128話 モコモコ・フィクサー・パーティーⅢ
松明で燦然と輝く旧王室の壇上。
そこには王女が……俺が今生で守りたいと思った人が泣いているのに、手が届かない。
「ヒシズ! ――聞こえてるだろ!」
少し抗えば突破できるはずの腐敗人形という肉壁が、重たくのしかかって身動きが取れなかった。
パペットのナレーションは続いていく。
「ヒツジの王様は民に慕われていました。内政に対する支持は厚く、外交手腕も評価が高い。技術の進歩とともに問題になった環境問題も、すぐ対処しました。そうやって王様を、理想の王たらしめていたのは――」
パペットのナレーションの中、俺は腐敗人形たちに上から覆いかぶされて、ただ床に突っ伏していた。
かろうじて頭だけ上げる余力はあった。
いや……あえて人形たちが、俺の頭だけを自由にしてくれているようだ。俺は、人形劇の観客役。観ることを求められている。
舞台となった王座の壇上には、再びヒンダが現れた。
本人も望んでないたろうに、道化のようにぴょんぴょんと跳ねながら王座のタルヴィーユに、ヒンダは近づいた。
「"王様ぁ、あたしをお呼びですかい?"」
「"ああ、クロヤギ。いつもお前のアドバイスはためになる。これからも私の側近として王国のために尽くしてくれ"」
「"ククク……喜んで! ヒツジの国にクロヤギありってなぁ"」
ヒンダは大げさに喜びを表現し、両手を広げて飛び跳ねた。
王座を離れると、裏があるような悪ぶった表情を観客席に披露して、片手を口に添えてほくそ笑んでから立ち去った。
そういう演出らしい。
クロヤギは『モコモコ・フィクサー・パーティ』のフィクサー役。つまり黒幕役なのだ。
「いつしかヒツジの王国には、クロヤギの存在が欠かせなくなっていたのです。そこに唯一、違和感を覚えた者がいました」
王室中の両端の松明がふと消えた。
灯りが残っていたのは、王座の傍の柄の長い蝋燭だけ。
それに、ぼうと映し出されたのは泣きじゃくるヒシズだった。
「"お父様……。私の声が聞こえないの……? 私のお顔が見えないの……? 寂しいよ。寂しいよ"」
パペットの吹き替えが入る。
普段はヒシズより大人な声をしているパペットだが、今のナレーションはまるで幼子の声のようだった。
パペットが七色の声で、各人物の吹き替えをしている?
いや、違う……。
今の声は、間違いなくパペットの声じゃなかった。
パペットが喋っているはずなのに、まるで声帯を取り換えたかのように別人の声が出ていた。
あいつの能力なのか?
「ヒツジの王様は、王国の仕事に追われる一方、一つだけおろそかになっていたことがあったのです。それは、目に入れても痛くない愛娘との時間――王女様との触れ合いでした」
パペットが糸を引く。
その琴線の動きに合わせ、腐敗人形も幕間を仕切る黒子のように、俺と王座の視界を遮り、場面転換を暗喩していた。
刹那の視界のぶれ――。
そこに一瞬だけ、本物の王室が映ったような気がした。
豪奢で煌びやかな調度品が並び、赤の天鵞絨が敷かれた部屋が、幻覚のように目に飛び込んできた。
「……?」
訳がわからない。
突然見せられた芝居に混乱して、変な映像が見えたのか?
次に視界が開けたときには、古びた旧王室と、排気煙のような瘴気が充満した、現実の世界に戻った。
少し安心した。だが、状況は変わってない。
王座の壇上でぺたりと座り込むヒシズの周辺を、傀儡化した貴族が取り囲んで、楽しそうに踊りに耽り始めた。
人形劇は続いている。
舞踊の中に、クロヤギ役のヒンダも混ざるように、端からするりと壇上に入り込むと、ヒシズの傍でバレエのようにその場でくるくるとターンを始めた。
「"ねえ、クロヤギさん。お父様はどうして私を見てくださらないの?"」
「"おや、姫様。寂しいのかい? それはきっと、ずばり、あのお方が王様だからでしょう!"」
「"王様だから……? 王様だと、どうして私を無視するのです……?"」
「"ククク。王様はみんなのもの。姫様のお相手だけをしていたら国王失格。お父さんが王様でいるかぎり、お国のため、民衆のため、仕事をし続けなければならないってワケさ"」
「"そんな……。私のお父様は、お父様だけなのに……"」
宰相のクリフォードも言っていた。
お役人は、個人の都合で動いてはいけない。
公務が優先なのだと――。
それが王家の方針なのだとしたら、今のハイランド王国が魔族侵略以降に国家として発展できた理由も、少しは窺える。
王都が盤石な理由。
王家が市民に慕われる理由。
それは、統領が尽くした理念があるからだ。
だが、ハイランドが理想的な国として発展を遂げた一方、その発展の裏で犠牲になった"家族"があったのかもしれない。
それが、ハイランド王家。
この人形劇は過去の王家の姿を再現している。
それも、ヒシズの視点から……。
「"クロヤギさん、どうすれば、私はどうすればお父様を――"」
クロヤギは邪悪な笑みを浮かべていた。
黒幕であるクロヤギの、王女への提案は――。
そこでまたしても幻覚が襲ってきた。
俺が見上げる視界は、松明に照らされた古い旧王室から、広々とした豪華な一室に変わった。そこはフリルのついた天蓋ベッドや、小洒落た花柄のティーカップが置かれていることから想像するに、女の子の部屋だ。
そこに、ぬいぐるみを抱いた女の子が座り込んでいる。
泣き腫らしたようで目元が薄ら赤くなっていた。
それが不思議とチークのように映り、白銀色の髪とのコントラストが強調されて、愛くるしい磁器人形のようだった。
「――ねえ、パペット。どうすればお父様は私のお相手をしてくださると思う?」
女の子は部屋の隅に佇む黒い革パンツの女に尋ねた。
パペットだった。
……俺は何を見せられているんだ?
