131話 モコモコ・フィクサー・パーティーⅥ
暗転。幕間が閉じられた。
視界に広がったのは腐敗人形が犇く旧王室だ。
松明の灯りが最小限になり、薄暗くなっている。
俺は、相変わらず人形たちに上から押し潰され、"お芝居の目撃者"を強制されていた。
「家族で過ごした夏――。大事なひと時でした。
でも、ヒツジの王様は死んでしまったのです」
透き通るナレーションで衝撃の事実が告げられる。
ヒツジの王様はタルヴィーユ国王のこと。
今、確信を持って、そう言える。
つまりタルヴィーユは十年ほど前には既に死に、今日まで公務に当たっていた王は偽物だったのだ。
あの王座に座る蝋人形のような国王は偽物。
情景では、王妃も兄王子も谷に呑み込まれた。
当初のヒシズの証言では、最近の王家の異変が王だけでなく、王妃や兄王子も同じ状態だったことを考えると、もしかしてヒシズ以外の王家は皆、とっくの昔に死んでいたのかもしれない。
「そういうことか……。死んだ人間を、お前が……パペットが、操っていたって?」
俺はその真相を知って、喉が詰まる感覚を覚えた。
言葉にすることも憚られる。
ヒシズが、どんな思いで俺に相談してきたことか。
父親も母親も、兄貴すら不審な動きをしていることに不安を感じて、俺に調査を依頼した。
家族思いで、強かで、そして――
"わたくしも誇りに思ってます"
"しかし、最近のお父様はどうも愛想が悪く……"
"勇者様、どうかわたくしを助けてください"
どうしようもなくて、俺に助けを求めてきた。
それが元から仕組まれたことなら、許せない。
芝居という名の暴露劇が続いていく。
「"どこ……? お父様はどこにいったの……?"」
ヒシズの声がパペットの声と重なるように旧王室に響く。
泣きじゃくる少女の声量にしては、あまりにもはっきりしすぎている。これは台詞だ。
壇上にまた、クロヤギ役のヒンダが出てきた。
ヒツジの王様が死んだ後も、道化師のような明るい調子は変わっておらず、むしろ良いことがあったかのように、さらに足取りは軽くステップを踏んでいた。
「"あっ、クロヤギさん……お父様は……どこ?"」
「"あー? 王様は、家族で楽しい時間を過ごしにいったんじゃなかったんですかねぇ。どこに行っちまったんでしょう?"」
「"わからないの……"」
「"あっ、王様は"……」
吹き替えのパペットが、ふと言い淀んだ。
そういう含みを持たせた台詞ではなく、パペット自身が言葉を躊躇ったようだ。ヒンダの邪悪な笑みと台詞の詰まりがマッチしていない。――俺はそこに違和感を覚えた。
なんだ?
さっきから、パペットの芝居は不完全だ。
「"あっ、王様は、あそこにいるじゃないですかい"」
ヒンダが糸に釣られて腕を上げ、指差した。
端の方に動かされていた王座で、どっしりと座っていた王が、錆びついた体を動かす機械人形のように緩慢に立ち上がった。
そうして直立不動で立ち尽くす国王タルヴィーユ。
――否、それを模した自動人形。
「なんと、クロヤギはヒツジの王様が生きていると嘯き、王女様も、民衆も、世界をも騙し始めたのです――」
ヒンダはタルヴィーユの人形の背後へ周り、あの悪ぶった表情で潜んでいた。その表情は、ヒンダがいつも俺にイタズラをするときと同じ表情で、苛立ちがとうとう爆発した。
「パペットッ!」
気合一閃。全身の筋肉を張り上げて立ち上がる。
俺を拘束していた腐敗人形は、一喝で吹き飛んだ。
パペットは操り台の上から俺をまっすぐ見て、紅の塗られた細い唇を三日月のように曲げ、笑っていた。
観客が乱れても、今は止める気がないらしい。
「――それも長くは続きません。一年、二年と月日が経つにつれて王女様は成長し、クロヤギが操る偽物の王の違和感に気づき始めました」
パペットはまだナレーションを続けていた。
やや早口で。
焦っている様子ではなかった。ただ、俺の闘争心に合わせるように、物語の頁を早め、歩調を合わせたようだった。
「そして、いつしか十年が経ち……」
パペットは、はっとなり、また台詞を止めた。
「十年……」
溜め息をつくような、薄桃の唇から漏れ出た言葉。
物憂げに眉を顰め、パペットは逡巡していた。
なぜ、時折、芝居を止める?
――十年。
その期間の何に思いを馳せているのか。
騙し続けてきた徒労の日々か?
今日日の集大成への達成感か?
