118話 ◆人形少女Ⅱ
宮殿まで城門からかなり距離があるが、こないだ出入りした王室や旧王城はすぐ見て回れる。
ヒンダが思う以上に、ここの敷地は広大だ。
丘という立地のせいか上下の勾配が激しい。
「はぁ……はぁ……パペットさん」
手始めに近場の王室を回るが、もぬけの殻。
もう走りっきりで息が上がりそうだ。
「……?」
渡り橋の奥から人の気配を察知した。
その先には旧王城がある。
ヒシズ王女やソードとともに入った武器庫を通過して、薄暗い回廊を進んでいく。
「あっ……」
回廊の奥に蝋燭が灯っていた。
旧時代の照明設備も近代と同様、電灯が採択されているはずだが、なぜか蝋燭で照らされている。
誰かがいるようだ。
否、"誰か"ではない。……人形?
蝋燭に何か無機質な物が照らされている。
前にスージーの案内でグレイス座を見学したときにも同じような光景を見た。
あの日、暗所保存されている自動人形をランプで照らしていたのはパペットだった。
――あそこにパペットさんが……っ!
憧れの人が無事であることを祈る。
ヒンダは固唾を呑み込み、強張る体を奮い立たせて近づくことにした。
引き寄せられるように回廊の奥を進む。
近づいていくと、薄明かりに照らされた人影が克明に映し出された。
「ひっ……」
そこにいたのは人形ではなかった。
人間だった。
無機質な表情を浮かべ、呼吸もしていないかのように佇むそれは、まるで人間らしさを欠いている。
遠目に見れば人形。だが近くで見ると、ぴたりと静止した大人たちであると、はっきりわかる。
「あ、あの~……」
ヒンダは恐る恐る声をかけてみた。
薄暗い廊下で規則正しく立ち並ぶ人間の群れに。
こんな悍ましい光景、他にあるだろうか。
声をかけると、うつろな顔で正面しか見ていなかった大人たちが一斉に振り向いた。
「ひぇっ」
その動作は機械的で均一化されている。
気味が悪い。
恐ろしくなったヒンダは一歩ずつ後退した。
――と、誰かにぶつかった。
気配を一切感じなかっただけに至極驚いたヒンダだが、振り向いて、そこにいた存在に安堵した。
「パペットさん!」
探していた憧れの人。
無事だったことも喜ばしいことだが、この不可解な状況の中で再会できたことで、ヒンダは胸がときめいた。
「わぁぁあ、会えてよかったぁあああ」
「大丈夫? ヒンダちゃん」
「パペットさん! この人たちがっ……!」
「……?」
ヒンダは震えた指で大人たちを指差した。
ずらり整列した無機物のような人間。
高貴で派手な衣装を身に纏うそれらを見たパペットは、小首を傾げて怯えるヒンダに尋ねた。
「この人たちがどうかしたの?」
「え、いや……どうかしたっていうか、だって……ねぇ! なんか変じゃないですか!?」
「変?」
この異様な雰囲気がわからないのか。
ヒンダはパペットのシャツの袖をぶんぶんと引っ張って恐怖を伝えようとした。
「変かしら? どこをどう見ても普通の人間達よ」
「違いますよっ」
捉えどころのない異常な感覚。
人間らしさを欠いた人間。
パペットには、それがわからないようである。
――そも、パペットに人間らしさが何たるかを理解しているはずもない。
「おかしいわ。元の人格はそのままにしてあるし、見た目もオートマタなんかより、ずっと不細工なままにしてあるのだけど」
「へ……?」
「ねえ、どこが変? 具体的に教えて。参考にするから」
ヒンダは背筋が凍りつく感覚を覚えた。
目の前の憧れの人が何を言っているのか、初めてわからなくなった。
今までグレイス座のファンとして、そのインタビュー記事の言葉やテレビで映されるカリスマ性を分析し尽くした自分でさえ。
――わかりあえるはずがない。
元よりアークヴィランなのだから。
人間を理解しているなら、もっとうまく出来た。
人間を人間のままとして人形に出来た。
製作者であるパペットも、出来栄えをここまで否定されると少しばかりがっかりだ。
「あっ……う……」
ヒンダは尻餅をついた。
泥濘に足を取られたように体が動かない。
ゆっくりと差し迫るパペットが正体不明の怪物のように思える。
伸ばされた白魚のような指先――。
ほんの少し前は、喜んで握り返していた。
今ではそれが悪魔の手のように感じ、戦慄した。
「大丈夫。あなたには時間をかけてきたから」
「じっ……時間……って」
「後ろの人たちよりも、ずっと丁寧に丁寧に工程を重ねてきた。次は失敗しないわ。安心して」
次は――。その意味は、背後に立ち並ぶ無機物のような人間たちがよく知っている。
ヒンダは人形にされる。
この時のために、パペットはずっと人形を愛してくれるこの少女と接してきた。
『私がヒンダさんの将来を保障します。必ずや立派な人形……いえ、この劇場のメインキャストとして育ててみせます』
母親に宣言したその言葉は嘘じゃない。
ヒンダは世界一人形愛の強い少女と云えよう。
古臭い伝統芸能であるこの劇団に、その幼さで熱心に愛を注いでくれた。
その愛に報いよう。
「私があなたを立派な操り人形にしてあげる」
その表皮には蝋を塗り込み、硬度を上げた。
魔素をふんだんに練り込んでパワーを与えた。
あとは五臓六腑を挿げ替え、瘴気を注ぐだけ。
「い、嫌……嫌だ……!」
「ヒンダちゃん、あなたには才能がある。人形を愛せる、それ自体が才能なの」
常軌を逸したことを言っている。
ヒンダは喉に引っかかった痰のような苦い絶望を呑み込んで、必死に抵抗した。
「パペットさん……人形は好きだけどっ……あたしは人形になんかならない! なりたくないっ!」
「人形に囲まれて、ずっと人形劇を続けられる。幸せなことでしょう」
妖艶な口元に浮かぶ下弦の月――。
慈愛の表情を浮かべるパペット。
蝋燭の炎が浮かぶ瞳では黒い瘴気が蠢いている。
「ああああああ、嫌だぁぁあああああ」
アークヴィランに言葉は通じない。
彼女たちにとって声とは号令であり、侵略こそが言語である。
――助けて、ソード……!
ヒンダは泣き叫び、彼の勇者の顔を思った。