126話 モコモコ・フィクサー・パーティーⅠ
――事は一瞬で終わった。
私の能力『傀儡女』は、直接的な攻撃性はないものの、魔力の届く範囲のモノを無条件で支配下に置くという力を持っている。
魔力の届け方は様々だ。
直接、手で触れる。
糸を使って間接的に触れる。
魔力の塊を残し、対象に触らせる。
挙げれば、こんな方法だ。
ただ、この力は私から直接触れた方が強力に効く。
操り糸を使って間接的に魔力を送った場合、意思のある人間では少し心持ちを変える程度の変化しか与えられない。
そのため、自動人形のような意思のない人型にしか、糸を使わないようにしている。
また、魔力を残して相手に触らせようとしても、それ自体がくっきりと瘴気を帯びてしまうため、よほど無頓着な人間でない限り、なかなか私の魔力を触ってはくれない。
現代では瘴化汚染は社会問題だ。
そのため、罠を貼って成功する確率は二割にも届かない。
つまり、真価を発揮するには、私が触るしかないのだ。
――支配セよ。
怯えて尻餅をついたヒンダに触ることは、簡単だった。
魔力を送り、自意識を遮断して私の意思を注入する。すると、ヒンダは表情が凍りつき、すっと立ち上がると、周りにいる傀儡化した貴族たちと同じように直立不動になった。
「ふ……ふふふ……ふふふふふ……」
おかしくて堪らない。
まるでこれは、中止となった私の劇場公演の配役そのものではないか。
『 モコモコ・フィクサー・パーティー
~ めぇめぇと政治やさんの大戦略
"あの夏を思い出せないジレンマ" ~』
めぇめぇは、ヒシズ。
フィクサーは、私の代役を担うヒンダ。
その他エキストラは、上級貴族の皆々様。
脚本は、昨今の政界に対する世間の関心からヒントを得て、サスペンスというトレンドを意識して書き下ろしたものだったが、もしかすると、この劇は王国の転換点となる今この瞬間のため、運命が仕組んだ重要な舞台なのかもしれない。
否、運命などという抽象的な表現は避けよう。
これは私の"内なる声"が仕組んだもの。
外宇宙の侵略者――アークヴィラン。その国盗りを成就させるために、私を利用して綿密に計画された観劇だ。
「ふふふ……公開を待ち望んでいるのですね、あなたも……」
"内なる声"は答えない。
当然か。とっくにそれは私と同化していた。
私こそが支配者であり、黒幕だ。
いいでしょう。
私がこの選択をしたことを、どうぞ讃えてください。
これこそが新王国の歴史を影で支え続けた私という芸術家の新境地だ。
新境地……だ。
おや……? 変だ。
どうして私は始めからこうしなかったのか。
いつでも王国を乗っ取ることはできたはずだった。
何か大事にしていたものがあったのに、忘れている。最近はいろんな物を忘れてしまった。
思い出せない……。
一体それは何だっただろう。
人生の命題のような……何か憂いでいた未来があった気がするのだ。それが大切で、ずっと守り続けてきたのに。
私は、頭の中で引っかかる何かを思い出せないまま、舞台の準備を進めた。
配役はばっちりだ。
舞台は王城がそのまま使える。
羊は……要らないか。迷える子羊という意味では、街中や王城にも溢れる腐敗人形がその象徴だ。腐敗人形を城に呼び込んで、適当に羊役として配置した。
それでもまだ何か足りない。
「――ああ、大事な存在が欠けてる」
本番には欠かせない重要な要素がある。
観劇とは役者や舞台だけで構築されるものではない。それを観て楽しみ、盛り上げる観客の存在が何より重要だ。
見届ける誰かがいないと、お芝居は成り立たない。
私は途方に暮れた。
王家でも貴族でも腐敗人形でもなく、真っ当な意思を持つ人物がここには存在しなかった。
誰か、この運命の舞台を見届けるお客さんが――。
そこに、幸運にも観客が一人訪れた。
戦闘の直後なのか息も切れ切れ、足を引きずりながら、満身創痍な状態で、王城の最上階にあたる王室まで這いずってきたのは剣の勇者だった。
「パペット、お前が黒幕か……」
意志の強い眼差しだった。
満足に戦えるかもわからないそんな体で、みなぎる戦意はどこから来るのか? その意志の強さはどうやって生まれたのか?
いや、愚問か。
この男は始めから全人類を裏切ることも選択できる、傀儡の私とは対極に位置する人間兵器。
そんな男が、この局面で王城に一人で乗り込んだ。
その時点で彼の闘志の所在を考えるなんて、意味はない。
彼自身が闘志そのもの――戦うという思念が彼の根源にはあって、自らがどんな状態であっても、今はこの私に挑まなければならないのだ。
どこまでも勇者に相応しい男だ。
観客が一人とは寂しい舞台だと思ったが、撤回する。
この男にこそ、私は観てほしかった。
「あなたは、本当に私が困ったときに必ず私の許へやってきてくれるのですね、ソードさん」
「なんだって?」
「グレイス座がアーチェさんに襲われたときも助けに来てくれました。そして今回も……」
私はやや横に捌け、奥に広がる舞台を示した。
古城の王室は重々しくも壮大な広さを誇る。
そこには無数の腐敗人形が蠢き、中央にはタルヴィーユ国王とヒンダが俯いた姿で立っていた。
「ヒンダ! ……くっ、お前がやったのか!?」
「そうです。彼女は次代のハイランド王国で、私の後任として黒幕となる劇団座長を引き継ぐ。この舞台は、継承式のようなものです」
「……ヒンダがそうなりたいって言ったのか?」
「いいえ」
ソードの口元がきつく結ばれた。
憎々しげに私を睨んでいる。
「ふふ、意思確認なんて必要ありませんよ。傀儡女は運命によって生み出されるのです。この私がそうであったように」
「お前はアークヴィランだ。ヒンダは違う」
「そうかもしれませんね。私には、自覚はありませんが」
「……前に会った憑依の男もそんなようなことを言ってたぜ」
ソードは小さな短剣を作り、闘志をその切れ物で露わにした。
しかし、あまりにもその切っ先は脆弱だった。どうやら魔力は僅かしか残っていないようだ。
「もう戦う力は残ってなさそうですね。――ふふ、ありがとうございます、ソードさん」
「お前に礼を言われる筋合いはねぇ!」
「いえ、あなたは私にとってヒーローですよ。こうして大事な人形劇の唯一のお客さんとして、わざわざ舞台にお越しいただいたのですから」
私は両手の指十本に繋げた糸をすべて引いた。
それに呼応して、腐り堕ちた人形たちが、王が、ヒンダが、一斉に顔を上げて意思を持ったように動き始めた。
「さぁ、ご来場のソードさん。長らくお待たせしました。
――『モコモコ・フィクサー・パーティー』、開演のお時間です」
糸に魔力を流して【傀儡女】を作動した。
黒々とした瘴気が王室中を包み込んだ。