123話 ◆人形師の理想の国家Ⅱ
――頬に垂れる雨に気づき、目が覚める。
どんよりとした厚い雲の下、黒焦げになった城の建材に埋もれた私は、風雨に晒されながら三日ほどそこで過ごした。
遠くで聞こえる脆弱な兵士たちの断末魔が耳朶を叩く。
『ふ……ふふふ……』
不思議とその声が悲痛なものには聞こえなかった。
戦いには負けた私だが、その実、心は満ち足りている。
『狂った世界を壊し、また作る……か』
これから多くの人間が死ぬだろう。
私が最後まで魔王に抗い、傷一つでも与えていれば違った未来が待っていたかもしれない。
しかし、あの女は、この狂った世界で一番輝いていた。
その原石に傷をつけられなかったのは、私が人形師だからだ。
『ああ、ソード……。あなたも、気づいていたのですか?』
人類を裏切った勇者を想う。
投げかけた言葉は灰色の空に消えていった。
多くの血が流れれば、この空にも色彩が戻るかもしれない。それから先の世界を、私も見てみたいものだ。
百年、二百年、千年、数千年。
いつまでかかってもいい。いつか私の創作が必要な時代が来たとき、私はその真価を発揮しよう。
長い長い時が流れた。
国家は破滅し、人間は身を潜めて暮らす時代が続いた。
私はというと、内なる声に耳を傾けているうちに、余所から入る情報に大した興味を抱かなくなった。
たまに魔族が私を人間と間違えて襲うこともあったが、そんなものは取るに足らない雑魚退治のようなもの。返り討ちにすることは容易かった。
私は辺境の山奥に小屋を建て、人形作りに打ち込んだ。
造り、操り、気に入らなければ破壊する。
そんな毎日を繰り返していると、やがて"内なる声"は実体を持って私の前に現れるようになった。
『――汝、なぜ私をツクリ、私をコワス?』
造ったばかりの一体の人形が私に語りかけた。
人形は口から黒い瘴気を漏らしながら声を発していた。
声は私自身のもの。突如として現れた"内なる声"の存在に、私は驚かなかった。
『理想を体現するためですよ。あなたはその未来のための布石です。私に造られ、私に壊されるのです』
『汝、いかにして理想を体現スル?』
『私は人形師ですから、完璧な人形を作ることができれば――』
内なる声と語っていて、はたと気づいたことがある。
この造形は、私だけのものだ。
世界は何一つ変わらない。
『完璧な人形を作っても、理想の世界にはならない……?』
『汝、いかにして理想の世界をツクル?』
『そうか。私の理想とは、自己満足だけでは飽き足らないということですね。世界を変えるほどのものでなければ、私の理想とは言い難い、ということ……』
元より魔王への敵愾心によって芽生えた野心だ。
戦士として勝てないのなら、芸術家として勝ってみせる。
魔王が破壊し尽くし、再構築した世界は確かに生への渇望で溢れ、人間も魔族も亜人種でさえ、誇りと清廉さを追い求めるようになった。
皆、生かされるのではなく、生きようという意思を持った。
あっぱれだ。
魔王の芸術、あっぱれ。
賛辞を贈るとともに、私は私の世界を追い求める。
――シハイしろ。
しかし、どうすればいいだろう。
今の私は人形師であり、戦士ではない。人形を操って戦うことはできても、その在り方は蹂躙とは程遠い。
――シンリャクしろ。
私の戦いとは、外敵から身を護る程度の防衛的なものだ。
力でねじ伏せるような真似は人形ではできかねる。
――セイフクしろ!
