122話 ◆人形師の理想の国家Ⅰ
単純に、私の理想が脆かった、というだけの話――。
魔王に敗北したあの時代。
五人の勇者で旅した世界は、あまりにも醜かった。
数百年に一度訪れる厄災の危機は、人間兵器の手によって意図も容易く解決できてしまうものとなった。
平和呆けした人間達の傲慢たるや、何と醜態だったものか。
それは、私の志す世界とはどこかが違っていた。
――王には、威風を感じない。
――女王には、強かさを感じない。
――巫女には、清廉さを感じない。
――兵士の目に輝きはなく、民衆に生きる知恵はなかった。
私は、「理想の国家」とは何かを知っている。
芸術に生きる私だからこそ、綺麗な世界を識っていたのだ。
理想を求め、歩み進めることが、清く、綺麗なのだと理解していた。記憶がなくなったとしても、その在り方はこの胸に、この心に深く根付いている。
それに比して、この国は堕ちるところまで堕ちた。
人々は生かされているだけだ。厄災と統治が繰り返される無意義な世界の中で――。
堕ちた国がどんな結末を辿るかは、歴史が証明してくれる。
『傀儡の勇者よ。世界が、魔王に支配されようとしています。世界を救ってください』
起こすだけのことが、これほど大仰なのは滑稽だ。
私は気怠い体を起こして頭上を見上げた。
薄暗い洞窟。崖の上には松明をかざした巫女や神官が台座に座る私を見下ろしていた。
目は口ほどに物を言う。その者の目を見れば、どんな思惑を持つ人間か、どんな野心を抱いている人間かがわかる。
私に語りかけた巫女には、そのいずれもなかった。
思惑も野心もなく、ただ役割を全うするだけの存在。
『傀儡の勇者、か……』
一体、どちらが傀儡だというのか。
こんな者が救世主を呼び起こす役目を担う無機質な世界というのは、なかなかに人間たちの未来が心配だ。
将来はどうしようもない世界が待っているかもしれない。
私の役割は、数百年に一度復活する魔王を倒すこと。
その役目は魔王が復活する度に、過去の勇者たちが解決してきたのだという。つまり、いつも同じことの焼き増しをしているそうだ。
『実は、あなたと同じような力を持つ存在が、他に六人います。六人のうち二人――剣の勇者と盾の勇者は裏切りました。今後はその二人を敵だと思って行動してください』
まるで危機感のない、抑揚のない言葉でそう告げられた。
離反者か。こんな繰り返しの人生を送っていれば、そういう者が現れても不思議ではない。その裏切った二人の方が、よっぽどまともな思考をしているようにすら思える。
いつも同じことを繰り返していたら、この巫女のような傀儡になってしまうのだろう。私は記憶がなくて幸せ者だ。
同志の人間兵器は、私の他に四人いた。
弓術士、治癒士、魔術師、毒殺魔。
この仲間で世界を旅した。
お世辞にも綺麗な旅ではなかったと思う。
村や町、ダンジョンを何度も往復した。裏切り者二人の抜けを補うために、アイテムや装備が攻略にいくつも必要だったのだ。
私がこんな救う価値のない世界を救ってやろうと旅に出たのは、利己的な考えによるものだ。王国に清廉さを感じずとも、世界のどこかに理想的な国が――綺麗な世界があるのではないか?
そう思い立って世界を救う旅に出た。
そこで出会った人々は、一癖も二癖も……なかった。
意思のない人間たちばかりだ。求めれば装備を渡してくれたし、アイテムの入手にも苦戦はない。
標準化の攻略に楽しみは見出せなかった。
どこへいっても傀儡な世界。
何処かには理想的な人間がいるのではないかと、期待していたというのに――。
結末を語れば、勇者は魔王に敗北した。
アーチェを逃したメイガスが、魔王の攻撃により消失した。
文字通り消滅した。私の目には、殺されたというよりメイガス自ら消えていったようにも見えたが。
『――残るは貴様だけか。たかがお人形遊びで、妾の剣に勝てるとでも?』
魔王が『紅き薔薇の棘』を振り払い、切っ先を向けてきた。
燃え盛る魔王城に包まれながら、私は眼前の魔王よりも、むせ返るような熱気と、脈動とともに喉から滴り落ちる赤い雫に意識が向いていた。
『ぁ……』
その脈は、私が生きている何よりの証拠だ。
手際の悪い旅の中、一度も感じなかった生への渇望。
あるいは救うべきは人間ではなく、彼女たち魔族の方ではないだろうか。
『勝とうとは、思っていません』
『……おぉう?』
魔王は意外そうに、赤い瞳を丸くさせた。
『なんじゃ、覇気のない勇者じゃ。張り合い甲斐がないぞえ』
『張り合い甲斐……。そうですね。私もないです』
『……?』
魔王は怪訝そうに私を見て、首を傾げた。
『この期に及んで、命乞いでもしようという魂胆か?』
