115話 赤の弓兵vs黒い獣Ⅲ
前に進むことしか頭になかった。
本来ならその一つ一つが致命傷にもなりえる貫通性の高い小粒の魔弾。
それを雨のように浴びても、何も感じない。
俺はなんでここまでして――。
眼前には威風堂々と立ち尽くす王城が広がる。
その影が、僅かな記憶を甦らせた。
『剣の勇者よ。世界が、魔王に支配されようとしています。世界を救ってください』
何度、その光景を見せられたことか。
勇者なのだから救え、と――。
そうして無理やり戦場に立たされ、山のように屍を積み上げた。
断末魔の数々が幻聴として聞こえてくる。
俺は、本当はあんなことしたくなかった。
誰も何も殺したくなかった。
それを――。
…
『彼の体質は最も"剣"に適性がある。でも……』
『でも? それなら悩むことはないじゃない』
『性格だろう。これまでのテストで、彼は勇敢だが、残虐性が足りないことがわかっている』
『ならちょうどいい。このサンプルを試しましょう』
黒い液体を体内に接種させられた。
気が狂いそうになった。
それからというもの、俺は毎日この黒い相棒と同居することになったのだ。それが【狂戦士】との出会いだ。
…
「――……コロス」
コロスコロスコロス。
片腕が吹き飛んでも黒い魔素が補填した。
コロス。
瓦礫の山が降り注いでも叩き落として進んだ。
ダメージを受ける度、黒い外骨格が表皮を埋めて体がどんどん黒に染められていく。
体そのものが鎧に置き換わっていくようだ。
それは鎧のようであり、筋組織のようでもある。
「コロスコロスコロス!」
今はただ、アーチェをコロスことしか頭にない。
アーチェの矢がまた飛んでくる。
赤い魔弾。すべてを焼き尽くす【掃滅巨砲】だ。
躱すことなど容易い。
俺は近接戦闘に特化した剣の人間兵器。
さらにスピードを上げて少し進路を逸らせば、あののろまなデカブツに当たることなんてない。
そこから次弾の精製工程まで、およそ数刻。
それだけあればアーチェに辿り着く。
すぐそこに行って斬り裂いてやる。
――――……!
刹那、世界が止まった。
空も地面も大気も赤く染まっている……。
なぜだか身動きが取れない。
「やめなさい。貴方自身が一番後悔するでしょう」
赤い空間に白い法衣を纏う女が佇んでいた。
DB……?
それは一瞬の出来事。
はっとなった瞬間、もう女の姿はなかった。
幻覚じゃなかった。今のはDBか?
――直後、【掃滅巨砲】が壮絶な速度で飛来して、立ち止まった俺の足に直撃した。
体が吹き飛ばされていく。
同時に、全身を覆っていた黒い鎧も散り散りになって消滅した。
○
気づくと蛍光灯に照らされていた。
カチカチと時を刻む時計の針の音が耳障りだ。
おまけに床が硬い……。
体を起こしてみる。
床じゃなくてテーブルの上だった。
なんだか此処の雰囲気に心当たりがある。
「だる……」
とてつもなく体が怠かった。
左腕が動かない。おまけに両足も動かない。
そこでさっき『フーチフ・ディレ通り』での出来事を思い出した。
俺は暴走していた。
【狂戦士】に汚染されていたのだと思う。
あの感覚、初めてではあるけど憑依化の症状だったんだと、今なら自覚できる。
「ん?」
俺の腹に突っ伏すようにDBが眠っていた。
察するに、魔力を費やして俺の体を治してくれたのだと思う。
暴走を止めてくれたのもDBだ。
自分自身が情けない。
献身的なDBに不甲斐なくなり、その薄紫色のふわふわな髪を撫でた。
「悪い……」
聞こえてないだろうが、言葉にせずにいられない。
アーチェを殺す気なんてなかったのだ。
あのとき、【狂戦士】に頼りすぎて、自我を失ってしまったのは俺の未熟さ故だ。
この力は強大すぎる……。
窮地になればなるほど、負の感情を餌にして黒い魔力が一気に膨れ上がる。これじゃあ、50年前の俺と何一つ変わらないじゃねえか。
部屋にノックの音が響き、誰かが入ってきた。
「大丈夫ですか、ソードさん?」
扉を見やるとスージーが心配な顔を覗かせた。
その背後にはリチャードもいる。
やはりここは『シムノフィリア』だったか。
「東区まで運ばれてきたんだな、俺は」
「DBさんが運んでくれたんです。最初見たときはビックリしましたよ。だって、体が、その……」
スージーは俺の手足をちらちらと見ている。
四肢のうち三肢が無くなった肉体。
それが今では五体満足だ。
「人間兵器にはよくあることだ」
まだ機能する右腕で力こぶを作った。
すっかり良くなったぞ、と空元気で振舞うが、スージーとリチャードの表情は暗い。
二人揃ってバツの悪そうな顔をしている。
どうやら俺のことだけじゃなさそうだ。
「なんかあったのか?」
「もう……本当に……嫌な事ばっかりで……」
スージーは泣きそうになるのを堪えている。
リチャードがその肩を撫で、代弁するように口を開いた。
「東区も、北区と同じように例の人形でいっぱいだ。南区もかな? 無事な地区は西区くらいだろう」
「腐敗人形がか?」
「そう呼ぶのかい?」
俺は固唾を呑むようにして頷いた。
勝手に名付けただけだけど。
「人間たちは無事なのか?」
「それがね、腐敗人形は家に閉じ籠ってるかぎりは襲ってこないんだ。外に出ると攻撃してくるけど」
「そうか……」
「怪我人はいる。でも、大抵の人は立て籠もって、事なきを得てるよ」
自己防衛や正義感で飛び出し、返り討ちにあった住民は多いみたいだが、人形に歯が立たないことに気づいた今では住民は皆、大人しくしているのだとか。
だったらスージーはなぜ泣いてんだ?
自由は奪われたが、ひとまず無事だったんだろ。
――俺の疑問を察したリチャードが言葉を重ねた。
「君の連れ子、ヒンダちゃんと云ったか」
「連れ子じゃない。……ヒンダがどうした?」
そういえば、ヒンダの姿を見ていない。
あいつの世話はスージーに任せっきりだった。
ヒンダ母に任されたのは俺なのに放置していたことを思い出して、ふと罪悪感が沸く。
「出て行ってしまったんだ」
重々しい口調でリチャードがそう語った。
「出て行ったって……。外に出ると腐敗人形が」
「僕らも必死に止めたんだけどね、なぜかあの子、すごい力で……」
言い淀むリチャード。
言葉尻には、ヒンダの死を覚悟する含みがあった。
スージーがついに、あぁ、と泣き崩れた。
「嘘だろ……」
子どもがなんとかできる事件じゃない。
外に出て行ってから、どれくらい時間が経ったのだろう。時間によってはもう助からないかもしれない。
残酷にも、時計の針は一定のリズムでカチカチと時を刻む音を鳴らしていた――。