116話 ピンチヒッター
ヒンダは俺が酒場に運ばれる少し前に出て行った。
泣き崩れて話せそうにないスージーに代わって、リチャードが落ち着いて状況を伝えてくれた。
「……僕たちも彼女を気にしてる余裕がなくて。気づいたら外に飛び出していたんだ。最後に見た顔は、なんていうか鬼気迫る感じだったな」
「あいつがどこへ行ったか心当たりは?」
俺の腹に突っ伏すDBを退け、テーブルを降りる。
足が動かず、ふらついて壁に寄りかかった。
「きっと……」
スージーが嗚咽を含みながら呟いた。
「お城……じゃないでしょうか」
「城? 今一番危ない場所じゃねえか」
「私たち……ずっとその話をしていたので」
落ち着きを取り戻したスージーが話してくれた。
スージーは俺と別れた後、東区の自宅で留守番させているヒンダを連れ、酒場シムノフィリアでリチャードと合流した。
リチャードは東区南部の商会長でもある。
住民を避難させるなら、その伝手を頼ろうと考えたようだ。
最初、ヒンダも俺とのデートがどうだったかを茶化すように訊ねてきたそうだが、スージーの物々しい雰囲気を察して、すぐ避難した。
シムノフィリアに着く頃には無口になっていた。
王都全体で何が起こっているのか?
原因として考えられることは?
ミーハーな性格のスージーは、矢継ぎ早に俺やパペットが話したことをリチャードに伝えた。
当然、ヒンダもそれを傍らで聞いていたのだ。
「私、つい人形劇団のことばかり口にして……。王家に何かあったら人形劇は? お城に向かったパペットさんは大丈夫かなって……」
「なるほどな」
ヒンダが何を考えたのか想像がつく。
東リッツバー平原の砂漠化のときも危険を省みず、解決に乗り出そうとしていた。
そのときの動機も人形劇団――。
パペットも王城に向かったとあっては、ヒンダもそこに行ったと考えるのが妥当だ。
「行くしかねえか……」
足を引きずりながら壁を伝い歩く。
四肢の完全復活まではまだ遠いか。
早く行かないと、その辺の道端でヒンダが野垂れ死んでいる可能性もある。
そんなもの見せられた日には、夢見が悪い。
「ソードさん、そんな状態じゃ!」
スージーが体を支えてくれようとした。
俺はそれを手で押し返した。
「平気だ。動かしにくいだけで苦痛じゃない」
肉体がまだ機能していないだけだ。
末梢神経の繋ぎ合わせが元通りになれば、自由に動けるはずだ。ここまで重度の機能停止は初めてだが、ヒンダを止めに行く体力程度は残ってるだろう。
「マスター。悪いが、ちょっと借りるぞ」
リチャードに断って椅子の一つを長剣に変えた。
杖替わりに長剣を床に突きながら店を出る。
「……」
リチャードもスージーも黙って立ち尽くしていた。
DBは眠りこけたまま。
――そうだ。腐敗人形を切り抜けてヒンダを助けに行けるのは、俺しかいない。
他に王都にいる仲間で、誰を当てにできる?
パペットは敵本陣の真っただ中だ。
アーチェは逆にこちらの進軍を妨害する始末。
ヒシズだって危険な状態かもしれない。四の五の言ってる場合じゃねえだろ。
店の扉を開閉すると小気味良いドアベルが鳴った。
その陽気な音色が、外に広がる絶望的な光景とは対称的で、今では冷笑的に聴こえた。
こんな奥まった路地でも人形が無数に犇いていた。
腐臭漂うヤツもいる。
俺の外出に気づいた人形たちは一斉に振り返り、武骨な腕を伸ばして、まるで生ける屍のように近づいてきた。
「ハッ……厳戒令ですよ、ってか?」
左腕では【抜刃】が使えない。
右腕で生成していた剣を振り回して、人形たちを払いのけた。
「ご親切にどうも!」
頭部を狙って人形を破壊する。
だが、一体や二体って話じゃない。
片腕で剣を振るうたびに足がもつれて倒れかけ、その度に剣で地面を突いて姿勢を保った。
全然思うように動けない。
その間も人形たちが俺を止めようと迫ってくる。
「チッ、雑魚のくせにっ」
逃げるのは癪だが、ここは戦略的撤退だ。
人形たちの隙間を見極め、すれすれのところで脇を抜けて道を進んだ。
――ぽつりと一滴の雨が降ってきた。
空を仰ぐ。曇天が覆って星空は見えなかった。
すぐ大降りになってきて体を濡らした。
道がぬかるんで、思うように前に進めない。そうこうしている間にも腐敗人形は集まってくる。
剣を振り回して払いのけるが、支えがない体はいとも容易く倒れてしまった。
「あぐっ……退け! 邪魔だ!」
次から次に覆い被さる人形。
引き剥がそうと抵抗するも、腕は碌に動かねえ。
這いずって上半身を起こすので限界だ。
なんとか大きな道に這い出たあたりで、遠くからエンジンの駆動音が聞こえた――。
雨で濡れた道路の水をタイヤが跳ね返していく。
駆動音はどんどん近づいてきた。
二輪のアーセナル・マギアだ。
操縦者は接近すると、さらにギアの回転を上げ、車輪を豪快に回し出した。
見なくても駆動音だけで想像できる。
アーセナル・マギアは俺を取り囲む腐敗人形の一群に突進してきて、ぶつかる直前でくるりとターンしてみせた。
前輪を軸とした後輪の横一閃――。
人形たちが一斉に吹き飛ばされた。
操縦者はさらに周囲を疾走して、アーセナル・マギアの体躯だけで人形を薙ぎ払ってみせた。
爽快なバイクアクションを見せられた後、操縦者は俺の目の前に二輪を留め、道に降り立った。
「なにやってるの……?」
「いや、ホフクの練習をだな」
「そんなワケないでしょ。――ったく、またトラブルに巻き込まれたんだ?」
華麗に登場したのはシールだった。
やっと来てくれたか。
こいつはいつも登場がヒロイックで、本来の俺の出番を取られてる気がして癪だ。
「シール、本当はタイミング狙ってるな?」
「なんのこと?」
「なんでもねえよ」
ジト目を向けながらシールは溜め息をついた。
行く先々で俺がいつもピンチに見舞われるものだから、いい加減うんざりって顔してやがる。
「ところで、頼んだブツは持ってきてくれたか?」
シールは不機嫌そうに、二輪の積み荷から数本の小瓶を出した。
――小瓶に回収していた魔素だ。
それらを小刻みに振って、見せびらかしてくる。
受け取ろうと手を伸ばすと、シールは小瓶を高く掲げて抵抗してきた。
「……?」
「これのせいで、わざわざ引き返しましたぁー」
到着が遅かった原因もそれらしい。
いつも手間をかけてることに拗ねているようだ。
……わかった。認めるよ。
お前が来ると安心感がすごい。
「悪かった。今回"も"助けてくれ」
「ん。よろしい」
はぁ、我ながら情けねえな。
シールには一生、頭が上がらない気がする。
いや、永遠と云った方が正しいか。
人間兵器だからな。