124話 ◆人形師の理想の国家Ⅲ
魔族の世界は、瞬く間に混沌に包まれた。
かつて人間たちを虐げ、自然界のピラミッドの頂点の座を奪った彼らが、気づけば同じ目に遭っていた。
私はというと、そんな混沌の時代をひっそりと人里離れた山奥の工房で過ごしていただけなのだが……。
生物界のトップの牙城が崩れる様子は二度も見た。
一度目は人類。二度目は魔族。
そうして次は外宇宙からやってきたという【アークヴィラン】なる存在が支配者として台頭するのかと思ったのだが、不思議と私の許に訪れたのは、人間の王家の使者だった。
――私自身、不思議とその多様かつ異質な形態をもつアークヴィランを、多くの生物種が抱く嫌悪感を抱かないようにして受け入れるつもりだったが、どうやらその心構えは杞憂だった。
『貴殿が、あの人形師と名高いパペット氏ですか?』
『そうですが……』
訪問者を足先から頭まで眺めてから、そう返事する。
典型的な兵士然とした男だった。
古典的な鎧で武装していたが、その使者から感じる覇気は、戦闘経験が少ないのか、希薄だった。
魔族から頂いたラジオもいよいよ繋がらなくなっていたので、世間では外宇宙の生命体との戦争で殺伐としているかと邪推していたが、この落差はどういうことなのだろう。
『あの、あなたは人間ですよね?』
『はい。ハイランド王の遣いで参りました』
『ハイランド王? 血脈は続いてましたか……。えっと』
勇者全盛時代ですら、二十八代目の王だった。
そこから何年経っただろう。隠れ潜んで生き永らえていたことを考え、戴冠が滞っていたことを考慮しても、悠に五十代目は超えていそうだ。
『五十代目くらいですか?』
『六十二代目です』
『まぁ、そんなに……』
『魔族が全滅してから早十年、各地で人間の町が復興し始めています。王はかつての勇者たちに会いたがっていますよ。さぁ』
『え……? 魔族が全滅?』
私の問いに、使者は心底驚いたように目を瞬かせた。
『魔族が滅んだのですか……?』
『ええ。十年も前にね』
『じゃ、じゃあアークヴィランとは誰が戦って……?』
『――アークヴィランは我々人類の味方ですよ!』
輝いた目で宣言する兵士の語り草は、希望的観測のようには聞こえず、私は久々に世間の現状を確かめたくなった。
同行を依頼され、普段だったら断るが、私は身支度をした。
『……あ、お待ちください』
小屋の裏手に向かい、ずらりと整列した人形たちにお別れの処理をした。
自律させていた絡繰りの糸を断ち切る。
数十を超える人形たちは、一斉にその場で倒れた。
『お待たせしました』
『いいんですか? 壊すなんてもったいない』
『いえ、今のは【傀儡女】を解いただけです』
『……マリオネット? まぁいいです。さぁ行きましょう』
私は修練の果てに、人形を造って操るだけでなく、自律稼働させることに成功していた。
昔、人形師として戦っていた頃、それは私自身が操らない限り動くことはなかったが、今ではあらかじめプログラムされた行動を自動的にやらせることができる。
薪を割る。狩りをする。その他、掃除洗濯炊事などなど。
一人で創作に生きていくには便利な術だった。
今思えば、私はこのときから魔素の力を使いこなしていたのである――。
ハイランド王と謁見してみると、そこには私が理想と考える王の威風を感じられた。
第六十二代ハイランド王には、誇りがあった。
さぞ辛い時代を過ごしたのだろう。面構えは怠惰な時代だった二千年前と比べ、同じ王とは思えぬほど、叡智に富んだ顔をしていた。
正直、安心した。
人類の救済と理想の体現とを天秤にかける必要はなさそうだ。
その溝は十分に埋まっているように思う。こんな人類なら救うべき価値があると云えるだろう。
『傀儡の勇者パペットですな。貴殿の功績は聞いています』
その威風にして、存外、丁寧な口調だった。
どんな功績を聞いているというのだろう。魔王に敗北した最後の勇者という汚名でなければいいが。
『貴殿は魔王統治時代にも数多の人形を納め、魔族と交易を交わしていたとか?』
『はい。彼らの嗜好に合ったようで……』
『つまり人類の失われた二千年の間、貴殿は魔族の文化が身近にあったということですな?』
『……?』
どういう意図か理解しかねる。
王の言葉には回りくどさがあったが、慎重さと私への敬意のようなものも感じ、不快には思わなかった。
ただ、純粋に何を求めているのかが理解できないのである。
『これから先、人類史が再建されるに当たり、我がハイランド王国は文化的礎も大事にしたいと考えています』
『はぁ……』
『そこで貴殿に折り入ってお願いしたいことは、その稀有な才能である人形を使い、我が国の文化の基盤を築き上げてほしい、ということです』
人形を使って文化の基盤?
魔族たちのように、人形オタクを増やせばいいのだろうか。
『――そこで、人形劇という舞踊はどうかと』
『人形……劇?』
『歴史と文化は密接に関係しています。芝居で歴史を語り継ぐ慣習はハイランドの古い文化にもあった。吟遊詩人は戦士の武勇を詩に綴り、歌い、演じることで語り継いでいたのです。しかし、現状は国の再建で忙しい』
『それなら、落ち着いてからゆっくり民衆で文化を築き上げればいいのでは?』
『そこをなんとか……。私は母に歌を聞かされて育ちました。私の祖先が旧王国を建国したとき、たった一人の名も無き戦士の戦いがあったと歌に語り継がれています。今より六千年も前です』
その歌なら私も知っている。
魔族も好みの歌らしく、流行りのアレンジを勝手に加え、魔王プリマローズのデスボイスを載せ、リサイタルと称してラジオで垂れ流していたことも記憶に新しい。
『時代の変遷には常に戦いがあったのだと、その歌で私は感銘を受けたのです』
『それと私の人形に、何の関係が……?』
『今、こんな時代だからこそ、文化を重んじるべきです!』
前のめりな王の諫言めいた言葉に、私も少し引いた。
私が人形劇団を築くきっかけになったのは、まさにこの六十二代目ハイランド王の言葉が発端だった。
半ば強引に推し進められた人形劇団事業は、その後、公共のものとして長い王家史と密接に関わることとなった。
――侵略セよ。
――支配セよ。
舞台劇とは何たるかを勉強するのに、時間を費やした。
それこそ百年はくだらない年月がかかった。
私がやるべきことは、ハイランド王が求める文化の礎を築くことであるが、その実、それは王国の文化侵略やミーム汚染を可能とするものだった。
私の演出が、常識を作る。
私の語り部が、意思を扇動する。
私の配役が、人間を支配する。
この衝動は、従来の私が持つそれとは、また別の欲求からくるものだと私は理解していた。
この「世界を侵略したい」という思想は、私自身よりもまるであの"内なる声"が求めそうな考えだ。
そういえば、長いこと"内なる声"を聞いていなかった。
私の前に現れることはなくなったのは、私が忙しいせいかと思っていたが、おそらくそうではない。
きっと"内なる声"は、私と混ぜ合わさってしまったのだ。
そう考えると、今の私の状態も、些か説明がつく――。
そもそも、私の葛藤の源泉であった王国のことだが、「理想の国家」に変わりつつある状態だ。
この新ハイランド王国なら、救う価値がある。
"内なる声"に相談する必要もあるまい。私は、この国を正しい姿へと導いていきたい。