我が力に屈せヨ。成し遂げヨ。殺戮せヨ。殲滅せヨ。こノ星の住民ヲ、喰ラい尽くセ」
黒い相棒が誘いかける。
その鎧があれば、俺は無敵なんだ。
大勢のものを壊し、たくさんの人を殺す力が手に入る。
何も考えず、何も迷わず、ただ思う存分に力を奮い、暴れ尽くすことができる力。魅力的だ。さぞ気持ちがいいんだろう。
"彼は勇敢だが、残虐性が足りないことがわかっている"
"ならちょうどいい。このサンプルを試しましょう"
遥か昔の情景が、ふと甦った。
俺が勇者になる前、この黒い相棒を体に埋め込まれた。
その魔素の名は【狂戦士】――。
体を鍛えても、技術を磨いても、手にすることができなかった残虐さを、俺はこいつから借り受けた。言い換えれば、借りていたんじゃなく、俺の体が【狂戦士】に操られていた。
情けない話だ……。
能力を行使する前に、能力に使われていたんだから。
つまり、弱かったのは俺の心。
「さァ、汝が欲スる力は、此処に――」
黒い相棒は手を差し伸べている。
この手を取れば、俺は再び【狂戦士】になれる。
最強無敵の剣の勇者に戻れる。そうすれば。
そうすれば……?
俺は、何をしたかったのだったか。
救いたい相手がいたんじゃなかったのか。
"……うぇぇ……ん……"
黒い相棒の背後に、目をこすって泣きじゃくる少女がいた。
"嫌……ッ! お父様は、ここにいるもん!"
少女の前に、横たわる無残な骸。父親らしい。
この光景はなんだ? 少女の名前は何だったっけ。
大事にしたかった人のはずなのに、名前が――。
"助けて……! 助けてよ、勇者様。■■■なら、お父様もお母様も助けられるもん……絶対に……!"
俺の名を呼ばれた気がした。はっとなる。
忘れかけていた記憶を取り戻す。
「……っ!」
「ドうしタ? 我が力に屈せヨ」
立ちはだかる黒い鎧が、また催促してきた。
手を差し出し、握手を求めている。
俺は、また真っ直ぐ走り出した。――黒い鎧の、その奥にいる少女に向かって。
抜け殻の戦士とすれ違う刹那、黒い手を強く握り返し、向こうの思惑通りに堅い握手を交わしてやった。
「ククク、これで汝ノ体は――ヌッ!?」
握り潰すように、手に力を籠める。
俺はもう立ち止まらない。これは握手じゃない。
お前は道連れにしてやる。俺の戦いに。
「お前の力に屈するんじゃねえ!
――お前が、俺に屈しやがれ……ッ!」
叫びながら駆け出す。
戦士の黒い腕を引き千切り、腕ごともぎ取ってやる。
【狂戦士】は、己の篭手と甲冑が分離されるや否や、大事な留め金が外れてしまったように、ばらばらに崩壊し始めた。
「ギ、ギサマ……ッ!」
断末魔は短くも終わった。
泣きじゃくる少女の許へ駆け寄っていくと、次第に周囲に充満していた黒い瘴気も晴れていった。
明転。旧王室に舞い戻る。
泰然と照らされた王座の下、パペットが困惑していた。
糸を伸ばし、瘴気を伝わせ、無数の人形たちを操りながら、俺の猛進に、ただ驚いている。
「その腕……魔力は、一体どこから……」
「――【狂剣舞】、起動」
俺の肉体はそのままに、片腕だけが丸ごと黒剣に変わった。
禍々しく歪曲した前腕の剣。
黒き聖光の輝きを放つ刃が一体化し、その腕から湧き上がる無尽蔵の魔素が体に伝い、力が漲ってくる。
体は軽く、一歩また一歩と踏み出すたび、力が沸いた。
「それは、同化……? でも、違う。私にはわかる。あなたが"内なる声"に堕ちてはいないと……」
「俺は――俺だ。剣の勇者、ソードだ!」
腕を振るうと、瘴気の刃が王室を一閃し、腐敗人形を操っていた糸が一斉に切断された。
ばらばらと崩れ落ちる腐敗人形たち。
まるで元からそうであったかのように、灰燼に帰していく。
「私の瘴気を直接、打ち消した?」
パペットは、驚愕で固まっていた。
黒い刀剣の腕――【狂剣舞】。
これは瘴気への直接攻撃を可能とする瘴気の得物。
人間兵器に対抗できるのは人間兵器であるように、魔素に対抗する力もまた、魔素そのものだ。アークヴィランに支配されず、こっちが支配したからこそ、手に入れた対魔の力。
コロスのは、人間じゃない。
コロされるのは、侵略者だ。
「だから……だから、なんだと言うのですか。あなたの魔力にだって限界はある……! そう、元から枯れ葉のような体だった……!」
