129話 モコモコ・フィクサー・パーティーⅣ
幕間が開くかのような明転の後、なぜか俺は荒野にいた。
うだるような暑さだった。
王女の部屋から、こんな殺伐とした場所に瞬間移動したことは驚くべきことだが、俺はそれを露にも戸惑わず受け入れた。
これはパペットの作り出した舞台劇の一つ。
あいつの能力が、この幻影を生み出したんだろう――。
パペットは元々人形師。今では人形劇団の座長だ。
アークヴィランになってから、そんな務めを全うするうちにこんな能力が芽生え始めたのだとしたら、これがパペットの持つ能力の真髄に違いない……。
すなわち、芝居を通じて他者の感覚に干渉する能力。
俺の視覚も、聴覚も、触覚も――五感という五感が、あいつの能力の術中にあると考えた方がいい。そうと分かっていれば、冷静に対処するまでだ。
荒野と思しき場所には、横切るように一本道が続いていた。
俺は、道の脇にある岩石を椅子代わりにして座りながら、遥か先の地平線をぼんやりと眺めていた。
――俺は、誰だ?
道には豪奢な馬車が停まっている。
その装飾は、先ほど少女ヒシズの部屋にあった家具と同じ装飾様式で、すぐにハイランド王家の馬車だとわかった。
段を踏みしめるようにわざと音を立て、少女ヒシズが無邪気に降りてきた。後から大人も三人、降りてきた。
「ヒシズ。転ぶわよ」
「大丈夫ですわー!」
今声をかけた大人は、高貴な王族服に身を包んでいた。
馬車を下りると日傘を広げて、炎天下に少しの涼み所を携えて荒野の風を浴びている。
きっとヒシズの母親だ。ハイランドの王妃。
少女ヒシズは広大な荒野を前に、両腕を伸ばし、風に撫でてもらいたいのか、空を仰いで目を瞑った。晴れ渡った空からふりそそぐ太陽光に照らされた白銀髪の長い髪が、風の流れに合わせてさらりと揺れた。
「西部の未開拓地がこれほど雄大とは……」
王妃の後から馬車を降りた、恰幅の良い男が呟いた。
暑さで揺らめく逃げ水の地平線を見ながら、感想を続けた。
「実際に見るのと報告書を読むのとでは、まるで違うな。植林を考えていたが、この荒野と地平線は、まるで赤い海だ。威厳すら感じる。人間が手を加えるべきではないかもしれぬ」
「ちょっと。今日一日は家族との時間に使うのでしょう?」
男が詩的に目の前の大自然を吟味しているところを、王妃が諫めるように問いかけた。
男はハイランド王だ。タルヴィーユ国王陛下。
ふざけた人形劇のせいで、旧王室の壇上で王座に座っていた生気のない蝋人形のような王ではない。生身の、それこそ精力的に国土の発展を考える威厳溢れる、評判の王その人だった。
「そうだが、今日はサービスでお前たちを同伴させたまで。わしは本来、西方の直接視察のために来たのだ。この地は、かつて魔王軍の魔法演習場だった、謂わば呪われた地。暗黒の地ゆえ歴代の王は誰も手をつけなんだが、西方に住まう占星術に長けた猫又族との交流を視野に入れると、ここに行路を見出すことが、我が国にとって――」
「その演説は大臣たちに披露してくださる?」
「ぬぅ」
「ほら。愛娘が谷に落ちたら大変でしょう。ちゃんと見て」
王と王妃は、遠くではしゃぐヒシズを眺めた。
傍には若い男が付いているが、関心が王と同様、荒野に向いているのか、時折ヒシズから目を離し、地平線を眺めている。
俺には、それが誰なのか一目でわかった。
ヒシズの兄、グウィッド王子だ。
現実のグウィッドよりも若い。歳が少し離れていると聞いていたが、ヒシズの十個ほど年上なのだろうか。少女ヒシズよりも青年といった出で立ちだった。
二人は一定の距離を保ちながら、好き好きに遊んでいた。
ヒシズは赤茶けた土を触って、その意外にさらさらな手触りに笑っていたし、グウィッドは地平線でゆらめく蜃気楼の輪郭を見定めようと目を細めている。
今は、夏なのだ。
陽炎をつくりだすほど、熱波が荒野に続いている。
王と王妃が振り向き、俺を見た。
「今日はこの素晴らしい遠征の発案者であり、強大な力を持つ護衛がついているんだ。ヒシズのことは大丈夫だろう」
「でも、あの人はアークヴィランで……」
「こら。偏見はよくないぞ」
王妃の俺を見る目が、どうにも差別的だった。