どっちにしろ、人の思いを踏みにじり続けた身勝手な日々だったことに変わりない。
俺は、この時代の人間たちに希望を抱いた。
良い人間ばかりだ。少なくとも俺が人類を裏切った五千年前と比べたら。だから、俺は勇者に戻れなくても、勇者らしいことを今になって、また始めている。
その俺が戦うべき敵がいるなら、それはお前だ。
「お前がいたら、ヒシズが不幸だ――パペット」
「……不幸、ですか。ふふ、そうかもしれません。なら、私に抗いますか? ヒシズを助けますか? そんなボロボロの体で?」
パペットは語り部ではなく素の言葉で問いかけた。
「あなたの体はツギハギだらけです。見た目では綺麗に修復しているようですが、それは表層だけ。骨子はひびだらけ。関節もバラバラ。そんな体で私に挑んで、果たして肉体が耐えきれますか?」
その通りだった。
二度にわたるアーチェとの死闘により、俺も一度は【狂戦士】に乗っ取られかけた。体はDBが直してくれたが、修復に修復を重ねたせいで、接合部が隙間だらけ――うまく魔力が通らず、血抜き後の家畜のように枯渇している。
おまけに【加速】も追加して負荷がかかっている。
つまり魔素を酷使すれば、容易に乗っ取られる。
ミイラ獲りがミイラになる――。
「私はこの十年、ハイランドを『理想の国家』として維持してきました。王が不在で、王家はヒシズ様たった一人です。……もう私の【傀儡女】なしでは、理想を維持できない」
「それは、お前の身勝手な侵略の言い訳だ!」
「そう思いますか? これは私一人の意思だと?」
「じゃあ、誰の意思だってんだ?」
「……さぁ。運命が私をつくりました。少なくとも、当初の私の意思ではなかった」
「アークヴィランは皆そう言う!」
ミクラゲ・バナナもそうだった。
アークヴィランの憑依は侵略を始めても、その自覚がないのだと――。それは本能だからだ。
野心から侵略を始めるのではない。
本能で奴らは星を乗っ取る。
今回の場合、それが人間兵器の仲間であるものだから、さらに根深いことを成し遂げた。すなわちパペットは、アークヴィランとして、国の中枢を支配していたのだ。
十年前に王が死んでからずっと。
「――俺たちは、俺たち自身の手で終止符を打つ」
軛の言葉を今、告げる。
長い時を生きる不老不死の人間兵器は、これから先の未来も、人間たちと衝突を繰り返すだろう。
迫害されたり、人間に仇なすこともある。
分かり合えるのは同じ人間兵器だけだ。
人間兵器に対抗できるのも、人間兵器だけなのだ。
「だから俺が戦う。戦える。どんな体でも」
「終止符を、打っていただけるのですね、あなたが」
「そうだッ!」
腕を振りかざし、【抜刃】で剣を持つ。
真っ直ぐと駆け出すと同時に、ミシッ――というひび割れの音がこめかみを貫いた。
限界を迎え始めている。
左の視界に黒い瘴気が漂う。頭を浸蝕されている。
パペットは姿勢を正し、押し込んだ声で告げた。
「十年が経ち、宴を阻止する者が現れました。
ヒツジたちの饗宴に、クロヤギの策謀に、モコモコ・フィクサー・パーティーに、ついに終止符を打つときが来たのです。王女様も助けを求めた、その彼の名はソード。
かつて魔族を退治した狩人がやってきました」
そのナレーションは、舞台に向けたものではない。
俺の挑戦を歓迎すべく紡いだパペットの言葉だ。
パペットは操り糸を全方位に展開し始めた。
俺は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸を避け、時には切り裂いてパペットに肉迫していく。
その先に、ヒシズとヒンダが捕まっている。
腕を糸に取られ、引き千切られそうになった。
足を糸に吊られ、宙づりにされそうになった。
糸を切断するために【抜刃】の剣の本数を増やした。とうにそれは諸刃の剣で、一太刀するだけで粉々に砕けた。
造り、砕け、造り、砕け、造り造り造り――。
どんどん頭の中で黒に染まっていく。
先も見えない闇の只中を走る。
何かの大群にぶつかった。きっと人形たちだ。
狂った饗宴を終わらせようとする俺と、偽りの『理想の国家』を続けようとする民衆たちの鬩ぎ合い。
支配者は、運命によってつくられたと言った。
かつての勇者も似たようなものだった。
心境は理解できる。……できてしまう。
でも、だからこそ納得はできない。
「あぁああぁあッ! 負けねえええええ!」
「あなたに『理想の国家』を維持できますか? この脆弱な王家を、たった一人の王女を正しく導けますか?」
「違う。お前は根本的に――」
間違っている。
もう一本、もう一本と剣戟を重ねる毎に視界が黒くなった。
消えていく明かり。
ひび割れが深まっていく頭。
お前は間違っている。
お前……は……? お前って誰のことだ?
俺は一体、何をしていたんだったか。
血の気が引く感覚とともに記憶が曖昧になる。
瘴気で閉ざされた視界の奥には、【狂戦士】の具現化である鎧が――抜け殻の戦士が立っていた。
俺は瘴気の中で、走るのをやめた。