こんな情報、俺の記憶にはない。
さっきの人形劇で再現した現実が、そこに広がっているのだとしたら、これはどういう魔術干渉だっていうのか。
「そうですね。王様も公務で忙しいようですから、なかなか難しいのではないでしょうか?」
パペットの受け答えは至って普通だった。
俺がグレイス座で再会した劇団座長のパペットと、なんら変わりない姿だった。
さっきの人形劇がヒシズの視点から描いた、ハイランド王国の過去だったとしたら、今そこにいる白銀髪の小さな女の子は、ヒシズ本人ということになる。
パペットとヒシズは、古くから関係が深かったのか。
そういえば、シムノン亭での会話で――。
"そういえばグレイス座……"
"グレイス座がどうかしました?"
"いえ、なんでも。パペットさんはお元気?"
"元気ですよ。座長と知り合いなんですね"
"もちろんですわ。パペットさんとは、私も昔から懇意の仲ですわ"
ヒシズとスージーがそんな会話をしていた。王家と繋がりの強い人形劇団なのだ。個人的に繋がっていても不思議ではない。
過去のヒシズは、ふて腐れて口を膨らませた。
「パペットの頭でっかち!」
「……」
「忙しいのは知ってるわ。……ただ、昔みたいに遊んでくださらないから、わたくしが王女として認められていないのかなって思ったのですわ」
少女ヒシズは、ぬいぐるみの手をぐいぐいと引っ張った。
そのぬいぐるみは丸々としたデザインだが、剣を持っていたり兜を被っていたりと、女の子が所有するにしては、なかなか物騒な装備をしていた。
その様子を見たパペットは、言葉を慎重に選びながら、少女ヒシズの憂いを取り去ろうと返事をした。
「……そんなことありませんよ。ヒシズ様の才能は、陛下も認めています。こうして私が特別に、歴史を教えるように命じられたのも、殿下の物覚えの良さを認めているからでしょう」
「パペットに押しつけてるだけじゃない。ふんっ」
ヒシズは丸っこい頬を、さらに丸めて不機嫌さを露呈させた。
立ち上がり、抱きしめていた人形を掲げてパペットに訴えかけるように迫った。
「ソードだったら、どうすると思う?」
少女ヒシズはぬいぐるみの持つ剣を指で操り、パペットに斬りつけるように切っ先の綿を当てた。
どうやらそのぬいぐるみは、俺をモチーフにしているらしい。
人間兵器一号。剣の勇者、ソード。
"――わたくしは人間兵器の中では一号推しです。なので、ここで貴方とお会いできたのも運命のように感じますわ"
ヒシズは確かにそう言っていた。
あんな小さい頃から俺のファンだったのか。
大事なときに助けられていない自分を、不甲斐なく思う。
「ソードだったら、きっとお父様がわたくしのことをまた気にかけてくださるような作戦を……それこそ画期的な大戦略を思いつきそうな気がしますわっ」
パペットは、少女ヒシズの言葉を険しい表情で迎えていた。
このときのパペットは剣の勇者を詳しく知らないはずだ。通説的に語られるソードという人物のアウトラインを、少女よりかは知識として蓄えているだけで。
俺でこそ、本当の九回目の勇者覚醒で何があったのか、記憶を上書きされていて知らない。パペットも俺なんかと接点はなかったはずだ。
「私も、思いつきました」
パペットはぼそりと呟いた。
珍しく蚊の鳴くような声だったので、少女ヒシズも聞き洩らして首を傾げていた。
「作戦を思いつきました。ヒシズ様が国王陛下と、また一緒に遊ぶための大戦略を……」
「ほんとに!? やったー!」
パペットの表情には陰りがあった。
戸惑いを含んだ震えた唇に、皺が浮かんだ眉間。
俺はそんなパペットの微妙な表情を見逃さなかった一方、ふと人形劇の副題がぱっと脳裏を過った。
『~ めぇめぇと政治やさんの大戦略
"あの夏を思い出せないジレンマ" ~』
めぇめぇがヒシズなら、政治屋さんはパペットだ。
始まりから薄々と感じていたリアルな人形劇の実態について、とうとう確信を持った。
この人形劇は、ノンフィクションだ。
脚本が現実のモノなのだとしたら、あのふざけた人形劇を止めさせて主役を助け出すヒントが――ヒシズの目を覚めさせるヒントが、この観劇そのものに隠されている。