パペットは拒絶するように、糸を手繰り寄せた。
舞台中の腐敗人形が総動員で、俺を迎撃する。
しかし、その抵抗が無意味なことも半ば理解しているように、パペットの表情には焦りがあった。
魔腕の刃を、横一閃に振るう――。
平たい黒の波動が全方位に放たれ、その刃に触れた腐敗人形が軒並みガラクタのように崩れ落ちる。
そして、放たれた波動は、反射して俺の元に舞い戻った。
反射した波動は、部屋に充満する瘴気を呑み込み、さらに大きな波になって、俺の魔腕に収められた。
その都度、俺の身体はエネルギーを蓄積する。
まるで捕食だ。
【狂剣舞】は、瘴気を喰らう。
そして、それは俺自身の魔力に変換される。
「魔素を、魔力に流転させているというのですか……」
パペットも気づいたらしい。
この魔腕は、魔力を使ってアークウィランの魔素を行使するような本来の使い方とは、真逆の性質を持つ。
瘴気を喰らい、己の魔力へ変換させる蹂躙の刃。
魔素を倒せば倒すほど刃は膨れ上がり、俺の力になる。
その無尽蔵の捕食は、これだけ腐敗人形の瘴気で溢れ返った旧王室という暗黒空間でこそ、真価を発揮する。
これが、魔素を支配するということ。
「ふふ、ふふふ。やっぱりあなたは――」
パペットは嘲るように笑った。
さっきは子鹿のように情けなかった俺の体は、既に最高潮か、それ以上の機動力にまで返り咲いた。
感覚が研ぎ澄まされ、敏捷性も取り戻した。
猛攻は止められるはずもなく、腐敗人形を駆逐する。
「――可能性を秘めていますね!」
パペットが次に用意した傀儡は、操られた貴族たちだ。
それは人間を駒に使うという禁じ手。
俺は【狂剣舞】の性質を理解している。この対魔素特化の刃に物理的な破壊力はない。だから、大丈夫だ。
「俺が、助ける!」
黒き聖光の腕から、もう一度、刃の波動を放つ。
貴族たちにかけられた傀儡の魔素を浄化した。
コニー・バレンニスタ含む貴族たちは皆、意識を失ったようにその場で倒れた。すっかり黒い瘴気は晴れた。
解放されたようだ。
俺はそのまま壇上の王座にまで跳躍した。
ヒンダの傍らに降り立ち、背に張られた糸を魔腕で切断した。貴族たちと同じように、ヒンダも黒い瘴気から解放される。
倒れそうになったところを、片腕で抱き留めた。
「……」
俺がちゃんと子守りを全うしなかったせいで、こうなった。
ごめんな……。
ヒンダを静かに床に寝かせ、壇上のパペットと対峙した。
すぐ後ろにはヒシズ王女がいる。
まるで王女を庇っているみたいだ。
既に雌雄は決した。
人形劇団は、もうパペット一人しかいない。
形成が逆転したことを意味していた。
「生憎と、今の私では、あなたに抗う術がありません」
それをパペット自身もあっさり認めた。
窮地に追いやられた悪役のような、醜い悪あがきをする気はないようで、毅然とした態度で立っていた。
「だったら退けよ。まだヒシズを騙し続けられると思ってるわけじゃねぇだろ?」
「私は始めから、彼女を騙してなんかいませんよ」
「……? この期に及んで、何を言って……」
自嘲するような笑みを浮かべたパペット。
この状況下で、今にも喰われようという奴が見せる表情には思えなかった。少なくとも、今までのアークヴィランとは一線を画する、隠された真意がありそうだった。
背後にいるヒシズが、ふらふらと立ち上がった。
もう泣くのを止め、白い肌に真っ赤に染まった目元を撫で、涙を拭っている。
「わたくし、思い出しました……」
か細い声だったのに、配役が一斉に退場して静まり返った旧王室では、俺の研ぎ澄まされた耳には、そのヒシズの声がよく聴こえた。
「人形劇を観て思い出したのですわ――あの夏の日を」
王女の独白めいた言葉。
パペットはそれを受け、目を閉じながら思いを噛み締めるようにナレーションを入れた。
「お転婆だったヒツジのお姫様は、ずっとあの夏を思い出せないジレンマを抱えていました。でも、狩人の活躍でとうとう思い出しました。……思い出せたのです。
大きくなりましたね、ヒシズ様――」
パペットは振り返り、王女に優しく微笑みかけた。
人形劇は、まだ終わっていないようだ。
『 モコモコ・フィクサー・パーティー
~ めぇめぇと政治やさんの大戦略
"あの夏を思い出せないジレンマ" ~』
その舞台は終幕を迎えようとしていた。