「人間兵器は昔、この地で大規模な戦争を経験しているんだ。その戦闘経験は、仮にアークヴィランと変わり果てた今もなお、染みついているはずだ。何があっても――」
「だから怖いんじゃない。強大な力? それがアークヴィランなら、もっと怖ろしいわ」
「何を言う。お前がメイズモンスターのことを知らない無教養な女だとは信じたくない。アークヴィランがただの外宇宙の脅威だと思っているのは大間違いだ。アレらがもたらした科学技術の革命は、我が国に莫大な富をもたらした」
「知ってるわ。でも、危険なアークヴィランがまだ野放しになっているのは事実でしょう。土木工事に利用できたからって何なのよ。その程度で共生を唱えた環境省の一派の方が思慮が足りないと私は思うわ。メイスモンスターだって、結局なにを考えて生きているのかわかったもんじゃない。あそこの人も同じよ」
王妃は再び俺を一瞥した。
瘴化汚染を筆頭に、環境問題に関心が高い当代の王としては、伴侶のこの思想は心理的足枷の一つに違いない。
タルヴィーユは苦い顔をして、俺に目配せしてきた。そして、その視線を横にずらし、馬車の中を見た。
「お前の不安を拭うために、教会のデータベースも随行させたじゃないか。これで人間兵器が二人だ。司教の賢明さは、お前も尊敬していたはずだ」
馬車の窓には、女のシルエットが浮かんでいた。
データベース……DBだろう。
あいつもこの再現芝居にいるんだ。何年前か知らないが、実際にDBも、この場に同行していたということ。問題は、なぜパペットはこの場面を芝居に入れ込んだかということだ。
この現実に『モコモコ・フィクサー・パーティー』を演じる上で、重要な出来事が起きたことを暗喩している。
国王は体ごと振り向いて、俺に声をかけてきた。
「おい。ヒシズの傍にいてやってくれないか。貴殿は先祖代々、我が王家を正しく導いてきた文化人だ。私は信頼している」
タルヴィーユは真っ直ぐ俺を見ていた。
否、俺ではない。――俺と重なるようにして岩石という天然の椅子に腰かけていたパペットをだ。
パペットは物腰柔らかく立ち上がると、"観客"である俺から分離され、静かにヒシズのもとへ歩んでいった。
その背中を俺は見送った。
しかし、視界は急速にパペットに近づくように移動し、俺も自然とヒシズがいる荒野の端くれに移動した。
「お父様とお母様はどうでした?」
「仲睦まじいですよ」
「また嘘ばっかりっ」
ヒシズは屈託ない笑顔を向けながらパペットを見上げた。
パペットは澄ました顔をしている。
この家族旅行はパペットが提案したものだ。
ヒシズが、遊んでくれない父親に不満を抱き、家族の時間を作るために仕込んだ大戦略。
――"めぇめぇさんと政治やさんの大戦略"。
つまり、まだ目的は果たされていない。ヒシズは意を決したように両手を合わせ、真剣な表情でパペットを見た。
「パペット、お願いがありますわ」
「……なんでしょう?」
「お父様が、アークヴィランと外交にしか興味がないことが、今日の小旅行でよくわかりましたわ」
「そのようですね」
「わたくしのことを気にかけていただくためには、わたくしがこの土地の地理に精通し、アークヴィランより知恵が勝ることを知らしめるしかないと思いますの!」
具体的に、ヒシズの狙いはこの時点でわからなかった。
ただ、ヒシズというお転婆王女の考えつくことが、挑戦的で破天荒なものだということを、俺も知っている。
王室の廊下で初めて会ったとき、侍女の婆さんを振り切ったことだって印象に残っていた――。
「あの……具体的に何を?」
パペットも意図が分からずに首を傾げていた。
「この荒野でパペットには、ひと暴れしてほしいんですの」
「はぁ……」
「人形を命じずに動かせるんでしょう? この荒野を巣食うアークヴィランを人形に演じさせ、わたくしを襲わせるのですわ。お父様とお母様が心配しているところを、わたくしがその人形を谷に落とし、聡明な姿を見せるのですっ」
大胆なことを鼻息を荒くして語り出していた。
五、六歳の頃からヒシズはこんな様子だったのかと、呆れそうになる。やや危険で、狙いも幼稚な提案だが、幼い少女が考えるにしては、ちゃんと作戦として成立している。
パペットは困ったように目を輝かせるヒシズを見返した――。