『そうではありません。ただ、私が見てきた人間の世界には、色がなかった。こんな色彩のない無機質な世界、救うべきなのかどうかがわかりません』
『なるほどのぅ』
『……』
魔王はしみじみと相槌を打った。
長き旅の中で、皮肉にも最後の敵の相槌こそが、私の心情を正しく汲み取ってくれた気がした。切っ先を喉に突き付けられて今にも殺されるという状態で、ようやく初めて――。
『貴様はどうして我が城までやって来たのじゃ?』
『その理由を、旅の中でも見出せなかった。だから――』
魔王はそこで剣を下ろした。
私の喉の傷は急速に塞がり、再び熱も色も感じなくなった。
無様に私は、床に手をついて噎せた。
『今ここで貴様をむざむざ殺してやってもよいが、生かす価値もありそうじゃ。――いや、驚いた。もっと前の貴様は、つまらない【型取り】だけの女じゃった。ここまで変わるか』
『型取り……ですか?』
『言うなれば、頭でっかちの造形師じゃ。貴様が造る人形には魂がない。ただ造るだけの製造機のような女よ』
魔王は昔の私を知っているようだ。
私自身、今の私しか知らないから、何が変わったのか比べようもないが。
『ソードのせいかのぅ。あの弓の女もじゃが、貴様も他の勇者もそうじゃ。毎度毎度、何かが違う。人間に記憶を消されたとて、体に染みついた経験と、その時代の価値観によって違う勇者へと成り果てる』
『ソードは裏切りました。裏切り者と私は関係ありません』
『いいや違うな。人間どもは好き勝手に【裏切りの勇者】と呼んでいるが、それは人間の身勝手な解釈じゃ』
『解釈……』
解釈が違えば、ソードは裏切り者ではない?
時代の価値観が違えば、ソードも受け入れられる未来が待っているのだろうか?
『妾からすれば、ソードこそ真の勇者として行動したと思うぞ』
『それはまた突拍子のない解釈ですね』
『おぬしも言うていたではないか。――こんな色彩のない無機質な世界、救うべきなのかどうか、と』
『…………あぁ』
『救う価値がなければ、救わなければよい。おぬしの本能が、せっかく世界を勘定し始めたのじゃ。それに従えばよい』
『それは今までの自分の在り方を否定することになります』
人間兵器とは元よりそれだけの存在。
人間を救うために造られた。別のことをすれば、今までの生き様を否定する。
『――ああ、おぬし、本質は頑固な女じゃったか。いやしかし、今のおぬしの在り方は、果たして人間を救うことになるか?』
魔王の瞳孔が猫のように細くなった。
その本質を射抜くような言葉に、私は息が止まった。
助けられるだけの人間たち。
助けるのは私たち人間兵器だ。
だが、その結果、人間はどうなっただろう。怠惰になった。誇りも威風も清廉さも失った。それは果たして救ってきた、と云えるのか――。
私が好きだった芸術の世界と、正反対な今を創り出したのではないか。
『妾は人間に仇なす者じゃ。しかし、妾のような悪がいるからこそ、世界の調律も取れるというもの。つまりな、妾もソードも同じじゃ。そしておぬしも、そうなれるかもしれぬ』
『私には……』
『ここで妾に殺され、また傀儡を造る製造機に戻るか? あるいは世界を本当に救うか?』
『……』
その問いに答えることはできなかった。
このまま永遠に繰り返される魔王討伐の宿命を、ただ受け入れるだけでは醜悪な世界をつくるだけ。
では、私のやってきたことは、いったい……?
これまで八回も救った世界は間違っていたというのか?
『妾は人類を蹂躙する。こんなクソほども面白味のない狂った世界を壊し、そしてまた作るのじゃ! それが我が覇道。我が天命。我が芸術じゃ!』
――言い換えれば、魔王の本質は私と似ていた。
彼女がやっていることは世界の再構築。
合わないものを破壊し、自分の世界を押しつける。それは創造主として正しい在り方だった。今の世界を受け入れられないから、自分の手で受け入れられる世界を作る。
私がやっていた創造は、ただの型取りだった。
焼き増して、何度も何度も同じものを生み出す作業。
ああ、私は魔王に二度も負けた……。
戦士としても、芸術家としても。
『……』
『脆い女よ。ソードなら即答だったじゃろう』
『そうかもしれませんね……。私の芸術には魂がなかった』
批判的に見ていた人間たちと、私は寸分も違わない。
人間が傀儡なら、そんな彼らを生み出した私も傀儡だ。
『おぬしは――いや、貴様は生きろ。やがて妾が理想の世界を作り上げるのを指くわえて見てればよい、傀儡の勇者よ』
魔王は立ち去り、私は動けなかった。
燃え盛る城の中、体を焼き焦がされても動けない。
動かそうと思えば動けたかもしれないが、どうしても体が動かなかった。
それが勇者全盛時代の最後を見届けた私、パペットという傀儡の勇者の末路だった。
次回から毎週(火)(木)(土)の週3更新に変更します。