『……売ってみようかしら。これ』
逡巡してから出した答えがそれだった。
内なる声の代弁者である人形に、ふと尋ねる。
『あなたは売られたいですか?』
人形は答えなかった。口から黒い瘴気も出ていない。
内なる声は引き籠ってしまったようだ。
それを黙認と捉え、私は後日、造った人形を売ってみることにした。
物々交換の手段が略奪を基本とする魔族に対して、どれくらいの値がついて人形が売れるというのか。
大して期待はしなかった。
しかし、頂点にいる魔王が芸術家気質なのだ。
魔族の中にも芸術に理解のある者はいるだろう。あるいは、駆逐する人間が減ってストレスが溜まった魔族が、人間に見立てて襲う練習台としての需要はあるかもしれない。
そもそも世界が征服されて、数百年は経過したはず。
さすがの魔族もそろそろ落ち着いてきたことだろう。
そんな楽観的な感覚で里に下りてみると、――時は既に二千年が経過していた。
余程のことでないと驚かない私も、さすがに驚いた。
それほど長い時間が経っていることに、まったく気づいていなかったのだから。
魔族も当然、当時の人間と同じように文明的に生きていた。
それに加えて、支配下に置かれた人間ですら独自のコミュニティをつくり、細々とだが、魔族と交易を交わして生き永らえていた。全滅していなかったのだ。
『……』
唖然とした私だが、造った人形を質屋に持っていくと、意外なことに高値で売れた。
『人間の女、こいつは相当な上物だぞ!』
質屋の男が目を見開いて、私の人形に釘付けになっていた。
どうやらちょうど人形需要は高かったらしい。
元より支配欲の高い魔族には人形を好む気質はあった。支配対象がいなくなり、魔族内での上下階級が強まると、下等魔族はストレスの捌け口として木像に当たるようになった。
それが千年ほど昔の話だ。
今ではその気質が独特な感性に成り代わり、支配欲は愛着へと変貌していった。
魔族は人形をコレクションして愛玩物として愛でることで支配欲を満たしていた。
『この人形は、どこのどいつが造ったんだい?』
『私ですけど』
『は!? あんた!?』
『はい』
魔族ではない者が、精巧な造形物を創れるということが、その時代では珍しいことだったらしい。
当時の過酷な環境に生きる人間は、創作活動とは程遠い人生を歩んでいたため、手先が器用な人間がいても人形を作っている余裕などなかったのだ。
一方の魔族は手先が器用ではない。
武骨な粗製乱造な人形ばかりが溢れ、魔族はそんな作品で満足していたのだ。
そんな中に現れた私はダークホースだった。
私の名は瞬く間に魔族の世界に広まり、よくわからない記者や通信業者の魔族も私の小屋に訪れた。
通信技術というものを初めて知った。――知らなかったが、電波なるもので遠くに情報を飛ばせる時代になっていたらしい。
夜、黙々と工房で人形を造っているとき、ふと人形に声をかけてみた。
『正解でした。私の人形は世界に認められたみたいです』
『……』
新しく作った人形の口から黒い瘴気が現れ始める。
『否』
内なる声は、その一言だけ返答をくれた。
『否? どういう意味です?』
『それは汝の理想ではない』
『……?』
『汝は世界に認められたいのではない』
最初に話した"内なる声"よりも流暢に聞こえた。
私は世界に認められたい訳ではなかったのか。
いや、どうだっただろう……。
過去の記憶が朧気だ。
『汝はツクリ、支配し、コワス者』
『でも、世界が認めてくれるのなら、それは私が受け入れられる世界だと思います。昔の人間の世界のような、彩りのない世界とは違います。少なくとも』
内なる声は、無機質な顔のままじっと黙り、少しして大声を上げた。
『否!!』
その怒声とともに灯りが消えた。
ぼんやりと黒光りする瘴気が、やがて人形から塊として浮き出て、暗闇の中で私の前に立ちはだかった。
『汝はなぜ理想の世界を求める』
『汝はなぜ人形を作る』
『汝は人形によって支配する。侵略する。世界を……変える!』
――私が人形によって、世界を変える。
そうだったかもしれない。
あまりにも長い時間が過ぎたせいで根本的に何が私を人形造りに駆り立てるのか、私自身も忘れてしまっている。
それどころか、自分が何者だったのか、なぜこんな山奥の小屋に引き籠っているのかも忘れていた。
確か……始まりは、醜い世界のせいだ。
怠惰で、誇りも清廉さもない醜い世界が許せなかった。
その理想を目指し続ける世界にこそ、価値があるという信念を持っていた。それだけははっきり覚えている。
黒い瘴気は、私と同じ背丈にまで膨れ上がっていた。
小屋の中の暗闇で、それは私と同じ姿形へと変わった。
『我々ハ星を渡り、星ヲ導く者。こノ星は醜く歪んでイル。それを正す存在ガ必要だ』
『何を言って……』
『いずれ我々ノ同志が活動を始めるダロう。我々も力を蓄えるタメに幾星霜ノ年月を費やした。先ヲ越されるわけにハいかぬ』
『先を、越される……?』
内なる声が何を言っているのか、私には理解できなかった。
否、それは私の"内なる声"ではない。
おそらくまったく別の存在なのだと初めて気がついた。それが黒い瘴気の正体だ。
『我々ハ一心同体。ツクリ、支配し、コワス者』
黒い瘴気が私に重なり、気づけば灯りが戻っていた。
工房の影に映し出された私の影が、黒い瘴気と重なっている。
私は、己の影と喋っていたようだ。
茫然としていると、通信業者が譲ってくれたラジオなるものから、ニュースが耳に飛び込んできた。
『――生物学者がその名を"アークヴィラン"と命名しました』
『続報です。アークヴィランが北方にも観測されました』
『緊急事態です。速やかに避難を開始してください。アークヴィランは至る所に出没する可能性があります』
慌ただしく、混線したように事実を伝えるラジオ。
聴き慣れない情報が多く、頭では整理しきれない。とにかく世界が混乱していることだけは把握した。
『アーク、ヴィラン……?』
私には内なる声が語る"我々ノ同志"という存在が、その新たな脅威であるような気がしてならなかった。